「力」のカードのライオン
マルセイユタロットに、「力」というカードがあります。
ほかのタロット種にもあるカードですが、マルセイユ版の場合、シンプルながらも、女性とライオンの図像がしっかりと描かれている印象があります。
数も、ウェイト版(ライダー版)とは違い、「11」で、そのことにはマルセイユタロットのシステム上、この数と順でなければならない意味があります。
今日は、このカードの図像の最大の特徴とも言える、女性とライオン、中でもライオンについて、心理的、あるいはややサイキック的に見てみたいと思います。(ここで書くのは、講座で説明するもの一部や別の言い方であり、詳細の多くや、本質的な意味は講座で語っています)
ところで、大アルカナの中で、ほかにライオンを明確に描いているのは、「世界」のカードです。
そして、当然ながら、この二匹は関係しています。(マルセイユタロットでは、一枚単体の象徴性と、システム・体系・全体として、図像それぞれが関連し合うように描かれているのが特徴です)
その関係性の詳細は講座に譲るとして、それでも、皆さんも、よくライオンの絵柄に注目してみると、「力」のカードのライオンと、「世界」のカードのライオンとでは、同じライオンでも、微妙に異なって描かれているのがわかると思います。
これは、例えば、「女帝」の鷲と、「皇帝」の鷲にも言え、同じシンボルの「鷲」ではあっても、形態や位置が異なり、共通性と異質性に注目することで、組み合わせとしての意味も出ることがわかるようになっています。
ということは、「力」のライオンには「力」の、「世界」のライオンには「世界」の、それぞれのカードにおける個別の意味と、ライオンそのものとしての共通したシンボル・象徴の意味があるということです。
このふたつのライオンについては、口の開け方に一番の特徴があり、狛犬などと関係していると言えば、すでにわかる人には、その意味がわかるかもしれません。
「力」のほう(ライオン)は、女性によって口を開けられているとも言えますし、自ら開けているとも考えられます。「開ける」ということ、それも「口を開ける」ということは、どんなことなのか、一般的に考えてみてください。
まず、言葉や音を発する時に、口を開けるでしょう。モノを食べたり、飲んだりする時も開けますね。動物だったら、かみつく時も開けるでしょう。ここに、表現する意思、あるいは、生命力を維持するかのようなパワーの摂取ということが想像できます。
さて、力には、そのライオンだけではなく、何といっても、それより上部にいるかのような「女性」の存在が大きく描写されています。この女性は、大人であろうと考えられるライオンより、かなり大きく描かれており、何かしらの力の巨大さ(を持つこと)を示しているようです。
ただ単に体が大きいから、ライオンを扱えているとは考えられず、おそらく、彼女は、ライオンをコントロールできる、文字通り何か未知の「力」やコツを会得している、発していると見て取れます。
そうでないと、ライオンは、あまりに従順というか、彼女に抵抗する様子もなく、猫のようになっていないでしょう。
この女性とライオン、そして女性の扱うエネルギーや力の秘密には重大なものが隠されていると思いますが、ここでは、あえてそれにはふれず、先述したように、心理・メンタル的な観点で見てみます。
すると、ライオンは、何かコントロールされなければならない動物的ともいえる衝動や欲求、女性はのほうは、それを無理矢理押さえつけるのではなく、いなしながら、あやしながら、うまく収めている状態と考えられます。
ライオンと女性は、なるほど、動物と人間ですが、このライオンも自分(人間)の一部だとすると、結局、どちらも別でありながら同じ自分であると見ることがてきます。
ほかのカードでも、似たよう表現で、例えば「愚者」において、犬と旅人の姿で、動物と人間を表しつつ、実は、犬も自分の一部かもしれないと匂わせています。(もちろん、それぞれ別の存在として認識したり、読んだりすることもあります)
私たちの心の中には、荒ぶる魂のようなものがあり、神道の魂的な表現では、荒魂(あらみたま)と呼ばれる部分とも言えます。これに対し、やはり神道では、和魂(にぎみたま)という優しく平和な面があり、これが力の女性の部分に該当するのかもしれません。
