一枚引き 「タロットの宇宙」の本から
カルト映画の巨匠で、演劇家、創作家、詩人、サイコセラピストなど、多彩な方面と才能を見せるアレハンドロ・ホドロフスキー氏は、タロット研究家・タロロジストでも知られており、日本ではカモワンタロットと呼ばれるマルセイユタロットを、カードメーカー子孫のフィリップ・カモワン氏とともに製作されています。
ゆえに、カモワンタロットは、むしろ、ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット(もっと言うと「ホドロフスキータロット)と言ったほうが世界的には通用するかもしれません。
さて、そのホドロフスキー氏の著作である「タロットの宇宙」という本があります。
個人的には、かなり前、タロット大学時代の上級コース時に、フランスでの氏のワークショップに遭遇する機会があって、その時に売っていたフランス語版のものを入手していたのですが、なにせフランス語ですから、私には訳せず(苦笑)、宝の持ち腐れとなっていました。
その後、英語に訳され、その英語版も手に入れましたが、英語もできるとは言い難い私には、これまた完全に理解することは難しいものでした。まあ、英語のできる方と協力したり、ちょっとずつ自分で訳したりはしていましたが。
そうこうするうちに、なんと、日本語で本が出ることになり、大変驚くと同時に、うれしく思いました。
この本は大部なものですし、タロット本と言っても専門的であり、日本ではマイナーなマルセイユタロットを扱っているわけなので、およそ日本語版が出るなど思っていなかったのですが、やはり、映画監督としてのホドロフスキー氏の知名度がモノを言ったのでしょう。
この「タロットの宇宙」は、さすがとしか言いようのない内容なのですが、やはり、まったくの初心者が読むには難しいと言いますか、誤解してしまうところもあるような気がします。
いや、タロットのすばらしさを知る意味では、タロットを知らない初心者が読むには、タロットの印象をよい意味で決定づけるうえでもお勧めできるのですが、ちょっとだけマルセイユタロット、それも、カモワンメソッドを中心に学習した人には、内容的には違和感を持つ人も少なくないと思います。
これは私の生徒さんにも言っているのですが、カモワン氏とホドロフスキー氏のタロット観には違いがあり、究極的には同じものを目指すとしても、方法論、システム論、直感性においても異なっているので、カモワン氏側のものをメインに学んだ方からすると、タロットの解釈などにも違いを感じ、自分の中でどう統合すればよいのかわからなくなるおそれがあるのです。
ですから、きちんとマルセイユタロット全体としての、ある程度のベースや俯瞰性ができたうえで「タロットの宇宙」に取り組まないと、混乱をきたしてしまうこともあるので、注意が必要です。
例えば、数秘術などでもそうですが、ある数字の意味が教える人によって異なる場合があります。
しかし、「1」は1の本質、「2」は2の本質があるように、根本では同じだと言えます。それが人によって、教え伝える人の個性によって、言葉としての意味が変わってくることがある(表現の違いがある)わけです。
ですから、どの数においても、本質はこうなのだなと理解してくると、人によってその意味や言葉が違うのもわかるようになりますし、それぞれが間違いでもなく、また正解はひとつでもなく、関連していることに気づき、たくさんの解釈にふれるほど、より本質にも近づけるようになるのです。
これがまだ浅い段階で、本質もわからず、ただそれぞれの言葉・表現だけにとらわれていれば、その言葉に惑わされ、あの人はああいう意味を言っているのに、別の人はまるで違う意味を言っている・・・これはどういうことなのだろう?わからない・・・と混乱するわけです。
ホドロフスキー氏は情熱家であり、彼なりの家族的背景が、ここ数年の新しい映画でも語られているように、色濃くあります。その表現か投影され、一枚一枚の大アルカナの解釈などにも影響しています。それをそのまま一般解釈としてしまうと、あてはまらないと感じることもあるでしょう。
