タロットへの向き不向きと壁。
タロットの(タロットを読んだり、扱ったりする)才能や、タロットに対する向き不向きについて、受講生の間で話題になることがあります。
たいてい、皆さん、「私には才能がない」「タロットに向いていない」と言われるのですね。(笑)
まあ、自分自身で「自分は特別なタロットの才能がある」「自分はタロットに向いている」と言っている人は、ほとんど聞いたことがないですから、安心していただきたいと思います。たいていは、他人が言ってくれるものです。
そして、受講生でも、どういう時に「向いていない」とか、「才能がない」と嘆くのかと言えば、タロットリーディングの壁にぶつかった時、リーディングがなかなかスムースに行かない時です。
普通に考えればわかりますが、何事においても、障壁や停滞もなく、スーと上達していくことはありません。
どんな天才の方でも、高みを目指すとなれば、一度は壁にぶつかったり、進化がないと思うことがあるはずです。
むしろ、壁に当たった時というのは、裏を返せば、今までその壁の存在・レベルさえ気づいていなかったわけですから、そこまで到達した証でもあるのです。
タロット、特にタロットリーディングにおいて、私の経験から言わせていただければ、リーディングが上達・進化・発展する際には、以下のようなことが現れやすいかと思います。
●壁や限界を感じる
これは先述の「壁」にぶち当たったように感じる状態です。ひどい時には、さきほど述べたように、「自分はタロットには向いていない」「やめよう」と思うこともあります。
しかし、これもすでに説明したように、その時点での知識と技術、感性に限界が見えた時であり、またこれまで積み重ねて来たものが開花したり、ブレイクしたりする直前状態とも言えます。言い換えれば、変容する前の停滞・準備です。タロットで言えば、「吊るし」の状態です。
ここで何とか踏みとどまり、苦しいけれども、タロット(リーディング)を継続していくことにブレイクのチャンスも訪れます。
また、この状態の人で、一時的にはタロットから離れてもよいこともあります。一種の気分転換・リセットをすることで、急にアイデアや覚醒が起こることもあるからです。精神が疲弊すると、その回復自体に時間を要しますので、思いきってタロットからしばらく離れてみるのも一案です。
●これまでのやり方が通じない、積み上げたものが崩壊した感じがする
この状態は、壁に当たるようなものよりも、さらに深いものです。言わば、大変革の前触れです。
壁に当たったと感じるものは、小さな段階別の障壁と言ってよく、これはこれで大変ではありますが、まだましなほうなのです。その段階でタロットから離れても、また戻ってくる可能性も高く、戻ってきたら、案外、またスムースに続けられる場合も多いのです。
しかし、この、「すべてが通じない」「もう終わり」「ガラガラと崩れてしまった・・・」という大きな衝撃を感じる状態の時は、とても強烈なものであり、完全にタロットから離れてしまう危険性が大です。タロットから離れるというより、自分自身や人生に対しての疑問や喪失という感じさえあります。
私は二度ほど、これを経験しております。もうこの時は、本当に大変でした。信頼していたものが何だったのか、自分のやってきたことは間違っていて、すべてが空しいと感じるほどでした。
何とか、この衝撃的体験、奈落に落ちるような境地を越えると、回復、いや回復というより、死からの再生(蘇生、新しい命が宿る)というイメージで復活します。タロットで言うと、「審判」でしょうか。
この時、ステージというものが明らかに変わり、リーディングは別物として、新たなものが出現します。一見、やっていることは同じでも、質が違うという状態です。これは実は、大きな喜びでもあります。
●困難なケースやクライアントが現れる
ボランティア、プロ問わず、他人に対して、本格的に相談・タロットリーディングをしていると、ある時、とても難しいケースのクライアントに出会うようになります。
こうした場合、普通に今までのタロットリーディングをしているだけではなかなかうまく行かず、途方に暮れるような状態にタロットリーダーがなります。
結局、うまくリーディングできず、自分のふがいなさや、クライアントに満足なものが提供できなかったことを悔やみます。それでも、自分はどうすれば良かったのかがわからない・・・と言った状態です。
これもひとつの壁に当たった状況と言えましょう。この場合は、特にクライアント側から知らせてもらえるという「お告げ」のような形です。「新しいリーデイングスタイル・レベルになる時ですよ」という意味とも考えられます。クライアントは、そのために現れたメッセンジャーとも言えます。
●直感と知識の間で葛藤が起きる
これは女性のタロットリーダーに多いのですが、タロットに対して、自分の直感性で得た情報と、学習して身につけた知識からの情報とが、自分の中で対立するかのように感じ、今まで読めていたものが、固まってしまったようになって、うまく読めなくなってしまうというケースがあります。
慣用的な言い方をすれば、右脳と左脳の対立、また、女性性と男性性との葛藤とも言えます。
女性はもともと巫女性と言いますか、直感が開かれている方が多く、むしろ、何も知識がなかった時のほうが、その直感力でタロットを感覚的に読み取っていた(情報をチャネリングしていた)のですが、知識が入ることで、左脳的な論理性や整合性を求めるようになり、それは、右脳的とも言える直感性での合理とは異なるものなので、対立してしまうようになるという仕組みです。
これとは逆に、本来ある直感力を封印していたり、閉じてしまっていたりして、男性的・論理的に生きてきた女性が、タロットと接することで、女性性や右脳的なものが開かれつつあることで、その過程でフリーズや葛藤を起こすという場合もあります。
男性の場合は、タロットの知識を得ることで左脳的な論理性を上げられるので、タロットを知識的に読むことができ、つまりは、男性としてはタロットに対して、とっかかりができやすく(アプローチがしやすく)なり、リーデイングがスムースになる場合があるのです。(しかし、やがてその読み方に限界が来ますが)
どちらにしても、自分の中の女性性・男性性の統合のテーマが、タロットリーディングを通して現れているとも言え、それぞれ、逆の性を受け入れつつも、何よりも、自分の性をもっと受容することで、この不協和音状態を克服していくことができるでしょう。やはり、これもひとつの「壁」です。
まあ、いろいろと壁や一時的な限界は、誰にでも訪れるものですが、タロットに向いている・向いていないで言えば、つまるところ、タロットが好きかどうかという点に尽きるのではないかと思います。
本当にタロットに向いていない人は、そもそもタロットに出会うこともなければ、たとえ出会っても、タロットを勉強しようと思ったり、使おうと思ったりはしないものです。
あなたがいまだタロットに関わっているのなら、それは向いている証拠です。
そして、あなたがタロットが好きなのであれば、必ずタロットはあなたに、タロット的な表現で、応えて(答えて)くれるものなのです。
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