壊れたがっているあなたの部分「13」
数日前に、私の使っているパソコンが急に壊れてしまいました。
だいぶん古い代物だったので、だましだまし使っていたところもあったのですが、とうとうダウンしたという感じです。
結局、新しい物に買い替え、いろいろと設定をやり直すことになり、急だったこともあって、その作業は結構大変でした。
しかし、こうでもならない限り、旧パソコンでのやり方・データなどを見直す機会はありませんので、結果的にはまさに強制終了して、新バージョンに移行したという感じで、終わればとてもすっきりしたものになりました。
「今までなんでこんな面倒なことしていたのだろう」とか、新しいほうがよいとはわかってはいても、慣れた古いやり方になじんでいた手前、なかなかリニューアルを図れなかった自分に気がつきます。ひところ流行った断捨離ではありませんが、余計はものは捨て、身軽になった気持ちになります。
この状況はマルセイユタロットでいえば、「13」で象徴されます。
「13」は前や未来(マルセイユタロットにおいては向かって右方向)に進む場合は、その大きな鎌で刈り取りながら、自身を変容させ、まったく新しいものに生まれ変わろうとします。しかし、その作業は苛烈を極め、生易しいものではないのは、その骨と皮になった姿で表されています。
一方、これが逆さまになって、後ろ向き(マルセイユタロットでは向かって左側)になればどうでしょぅか?
まるで左側へ鎌を振り下ろしているように見えますし、そのまま強く振り下ろしすぎると、自分自身の身にまで鎌が来てしまうことになるかもしれません。変革の時は来ているのに、それに抵抗し、空しく鎌を振り続けているかのようにも感じられます。また視線の方向は正立の時とは違い、マルセイユタロットでの方向性の過去側に向いて、何かそこに強いこだわりがあるようにも見えてきます。
一方、「13」の前の数12を持つカードは、「吊るし」で、そのカードの絵柄では、人物が逆さまになって止まっている状態が描かれています。すると、本来、右側で未来に進まねばならない「13」であるのに、新規改革・断捨離等を拒否し、過去に執着してしまうと、その鎌で自分か他人を傷つけたり、空しく宙に向かって振り下ろすかのように、不安を示したり、本来しなくてもいい行動を繰り返したりすることになるわけです。
宇宙の理に、創造・維持・破壊という三つの流れがあると言われます。すべてのものは始まり、頂点を迎え、やがて終わりを迎えるのです。特に、物質社会の中では、モノや形が中心で、それが変わっていくこと、変動していくことが当然としてある世界です。
次の新しいステージに向かう(あることの終わりと次なるものの始まりの)タイミングが来た時、すでに自分でも旧来のバージョンが古くなって、今後の人生でうまく適応していかなくなることを予見しています。
そのタイミングに呼応するかのように、自分や内側だけでなく、外側や環境自体も変化や終わりを告げてきます。言ってみれば、内外が象徴的にリンクし、終わりと始まりのタイミングを知らせるわけです。
よく、モノや機械が壊れる時が、何かの変化の時だと言われるように、モノそれ自体の替え時であると同時に、自分自身の内側の何かも変え時、新しくなる時なのです。
これに対して、「13」の逆位置で示したように、ひどく抵抗したり、滅んでいく古きをあまりに守りすぎたりしていると、それへの対応にエネルギーをとられ、心も不安と焦燥にかられ、知らず知らず疲弊していくことになります。しかも、どんなに抵抗しても、自然の摂理・宇宙の理に従い、最後には強制的に手放す(手放させられる)ことになります。
これはモノだけではなく、恋愛や人間関係なども同じであり、永遠はある種のイデア、元型、魂の次元としてはありますが、現実世界の中では、始まったものは、何らかの形で終わりを迎えることになるのです。しかし、終わりという過程で、新しいものとして変容をすることができた時、それは別の始まりでもあり、その意味においては、変容し続ける限り、永遠性はあるといえます。
例えば、恋愛でも、当初のような恋愛感情・スタイルは二人の間に消えたとしても、二人が新しい愛の形・関係として変容すれば、それはまた二人の新鮮な関係として始まるのです。(具体的にそれが結婚であったり、付き合い方の変化であったりです) それができないときは、やはり終わりとして別れを迎えるかもしれません。
ここは、幻の恋愛セミナー(笑)で語ることですが、「13」と、「恋人」や「審判」のカードとも関連させて、なぜ恋が終わってしまうのか、また、恋を続かせることができるのかの考察が可能なところなのです。
ともあれ、何かが壊れる時、あなたの内なるものも壊れたがっていますが、それは悪い意味での破壊とは限らず、むしろ古い殻を壊したがっている自分の部分であり、壊れることは不安や恐れ、やっかいごととしてあるのも確かですが、そこに至らないとわからない新天地・新境地、新たな可能性のあなた自身を知ることはできないのです。
変わらなければと思いつつも、失うことをおそれてだましだましやってきた人、ぬるま湯のように今までの環境に浸かってきたことで、心身の退屈さや問題が出始めている人、足踏みしているうちに、ストレスがかかったり、強い衝動の気持ちが抑えられなくなってきたりしている人は、勇気を持って立ち向かい、「13」となって終わらすための鎌を、前進的にふるってみましょう。
その過程は大変ではあっても、きっと大いなる祝福があなたに訪れるでしょう。
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