先ごろ、パリのノートルダム大聖堂(寺院)で火災があり、尖塔や屋根の部分が焼け落ちました。

フランスの方々、関係者の方々にはお見舞いを申し上げたいと存じます。

この寺院には、私も以前カモワン版マルセイユタロットのフランス講座の際に訪れたことがあります。

フランス・パリでは有名な建物で、一大観光地でもありますが、いわばフランス国民の精神的なシンボルでもあり、キリスト教の人にとってはフランスの聖地でもあるでしょう。

それが象徴的な形で崩れた(火災による)のですから、フランスの方々、クリスチャンの皆さまには、相当ショックなことだったかと思います。

実は、マルセイユタロットと、ノートルダム寺院やこういった大聖堂(特にゴシック建築様式のもの)とは深く関係していることもあり、先述したように、タロット講義における旅においても訪問するほどの場所ですので、私たち、フランスのタロットを扱っている者にも、衝撃的なことでした。

ヨーロッパ(あるいは南米など)のカテドラルと呼ばれる聖堂に入ると、クリスチャンではない日本人であっても、荘厳な雰囲気を感じ取るができると思います。

私もフランスだけではなくスペインなどでも、カテドラルでは同じような特別な感覚になったのを覚えています。

これには、もちろん、宗教的施設であるので、毎日祈りが捧げられていますし、それが何百年と積み重ねられているわけですから、場としての人々の思念の蓄積に相当なものがありますので、当然雰囲気も敬虔で重厚なものになっているという理由があるでしょう。

ただ、ヨーロッパの大聖堂は、石造りを基本としつつ(これがまたある種の重力・重みを出しています)、上から見ると、形はキリスト教のシンボル・十字架になっており、建てる方向性・方角も決められていて、何よりも、特にゴシック建築においては、その設計・建物様式に緻密で特別な計算と、天上世界(神)を意識させる非常に高い天井と塔の構造になっているのが特徴で、いわば、天と地のコントラストが私たちの通常意識を、天上なる神の意思へと浮上させるような装置になっています。

日本の神社とはまた違った構造で(しかし実は奥底には同じものもあると考えられます)、神(天)を意識させるようになっています。

また、一般にはあまり知られていないかもしれませんが、たいてい宗教的な施設がある場所は、もともと特別なポイントであることが多く、ある宗教の前に信仰されていた土着の宗教や、征服される前の民族の神が祀られていた場所であることが普通です。

ですから、ノートルダム寺院の建物の下には、別の宗教の神が眠っている可能性も高いわけです。

さて、今回のノートルダムの火災について、タロットを展開してみたのですが、これもまたさすがに驚くような内容てした。

すでに、私の学習グループでは、その展開を見てもらって、皆さんに感想を述べていただきましたが、おおむね、皆さん、似たような意見でした。

全展開を披露することはあえてしませんが、基本のスリーカードだけ記すと、向かって左から17の「星」、真ん中に16の「神の家」、右に15の「悪魔」で、すべて逆位置でした。※なお、今回は正逆を取る技法を採択しており、逆位置は問題状態として現れます。

これを見れば、事の深刻さ・重大さと、タロットそのもののすごさを実感できると思います。

当たり前ですが、展開において何も私は操作していません。「ノートルダム寺院の火災について意味するところ」というテーマで、ただタロットをシャッフルし、展開しただけです。

ブログをご覧の皆さんは、カードを見てどう思われるでしょうか。

ノートルダム大聖堂は、ヨーロッパで、いや今の世界の標準ともいえるキリスト教(特にカトリック)世界観の宗教施設です。

そのシンボルであるラテン十字のクロスする部分、つまりは尖塔のところが焼け落ちました。

キリスト教を批判するものではありませんが、世界のあり方として、キリスト教をバックにした国々、勢力がやってきことの功罪はどちらも大きなものがあります。

ノートルダムとはフランス語で、「われらが貴婦人」という意味であり、狭義的には聖母マリア様を意味すると言われます。

しかしながら、聖母信仰のその源には、女神、大地、女性性の癒し、包み込み、和する、崇高で偉大なエネルギーの象徴性が存在します。

すでに述べたように、ノートルダムの地下には、(組織的・支配的には男性的な)キリスト教の下で眠らされた何か大きな女性性的なエネルギーがあるのかもしれません。

奇しくも、日本では「令和」という音的には霊和ともとらえられる時代が始まります。

ノートルダム寺院の火災はすべてが焼失したわけではありません。重要な遺産や、中の十字架、バラ窓などは幸いにして残りました。

見ようによっては、屋根という覆いがはがれ、中身そのものがむき出しになったと言えます。(そして残ったものも逆に明確になっています)

それは象徴的にはどう言えると、皆さんは思うでしょうか?

普通に物理的に見れば、ノートルダム大聖堂の火災も、何らかの事故による火災です。そこに象徴的なほかの意味を見るのは各人の自由であっても、そういう理由(想像する象徴的な意味合い)で火災が起こったわけではないと考えるのが科学的な態度でしょう。

しかし、フランスの人にとっては、単なる家や施設が焼けたというものではないのは明白です。世界的に見ても大きな事件です。

やはり、人は物理的な見方だけではない精神的・霊的な意味を、起こったことに対して見ようとするものです。

何かが失われるということは、人や生物だけではなく、モノや施設においても、私たち人間は思いを感じます。(ましてや、親しい人、身近な人を失った場合、どれほどのショックがあるのか想像に難くないでしょう。それが突然であればなおさらなのです)

一方で、すべてのものは生々流転、創造されたものはやがて破壊、死滅へと移行していきます。それが世の理です。

形や現実にあるもの、存在している状態を強く願ったり、また逆に、存在していることが当たり前で、ほとんど意識することがなかったりした時、それを失った場合には、とても強烈なショック、悔恨が来ます。

それでも、形や実際ではなく、精神や魂、エネルギーとして見れば、それは永遠であり、分離や消滅もしておらず、自分と結合・統合していることにも気づきます。

失うことは、矛盾のような話ですが、逆に失っていないことを私たちに意識させるのです。

それが、マルセイユタロットでいえば深い意味で、「審判」のカードの示唆するところともいえるでしょう。

“ノートルダム”の再生、復活を期待いたします。

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