タロットを活かす、過去と未来の方向性
タロットに興味を持つ方で、タロットと自分に対するスタンスといいますか、関係性においては、人それぞれと言えます。
大きく分けて、その関心の中心として
●占い
●魔術(魔法関係)
●心理
●自己啓発
●スピリチュアル
●歴史
●遊戯ゲーム・カード
などがあると思います。
一般的に多くは占いのツールとして扱うというもの、最近ではライトなスピリチュアル的関心からのもの、自己探求・心理関係的な象徴道具としての扱いが増えて来たように思います。
占いにタロットが使われるようになったのは、古いようで、実は新しいという説がありますが、これも諸説あります。
そして、意外に(一般的に)知られていないのは、魔術(開発)道具としてのタロットで、今、世間で多く普及している通称ライダー版、ウェイト版のタロットなどは、実はこれの代表みたいなものです。
ですから、どうしても、タロットというものを見ていくと、西洋魔法との関連は避けて通れないところがあります。(「魔法」というと奇妙奇天烈、不可思議なイメージがありますが、「近代魔術」で調べていただくと、一般に想像する、おとぎ話とかに出てくるようなものではないことがわかるでしょう)
しかし、これは私見ですが、西洋魔法とタロットとの関係は、西洋魔法においてタロットは、あくまで魔法のためのいちツールであり、タロットが魔法に必ず必要かと言われるとそうではないと思います。
個人的には、魔術的(系)タロットとは別物として、タロットを扱っています。
といっても、タロットの精霊とのコンタクトとか、タロット瞑想の技術などは、ほとんどが西洋魔法のものがベースになっていると言え、見えない世界とタロットということを結び付けていくと、西洋魔法的な技術を知らず知らず使っていることもあるのだと思います。
タロットを魔法的な感覚(その世界観と技術)で使うとなると、本当は魔法団体に入り、師匠や兄(姉)弟子のもとで修業していく必要はあるでしょう。占い師の中でも、あるいは、そのクライアントやタロットを習いたいと思っている人にも、タロット扱いの理想として、この魔法的なタロットの力を想像している人が少なくないと思います。
ただ、それは先述したように、きちんと(団体や師匠のもとで)習得していく魔法技術の段階があり、素人的な見様見真似では、危険なところもあり、やはりいい加減にはできない、特別な世界と言えます。
自分の目指すタロットの道が、どんなものなのかは、最初はわからないにしても、少しずつ理解し、ライトに楽しむか、覚悟を決めて取り組むのかのところは、やがて直面する時が来ると思います。
一方で、アカデミズムと言いますか、見えない世界ではなく、見える世界でのタロットへの関心が強い人もいます。先に挙げた、カードの歴史とか、カードの芸術性などに興味のある人たちです。
こういう人は、カードそのものが好きということで、タロット占いやタロットリーディング、タロットを通した精神的霊的世界に参入するというようなことにはあまり関心がなく、カードの成り立ち、変遷、絵柄、種類、図像の解明などに楽しみを覚えます。これはこれで、タロットとの関わり方のひとつで、面白いものだと思います。
タロットとの関わり、興味は人によってそれぞれであり、このようにたくさんあるのですが、逆に言えば、タロットというものが、それだけ多様に扱える普遍的な象徴性・ツール性を持つ存在と言えます。なかなか、これだけいろいろな意味で関心を持たせるものもないでしょう。
さて、タロットを、特に、精神的・霊的な探求、向上の意味で、自他ともに使っていくものとするのなら、見える世界と見えない世界の統合も意味していくことになり、だからこそ、ふたつの方向を常に診ていくことが求められるように思います。
実は、この「ふたつ」というのには、様々な意味があります。見える世界と見えない世界のことだけでもないのです。
タロットを使うということは、タロットをよく知らねばならず、そのための「ふたつの方向」で言えば、タロットの成り立ちや込められた思想の背景、象徴の意味など、いわば学術的、歴史的内容含めた蓄積された内容を学ぶ必要があります。
