自分(人間)の世界とタロットの世界

タロットカードを習う時、どうやって学ぶのかという方法と、どのタロットを選ぶのかという問題と言いますか、テーマがあると思います。

前者(学び方)は、書物やネットなどで独学するという方法、タロットを教える機関や先生から学ぶ方法が、まずは検討されるでしょう。

後者(タロットの選択)は、結局、前者と関係してくることが多いのですが、たまたまタロットを教える教室・先生の扱うタロットがそれだったからなどの理由で、自分が決めるより、学ぶところによって決められている場合もあります。

もちろん、最初からこの種類のタロットを学びたいという、自分の意志で選択した人もいるでしょう。

まあ、しかし、多くの人は、最初にタロットを習う時、私自身もそうでしたが、タロットに対して詳しくないですので、そもそもタロットにたくさん種類があることなども知らず、つまるところ、自分と(ある種の)タロットとの出会いは、表向き、偶然のようなものではないかと思います。

とは言え、世の中に偶然はないという説もありますから、そこから考えますと、自分とタロットとの出会いも、必然、または出会うべき(選ぶべき)運命みたいなものがあるのかもしれません。特に、たくさん種類のある中で、好きになったり、熱中したりするタロット種には、特別な縁があるのだと思ってもいいのではないでしょうか。

これが、よく私が述べている「自分がタロットを選んでいるようでいて、タロットがあなたを選んでいる」という意味やニュアンスになります。

今まで、上記の言葉は、私自身も、タロットとの縁ということで、何気なく、生徒さんに使ってきましたが、今になって改めて考えてみますと、案外、もっと深い意味合いもあるものだと気づいてきました。

それは、物事の見方には、最低でもふたつの方向性があるということです。(最低でも、ですから、二つ以上もあることは当然言えます)

つまり、自分を中心に見た(自分から見た)方向性と、相手側から見た方向性です。

これらが、どちらか一方に極端に偏ると、それこそ文字通り「偏り」になり、偏向した見方・考え方になるのではないでしょうか。

自分中心がひどいと、まさに自己中になりますし、相手側中心になり過ぎると、自己がないがしろにされ、犠牲精神を生み出しがちです。

主体性を持ちつつも、客観性も入れるというバランスが重要なわけです。

そして、こうした主客二方向の見方とは別に、さらに、モノとココロのように分けることもできます。

私たちは、通常、自分が主体となって、モノを見ます。

相手が人間(や生物)の場合は、相手側の気持ちとか心を考慮することを、自然にやっています。相手を思いやるとか、慮るとか、配慮するとか、こういう言葉が出るのも、相手が人であり、感情を持つからです。

また、少なくとも、相手とコミュニケーションができる存在だと思っているから、相手のことも気にするわけです。

しかし、相手や向こうが単なる「モノ」だとすると、コミュニケーションも取れませんし、当然気持ちなんかもないですから、一方的に主体である自分の選択、思いだけになります。

常識的にはそうなのですが、果たして、相手側は、モノとは言えど、本当に無機質なただのモノでしかないのでしょうか?

霊的レベルにまで考えて行きますと、そうとも言えなくなってくる(言わば、モノにもココロがある)領域が立ち現れると言います。

これは考えようによっては、自分が心を与えているような状態と見てもいいのかもしれませんし(マルセイユタロットの「手品師」と「世界」の二枚は、ひとつにはこれを表現していると考えられます)、また、仮にモノにココロがあるということではないにしても、とにかく、モノのような物質側・相手側から、自分側に向かっていく方向性(自分がモノを見ている意志や状態とは別の、新たな意思のようなもの)が現れると想定することができます。

思えば、精神やスピリチュアルな世界では、自分とは逆方向からの視線とか、現実空間とは異質の世界(例えばエーテル・アストラル空間)のことが言われ、時に、「見られている」「生かされている」「見守られている」「私たちは大きな存在の中にいる」などと、表現されている気がします。

ちょっとわかりづらくなってきましたので、理論や考察はさておき、皆さんには、シンプルに、タロットに対してふたつの方向性を見てくださいと言っておきます。

例えば、よく、タロットを習うと、最初のほうに、「好きなカードとか嫌いなカードとか、気になるカードなど挙げて見ましょう」みたいなことがあると思います。

その時、あなたが選んだカードは、確かに、自分の気持ちや感情が、そのテーマ(好き・嫌いなど)によって選んだものではありますが、先述したように、相手側からの方向もあると考えますと、そのカードが、あなたのそのテーマの感情を選んだのです。

もし、好きなカードで「太陽」を選んだのなら、あなたは「太陽」の絵柄を見て、気持ちよいとか明るいとかで、好きな感じがして選んだのかもしれません。

このように、常識的には、「太陽」の絵柄が好きだから選んだという見方になりますが、カードの「太陽」側からすると、あなたの「好き」には「太陽」が関係している、「太陽」があなたに「好き」の感情を思い出させている(選ばせている)、「太陽」があなたに「好き」の感情を見たのであり、もっと言うと、「太陽」があなたに「好き」を生み出したということになります。

こうしたふたつの方向性で見ていくと、自分が主体の場合は、タロットに対する質問をカードに当てはめようとして考えますが、カート側が主体となってきますと、カードが、あなたにその質問を選ばせたことになります。

質問したのは私なのに、それはおかしいと思われるでしょうが、カードが主体の場合は、もはや質問する前に、タロットは出る準備をしていたと言ってもよいのです。(笑)

ここにおいて、単純に見ても、タロットリーディングにはふたつの世界人間側中心の世界と、タロットカードの象徴の世界、サイキック的に表現すると、タロットの精霊の世界とのふたつが、最低あることになります。(つまり読み方としてもふたつある)

こうして考えると、一見シンプルなようでいて、すごく奥が深いのがタロットというものなのです。

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