今起きている問題の象徴性
最近の一般世間の報道や話題を見ても、時代はやはり、あるひとつの方向性に進んでいると考えられます。
※注 日本の旧媒体メディアの報道の内容自体は信頼が置けないものが多く、その報道内容から述べているのではなく、裏にどういうことが起こっているのかということを見ていくとわかるものがあるということです
それは、スピリチュアル・精神世界では当たり前のように言われており、こちらのブログでも何度か書いておりますが、一言で言えば「統合」の道です。
おそらく、宇宙、あるいは宗教的な言い方をすれば「神」ということでもよいでしょうが、そういうものに意志があるとすれば、全体として成長・進化がテーマになっているのは間違いないのではないかと思います。
ただ、その成長や進化の概念が、私たち現実意識の普通の人間の状態では、なかなかわからないわけです。
私たち(個人個人)がそれは成長である、進化のためのものと考えても、宇宙から見れば逆の意味の場合もあると思います。
ところが、マルセイユタロットを扱っていくとわかるようになりますが、「象徴」として見ると、私たちが思う成長と、宇宙(神)が思う成長は、事象としては違うことはあっても、実は根本では同じではないかと考えることができます。
簡単に言えば、それぞれのレベルで成長の表現が異なる(ように見える)のだと言うことです。
この、「レベルや次元において物事の捉え方・表現が異なる(ように見える)」というは、ある意味、宇宙の法則のようなものと考えてもよいかと思います。
すると、今、宇宙全体で進もうとしている成長性・統合への道が、一人ひとりの個人レベルにあっては、逆の方向やマイナスのように思えることもありうるわけです。
これは個人のもう少し上のレべである社会や集団、国などにもおいても同様です。
ただ、先述したように、ひとつの共通した骨子のような、根本は成長・進化・統合の道にあるので、そこはどのレベルにおいても変わらないのですが、その表れ方が違うように感じるわけです。
特に、個人レベルになればなるほど、当然ですが、個人的なこととして起こりますから(認識される)、まったく宇宙とか、社会とかとは関係ないようなことだと思ってしまうのも当然と言えば当然です。(おそらく死後、私たちはもっと大きな括りで自分のことを見ることが自然にできるでしょうが)
マルセイユタロット的な表現を使えば、ある人にとっては「手品師」の経験が今起こり、また別の人では「皇帝」、そのまたほかの人では「太陽」・・・というように、一人ひとり、カードで象徴される出来事が起こっていて、カード単体から見れば、各人バラバラな体験になっているわけです。
ところが、もしタロットカードを成長や進化の道として俯瞰した見方をすれば、どの人も全体としての一部(個人)の経験をしており、それは実は全体の経験ともつながっているのですから、結局は、誰もが成長・進化していると見ることが可能です。
マルセイユタロットには、レベルや階層で見ていく概念(観点)もありますから、それを導入すると、自分の成長の過程は、特に全体としてどのレベルで起こっているのか、必要なことなのかということも把握できます。
ところで、前にも書きましたが、統合的成長への道には、いきなり統合が始まるわけではなく、何事もそうですが、順序と言うものがあります。
そして、「統合」へは相反する概念とも言える「分離」が、まずは起こるのです。このことはマルセイユタロットを見ているとよくわかることで、最終的には、カードで言いますと、「月」から「太陽」へと進む過程でもあります。
あるレベルの分離が完全に行われることで、次の段階の統合へ進むと考えられます。
分離が必要というのは、例えるならば、化学薬品の性質を知らずに、いきなり混ぜ合わてしまうと爆発したり、危険ガスが発生したりで混乱を来してしまうのに似ています。そうならないためには、きちんと分離したものの状態(それぞれの薬品そのものの性質)を把握することが求められます。
これは今の人間で言えば、個性の確立、自立と責任の独立にあると考えられます。
マルセイユタロット的には、「正義」の象徴性が現在強く起こって来ているのではないかということです。
一人ひとり、そして集団や社会においても、先送りにしていたこと、中途半端や騙し騙しやっていたこと、あるいは隠していた不正なこと(社会においては法的な不正や、一般的正義・倫理にもとること、個人においては自分の良心における正義、本当の自分の気持ちに反することなど)なとが露呈したり、対処しなくてはならなくなったりしています。
つまりは、「問題」という形を通して、分離(よいこと悪いことなど、本来の自己と仮の自分など)が強化されてきているわけです。
そうやって、否が応でも、自分と向き合うことになるのです。
全体としての進化のため、個人個人の進化も必要とされるので、一人ひとり・個人のレベルにおいても、自分自身の問題と向き合うことがこれまで以上に早く、そして容赦なく出てくるのではないかと思われます。
ただ、すでに自己と向き合い、浄化をしてきたものは、自分の問題はあまり起きず、他人や社会のために問題に取り組んだり、関わったりすることが起きてくると予想できますし、そういう人はすでに同時進行で、自分と他人の両方を救う活動をしてきているでしょう。
自分の問題がかなりクリアーになって来たという人は、一般的な意味でのマイナスなこと、ネガティブなこと、問題が起きなくなるというわけではないと思います。(もちろん、実際に起きなくなることも多いでしょうが)
ただ、起きてはいても、それに囚われることがなくなってくるというほうが近いでしょうか。
他人から見れば、それは問題で大変だなと思うことも、当人とってはさほど気にならない、むしろ喜びみたいな境地にもなっているかもしれません。
また起こった問題の解消や解決自体のスピードが、倍速のような感じで速くなるということもあるでしょう。(これはマルセイユタロットの「運命の輪」「審判」に関係します)
ともあれ、ここ数年、平成が終わりに向かうに伴い、大きな変化(環境だけではなく、精神的なことも含む)のあった方は少なくないでしょうし、今まで潜在的には進んでいたものが、令和になって、いよいよ目に見える形で、現実のこととして起きて来ることが多くなったように思います。
ですから、あなたに起きている問題も、象徴的に言えば、進化や成長の流れにあるものであり、苦しく大変な人も中にはいらっしゃるでしょうが、統合の前の分離として、肉体的にも精神的にも、霊的なものに統合していく前の段階として起こっているものだと理解すると、また捉え方や意味合い、そして実際の問題も変わってくると思います。
ただ分離というのは、何かと混沌としたものになりがちですから、その整理のためにも、マルセイユタロットなど、何かの宇宙的(全体的)な象徴ツールを持っておくことはよいでしょう。
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