タロットの儀式について

タロットを引いたり、展開したりする時、流派や教える先生・学校によってそれぞれだと思いますが、大別すると、ある儀式を行うか、特に何もせず、シャッフルやカッティングに入るかということになるでしょう。

つまり、タロットを引く前に儀式をするかどうかという点です。

また儀式をするのは、あくまでタロットリーダーだけで、クライアント側は何もしない、参加しないというものと、タロットリーダーが中心とはなるものの、クライアントも一緒に儀式に参加してもらうという、ふたつにも分けられるかと思います。

私自身は、自分が習ったもの(形式)が、儀式ありのもので、クライアントも参加してもらう形式だったので、ずっとそれを続けていますし、講師になってからも教えています。

ただその儀式の意味は、それなりに考えないといけないと思います。

教えられたから漫然と続けているというのでは、それこそあまり“意味”がありません。

儀式を行う意味と、その行為・手順には、それなりの意味が込められていることが多いです。「多い」ということは、そうでないというか、そもそもの儀式行為の意味が忘れ去られて、形骸化している場合もあるからです。

タロットに限らず、ほかの儀式行為や伝統においても、ずっと続けて行ってはいるものの、本来、何のためにその行為をしたり、形を作ったりするのかという意味がわからなくなってしまったものも少なくありません。

私は大学時代、民俗学をやっていましたので、古くから続く伝統的な儀式が、無意味なものでないことは知っていますが、それでも調査してみると、もはや意味は失われ、ただの継続行為と化しているものもありましたし、時代とともに解釈や意味も変わってしまっていくものが結構あるように思いました。

ここで、意味がわからないから、やらなくていいとは一概には言えないと思います。

それはすでに意味がわからなくなっていたとしても、形や行為そのものに一種の力が宿るように工夫されている場合があり、今のやっている人には意味なく見えても、見る(わかる)人が見れば、そこにパワーや結界のようなものが働いていることがわかることがあるのです。

とはいえ、あまりに無意味になって、ただそこに心や魂が入らないものは、やめてしまってもいいものもあるかもしれません。途中から変わって、ずっと間違いを続けていることも、意味が失われていると、あるからです。

ですから、全体的に、もう少し、(伝統的な)儀式の本質を研究したり、知ったりすることは、一般においても重要なのではないかと思います。すると、本当に必要なものは続けられますし、そうでないものをやめられるきっかけにもなります。

その時、見たままのことだけではなく、例えば、儀式者が行う、手や足の動きによって形成される空間や形のようなもの、つまりは普通は見えない空間や形を、感性の部分まで想像性を行きわたらせ、そこから見えてくる景色をイメージすること、感じることが必要ではないかと考えます。

もちろん回数など「数」の意味も含め、知識的に、古代からの象徴性の学びも理解のうえでは必須でしょう。

さて、タロットに戻りますが、本当は儀式のひとつひとつに意味があると考えられるのですが、今の時代、さきほども言ったように、意味がそもそも、もう失われていたり、そこを知ろうとしたりする人も少なくなってきたので、儀式を詳細にしていくというのは、西洋魔法を厳密する魔法的(儀式魔法的)タロットを中心に行うもの以外は、特にこだわりはいらないのではないかと考えています。

逆に言うと、タロットに魔術的効果を求める場合は、きちんと行う必要があるということです。

タロットを心理次元(心の中の問題やデータの浄化、自己意識の投影としてカードを引いて整理していく方法)で扱う場合も、儀式はある程度、あったほうがよいと私は考えます。

その理由は、儀式が意識の切り替え装置になっているからです。

詳しくは講義で述べていますが、人は、日常と非日常の境目を、無意識のうちに、一日にも、また一年のサイクルにおいても、出入りして繰り返していますが、それを意識化すること(機会)が一般には少なく、ここが(精神的)混乱の要因のひとつにもなっていると考えられるからです。

しかし、一方で、楽しく、ちょっとタロットで占いでもしてみましょう、というレベルで行う時は、特別な儀式はなくてもよいかもしれません。それでも、自分の中でタロットをする、占いするという意識のスイッチをオンにしていくことは必要でしょう。

まあ慣れている人は、すぐに切り替えができるようになりますし、占い師さんだと、そもそも自分が占う場所自体が、非日常に設定されていることがほとんどですから、タロットを使う儀式自体は少なくても、場そのものがもはや儀式で聖別(非日常化)されていると言ってもいいでしょう。(聖別といっても、占い師さんによっては、必ずしも聖なるものによる場の浄化・設定ではないこともありますが・・・)

このように、タロットを並べたり、シャッフルしたりすることでの行為で儀式化するだけではなく、例えばクロスを敷いたり、その人(タロットリーダー)にとって、とても重要なアイテムを置いたりすることで、儀式を行うことと同じになっているものもあるのです。

もし、リーディングする部屋自体が、いつもの生活する場所と違っていれば、その部屋に入ることそのものが儀式になりますし、たとえ生活に使用する部屋であっても、やはり、何かタロットをする前に、特別なこと(浄めとか祈りなどの儀式)をすると、それが儀式として成立していく可能性があります。

普段儀式をする方は、一度、儀式を省いてやって、自分の読み方がどう変わるか、実験してみてもよいでしょう。反対に儀式をしない方は、儀式のようなことをしてみると、どうなるのか、味わってみるのもよいです。

人の意識の力は強いですから、儀式的な行為をしなくても、場とか自分の直感性・センサーは変えることができるでしょうが、何かのきっかけがあったほうが変わりやすいのも事実です。

見えない部分での意味は、実は皆さんが思っているより、かなり大きなものがあるのですが、それを信じる信じないも人の自由ですから、ここでは選択の自由として、タロットを引く前の儀式を行うかどうかの是非は問わないことにします。

ただ、ひとつだけ言っておくと、私たちは、一方向、あるいは、する方とされる方という能動受動行為を一方向側からしか、普通は見ませんが、される側がする側になり、する側がされる側にも同時になっている、同位的な見方を取り入れると、儀式をしているのは自分ではなく、タロットがさせていると見ることもあるのです。

その視点で行くと、儀式はどんな意味を持つのか、少しわかってくると思います。

しかしその反面、かしこまり過ぎて、タロットと仲良くなれないのでは、これまた問題ではありますね。

タロットは「愚者」に代表されるように、トランプでいえばジョーカー的な性質もありますから、まじめばかりでは、タロットたちも面白くないのだと思います。(苦笑)

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