女性・男性、学び方の違い

タロットの大アルカナカードを見ていましても、明らかに女性と男性の性別の違いがわかるカードと、どちらとも取れないカード(あるいは両性具有的カード)というものがあります。

タロット(マルセイユタロット)がわかってくるようになりますと、性差というより両性の象徴する、性質の差(分離)とその統合に重要な鍵があるのではないかと気づいてきます。

ということは、タロットでの絵柄による性別(と、その区別がつかないような)の描き方は、意図的なものがあると考えられます。

中でも、「悪魔」と「世界」のカードは、見た目にも両性具有が見て取れ、性の象徴性の統合について、大きな示唆を与えてくれます。

さて、そうは言っても、現実に戻りますと(現実的に考えますと)、私たちはその感情(内面)は別にしても、外面として性差を持って生まれてきます。

世にあらゆる二元(ふたつのもの)の区別があるように、女性と男性は同じ人間ではありますが、違いも明らかです。

私は男性ですが、タロットを習う生徒さんには男性もいますが、女性がほとんどです。

タロットの講師(先生)も、どちらかと言えば女性が多いようです。

最初の頃は、タロットを教える人が男性であることを不思議がられたこともあります。(笑)

そうして、女性の方が男性にタロットを教わる場合と、女性の方が女性の先生に習うのとでは、おそらく違いがあるのではと想像しています。

つまりは同性間で習うのと、異性間とでは違いがあるのかどうかというテーマです。

これも、女性も男性も同じ「人」であり、「タロット」に興味を持つ者なので、それほど本質的な違いはないと言えばその通りだと思います。

むしろ、性別より、その人の持つ個性とか経歴のほうが「違い」として出ることが多いかもしれません。

ただ、それでも性質として言えるのは、男性は論理的で分析的傾向を持ち、女性は直感・感性的で包括的な傾向を持つと言えるかもしれません。

従って、教え・教えられる時でも、その違いはある程度は出ると考えられます。

同性間では、性質・傾向として当然同じものがありますから、コミュニケーションや学習伝達の度合いについては、スムースなところがあるのではないかと思います。

私も、まれですが、生徒さんが男性ばかりの教室(講義)の時があり、この時はいつもとは異なる質での、伝わり方を実感しました。

おそらく基本は同性同士のほうが、伝わりやすいとは思いますが、逆に化学反応のような、異質なものの刺激による飛躍というものも、同性の場合は少なくなる気がします。

私のタロット講義も、女性の生徒さんに対しての説明は、女性からするとわかりづらいところがあるのではないかと推測しています。

どうしても男性として知識的なもの、論理的なものへ偏るところはあるからです。たとえ感性・感覚的なものであっても、両性の違いはあるでしょう。

これまでの経験と考察により、女性と男性の知性の開き方、受け取り方、活かし方は異なっていると考えています。

なお、ここでいう「知性」とは、暗記したり、覚えたりして増やす知識ではなく、智慧という表現に近いものです。

女性は本質的にすべてを知っており、それが真の知性として自分の中に内在しています。しかし、そのことに気づいてない(忘却状態になっている)人が多いのも特徴です。

女性は知識的な正しさよりも、自らの持つセンサーに合うかどうかが重要になってきます。(そのため、センサーが真の知性とつながっている必要があります)

一方、男性は知性を持ちません。(本当はありますが、女性のような、気づきでの知性発動が少ないのです)

男性は、自分の中に知性を育てる必要があると言ってよいでしょう。そのため、知性のために知識を入れたがるのが男性であり、知識的正しさ・正解を追い求めます。

えらそーに知識をひけらかす(知識にこだわる)者に男性が多いのも、そうしたことが理由のひとつと考えられます。(笑)

ここからタロット学習(タロットに限らずですが)と性差について考えると、それぞれの学び方がわかってきます。

女性は知識を入れることにより、自分の中の知性を思い出す刺激・触媒とします。

本当は学ばなくても女性はすべてを直感的に知っているのですが、知識によって知性を蘇らせるきっかけとします。

言い方を換えれば、逆側に振り子を揺らすことで、元に戻ろうとする力と統合され、結局、自分を含む大きな振幅を思い出すことになります。

反対に男性はひたすら知識を入れ、分析し、比較検討し、普遍化の道を探る必要があります。そののち、知識が爆発し(フルにチャージされ)、感性に目覚め、今までの知識を超えたところ、つまり真の知性に覚醒します。

とはいえ、極端(両端)に女性・男性を置くと(色でいうと白黒)、その間の数だけグラデーションの色がありますから、女性性よりの男性、男性性よりの女性もその分だけ存在します。

ですから、必ずしも、男性だから・・・女性だから・・・と上記であげた学び方になるとは限りません。その間や差もあるのが「人」として個性でもあります。

ということで、男性としての私から学ぶ女性の生徒さんたちは、当初は女性性側からの違和感が出て、感性的に混乱したり、逆に自身の中にある男性性的な知識欲を満たしたりすることもあるかもしれませんが、自身にある女性性と真の知性の発動(復活)、という点では、女性の講師に学ぶのとはまた違った、興味深い道を辿ることになるでしょう。

反対に、女性の講師に学ぶことで、スムースに自身を開花したり、タロットを読むセンスが開かれたりすることもありますから、性別で決められるものでは、やはりないと言えます。

ただ、性別を意識した学び方も知っておくと、下手に苦労したり、困惑したりすることは少なくなるでしょう。

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