人間関係と時間
人間関係について、悩む人は多いです。
おそらく相談事でも、かなりメジャーな内容のひとつでしょう。
人間関係と言っても広く、言ってみれば、人同士の関係が生じるものは、すべてそれだと考えられますから、ケースや場面としても多いので、問題となるのも致し方ないところかもしれません。例えば、恋愛にしても、つまるところ、人間同士の関係の問題といえるわけです。
人間関係についての悩みの解消には、いろいろな方が様々な方法を解説されていますから、ここで具体的に述べることはいたしませんが、タロットから気づいた、ちょっとした観点を述べておきたいと思います。
以前、ある方が、「私はもう、自分が好きな人か、自分にとって有益となる人以外とは関わらないことにしました。だって、時間は有限ですから」と述べていました。
これほど、極端ではなくても、確かに、嫌な人、問題ばかり起こす人と、あえて関係を続けているのは、時間の無駄かもしれませんし、何より、体力・精神力ともに疲弊も大きいです。
しかし、プライベートではともかく、仕事ではそういうわけにもいかないのも事実です。嫌だと思っても、相手をしないといけないことは普通にあります。
また、最初は嫌と思っていても、つきあつていけば意外にいい人だったとか、自分にあえて厳しく教育してくれていたとか、最初にはわからない真の関係性もあります。
ましてや、自分にとって有益か無益か、よい人なのか悪い人なのかなど、実は本当のところではわからないものです。当初の印象や感情だけで決めてしまっていては、むしろ、人生の損をしている場合もあるかもしれないのです。
ということで、ここで提案したいのは、時間をキーワードにして、人間の関係性を見てみる、考えてみようということです。
マルセイユタロットで「時間」といえば、「運命の輪」のカードによって、よく象徴されますが、その「運命の輪」からのヒントとも言えます。
私たちは通常、時間はひとつと思っていますが、見方によっては、いくつもの種類があると考えられます。
例えば、誰にも共通している時計時間と、一人一人が心で感じる、いわば精神時間は、時間の流れとしては違うものになっています。
それから、瞬間とか永遠とか、時間のないような世界、止まっている時間というのもあれば、私たちが通常感じる、昨日・今日・明日と一方向に流れる(動いている)時間というものがあります。
それはともかく、人間関係において時間を考えた場合、自分の一生の時間で見るか、ある限定的な時間で見るかによって、その関係性のとらえ方が変わってくるのです。
この場合、時間というより、期間と言ったほうがいいかもしれません。
その人は、一生の時間(あるいはかなりの長期)で見られる人なのか、あるいは、この人は、ある期間限定で関係する人だと見るかの違いです。
前者だと思う人へは、それこそ心や本音、ありのままの自分で対応してもよく、後者だと思う人へは、ペルソナや建前、社会上の役割として関係していけばいいわけです。
これを無目的と特定目的と分けてもいいのですが、それを時間換算するようなものです。
と言っても、初めから明確に区別がつかないこともあるでしょうから、しばらく様子見して、特にやっぱり後者だと判定した人へは、きっぱりと時間限定的な意識を取るとよいです。
もっと言えば、人間関係で悩む多くの人は、時間操作(区別意識)をしておらず、ずっとそれが続くものとして意識のうちに、その人との関係のイメージを残しています。言い換えれば、精神時間で、その人との関係をとらえているほうが強いのです。
これを時計時間にしてしまい、仕事での時間だけ、時計の進む限定時間だけと割り切って意識すること(切り替えること)です。文字通り、機械的に進む時計のようなものです。
精神時間は伸び縮みしますので、つらいと思えば長くなり、楽と思えば短くにもなります。
精神時間的人間関係を続けると、生き生きとして生命のように波を持ちつつも、つらい関係の場合は、普通の時間の何倍もの時間を過ごすかのように感じます。
ですから、つらいと思う関係は機械的に割り切ることが非常に大切で、精神として過度に取り込むと、時間が精神化して、先述したように、時計時間よりも長く苦しい時間をその人と過ごすことになります。
また本当につらい関係の人とは、できるならば、自らを時計時間の関係にしてしまうかのように、限定時間に自分でするという方法があります。
平たく言えば、その人と付き合わない、その人と関係する場所や会社から離れる、辞めるみたいなことです。
タロットの「運命の輪」には、輪の中でグルグル回っている犬と猿、そして輪の上にいるスフィンクスが描かれています。
このうち、輪の中にはいないスフィンクスは、剣を持っており、断ち切ったり、時間を切り取ったりする(限定させる)能力を示しています。
それから、時間限定で割り切るだけではなく、変わった方法としては、期間限定としながら精神時間化することで、すごく濃密な時間を過ごすこともできます。
限定されているから、集中する、燃え上がる、モチベーションが上がるわけです。
実は一生の時間で見ても、一生そのものが今生としての時間限定だとすると、どの人間関係も貴重で、無駄とは言えないのかもしれません。
そして、ちょっとロマンチックになりますが、一生の時間以上の長さで見る関係というのも面白いです。
もし、スピリチュアル的に、過去世とか未来世などを仮定すれば、それも含む時間での関係の相手となると、うまくこの人生(今世)では結ばれなかった(関係できなかったり、別れてしまったりした)人でも、可能性が残されている、希望はあると見ることができます。
ただし、逆に、「またしてもこの人ととか・・・」「もう、うんざり、これは腐れ縁か?」(笑)みたいなものにもなりますので、超長期時間目線では、いいことばかりとは限りません。
今日は時間で人間関係をとらえるという話をしましたが、「恋人」カード的に言えば、自分が選べる人間関係と、自分が選べない人間関係という分け方もあります。
自分が選べる関係の領域を、なるべく心地よいもの、我慢しないものにしておく(断ち切ることも含めます)と、楽にはなりやすいです。
それでも、天の配剤のような、選べない関係というのもあり、それはやはり地上的な見地からだけでは推し量れない、まさに特別な縁、何かの意味があるものなのでしょう。
自分や地上観点だけではわからない関係があるからこそ、人間関係は面白いとも言えるのです。
この世には、自分とまったく同じ人はいませんので、他人との違い、軋轢があるのも当然といえ、そんな中でも、通じ合う、協同するというのは、奇跡を見ているようなもので、そこにエネルギーの反発や交流による、ダイナミックな動きを見て取ることができます。
それはおそらく、宇宙的に非常に大切なエネルギーなのだと推測されます。
霊的に見れば、誰がとか誰にという個別的なことは問題となってこないのかもしれません。違うものの中に同じものを見、また同じものの中に違うものを見る、一人一人の存在を俯瞰する意識が重要のように思われます。
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