小アルカナ 人の4つの道

一般的に、タロットは78枚の構成でもって、大アルカナと小アルカナと呼ばれるパートにわかれています。

もっとも、最近では、たくさんの創作系タロットがあふれており、タロットいう概念・定義が、ほとんど「絵のついたカード群」みたいになってきているので、そのような枚数と構成でさえ、あやふやになっているのが実状です。

よって、そもそもカード構成・内容に、ほとんど違いがないものが多くなっているわけです。ところが、マルセイユタロットは、明らかに大と小の違いがあり、特に数カードとほかのカードパートとでは、絵柄がまったく異なると言ってもよいくらいです。

古いタロットでも、今もよく使われているウェィト版では、確かに大と小の絵柄に違いはあるのですが、どちらかと言うと、デザイン・絵柄の感覚は同じだと判断してもよい印象になっています。

成立した年代でいえば、マルセイユタロットのほうが古いので、やはり当初タロットは、大アルカナと小アルカナとでは、何らかの形で別々にあり、特に数カードは、あとで追加されたか、たとえ同じ時代にあったとしても、違う意図で使われていたのではないかと推測できます。

ただ、現存する最古のタロットと言われる15世紀のヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットの時代においても、すでに小アルカナは大アルカナとセットになっており、その大アルカナよりも、むしろ小アルカナのほうがマルセイユ版に近い印象があります。

タロットの歴史は不明なところが多く、大アルカナと小アルカナが最初からセットであったのか、あとで一緒にされたのか、難しいところですが、タロットに意味があるならば、絵柄の違いにも何か意図があったのではないかと想像はできます。

ただし、あくまでタロットがカードゲームの道具だとすれば、ゲームのための工夫(得点力やゲームにおけるカード特性の違いを出すため)で、絵柄・デザインを違えたのだと考えることもできるので、タロットに何か特別な意味が込められていたと思うのは、実は近代以降になってたからの話なのではないかという説もあります。

前置きが長くなりましたが、何が言いたいのかといえば、マルセイユタロットの構成と絵柄のデザインから見て、大と小のアルカナの違いによって、それぞれ別の世界を象徴していると思うのは自然(あくまでマルセイユタロットを対象とした場合)だということです。

さて、その大と小ですが、今日は小の世界に少しふれながら、人の生きる道の型について考えたいと思います。

小アルカナは、私の考えでは、私たちが生きる実際の世界現実生活を象徴するものと思っています。簡単に言えばリアル・物質(精神も含むものの、それは人間の実際感覚に基づく精神)の世界です。

ここは分離・個性の世界であり、人間としてもまさに人の数だけ個性があり、モノの多様性はとても数え切れないほどです。ただ、こうした数多の状態をまとめて象徴するには、何か共通の型をもって整理する必要があります。

それが小アルカナで採用されてるいる4組の概念です。もとは、西洋の古代思想、四大元素(風・水・火・地)から来ているものです。

つまり、私たちの現実世界は、人も含め、無数に分離した(個に分かれた)モノの世界ですが、その無数の分離をタロット的に4つ型で示したということです。これは、逆に言えば、私たちの現実世界は、4つに分けて考えることができることにもなるのです。

私たちは生まれてくると、この現実世界の住人となります。赤ん坊のまま放置されると死んでしまいますが、普通は親や養育者が育ててくれて、その人なりの人生を歩んでいくことになります。言わば、一人一人、固有の人生があり、その人の人生の道(生き方)があるのです。

さきほど、小アルカナは現実生活を示し、4つの型に分けることができると言いました。ですから、それを適用すると、私たちは一人一人違う人生ではあるものの、あえて大きく分けるとすると、生きる上で4つの型、4つの道を持つことになります。

4つとは、タロットの小アルカナ的には「剣」「杯」「杖」「玉」で表されますが、その本質は先述したように、「風」「水」「火」「地(土)」という元素・エレメントにあります。