マルセイユタロットは自身の神性の回復、発露を教義として持つカードたちですから、神道的な見地からすると、荒魂と和魂としての神性の両面性(統合性)を、「力」のカードからも見て取ることができます。
もう少し次元を下げますと、女性とライオンは、まるで親子(母子)のようにも見えてくるので、ライオンが、暴れ、訴え、言うことをなかなか聞かない子供、女性が、それをあやす母親として見立てることができ、そうなると、インナーチャイルド的な「ライオン」と、現在の大人の自分が「女性」の姿として心理的には考えることも可能です。
自分の中には、癒されない子供のような部分とか、愛されていないと思って、すねていたり、消耗・弱体化していたりする部分があり、それが時にライオンとなって、荒ぶることが出てくるわけです。
それを常識的でわかった風な大人の今の自分が、無理矢理押さえつけようとしたり、無視しようとしたりすると、ますますライオンは巨大になって、手がつけられなくなってきます。
「力」のカードに描かれているライオンは、大人の(たてがみのある)雄ライオンですが、図像の雰囲気では、女性にあやされているような、身を完全に委ねているかのようにも見え、言ってみれば、大人であっても子ライオン的な様子です。
しかし、大人ライオンであるということも絵的には事実ですので、このふたつのことを考慮すると、やはり、自分の子供心を大人のように平等に大切に扱うということが浮かんできます。
実はその子供心は、自分のエネルギーやパワーにもなるもので、いつの間にか、常識や社会によって、大人部分の今の自分こそが、ライオンのように飼いならされていたことに気づくわけです。
「力」のカードでは、女性とライオンは一体化しているようにも見え、まさに自分の分身であることが、示さているかのようです。
荒ぶるライオンは、自分の中の子供のような心とも言え、あれがしたい、これがやりたい、こうなりたいという、純粋な欲求のパワーも言えます。また逆説的には、飼いならされて、本来の夢や希望、エネルギーを支配されてしまった大人の自分を示しています。
いつの間にか、自分に限界をはめ、世間体や常識、経済観念、穏便な人間関係の維持などで、壁(檻)を作り、自らのライオンを閉じ込めていることが、私たちにはあるものです。
何か得体のしれない、自分の内なる欲求やエネルギーがうごめき、これまで順調だった心身や環境に、少しずつ狂いが生じてくることがあります。
これは、力のカードで言えば、ライオンを閉じ込め、その存在を無視し、檻に入れて拘束してきたことに、ほころびが生じてきたのです。しかし、そのほころびは、いわば本当の自分に帰るためのレジタンスであり、破壊からの再生と新たな成長を促すものでもあります。
ライオンを赦し、愛し、受け止め、今の自分と融合した時、それは成されます。
女性は巨大な存在で、ライオンも百獣の王として君臨する偉大な獣です。私たちは、自分を卑下し、何もできない小さな存在だとあきらめてしまったり、他人と比較することで、自分の価値を推し量っていたりすることがあります。
そうではなく、あなたはこのようなライオンをも受け止められる大きな女性(男性でも受容性や慈愛を持つと考えます)であり、内にはさらに、動物の王としての莫大なエネルギーと、実現力(獲物を狩る力)を持っているのです。
内なる荒ぶる魂でさえ、表に出し、ライオンが口を開けているように、(象徴的に)吠える(表現する)のです。吠えることは、感情の表出(と安定)につながることは、「月」の犬たちにも言えることです。
すると、天のライオン(「世界」カードのライオン)が、それに呼応して、さらなるエネルギーの振動と協調を生み出し、これまでとは違う、計り知れないパワーをもって、あなたの望みを実現させようとします。
それは地上的なものでも、天上的なものでも、どちらにも生かせる力となるでしょう。
「力」のカードは、一見単独のように見えますが、「愚者」の犬と同じく、あなたにはライオンがついており、決して一人ではないのです。
ライオンは時に実際のサポートしてくれる人にもなりますし、自分が育てるべき人(それが自分にも返ってきます)であったり、癒してくれる本当の動物であったりすることもあります。
「力」のカードを見ていると、信頼と赦しと言う言葉も浮かんできます。それは表現を変えれば、愛の新たな発見と実践ということでもあるでしょう。
コメントを残す