関心の方向性と、そのバランス

マルセイユタロット、中でも、私が特に使用しているのは、ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロットです。

このタロットは、その名前の通り、アレハンドロ・ホドロフスキー氏と、フィリップ・カモワン氏の共同作業による、いわば、リニューアルされたマルセイユタロットです。

従って、現代の技術も使われていますので、カードは、より詳細で、鮮明な画像になっています。

その鮮明さの中のひとつに、カードの人物の視線の明確さ(の復活)があげられます。つまりは、人物がどの方向を見ているのかが、はっきりわかるのと、鋭くなっているということです。

この視線にも、大別すると、三つの方向性があります。それぞれにもちろんが意味がありますし、解釈次第では、多様な見方ができます。

そこで、少し前に起こった事件とともに、この視線方向の三つをヒントに、ある考えが浮かびましたので、書いてみたいと思います。

さて、兵庫県明石市という市があります。対岸に淡路島を望む海辺の町で、神戸市と隣接しながらも、風光明媚なところもある海岸線を主体とした細長い市です。実は私の住んでいる市でもあります。(笑)

余談ですが、東経135度の通る場所として日本標準時の町であり、「ガイアの法則」という本では、地球の経度位置による衰退と発展が周期的に繰り返されると示され、東経135度が将来(未来)的に重要な意味を持つことで、スピリチュアルに関心のある人にも、興味をもって見られているところです。

その明石市の市長の、部下に対する問題発言と、それに関係しての市長の辞任の話題がありました。

最初は、ただ(前)市長の暴言のみがクローズアップされていたこともあり、市長は批判されていたのですが、後日、全文と言いますか、その時のトータルな発言も出ることで、一転して、市長を擁護する人も増えました。いずれにしても、発言があまりにも強烈で、問題性があったので、ご本人から辞任されたという終幕を迎えました。

この前明石市長は、割と市民の間、特に若いご夫婦や小さいお子さんのいる家庭では評判がよいところもあると聞きます。

それは、そういう方々への施策を次々と実行されていたからです。また、駅周辺の再開発や、図書館の駅前への移転など、市民にも便宜を図ることをされていたので、一般市民的にも評価される向きもありました。

ただ、明るみに出た部下への暴言、パワハラ的な態度は、やはり問題があると見られているところもあり、その責任を取って辞任されたわけです。

この(前)市長の場合、どの方向に主に関心が向いていたのかといえば、一般市民の暮らしや生活、利便性などであり、言ってみれば市民に対しての方向性が中心だったわけです。

それは市長という立場では当然のことではあるものの、問題となった部下への扱いから考えますと、職員への関心と気遣いは、あまりなかったか、あっても、ちょっと方向性や熱意の示し方として違っていたものがあったのかもしれないと推察されます。

企業にあっても、社長やトップの立場にある人が、どの方向に関心や注意を払っているかによって、企業の性格はもとより、その発展や存続にまで影響するのではないかと考えられます。(これも当然と言えば当然ですが)

それで三つの方向性です。

企業を例に取ると、ひとつはお客様や消費者中心の視線、もうひとつは、その企業で働く従業員・社員への視線、さらに三つ目は、自分、あるいは私的物と見てしまうような場合の企業(会社)への視線です。※ここで言っている「視線」は、関心ととらえてもよいです。

これは個人の場合でも言えます。

すなわち、自分と関わる他人への視線(公的視線)、家族や近しい人に向けての視線、自分自身に対する視線の三つです。

これらがバランスよく、あるいは順序を間違えない視線と関心があればよいと思いますが、得てして、どれかひとつに偏る傾向があります。

企業の場合、トップが、あまりにお客様志向、お客様のためと思い過ぎて、何もかも犠牲にし、滅私奉公のような状態で、社員にも奉仕を要求し、しかもサラリーに努力や結果が反映されないとなると、これは辞めていく社員も多くなるのでないかと思いますし、辞めなくても社員は疲弊し、モチベーションや、やりがいもなくなっていくでしょう。

しかし、反対に社員ばかりに気遣い、お客様の声を無視していては、会社の売り上げは上がらず、結果的に社員への給料も払えず・・・となるおそれがあり、本末転倒です。

また、自分だけしか目が行っていなく、悪く言えば、自分が大事、自分がかわいい、自分さえよければよいというような態度では、そもそもトップが務まるとも思いませんし、私利私欲で会社を動かしていることになってきます。

個人のケースでは、究極的には、全員、自分のために視線や関心をもってやっていると言えますが、それでも、他者を意識し過ぎるか、自分と他者をバランスよく見たり、冷静に区分けして見ていたりするかによっては、変わってくるところもあると思います。

やたら人のために自己犠牲し過ぎるのも問題ですし、人の気持ちもまったく考慮せず、自我を押し通すことも、周囲とトラブルが起こりやすくなります。また家庭・家族、身内などを顧みずというのも、また問題となることが多いでしょう。

やはり、個人の場合、自分を大切にすることは第一かもしれませんが、先述したように、利己主義、わがままになるのとはまた別で、他人や他者との調整、気遣いもある程度は必要とされます。

三方よしではありませんが、関心の方向性として、自分、他人、関係者それぞれがうまく調和するようなものがベストなのかもしれません。

現在、何やらうまく行っていないと思う人(組織)は、自分(中心や方針を決める立場の人)の視線、関心がどこに行き過ぎて、どこに足りなさ過ぎているかを見直して、バランスを図ると、改善されたり、持ち直したりする可能性があると言えます。

これは、本当にケースバイケース、個人や組織で(理想の)バランスも違ってくると考えられますから、一律(パーセンテージや純粋な割合)で言えるものではありません。

ただ、問題というものが発生していたり、自覚できていたりするのなら、こうした関心の方向性のバランスがおかしいのではないかと疑ってみるのは、解決のヒントのひとつになるかもしれないのです。

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