タロット技術の向上と個性
タロットの、特にリーディング技術向上について、質問を受けることがあります。
そして、これさえも、全体と個別のシステムに基づいていることがわかってきました。
全体と個別というのは、いわば、全員に共通するようなものと、個人として通用したり、しなかったりする、要するに個性のことです。
ですから、ほぼ誰でも効果があるものと、そうではなく、ある人には効果はあっても、ある人にはないものがあることを、タロットの技術向上においても考慮しなくてはなりません。
まず、全体的なことでは、(タロットの)知識と直感力を高めねばならないでしょう。これは誰しもに当てはまると思います。それから、リーディング経験の積み重ねも重要です。
そういった大前提をもとに、あとは、そうしたものを個別で磨いていく必要があります。それが、一人一人、合っているやり方とか程度が違うので、単純にはいかないのです。
指導者がいる場合は、そのあたりの個性を指導者が見極め、その人に応じた技量の向上方法を示唆します。
ただ、指導者においても、自分の得意とする方法と、そうではないものが「個性」としてありますから、自分の得意とするものではないものを、指導される側のほうで求められる時は、うまく(説明や指導が)行かない時もあります。
そういう場合は、別の指導者(自分と似たタイプの人)や自分に合った指導方法なども取り入れたほうが、伸びが早いこともあります。
そして、個人個人の違い(個性)でも、技術向上の(方法の)要素は、大まかにわけることはできます。
まず、知識よりか直感よりかのタイプがあります。
タロットの象徴の意味、システムなどを良く学び、自分の中で理解を得ないと、なかなか次に進まないタイプが知識よりの人です。
逆に直感よりの人は、知識や理論よりも、感性・直感のほうでタロットを読む傾向が強く、そのほうがスムースにリーディングができることが多いという人です。
両者のありがちなものとして、知識タイプの人は、自分の理想とする完璧なリーディングを目指そうとし、それゆえ、実践がなかなか遅れてしまうということがあります。
また、意外に、テキストやカードの意味表などをカンニング(笑)してしまうのが、このタイプのほうです。自分のやっていること(読んでいる内容が)正しいかどうか、確認したがるわけです。まじめなタイプの人に多いです。
一方の直感・感性派の人は、知識における合理性より、タロットを見て、自分がひらめいたことや降りて来たものを「読み」とする傾向がありますから、覚えた意味を飛び越えて語るところがありますし、それは結局、間違いとか合っているとかの見方ではない(ある意味、自分の中では確信に近い感覚もあるので、間違いという感じはない)ので、たとえ自信がなくても、とにかく伝えようとします。
ただし、このタイプは、言葉で伝えるのが苦手な人もいるので、自分の感性ではわかっていても、それをどう説明すればよいのかわからず、とまどったままになることがあります。これは読めていないというより、説明の仕方の問題です。
ということで、それぞれ、タイプによって得手不得手があり、読み方や伝え方も違いがあるわけなので、自分がどのタイプかを知り(指導者に見てもらい)、自分に合った修練方法をトレーニングするとよいと思います。
知識派の人だからこそ、直感力や感性の柔軟さは必要とされますし、感性派の人は、タロットにおける象徴論理・システムの把握は捨てていいものではありません。ともに補い合いながらも、ここで重要なのは、フィフティ・フィフティのような真ん中のバランスを求めないということです。言い換えれば、得意なほうはそのまま伸ばして、足りないところを少し補強するようなバランスを目指すということです。
感性派の人は、まだ不安定で磨かれていない直感力の場合かあり、その暴走を避けるために、知識がいるわけです。それは自分の感性とタロットの象徴との統合ができていない理由もあります。(知識がその統合を助けます)
やがて知識側のチェックとうまく融合して、気づけば直感で思ったことが、タロットの論理に自然にあてはまるようになるでしょう。それはもはや「直感」ではなく、「直観」と呼ばれるものです。ですから、感性力はどんどん伸ばせばよく、要するにそのコントロールが重要というわけです。
知識派の人も、タロットが象徴システム(体系)でできているわけですから、それに基づけば、実は楽に読めることがわかります。何も直感やインスピレーションを無理矢理出さなくてもいいのです。
とはいえ、このタイプは、頭か固い(笑)人が多いので、イマジネーションの世界の感覚を取り戻すためには、やはり感性も豊かで、ある程度柔軟でなければならず、固定観念を打ち破るためにも、思考だけではなく、感性による判断を訓練する(感覚を復元する)ことが求められます。
そして、トレーニングの方法もいろいろなのです。やはり、個人・個性によって、合う合わない、効果的・非効果的なものがあるわけです。
例えば、実践をすればするほど、必ずしもうまくなるというわけでもありません。
基礎的な読み方、タロットの論理を入れておかないと、数をこなせばこなすほど、混乱してしますいます。(慣れや、度胸はつきますが)
これは、土台となる基礎や基準・ルールというものがおろそかな(理解しない)ままにやってしまっているので、比較したり、検証したりする、そもそもの元がない(あやふやな)ため、起きてしまうことです。モデルとしてのリーディングが見えないまま、やっているわけです。