ただ、この場合は、カードコレクターとか、カードそのものの歴史を解明していくような興味の人とは違うので、詳しすぎる必要はないと思います。あくまで思想や哲学、背景の流れというもの、重要なものを押さえるということです。
西洋で作られた(完成された)タロットであるのなら、やはり中心は西洋の歴史、思想背景(秘められたもの、あまり知られていないものの、タロットと関係していると考えられる事柄が特に重要)となります。
しかし、結局、それを辿っていくと、西洋だけに収まらず、図像にある象徴の源流ともいえる古代エジプト・メソポタミア、今でいう中東や古代のインド、中国などの思想・宗教・世界を、ある程度知っておくこと、さらに深いものとなってきます。
いわば、これらは過去方向の知識とか蓄積を知るということです。これを知っているのと、知らないのとでは、カードの力の発露に違いが出ます。
例えば、人間でも、いろいろと苦労したり、経験を積み重ねて来た人には深さや味わいがあり、問題を解決したり、癒したりする力も強くなります。逆にペラペラな薄い人では、それこそチャラい感じで、相談に乗ってほしくはないですよね。(笑)
タロットも、何も知らない段階では、ただの紙切れであり、カードに罪はないにしても、その段階では薄ペラなものでしかないのです。これにさきほど述べた象徴や背景などの深い知識が加わってくると、カードに封じ込められていた数千年(マルセイユタロットの場合)の象徴・歴史の流れにあったものにスイッチが入り、カードはがぜん厚みを持ちます。
タロットを勉強しなくてはならない理由のひとつは、ここにあるのです。
そして、もうひとつの方向性は創造していく未来方向です。
タロットの過去方向での歴史、蓄積、思想背景、象徴性の意味などを知ることも重要ですが、今度は、それを現代(今)と未来に向けて、どう活かすのか、未来をどう創造していくのかを、タロットを通して考え、実践していくことも大事です。
でないと、昔はすごかった・・・だけの過去礼賛に終始し、過去と今をループするだけの、歴史探訪、ただの知的好奇心を満たすだけのものになりがちです。
今は、ある意味、ツールとしては何でもそろっていて、もはやAIでさえ機能しようというこの時代に、なぜタロットを使うのかという意味を見出せないと、視線は過去方向だけにとどまってしまいます。
温故知新という言葉があるように、失われた何か重要なものが、タロットには描かれていると見て、それをもとに、忘却されたものを再発見し、それを今や未来に向けて、わかりやすくふさわしい形で再構成(再生、リニューアル)することが求められているように思います。
まさに、カードで言えば「審判」です。
キーワード的に言えば、その重要なものとは、「霊性」ということになるのですが、その霊性の復活がなぜ必要で、そのつながりをタロットでどう蘇らせるのかということでもあります。
例えば、マルセイユタロットは、「グノーシス」と呼ばれる古代思想と密接に関係すると考えられますが、そのグノーシスにしても、昔のものをそのまま現代に説いても、あまり意味は持ちません。(ただ、先述したように、過去方向の蓄積として知る必要はあります)
しかし、象徴的な意味では、昔も今も変わっていないところがあり、古い時代のグノーシス思想を知ったうえで、そこから抽出される、ある種のイデアとか型が、現代に活かせるものになる、そのヒントになるのだと考えるようなことです。
従って、あまり具体的過ぎても本質を見失うので(時代ごとに形、やり方は違うので、それに囚われていると本質が見えなくなるという意味)、象徴としての抽象的表現でもって、核のようなものを見ていく必要があります。ここにタロットが活かせる理由が見つかるのです。
一人ひとりの具体的、個人的願望や幸せは、タロット占いなどでサポートは可能かもしれませんが、そのレベルとは別のもので、特に未来に向かっては考えていく必要があり、言わば、私たちの霊性を回復していくうえで、個別でいながら、全体的な視点が必要となります。
こういうところに、タロット(マルセイユタロット)が使えるのだと思います。
タロットは古い道具で、紙に印刷されたカード(昔は型紙で刷っていた)というアナログ的な、もはや時代遅れの代物のように見えますが、実のところ、描かれているものは、未来的でもあると私は考えています。
コメントを残す