「皇帝」となるチャンスを活かす

今日はマルセイユタロットの「皇帝」のカードについて書きたいと思います。

その前に、知っておいてほしいのは、このブログでは、カードの基礎的な内容については、ほとんど言わないようにしているということです。

ここでいう基礎的なこととは、例えば、カードの意味などノーマルな事柄についてで、いわば教科書的な内容ということです。それは世に出ている本とか、マルセイユタロットでなくても、ほかのタロット種などでも、同じカードであれば共通していることも多いですので、それらを参照していただけれはわかることだからです。

今回の「皇帝」のことで言っても、「皇帝」には、現実性とか経済性とか、指導・統治、父性みたいな意味が出てきますが、それら(がなぜ意味として出るのか)をいちいち解説しても、たぶんこのブログを読んでいる皆さんにはつまらない(知ってる人も多い)から、あえて説明しないみたいな理由です。

また、それらを教えている先生とか学校に対しての営業妨害(笑)にもなりかねないので(苦笑)、基本事項の解説を体系的には書かないようにしています。ということで、このブログで、タロットの基本を学ぼうとしてもダメですよ。(笑)

まさに私が好き勝手書いている雑文タロットブログなんです。もしかしたら、ちょっとタロット、特にマルセイユタロットをかじっている人には有益かもしれませんが。

さて、話を「皇帝」に戻します。

「皇帝」はその名の通り、国を治めるトップです。(厳密な意味で「皇帝」となれば、単なる国王を超えた存在ですが、そのことも実は大事なことです)

もっと拡大解釈していくと、いわゆる組織や集団のトップの象徴と言ってよいかもしれません。

今の世界的危機のご時世、国のトップはもとより、組織のトップの手腕が真剣に問われています。

ある意味、平和で穏やかな世の中よりも、ピンチで危機な時ほど、皇帝(という役割)が際立つと言ってよいでしょう。一般的には現実性の意味が強い「皇帝」なのですが、意外にも、非日常の状況こそが、「皇帝」の強さが現れるわけです。

でもそれは非現実ということではなく、より現実に向き合わされるから、非日常時、つま非常時にその仕事が重要になってくるというものです。やはり、彼と現実は深く結びついていると言っていいでしょう。

マルセイユタロットの教えでは、実は現実から離れていくというものがあるのですが、それは夢や幻の世界に逃げ込む意味ではなく、現実の世界に生きながら、(通常認識している)常識を超えていくことにある、現実と非現実の統合を果たしていくというような意味であり、現実逃避ではないのです。

よって、「皇帝」を自分のものにしないと、真の意味で進化していくことができないわけです。

「皇帝」が治め、コントロールすべきは、自分の現実にあるのですが、それは一見、外にあるようでいて、内の現実性も象徴するのです。

結局、自分という国を支配すること、それが「皇帝」の役割であるのかもしれません。

「皇帝」の基本的な意味のひとつに、父性や男性性、まさ父親そのものを象徴することがあります。

自分というものは、最初は母性的なもの、母親に守られる存在ではあっても、やがて父的な者がライバルとなって、その父的なものを乗り越えて自立する過程を経ると言われます。(特に男性の場合はですが、女性にも関係します)

マルセイユタロットでは、特に男性的カード、自立・自活・独立をテーマとすると言ってもよいのですが、「皇帝」はその典型でもあるでしょう。

自立は、つまるところ、自分という国を治めることと象徴的にも言えます。

しかし、さきほど述べたように、自立する前には父親、あるいは自分を強く支配する存在(思いや感情、思想、論理、正義などということもあります)から独立していく必要があるのです。

それまでは、自分が「皇帝」ではなく、誰かや何かが「皇帝」となっています。あなたという国を仮に支配している者、代わりにやってくれている者と言っていいかもしれません。

そうすると、自分は息子や娘としてふるまっていればよく、甘えた子供でいたり、逆に反抗したり困らせたりしますが、ともに未熟なままの仮の「皇帝」への抵抗なようでいて、保護を求めていることにもなります。

