話す領域の違い 「法皇」と「恋人」

コミュニケーションは、一方通行なものではなく、双方向であるのが普通です。

つまり、聞くことと話すこと、どちらの役割もお互いに交換しあうわけです。これも究極的には、陰陽、二元表現の形といえます。

マルセイユタロットでも、例えば、聞く役割を中心として象徴させている「斎王」(一般的な名前では「女教皇」)と、話す役割が主な「法皇」(一般的には「教皇」)とセットになっているカードがあります。

そして、今日はこのうちの「法皇」の表す、「話すほう」について取り上げたいと思います。

「話す」ことは、言語やその他に障害がなければ、誰でもできることです。しかし、時と場所に応じて適切に話すということになると、難しくなってしまいます。

話し方教室というのが実際にあるように、人は話の訓練をしなければならないこともあります。

いわゆる慣れや経験も、話すのをスムースにするには必要です。となると、純粋に話し方の技術というものもあるでしょうが、結構、話すことで問題となるのは、精神面が大きいということです。

誰でも緊張していると話しづらいですし、逆に、不安や恐れがなく、リラックスした状態だと、なめらかに話すことができます。

たとえ、かんだり、とちったりしても、また話す内容が整理されていなくても、話している本人が気にしていなければ、饒舌なものとなります。

コミュニケーションの意味においては、最初に述べたように、双方向と考えると、話している自分だけが楽しくても、相手の気持ちがよくなかったり、内容が伝わっていなかったりすれば問題ではあります。

とはいえ、まず、なにはともあれ、話すことができなければ、相手に伝わる伝わらない以前の話になりますから、いかに自分が精神的に話せる状態にしておくか、そういう気持ちになるかということが大事な要素になるでしょう。

逆に言えば、話せる環境や状態に、聞く側も整えたり、誘導したりすることで、話し手は、より話しやすくもなることが考えられるわけです。(従って、聞く技術、聞く側の要素もコミュニケーションでは大きいのです)

さて、「話す」ことといえば、「法皇」のカードだと言いました。

この「法皇」の数はであり、次の6の数を持つカードは「恋人」です。このふたつを並べることは、以前もコミュニケーションや伝達において、ある示唆があることは書いたことがあると思います。

今回もこの二枚を数の順に並べてみましょう。

すると、「法皇」は「恋人」カード全体を見ている、指し示しているように見え、その中でもとりわけ、「恋人」カードの天使(キュービッド・クビド)に視線が注がれているのがわかります。

「恋人」の天使の図像の意味は、様々に考えられるのですが、「恋人」カードには、ほかに三人の人間たちも描かれており、これとの対比で見てみますと、天使は(通常の)人間とは異なる存在や性質を表していると考えることができます。

簡単に言えば、「人間」たちが、普通や常識、目にみえるようなことを意味し、「天使・キューピッド」がその反対の、普通ではないもの、常識外のもの、目に見えないようなことを示していると取れます。

「法皇」は、先述したように、この天使に注目しているのであり、「法皇」が話すこと、伝えることなどを意味するのであれば、その重要性は、天使側の領域にあるのだと言っているように思えます。

これには、いくつかののこと(意味・示唆)が考えられます。

ひとつは、話す主体(つまり「法皇」)は、天使を意識して話せということです。この場合の天使は、外側や仮面(見てくれ)、常識的条件で計るような自分、エゴのような自分ではなく、純粋な部分の自己、高次の自分を象徴していると想像できます。

また、これは、話し手自身のことだけではなく、話す相手、話される対象側の人間においても、見えない領域が意識されることを含むと取れます。

いわば、話すほうも、聞くほうも、見えている人間に向けてコミュニケーションするのではなく、見えていない部分の本当の自己同士のコミュニケーションをすることで、通常のコミュニケーションを超えた作用がもたらされることを表していると思えます。

同時に、私たちは、言葉(外に現れるもの、形や音が聞けるもの)以外の要素でも、コミュニケーションしている(話をしている)のだということも、ここからイメージすることが可能です。

それから、話さなけば、天使の矢が動かない(放たれない)ことがあることも、想像できます。

それは、誰かに自分の気持ちをきちんと伝えないと、縁が現実的に発生したり、動いたりしにくいということです。

現実の世界は、「恋人」カードの三人で示されるような、言葉や形(音で確認したり、目で見たりすること)でコミュニケーションがなされる世界です。

それこそ、願うだけの天使任せ、神様任せみたいなことでは、何も現実が変わらないということはあるわけです。

天使を動かしたければ、実際に言葉にすること、文字で表すこと、行動で示すことが、言われているのではないでしょうか。

しかも、天使の意味をもっと考えれば、自分自身とのコミュニケーションにおいても、偽りの気持ちや、ごまかしでいては、本当の通じ合いができず、いつも、他人の顔色をうかがって生きねばならない(「恋人カードの真ん中の人物と、両端の二人の人物の様子を見てみましょう)ことが伝わってきます。

実は、話すということについては、チャクラとの関係も含めて、「法皇」のその前のカードたちとのつながりやシンボルが描かれているのですが、それは口伝や秘密として、隠されている状態です。

とにかく、「法皇」と「恋人」を見て、単なる表面的なコミュニケーションや話し(方)だけではなく、もっと別の次元の話し、コミュニケーションがあることを意識すると、自分が本当に話したいこと、伝えたいことがわかってくるでしょう。

聞くだけばかりでもダメで、話すばかりでもいけませんが、それでも、自分の話したいことを話すのは、人として、自分を大事にするということにおいても、大切だと思います。

あのことが伝えられなかったと後悔するより、たとえ自分が傷ついても、人生全般(一生)で考えれば、伝えることに意味があったと思うこともあるでしょう。

そして、一方では、目に見える現実世界では、伝わらなかったこと(伝わらないこと)も、実はすべて、他の世界では伝わっていたということもあり、今はあなたの本当の気持ちがわかってくれなかったとしても、無意識の精神領域、霊的な部分では、すでに通じ合っていることもあるのだと思います。

それは、実際の結果とか、現象とは関係なく、まさに気持ち、エネルギーの伝わりなので、ひとことで言えば、真心(真の心)・純粋な気持ちが通じ合うので、いい意味でも、悪い意味でも隠し事はできない素のコミュニケーションだと言い換えることもできます。(自分と他人だけではなく、自分ともう一人の自己との間でも言えます)

おそらく、そのことは、通常、死後にわかるのでしょうが、生きている間にも、もしかすると、そういう伝わりの部分があるのかもしれないと意識すると、何かが変わってくるかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top