言って見れば、風の道、水の道、火の道、地の道があるわけです。それでは、その4つの道を例えてみます。(なぜそのような道の意味になるのかは、ここでは説明を省きます)

以下の4つの道は、言い換えれば、自分の一生における社会や世界への主要な貢献の方法(示し方)であり、自己の充実を感じる道・表現と言えます

●風の道  探求、研究、思索の道

●水の道  融和、援助、平和の道

●火の道  達成、使命、冒険の道

●地の道  安定、経済、利便の道

風の道は、現実(今自分の生きている時代や感覚)を超えたものに進みたい、探求したいという性質を持ち、その方法として知的探求や学問、個人的にこだわりを持った追求へと働きます。チームとしても動きますが、孤独もいとわず作業します。また普遍的なルールや法則を発見したいという気持ちも持っています。職業としては学者、研究家、専門家、教師、作家、宗教家のような傾向になるでしょう。

水の道は、人々の心の交流と世界の平和を望み、助け合い、人との結びつき、協同作業、サポート、救済という表現を取り、人の役に立ちたい、人助けしたいという道に向かいます。職業・活動としても、医者、看護師、介護士、セラピスト、福祉、通訳等コミュニケーター、ボランティア・慈善事業的、海外的なことに関わる傾向があります。

火の道は、この世界で何かを成し遂げたい、使命感をもって活動したい、自分の好きなこと、情熱のままに生きたいという性質があります。そして活動として、会社を興して大きくしたり、未踏の地や誰もやっていないようなことを目指して冒険したり、自由な生活を試したり、常識外を楽しんだりしますが、自分なりの使命感があることが重要です。職業としては起業家、スポーツ選手、芸術家、創作家、冒険家、通常の仕事でもひとつところに収まらず転職したり、企画的なことを望んだりする傾向があるでしょう。

地の道は、今自分が生きている時代を、より安心して楽しく暮らせるようにしたいという性質があり、いわば実生活の安定や利便性に向かって活動します。職業としても、経済や商売活動にダイレクトに携わる傾向があり、その時代におけるもっとも安心・安全な環境・方策(例えばお金と時間を持つこと)に注力していきます。娯楽・飲食・癒し・服飾などのサービス業ほか、人間生活に直接ふれたり、関係したりする仕事に就きやすいですし、人によっては大きく成功し、社会に還元し、人々に生きる喜びの可能性を見せる者になります。

上記は、かなり大きな枠組・次元で見たものですが、庶民的レベル(笑)まで落として考えると、風の道は学んでいることに自分の充実を覚え、水の道は仲間と一緒にいる(する)ことで自分を充実させ、火の道は、より自由(自分らしく)に活動している時に充実を感じ、地の道はお金やモノを持つこと、生活の安心によって充実を得るみたいなことと言えます。

すでに気がついた人もいるかもしれませんが、4つの道の充実は、どれかひとつに決まるものではなく、人の中に4つの可能性や循環があり、例えば、さきほどの例でも、同じ人の内にも、学んでいる時が楽しいと思う時もあれば、別の時間では仲間とワイワイ過ごしているのは楽しいと思う時があります。それでも、自分の傾向というものが4つの型の中で、強弱、得意不得意、好き嫌い、みたいなものがあるわけです。それが個性でもあります。

ということは、私たちは、この現実の世に生まれた時点で、4つの世界の魂をもった(分けられた)ことになり、それぞれの役割・個性があるので、単純な平等論(すべて同じという見方)で見るより、適材適所、楽しみ方や苦しみ方(笑)の特質がそれぞれにあると理解したほうが、調和しやすいことになります。

すると、何よりもまずは、自分の傾向・特質を知ることも大事だとなるのです。

あと、今日は書きませんが、この4つを統合していくこと(またはひとつを突き詰めて超越していくこと)で、大アルカナの世界に入ることになって、自分の運命も変わってきます。それは、自分の今の運命は、この4つが同じレベルでループしていることを意味するからです。このことについては、また機会があればお話したいと思います。

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