思考と感情、理屈と直感で迷った時に。

物事の判断のもと(基準)として、よく言われるのが、「思考」(論理)か「感情」(感性)かの問題です。

※思考と論理、そして感情と感性は厳密には違いますが、ここでは同様なものとして扱います。

似たようなものとしては、理屈・論理と直感・感覚の違いとか、客観性と主観性のような対立概念で言われることもあります。

いずれにおいても、究極的には、どちらがいいか悪いかはないものと考えられますが、事と次第によっては、当人にとっての良し悪しは出ます。

今回は、この思考か感情か、あるいは論理か直感かの判断で困った場合についてを書いてみたいと思います。

まず、一般的に性差(女性・男性)での偏りはあると考えられます。

これは肉体的・機能的・構造的に、同じ人間といえど、やはり性別によるそもそもの違いはあるので、どうしても相違は出ると推測されるからです。

霊的な意味でも、男性と女性の役割やエネルギーの質の違いは言われているところです。

そして、女性は直感や感情、感性での判断、男性は思考や論理での判断が適しているとされています。

これはマルセイユタロット的に見ても、言えることだと思います。

従って、迷った場合は、この性差の判断傾向に従い、女性は直感・感覚的なもの、男性は論理・思考的なものの判断が一番しっくり来るのではないかと思います。

ただ男性であれ、女性であれ、性差によるものは確かにありますが、同じ人間として、一人の内に完全性も存在すると考えると、基本はそうであっても人によってはまた違いもあると言えます。

自分のこれまでの傾向を知り、どの判断のレベルの時が、自分にとっては結果的に良かったのかを見るとよいでしょう。

論理20、感覚80くらいがいいという人もいれば、その逆くらいの人もいるわけです。

またこういう場合もあります。

女性の場合、自分の感性・直感力(直感的に本質を受け取る巫女性ともつながります)を磨くため(復活させるため)、あえて逆の論理や思考を鍛える(接する)ことにより、その統合した力によって、これまで以上の直感力が出てくる(蘇ってくる)というパターンがあります。

こうなると、過去の、論理や客観的根拠(エビデンス)にこだわっていた自分は解けて、より女性性の本質らしい感性を信頼する自分になってきます。

反対に男性は、直感や感性を中心すると女性性に接し、それを受け入れることで、自分の中の高次の知性・論理性が発動してくるようになります。いわば、感性を分析していくことで、もっと高いレベルの論理に導かれるのです。

どちらにしても、判断のスピードは速くなり、自分にとっての重要なもの、本質がわかり、選択での迷いも少なく、あるいは迷っても前のレベルとは違う次元のものに変化します。

ということで、女性でも男性でも、実は思考と感性の狭間で悩むことは、悪いことではないのです。

それから、階層やレベル(次元)の混同という問題が、思考と感情の判断でよく現れます。

感情レベルの問題(判断)は、心の次元であって、魂や高次のレベルと関係してはいても、多分に自分の物語(自分寄り)が中心です。

もっと言えば、かなりの部分で好き嫌いか、自分にとって心地よいと思うもの、満足するものという選択基準になっているということです。

これに対し、思考や論理はどちらかといえば他人寄りであり、組織や集団においての(利や正義が)選択基準になってきます。これは現実的判断とも言えます。

その判断や選択が、どのレベルにおいてもっともよいとするものを求めるのか?によっては、感情・感性で選んだほうがいい場合と、思考や論理での判断がよい場合とがあるわけです。

先述したように、自分寄り、あくまで自分の満足感を中心とした選択では感性・直感でもいいでしょうし、自分よりも集団・組織・グループなどの集合的なものの利や正義に適うほうが、この場合はよい(それが結局自分のためにもなる)と思えるのなら、思考や論理中心となります。

もうひとつ言えば、魂の基準となってきますと、論理と感情は超えたものになってきて、マルセイユタロットでは「神の家」の判断ということになります。

それは理屈が通っているとか、気持ちいいとか、ワクワクするとかとは別次元の選択です。

思考と感情(感性)での扱いには、思考を感性の刺激(触媒)とするものと、感性(感情)を思考の刺激(触媒)として判断するものとがあります。

これは、先述したように、性差においては、基本となるものが、女性(的な人)では直感や感性、男性では思考や論理なので、例えば、女性ですと、自分の感性や感覚に、さらに信憑性や信頼性を増すために、思考によって感性に刺激を与えて、「やっぱり自分の直感は間違っていなかった」と確信させるもの、腑に落とすものとして扱うという方法です。

反対に男性(的な人)だと、自分の思考、論理に飛躍をもたらすために、直感やヒラメキ、感性をも取り入れてみる、重視してみるということになります。

ここで大事なのは、どちらか(思考か感情かの判断)で迷うというのではなく、あくまで基本の判断は思考か直感かで決めておき、その底上げや、判断のための情報・資料として、思考または感性を取り入れるということです。

思考中心の人が、理屈を凌駕するほどの感覚を覚えたら、その決断には直感・感覚的なものを重視する必要性があると言え、逆に普段は自分の直感・感性的なものを信頼していても、科学的・客観的データが明らかに揃っている場合、自分の直感力がその時はぶれている、クリアーではないと見ればいいのです。

どちらにおいても、修正すること(改革をすること)も受け入れる、柔軟性が求められます。

最初からふたつを相克させたり、葛藤させたりすると判断が難しくなります。

これは先に書いた、両者(思考と感情)の統合によって、さらに高いレベルに自分の判断力を上げるための方法と似たものでもあります。

なお、タロットをしている者は、小アルカナで、剣(ソード)か杯(カップ)で思考と感情を代表させて、出たカードによって、どれを重視するかの判断材料とすることもできます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top