逆に、いつまでも、勉強や自分リーディングばかりして、ライブの(他人向け)実践リーディングをしない人も問題です。
誰しも最初は怖かったり、失敗があったりしますし、そももそ完璧なリーディングというものは「観念」でしかなく、現実においては、どこか足りなかったり、うまくできていないと思ったりしてしまうものです。
マルセイユタロットで言えば、「斎王」のように学んでいて、「女帝」のように理想や計画をイメージしていても、「皇帝」として実行する現実場面では違うこともあり、臨機応変さの必要性では、「手品師」の体験も必要だということになります。
カードの意味・象徴は普遍的なものですが(全体性を持つ)、個人個人・クライアントの問題や悩みごと、そしてそれに対応していくタロットリーディングというものは、個別的、一期一会みたいなものなのです。
だから、全体性のフィルード・次元にいくら留まっていたところで、個別に対応することはできず、タロットによる宇宙的な考察だけをしたいのならそれでいいですが、タロットを実際に、人々の役に立つように使うとなれば、リーディングにしろ、講義にしろ、現実・生身の人のところへ出て行かないとなりません。
ですが、コミュニケーションの得手不得手もあるでしょうから、これも自分なりに適したやり方で、少しずつ実践をやっていく方法もあれば、顔出し・声出しのない方法でのリーディングスタイル(たとえば文章など)も取ることが可能です。
いきなり実践していくというより、仲間やグループで練習しながら、トレーニングしていくほうが向いているという人もいます。
反対に、プロ(を目指す)意識が高く、一人で活動し、料金をいただきながら、どんどん活動していき、自分をそういう世界のサービス業を行う者として環境的に慣らしていく(追い込んでいく)方もいます。
人間には自然と同じようにリズムがあり、外向きに積極的に出ようとする時期と、内に籠り、座学や瞑想などして、内的な方向性で静かにしている時期が交互にやってきます。もちろん、それも、万人に共通する期間というのは(大きな流れでは)あっても、一人一人は異なります。
普段は籠り系がメインで、たまに外交的になるというのが自然なスタイルの人もいれば、いつも活発に外で交流するのが好きで、たまに部屋で静かに過ごすことがあるというパターンの人もいます。ですから、誰かのやり方に合わせたり、強制されたりする必要はなく、自分の好ましいリズムというのを見つけ、それをもとにしながら、タロットの活動・学びもしていくとよいと思います。
ただし、アイデア(と実行)は、いつも巡らせておき、そんなことはできない、とあきらめてしまうわないことです。
タロットをする場所がない、タロットを受けてくれる人がいない、家庭の人に許可が得られそうもない、一緒に練習してくれる相手がいない、自分に今必要なトレーニングの方法がわからない・・・いろいろとあると思います。
確かに、それは個人にとって簡単に解決できない悩みで、困ったことではあるでしょうが、発想・アイデアを変えれば、可能になることもあります。
実は、やれない理由の多くは、今のあなたの世界観レベル(いわば、あなたなりの常識)にあり、それこそ、タロットによって世界を広く(上昇)させる必要があるのです。
昔、こういう人がいました。自分は家でもタロットを(他人に)する場所がなく、またどこか部屋をレンタルする余裕もないので、どこでタロットリーディングの活動をしようかと悩んでいた人がいました。
それで、その人は車好きだったため、ミニバンでよく出かけたり、とにかく車とその移動が大好きな方でした。ふと、自分の好きなことのふたつを掛け合わすという発想がタロットから導かれ、駐車場など問題のないところでカフェを出すような感じで、タロットリーディングしてみようと思い付いた方がいます。
今は、ネットでなんでも検索したり、調べたりできる時代です。意外なところから、解決方法も、これまで思っていたものとはガラリと違うことで見つかるかもしれません。
そういう手があったか!とある人のことをヒントに、自分流のものを思いつくことも、以前より、よくあるはずです。(つまり、アイデアは世界中の人が考えていて、それを目にしたり、聞いたりする機会が爆発的に拡大している状態)
タロットの読み方であっても、何もタロット(教)本が解決やヒントをくれるとは限りません。
私など、自分の経験から言わせてもらえば、タロット関係の本よりも、ほかの本からの発想を得て、タロットの読み方やタロットシステムの考察が進んだことのほう多いと言えます。(もともとマルセイユタロットの日本語の本は極めて少ないということもあります)
タロット技術の向上は、タロットの本やタロット関連のことから必ずしも進むとは限らないのです。
重要なのは、他分野でも、タロットとシンクロさせて考察すること、直感をタロットに置き換えて説明する、そのプロセス(結びつき)なのです。
それは、言い換えれば、あなたの中にタロットのコントロールパネルを作るようなものです。
あなたの個性に応じて、頑張ってください。自分に縛りをかけたり、追い込んだりしたほうが延びる人もいますし、反対に、楽しさを追求(楽しさ・楽だと思う方向、やり方を選んでいく)方が、よい人もいます。
いずれにしても、自分に合っていれば、やっている時はたとえキツく感じても、本質的には楽しく、嬉しいと思うはずですし、「コレジャナイ感」(笑)が続く時、それは、やはり合ってないかもしれず、やり方を変えたほうがよいでしょう。
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