地上的・天上的・中間的選択
体力的なことや、その他もろもろのことが重なり、いつもよりブログの更新ペースが落ちていてすみません。まあ、ゆるりと行くのもまた人生です。(苦笑)
それにしても、台風がまるで逆走しているようで、全体的に一度戻って進むみたいな象徴を感じさせます。台風による災害の危険もありますが、今年は災害続きとはいえ、台風そのものは、雨や風による浄化作用もあり、自然現象を象徴的に見てみると、全体や個別に意外な示唆を与えることがあります。
逆走(そういえば、私は普段は気にしませんが、占星術的には水星の逆行時期でもありましたね)ということで、皆さんの中にも、もしかすると、過去の何かを思い出したり、前にも書きましたが、古傷の浮上、未処理のままのことなどを思い出したり、今までのことを浄化していく出来事が起こっているのかもしれませんね。
マルセイユタロットには「隠者」というカードがあります。
タロットティストでもあり、カルト映画監督の巨匠、アレハンドロ・ホドロフスキー氏によれば、「隠者」は後ろ向きに進むという象徴性があると説明されていて、そのことも思い出します。
皆さんは、後ろ向きと言うと、何か後退や消極的な意味をイメージかするかもしれませんが、撤退にも勇気と決断がいることですし、「隠者」の後ろ向きの進みは、むしろ、正当な前進性、発展性にあり、(過去を)見守り、浄化しながら身を引き、自分は新たな次元に突入していくような印象があります。
ですから、逆走しても、失敗や問題とはいえず、まさに「逆に走る」意味があるのだと考えてみるとよいでしょう。助走のためにも、反対方向に戻る必要はありますからね。
さて、前置きが長くなりましたが、今日の記事です。
人間、生きるということは、選択の連続とも言えます。
毎朝、何を食べ、何を着て、何から始めるのか、何から処理をしていくのか・・・意識的ではなくても、とにかく何かを決めながら(選択しながら)生きているわけです。
まあ、そういった毎日の日常的な、無意識ともいえる選択もありますが、選択のシーンを意識するということでは、やはり、何かを決める際に迷うような事態に陥った時でしょう。
タロットと選択ということでは、タロット占い・リーディングで(選択を)決めるというやり方があります。
タロットが自分でできない人は、占い師やタロットリーダーのところに行き、タロット(以外の占法も使うでしょうが)で占ってもらい、よい方向性や選択肢を示唆してもらいます。
一方、自分でタロットが扱える人は、自己リーディングのような形で、タロットを引き、選択の参考にします。自分で見るのは客観性が出にくいので、なかなか他人にやるような方法では、タロットから判断することが難しい場合があるにしても、です。
占い師やタロットリーダーに見てもらうにしても、自分でやるにしても、タロットからの選択の示唆の解釈には、実はいろいろな階層(世界)があって、タロットを勉強すれはするほど、逆に選択が難しくなってくることがあります。
ただ、占い師の方の中には、タロットに蓄積された経験則のようなパターン(質問によるタロットの出方のパターン)があって、「こういう場合にこのカードが出る時は、やらないほうがいい」とか、「やったほうがいい」とか、法則化されていることもあるので、はっきりとした示唆を出すことが可能な場合があります。
本当は、これには経験則だけでは説明てぎない、神秘的な部分、サイキックの側面も理由にあると考えられるのですが、その話は今回は省きます。
今日言いたいのは、そのことではなくて、タロットから示唆される選択には、先述したように、いろいろな世界観(基準)があり、そのどれでもって選べばいいのかに迷う時があるということです。
マルセイユタロットには、地上性と天上性という方向性で、物事を見ていく(判断していく)基準が伝えられています。
それは、明確な法則というより、かなりタロット一枚一枚の象徴的知識とセンスが必要なものなので、タロットリーダーとしては難しいのですが、ただ、単純に見ていく方法もないわけではありません。
重要なのは、むしろ、タロットリーダーの技術よりも、クライアント、相談する側の人が、どの世界観・考え・思いを選択のベースに置くのか、なのです。
一般的・常識的価値観での幸不幸、いい・悪いで見るのか、自分の本当(現実的・環境的条件を取り払った純粋)の心・気持ちで見るのか、好き嫌いという感情的なものでよいのか、魂や高次と呼ばれる霊的な総合的・統合的成長観点で選ぶのか・・・など、その選択の際の基準を置く世界観が大事なわけです。
もちろん、タロットリーダー側でもクライアントの望む世界観だけで読むのではなく、ほかの世界観での判断も入れていくことが求められますが、それはクライアントが今、自覚意識で求めていることとは違うこともあります。
話を戻しますが、マルセイユタロットにおける、地上的・天上的選択の違いとは、シンプルに言えば、現実的幸せを求めるのか、時間軸や現実空間を超えた幸せを求めるのかの選択の違いと言えます。
別の言い方をすれば、一代限りや自分個人だけのエゴの満足の選択をするのか(地上的選択)、カルマや因縁、一代以上の心のデータの浄化にも関わる決断・選択をするのかの違い(天上的選択)です。
こう書けば、後者のほうがスピリチュアルを志向する人には好まれそうな感じですが、必ずしも、後者ばかりがいいとは限りません。現実や今の自分を満足させない選択は、時に非常に厳しく、心が折れそうで、人間的に理不尽だと思えるものもあるからです。
肉体と個別意識のある私たち普通の人間には、空腹になれば何か食べなければいけませんし、喉が渇けば水や飲み物を得ないと、死んでしまうことになるわけです。(この次元を楽しめなくなってしまう、この次元を地獄にしてしまう恐れがある)
ですから、天上的・地上的選択という二元的観点で見過ぎてしまうと、かえって選択に迷い、苦しくなってしまうこともあります。
従って、私はその間のバランスを取る観点も入れることを説明しています。そもそもマルセイユタロットの選択観点にも、成長していく順序が描かれており、そうしたバランス観点の地点も存在しているのです。
ただバランスばかりを重視し過ぎるのも問題で、それは中途半端で、妥協ということにもなりかねません。
まさに、「バランスが縛りになる」という悪い問題性です。
この弊害をなくすには、小アルカナ的な細分化した観点(何がこの選択にとって、一番重要視、最優先するものなのかを見る観点)を持つか、逆に、どちらを選んでも大した違いはない(すべては学びみたいな観点)という、大きな視点、統合観点を持つかです。
いつも同じようなことでつまずいたり、迷ったりしている人、または自分を変えたいと思っている人は、天上的観点での選択をするとよく、使命とか人間の成長とか、魂のことなど、大きなことに思いが行き過ぎている人は、現実的(地上的)選択、ゲームのように単純にカードの良し悪し(吉凶判断)で見るとよいでしょう。
さらには、精神的にナーバスになっている人、メンタルに原因を求め過ぎる人も、カードによるゲーム的吉凶判断で決めると、案外すっきりすることもあります。また、元来まじめな人は、バランス的選択がもっとも納得できることが多いかもしれません。
このように、いかようにでもできるのがマルセイユタロットのいいところ、面白いところでもあります。
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