タロットカードと恋愛

バレンタインも近いので、今日はタロットカードと恋愛に関するお話を少々しようかと思います。

タロットカード(マルセイユタロット)において、もっとも恋愛を表現・象徴しているカードとしては、「恋人」カードがあげられるでしょう。

名前もずばり「恋人」ですから、文字通り、恋をする人、恋する相手(もしくは自分)を想像させ、何と言っても、絵柄を見れば、このカードが恋愛に関係しているであろうことは誰でも想像がつきます。

マルセイユタロットでは「恋人」と、単数のように表されるこのカードですが、ほかのタロットや一般的には、「恋人たち」というように、むしろ複数体での表現が主です。

ほかのタロットも、このカードのモチーフとして、上空の天使(キューピッド)と、下にいる人間たち(恋人たち)の構図をもとにしていると思われるので、絵柄に複数の人間たちが描かれていることから、「恋人たち」と表現されるのも致し方ないかもしれません。

しかし、ここでは詳しく説明しませんが、マルセイユタロットがなぜ「恋人」と単体の名前になっているのかという、そのこと自体が、このカードの意味において決定的とも言える重要さがあるのです。(先頃上映されたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画「エンドレス・ポエトリー」では、このことがテーマのひとつにもなっていると考えられます)

ともあれ、「恋人」カードが恋愛を象徴するカードであることは、絵柄から見ても疑いようもないのですが、タロットは全体をもってひとつのことを象徴する場合があります。(逆に、ひとつが全体を示すこともあります)

つまり、“恋愛”という事象も、一枚のカードだけに終わらず、78枚全部をもって表現できるということです。特に大アルカナは物事の本質を示すカード群であるため、例えば「恋愛」においても、恋人カードを中心にしながら、ほかの21枚の大アルカナカードによっても、恋愛を読み取ることができるようになっています。

簡単な例で言っても、「運命の輪」と「恋人」カードは「機会」の観点でつなかりがあり、出会いの偶然が必然にもなっていることが、両方を併せるとよくわかる構造になっています。

ほかにも、「悪魔」のカードと並べてみると、「恋人」カードのキューピッドの位置に、「悪魔」のカードでは悪魔そのものが君臨していることがわかり、単純に天使と悪魔のつながりによる関係の比較(違い)がうかがえ、興味深いものになります。

再び、(マルセイユタロットの)恋人カードの構造になりますが、大きく分けて、上空の天使(キューピッド)と下の人間たちに分かれるものになっています。(ちなみにこの構造は、「審判」のカードにも受け継がれていることが重要です)

これには色々な意味があるのですが、シンプルに考えても、天界と下界、見えない世界と見える世界、精神と現実(物質)みたいな、縦の二元構造として考えることができます。

もっと平たく言えば、とても清く、純粋な部分と、複雑で生々しい(禍々しい)現実的な部分が恋愛にはあるということです。

占いをする人に聞きましても、恋愛相談で多いのが不倫問題だと言います。恋しているお互いの気持ちはピュアなものかもしれませんが、客観的に見れば、やっていることはドロドロとした不倫劇なわけです。

最近は、芸能人の不倫があばかれ、叩かれることも多くなりましたが、これは個人が匿名で何でも意見の言えるネットの影響も大きいとは思いますが、本質的な問題は、外から基準を決めてほしいという真の自立性の欠如と、依存・承認しあわないと安心できない方向性に、社会が病的な状態になっている(ならされている)ことにあると私は考えています。

それはともかく、不倫問題となると、当然ながら倫理的問題によって、善悪の見地から非難がある反面、心の面では賛同を思ったり、逆に嫉妬ややっかみみたいな、いわば自分の感情部分にふりまわされたりしてしまうことがあります。

これも倫理のような誰しも共通と考えているルール・掟の(これは、いわば目に見える)部分と、一人一人の目に見えない心の中の感情部分とがせめぎ合ったり、葛藤したりするわけです。「恋人」カードでの二元構造が、ここに見て取れます。

この両者を、まったく同じ次元・レベルで考えると、いつまで経っても解決や落としどころが見つからなくなります。

不倫も愛の形のひとつだとか、本当の気持ち・心に正直に従ったまででとか、本来、人は自由なものであるとか言って、肯定する人がいます。

反対に、倫理的にやはりおかしい、やっている当人同士はよくても、されたほうの家族はどうなのだ? 人に迷惑をかけているので非難されてしかるべきと徹底的に断罪する人もいます。

両者が交わることはないのです。それは階層(レベル・次元・世界層)が違うからです。

確かに、究極的なところで考えると、人は何をしようが自由かもしれませんし、殺人でさえ否定も肯定もない世界はあるでしょう。

ただし、私たちは現実次元のルールを適用した世界で生きる社会的生き物です。

現在の倫理・ルールにおいて反する行動があった場合、それに見合う破綻(非難等)があるのも当然です。つまりは、どの世界においても、その世界で適用されているルールがあり、それを守ったり、反したりした場合の責任があるということです。

その責任を取る(背負う)覚悟は、ルール破りには特に求められるわけで、責任を取らない者がルール破りを行うのは、それこそ虫のいい話しで、ルール違反者に調整や裁きが働くのは自然の摂理と言えましょう。

一方、世界観・ルールが変化した場合、不倫は不倫でなくなる可能性があります。それは複数同士の恋愛、自由恋愛が認められるルールの世界であればの話です。

これには、二人同士だけではなく、二人から派生し、関連するすべての人の理解と承認がいります。

不倫が問題なのは、するほう、されたほうの共通理解がないからです。好きになれば自由につきあえ、自由に別れることもできるという世界となっていれば、皆が納得したものである限り、「不倫」という概念はない世界になります。

果たして、それが人類にできるのかどうか?です。

独占欲や嫉妬とかの感情とは無縁になるほど、皆で皆を許し合い、自由を認め合わなくてはならないのです。いわば全員がひとつのような感覚の、相当高度な愛がないとできないかもしれませんし、逆に欲望に忠実な動物的世界になる場合もあるかもしれません。

これは不倫の話を例にした、恋人カードの二元構造(特に下の構造部分)を少し見てみたわけですが、今度はドロドロした地上世界から上に登ってみることにします。そして、ここには「天使」がいます。

天使はキューピッドでもあり(厳密な区分では天使とキューピッドは別物ですが、ここでは現実を超えた存在として同じものと見ます)、人間の恋愛感情による結びつきが、異次元から生じていることを示唆しています。

そして、恋することが現実を超えることも表しています。

現実を超えるというのは、ネガティブな意味では非現実的になって、妄想状態、現実逃避になるおそれもありますが、よい意味では、精神、霊的な成長が図られるということでもあります。

恋すること(必ずしも人間対象とは限りません)は、やはり霊的には大きな意味があると考えられるのです。

タロットに「恋人」カードがあるのですから、やはり私たちは生身の人間として、恋をすることが求められているわけです。(笑)

あなたは誰の恋人になるのでしょうか? また誰を恋人とするのでしょうか?

たとえ冷めて終わった恋でも、恋した事実は時空を超えれば永遠に残っていると言えます。

さて、純粋な恋の感情を味わうのにお勧めのアニメがあります。「月がきれい」というアニメで、昨年2017年に放映されたものです。中学生同士の純粋な恋愛模様が、きれいな背景とともに描写されています。興味ある人は是非ご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top