タロット的に結婚について考える。
前回の記事では、危機にあると、人はつながりを求める傾向にあるという話をしました。
人とのつながりで濃密なものには、恋愛や結婚というものがあります。
恋愛と結婚ではまた違いますが、今日は主に「結婚」をテーマにしたいと思います。
もしかすると、このような社会状況にあっては、意外と結婚する人が多くなったり、つきあっている人たちが結婚に向けて加速させるかもしれませんね。
しかし、今は例のモノの影響で、人と会わない、会えないという状態がノーマルになっていますので、逆に、結婚を考えている人でも、先延ばししたり、再考したりする方もあるかもしれません。
今年結婚式を計画していた人も、取りやめや、落ち着くまで延期、または挙行しても披露宴などを行わない形式にすることもあると聞きます。
そうなると、結婚そのものを考え直すカップルもいるかもしれませんし、反対に、式や入籍を待つことにより、ともに支え合う信頼関係が増すこともあるかもしれません。
そういう意味では、今年、結婚を意識しているカップルは、シビアに(純粋に)ふたりの関係性が問われることになります。
本当によい絆、信頼関係があるカップルは深い愛で結ばれるでしょうし、条件や勢いだけで結びついているカップルは、自分の本当の気持ちに気づいて、別れるようなこともあり得そうです。
ただ、世の中は、社会の変化とともに、次第に人々の価値観も変わって行き、いわゆる結婚観とか結婚の形も、これまでにも変化が見られつつあったように思います。
今年のはインパクトによっては、結婚観はさらに大きく変わる可能性もあるでしょう。
ところで、タロットではカード種に関わらず、「結婚」を示唆するカードはたくさんあると思います。しかしそれはカードの読み方によって、いろいろと変わってくることもあります。
つまり、あなた(カードを扱う人やタロットに相談する人)の「結婚の見方・思い方」によって、結婚を表すタロットカードも変わるということです。
そうなりますと、例えば、マルセイユタロットの場合、22枚の大アルカナ全部でも「結婚」が表せることになります。
「世界」のカードのような結婚を望むのか、「法皇」のカードのような結婚をしたいのか、見る人次第です。
ということは、カードはあなたの結婚観を示すというこにもなりますし、それがわかれば、カードによってこだわっていたスタイルや思いから解放された新たな結婚観へと変貌を遂げることも可能になります。
マルセイユタロットで、一般的には「結婚」より「恋愛」を表すと考えられる「恋人」カードにおいても、「結婚」を考察することは可能です。
ただ「恋人」カードから見る「結婚」というものは、恋愛にも通じる本質のようなものだと言えるでしょう。
それは結局、ある存在とのつながり、結合であり、反対に離別することへの恐れでもあり、それでいて離別と結合が同等であると意識てきる次元への回帰(想起)とも言えるのです。
妙な哲学的表現になってしまいましたが、今書いた「ある存在」とは、すでに予想がついている人もいらっしゃると思いますが、それは「自分」であり、自分の中に存在するものです。
しかし、現実次元においては、そのもう一人の自分というものがなかなかわからず、愛する人、恋人、パートナー、結婚相手として現れるように見えます。また、そういう相手側も、もう一人の欠けていると思われる(失っている)自分自身を見出そうとします。
それゆえに、恋人、パートナー、結婚相手は、同質に近いと思える人(似た者同士)か、逆に、かなり異質性を感じる相手となることが多いのです。
現実世界では個性(エゴ・自我・自分と他人の違いを自覚する自分)の世界ですから、常につながりの欠如、不足、どこか何か、誰かを失っている感覚がつきまといます。
これは実は、この世を生きる原動力(不足を補おうとする衝動)にもなって、カオスな世界をエネルギーと行動で満たそうとするわけですが、やはり空虚さは否めないところがあります。
そこで、補える片割れとして、友人やパートナー、形式的には結婚相手を求めることにもなってきます。
現実を超えた世界では、自分一人でも完全性、つまりは神的な存在と言っていいのですが、それであるために、不足感はないと言えましょう。
しかし現実世界では不足感があり、先述したように、そのために相手を求めます。
もし自分自身で完全であったということに気づけば、相手はいらなくなります。いや、相手は自分で、自分は相手でもあることになって、自他は結合すると言い換えたほうがいいかもしれません。
このようなことに思いが馳せれば、今の相手も過去の相手も、また片割れと出会っていないと孤独を感じている人でも、何かしらの示唆を得られると思います。
この考えに立てば、何も異性同士とか、ただ一人の相手とか、二人は恋愛状態でないといけないということはなく、あらゆる関係性に自分が忘れていたもう一人の自分を見ることができ、相手はいつも運命の人であり、魂の伴侶ということになります。
しかしながら、現実世界の中は個性の(濃淡のある)世界でもあるので、強くひかれあう者同士、逆に、つながりがあっても嫌ってしまうような人は、何かしらの濃い反映が隠されていると見てよいかもしれません。
今の現実世界では、結婚は法的な契約となっており、事実婚とか内縁の者でなければ、普通は籍を入れて一緒に暮らします。
ただ、次元やレベルに変化が現れれば、そうした法的な契約結婚の形式も変わってくることが考えられます。ですから、すでに形とか法律にこだわらない、実質的な結婚をしている方もたくさんおられると思います。
また結婚の関係性での意味も、深くは人それぞれだと言えますから多様性があり、子供をつくって家族生活を経験することが自分の課題とか完全性を補うことであればそうするでしょうし、夫婦二人だけの課題を持つ人もいれば、同居せず、別居に生活していく選択のカップルもあるでしょう。
それはカップルどちらにとっても、完全性への次元上昇のための選択と言えます。(「恋人」カード的な選択)
今後、もしかするとオンラインだけで話すだけのパートナーとか結婚相手というのも生まれるかもしれません。
結婚(の形)は時代や社会、人々の意識の反映であるとも言え、あなたがどういう結婚の形を望むのか(独身であっても、イメージとか意識の中では結婚の形を取っている人もいます)は、それは本当に意識のあり方次第と言ってよいでしょう。
あと、結婚には責任(結婚だけとは限りませんが)が伴いますので、それを果たさない場合は、結婚による成長や完全性回帰も難しくなります。
たとえパートナーを変えても、自分が責任を果たさない態度なら、相手も責任を果たさない人を引き寄せることになるでしょう。(この責任は厳しい意味だけではなく、愛を持つという柔らかな責任も意味します)
まさに相手は鏡でありがらも、異質性を持ち、それはすでに述べたように、お互いによって完全性を映し出しているのです。
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