マルセイユタロット 数カードの一考察
タロットの構成にある、大アルカナと小アルカナ。
私はマルセイユタロットをしておりますが、すでに何度も書いてきているように、最初はカモワン・ホドロフスキー版のマルセイユタロットから入り、いわば、通称カモワンタロットと日本で呼ばれるタロットでの学習でした。
それが結構長く続いたので、かなり「カモワン流」という方法がしみついておりました。
今のカモワンスクールにおいてはわかりませんが、昔のカモワン流では、小アルカナをあまり使わないこともあり、小アルカナの実際の活用や、その研究に対しては、どうしても後回しとならざるを得ない状況がありました。
ただ、カモワンタロットが、ホドロフスキー氏によっても作られていることは当然知っていましたので、ホドロフスキー流のタロットの使い方はどうなのかということも気になっておりました。
そこでフランス語で出ていた本を見たり(フランス語はできませんので、読むというより見るです(笑))、氏のタロッリーディング動画や映画の解説で時折出てくるタロット観などにふれたりして(カモワンタロットの講習時に、フランスでも直接ホドロフスキー氏のセミナーを見たことがあります)、氏がカモワン氏と違い、小アルカナも重視しているところは感じておりました。(ただ、一般的に今見られる動画では、ホドロフスキー氏も、実践において、大アルカナが中心のようにも思います)
とにかく、マルセイユタロットに関しては、日本での文献は極めて少なく、ましてや、さらに小アルカナパートとなると、その解説はあるにはありますが、実質的には、今もって皆無に近い状況と言えます。
ところで、日本では、タロットと言えば、通称ライダー版と呼ばれる、ウェイト氏の作成したウェイト版が有名で、メジャーに使われています。
このウェイト版のタロットは、枚数、構成としてはマルセイユタロットと同じですが、小アルカナ(の中の数カード)に関しては絵がついていて、4組ごとのシリーズ・物語のようになっています。
従って、絵による物語があるために、大アルカナのように読みやすく、イメージもしやすいという利点があります。
一方、マルセイユタロットの小アルカナ(の中の数カード)は、一見すると記号のような模様の図柄がついているだけで、絵というにはほど遠い図像になっています。見ようによっては、タイルとかモザイク模様に近いです。
幸い、マルセイユタロットの数少ない解説本の中で、数年前出版された、ホドロフスキー氏の「タロットの宇宙」という本がありますから(実は私がフランスで購入していた本の日本語版です)、それには結構詳しく、小アルカナの意味や解説も掲載されていますし、この本をもとに、松村潔氏が、独自の解釈を含めて、大アルカナとともに、小アルカナについても詳細に書かれている「タロットの神秘と解釈」という書籍もあり、今はそれらを読めば、大きな参考にはなるとは思います。
私自身も、独自でマルセイユタロットの小アルカナについて、成り立ちとか歴史とかよりも、特に読み方や活用を研究してきたところがあります。
それは、小アルカナの活用分野として、大アルカナ以上に、私たちの現実と呼ばれるフィールドにおいて使うものだからと認識しているからです。
小アルカナもタロットなので、確かに象徴なのですが、霊的(スピリチュアル的)・心理的レヴェルや、漠然したものを見るというより、具体性や選択性を示していくものと考えたほうがよく、そうだとすると、ただ考察や思考をするだけではなく、読み(タロットリーディング)をして、実践活用していくことが求められるというわけです。
しかも、その読みは、占いに近いもののほうが、小アルカナに関しては、シンクロすると言いますか、なじむと思います。
ただ、マルセイユタロットの場合、先述したように、小アルカナの数カードが記号的な図像なので、具体的な事柄をそこから想像して読むというのは、かえって難しい傾向があります。
ここが、あまりマルセイユタロットの小アルカナが実際に使われない理由のひとつにもなっているのだと感じます。
ということは、マルセイユタロットの小アルカナ、特に数カードについて、ふたつの見方ができます。
ひとつは、まさに模様を眺めるためにあること。
何のために眺めるのかといえば、イスラム教を考えればわかりますが、神というものを具体化・偶像(絵や銅像など)化しないためです。正しくは、神を具体化・形には「できない」のです。
マルセイユタロットには、自らの内に神性が宿るということを教義として持っています。
それは例えば、イエス様のように、具体的な神様像ではなく、内なる魂や霊の次元における(それを通して知るともいえる)神なのです。神というより、宇宙や完全性、大いなる何か、根源といった、スピリチュアル的な言い方のほうが的を射ているかもしれません。
ゆえに、この内なる神は抽象的で、具体的にはとらえがたいものなのです。
だからこそ、小アルカナでは、その内なる神・神性を、ある宇宙的なデザイン・模様として描いているわけです。いわば、神のオーダー・秩序が示されているのです。それが私たちの(現実)世界にも及んでいることを知るために、小アルカナは存在します。
この見方がひとつです。
もうひとつは、大アルカナや、皆さんが思う、リーディングや占いとしてのタロットとは別の使い方があるために、このような絵柄になっているという見方です。
ズバリ言ってしまえば、カードゲームのためのセットだということです。
ただし、この場合は、通常、大アルカナも含んでの、タロットのデッキ一組がカードゲームのセットになっています。ですから、小アルカナだけがゲームのためのカードというわけではないのです。
けれども、明らかに、大アルカナ、そしてコートカード、または宮廷カードは、同じような具体的な絵になっており、数カードの図柄とは異なっています。
皆さんがトランプゲームをした時に覚えがあるように、絵札というものはゲームにおいて強い力・得点力を持ちます。
それに比べて、小アルカナの数カードは、ゲームにおいては弱いと言いますか、得点が低く設定されているものがほとんどです。ただし、エース(それぞれの組の1)は、マルセイユタロットにおいても絵札となっており、トランプのエースと同様、結構強い設定です。
要するに、絵札と数札の違いがあるということです。それはゲームにおいての得点や、力の区分けにもなっているのです。
ということは、もしゲームのためにタロットができたと見れば、ゲームを面白くするため、あるいは得点の計算をわかりやすくするため、小アルカナの、特に数カードは作られ、そう(ゲームの切り札てはなく、使いやすい駒として)使うことにあると考えられるのです。
あと、お金か何か換金のための記録道具みたいな意味もあったのかもしれません。麻雀の点棒みたいなものです。いずれにしても、ゲーム関連での扱いだったと推測されます。
このように考えますと、マルセイユタロットの小アルカナ、特に数カードに関しては、大アルカナの秘儀をシステムとして基盤模様(マトリックス)で示し、宇宙を考察する装置のセットであると見るか、あるいは、割り切って、ゲームのための道具だと見てしまうかにあります。
そして、そのまま、もしこれをリーディングや占いという方法のフィールドにあてはめていくと、小アルカナを使わないか(ただし大アルカナの補助としては使える)、使う場合でも、ゲーム的に(ライトにとか、現実を楽しむためにとかで)活用していくかというやり方が想像されます。
これはあくまで、私の説・考えなので、ほかにもいろいろと考察もできるでしょうし、まだまだ謎の多いマルセイユタロットの小アルカナと言えます。
なお、リーディングに、小アルカナをどのように使うかは、基礎講座から、段階的にお伝えしています。
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