本当にあなたが子供でいる場合はよいのですが、すでによい年をした大人であるのに、いまだ仮の父親、「皇帝」にあなたの国を任せていては、いつまで経っていも、自分の国の力(民であり資源であり国力そのもの)を思う存分、使うことはできません。

もしかすると、成長に応じて、一部の国を治めることが許されるようになったかもしれませんが、それは国王であって「皇帝」ではないのです。

「皇帝」の命令には背けず、ビクビクとしつつ、ほんの一部の国の力が出せるに過ぎない状態です。

この仮の「皇帝」が、虚勢の意味での権力やお金などと結びつくことも多く、(仮の)「皇帝」の命令・欲望によって、どんどん自分は働かせられることになり、仮の「皇帝」を満足させるため、あなたは従者となり、暴君皇帝の奴隷となっていくこともありえます。最終的にはその「皇帝」が「悪魔」のカードになっていくこともあり得ます。

ですから、あなた自身が「皇帝」の座につくよう、勇気を持ち、成長し、自立の精神を醸成していくことなのです。支えや助けはあってよいのですが、依存ではなく、あくまで自立するための手段として考えることです。

アドバイスはもらっても、自分で決める、自分で行動する、自分が行ったことはだれかや何かのせいにするのではなく、自分の責任と考えること、こういうことが重要になります。

マルセイユタロットのヒントで言えば、王冠を持つカードたちと関係し、「皇帝」も当然ながら王冠を持ち、その王冠のカードたちの象徴、示唆を自分のものにすることが求められるのです。

先述したように、「皇帝」は、日常よりも、非日常、危機の時に真価が問われます。

ですから、今のような時は、あなたが女性であれ、男性であれ、内なるリーダー性、男性性、言ってみれば、あなた自身の国の「皇帝」になることが促進される事態となり、立ち位置や自信がとても揺らぐようなことになるとは思いますが、それこそが「皇帝」になるチャンスでもあるのです。

今まで、自分では無理だと思っていたこと、人に任せて自分が保護されてきたこと、甘えてきたことの視点を変え、自分の今の時点でできること、独立的にやれること、どんな小さいことでも、あるいはささやかな瞬間・機会であっても、トップ(リーダー)になること、そういうものに目覚めてください。

あなたは無力ではないのです。そして女性性や、保護し、包み込む優しい母親的な性質だけでもないのです。(もちろん女性・男性の性別的な特質はありますが、人は性質としては象徴的に両性を持つと言えます)

これは「無理をしましょう」と言っているのではありません。

まずは自分を国王として見て、仮の「皇帝」から委託されている範囲の支配を現実的に把握し直し、少しずつ思い込みや依存から脱し、国の勢力を拡大し、やがて「皇帝」の座を回復しましょうと言っているのです。

「皇帝」は建築家のシンボルも有しています。

建設は一気にするのではなく、土台作りから、ひとつひとつ築き上げていくものです。その完成された建築物、家がどれになるのかは、マルセイユタロットではすでに示されているのが、たぶんわかるでしょう。そこにも王冠があります。

と言っても、一人の力だけではなかなかうまくいかないこともあります。

そんな時は、パートナーである「女帝」と歩むことです。「女帝」と「皇帝」は並べると向き合う形になります。この二枚に共通する鷲の盾のシンボルにも意味があります。

「女帝」は女性であることから女性性も示しますし、アイデアや計画性としての意味も出ます。「皇帝」の独立、国の治世には、女性・パートナーとしての「女帝」が必要でもあるわけです。この逆も言え、「女帝」には「皇帝」が必要です。

あなたが女性であれば、「女帝」側から「皇帝」を見てもいいですし、男性ならば、「皇帝」側から「女帝」を見てもよいのです。これらは、 実際の人物を表すこともありますが、あなた一人にいるふたりの人物・性質と言ってもよいのです。

特に、非日常や危機感にあふれる時は、アイデアや発想という「女帝」の性質も大事ですが、それを決断し、実行する「皇帝」の力が鍵となります。

まさに今、誰もが王となり、「皇帝」となっていく機会が、訪れていると見ていいのかもしれません。

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