タロットの相反する意味を理解する
タロットカードを活用する時、たいていは、そのカードの意味を理解しよう(覚えよう)とします。
ここで、意味を覚えたほうがいいのか、覚えないほうがいいのかの議論はしません。
しかし、常識的に考えて、意味を覚えないまま、タロットを使うことは難しいと思います。
タロットはその絵柄の象徴性を活用するものだからです。その象徴性を知るためには、ある程度の知識が必要であり、知識というものは、人間生活の中では、覚えることによって活かされるからです。
問題は、覚えた意味を固定してしまうことにあり、象徴を単なる言葉暗記に貶めてしまうのが問題なのです。
さて、そのタロットの一枚一枚の意味ですが、先ほども言ったように、タロットは象徴ですので、ひとつの意味に決まってくるものではありません。
しかも、時々、意味がまったく正反対なのに、同じカードから両方読み取れることもあります。
いや、実は、すべての(特に大アルカナの)カードは、相反する要素や意味を持っていると言ってもよいでしょう。むしろ、相反する意味を見出せない段階では、まだそのタロットカードの理解は浅いものであると認識してもよいくらいです。
例えば、マルセイユタロットでは、「悪魔」のカードがあります。
「悪魔」と言えば、一般的なイメージでは、悪い存在、私たちを悪の道に誘ったり、そそのかしたりするもの、という印象があるでしょう。(第一段階)
一方で、タロットは絵柄なので、その絵柄を観察することによって、出てくる意味があります。例を挙げれば、縛られている(束縛されている)とか、笑っている悪魔や人たちのイメージから、何か面白いこというような意味が出るようなものです。(第二段階)
さらに、その絵柄から出てきた意味や印象と、カードの象徴の詳しいことを学ぶことによって、自らの状況や問いについて考察する視点と言いますか、新たな意味合いも生じてきます。(第三段階、具体例は後述)
この第一段階(つまり、そのカードの持つ一般的イメージとか、名前からくるような常識的観念)と、特に第三段階との間で、相反するような意味が出がちなのです。(時には、第二段階との間でもあります)
「悪魔」の場合、第一段階だと、悪い存在、悪い状態の意味だと思うでしょうが、第二、第三となってくると、それとは正反対の意味、つまりよい状態とか、悪ではなく、正義ということもありえるのです。
これは、「悪魔」の正反対の意味のカードだとイメージされる「正義」と対比すると、さらにわかりやすいかもしれません。
「悪魔」は、詳しくは言いませんが、人によっては、経験したほうがよいこと、悪と思っていることを表現したり、見直したりすることを示している場合もあるのです。
もう少し、わかりやすく説明すると、一般的に悪いことと信じられている概念が、あなたを縛っていることもあるということです。それを「悪魔」のカードが、あなたにわからせようと見させていると考えるわけです。
あなたにとって、本当にそれは悪なのか?
むしろ、逆に、その悪の定義があなたを拘束する縛りとなり、無意識のうちに、自分の自由を狭めていないだろうか?ということも、問いかけられている可能性があります。
「正義」についても同様で、純粋な正義という意味そのものは、誰にとっても、いつ・いかなる時も「正義」かもしれませんが、自分にとっての「正義」と、他人にとっての「正義」は別物にもなります。
極端なことを言えば、立場や考え方が変われば、正義は悪と入れ替わることもあるのです。
「悪魔」に戻りますと、一般的に、悪魔は神(あるいは天使)との対比で例えられます。まさに悪いものとよいものの対比です。影と光というイメージでもあります。
ここで、よく言われるように、光は影があるから認識できる(存在する)のであり、両面を見ること(受容すること)が大切というのもあるでしょう。
それはそれとして、こうも考えられます。
(あなたや一般の思う)悪魔は神であり、神は悪魔ではないかと。そう、要するに、まさに正反対だという主張です。
あなた自身、あるいは、私たちが常識的に抱いている悪いこと、「悪魔」で象徴されているものは、神とつながっているどころか、隠された真の神ではないかということ、逆に、よいこと、いい神だと思っている存在・象徴こそが、私たちを縛る悪魔であること、そういう発想も芽生えるのです。
単純な二元の世界観で見ていると、このような発想自体、神を冒涜するとか、悪魔礼賛につながるとか言って、忌避されるものでしょう。
しかし、そうした疑いも「許されない」という思い自体が、それこそ悪魔につながれている状態かもしれないのです。
「悪魔」と「正義」を例にしましたが、ほかにも、タロットカード(マルセイユタロット)は、同時に、それぞれ相反する意味はもとより、多重の意味を想起することができるように設計されています。それは象徴となるよう、意図的に絵柄が作られて)いるからです。
言ってみれば、一度、私たちは自分の思い(常識・信仰・理解したと思っているもの、思い込み)を、タロットの象徴を通して解体し、もう一度再構築することが、タロット活用の目的のひとつなのです。
再構築していく中で、偏りのない純粋なのもの、さらには真理というものが見えてくるかもしれません。
もちろん、人は思い込みや自分のストーリーをもって生きていく存在です。その意味では、まったくの中立とか、真理に目覚めるということは難しいでしょう。
ただ、それでも、認識の誤謬による諸問題は、たくさん起こっているはずですから、タロットをもってその修正に役立てることは、少なからず、できるはずです。
そのためには、タロットの絵柄だけからのイメージ想起だけではなく、きちんと象徴の知的理解が求められます。
そうしないと、感情によって左右されてしまったり、常識的定義に支配されてしまったりして、「悪魔」のカードは悪いもの、「13」は死神だから、怖いことが起こる意味だと、単純なひとつの偏った意味、もしくは感情的に信じ込んだ意味で覚えてしまい、自己(の精神や魂)を解放・成長させていくことに、使えなくなるのです。
タロットなんて学ばなくてもできる、象徴の意味を知らなくてもOKと言っている人は、ただ絵のついたインスピレーションカードだと、タロットを決めつけているからです。
あるいは、遊び気分でタロットを使っており(それが悪いことでありませんが)、真剣にタロットの象徴性を(知的に)学ぼうという精神がなく、言い換えれば、難しいことや勉強するようなことまではしたくはないという、快楽的気分によることがあるでしょう。
そうだとすれば、何もその人は、使うツールとして、タロットでなければならない理由はないと言えます。
話を戻しますが、タロットの理解が深まれば深まるほど、カードからの多重の意味を見つけることができるようになります。
それには先述したように、相反したり、矛盾したりする意味もありますが、奥底では、つまり象徴の根源性としては、どの意味も間違いないではなく、すべてつながっている、同じものなのだということがわかってきます。
そして、そういう学びや気づきの過程が、あなたの認識を変え、霊的な成長へと推し進めていくのです。
本来、タロット(マルセイユタロット)は、そのためにあると、私は考えています。
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