「タロットの宇宙」を理解していくには、単にタロットの知識や経験だけではなく、ホドロフスキー氏の人となり、表現を知り、特に氏の映画鑑賞は欠かせないと思います。同時に、もう一人の製作者、フィリップ・カモワン氏のメソッドやタロット観にもふれることで、より、ホドロフスキー氏のタロット観というのも浮かび上がってくるでしょう。
さて、この「タロット宇宙」、理論だけではなく、いろいろな技法・技術も書かれています。そのどれもがとても興味深く、効果的だと思えるのですが、かなり実際には難しいものでもあります。
しかし、タロット(リーディング)を訓練したり、自分自身を知ったりするという意味では、やってみると面白いものも多いです。
ひとつご紹介すると、「1枚のアルカナを用いた練習」というのがあり、大アルカナ一枚引きをして、出たカードに対して、具体的レベルで見るのと、心理的レベルで見るのと、霊的レベルで見るという、三つの見方で読む方法が書かれていますし、例えば「私の心にあるのは何か?」と質問して、一枚引きし、その出たカードをそれとして読むなどの方法も書かれています。(詳しくは国書刊行会「タロットの宇宙」をご覧ください)
たった一枚でも、自己省察に大いに使えるということが語られています。
これを公開制でブログなどでやるのもいいかもしれません。
よく、毎日、一枚引きなどして、そのメッセージや占いを書ている人がいますが、これを他人に対してではなく、主として、自分に対してやってみるのです。
毎日、一枚引きをして、そこから受け取る情報、直感的なもの、普遍的な意味のものなど、何か出てきたもの、思いついたこと、リーディングしたことなどを書きます。そして、それは読んでもらう人のためというより、自分に出たメッセージ、自己への提示、自分の心や無意識を探るものとして見るのです。
けれども、ここが重要ですが、自分に対してメッセージを出すみたいに意識しすぎると、逆にカードが読めなくなります。自意識過剰での固まりというやつです。(笑)
ですから、他人や一般、ブログを読む人に書くという意識でやり、しかし結果的には自分へのメッセージとして読むということをします。
すると客観的なものとして、自分に対して出すことがやりやすくなるのです。
これも逆に、人に読んでもらおうとか、集客しようとか、そういう意識てやってしまうと、他人への意識過剰になって、タロットをうまく読むことができなくなるおそれがあります。ましてや、自分に対してのメッセージ性もぶれてきます。
従って、宣伝としてやるのではなく、また自分に意識を向け過ぎてやるのでもなく、他人向けを装いつつ、自分に書くというスタンスでやってみるとよいでしょう。
大事なのは、毎日やるということです。それくらいの決め事、縛りがないと、自分に甘えが出てしまい、単なるお遊びになり、これをやる意味がなくなってきます。
誰かが見ていてくれると仮定し、とにかく大変でも毎日、一定期間やり続けるのです。もともとは自分のためのものですから、アクセス数などにやきもきする必要もないです。ですが、公開制にすることで、自分への甘えや遊び感覚を排し、それなりの修練だと思って取り組むことができます。
三か月間はやる、半年はやる、一年はやるぞと決めたのなら、その期間やり続けてください。きっと効果は出ます。
もし、今やっているブログではできないのであれば、別のブログを作ってやってもよいでしょう。
やはり、継続は力なりです。
それから余談でずか、毎日タロットを引いて占っている人も、それは何の目的でやっているのか、自分なりに明確にしておくとよいです。
もし他人に自分の書いたものを見てもらい、自分(のリーディングや占い)に関心を持ってもらうことを目的とするのなら、漠然とただ書き流していてもあまり効果はないかもしれません。
考えてもみてください。有名でもない人の占いを毎日見るのは、何の意味があるのか、見る人がいるのか、ということです。知り合いとかは別として。
仮にあなたが他人の毎日の占いとかリーディングの内容を見に行っているのなら、なぜそうしているのかを分析する必要があります。それをしているのは、その人のを見たいという理由があるからであり、それは何であり、なぜなのかという点が大事です。
結局、「毎日占い」の記述も、それをやることに、自分なりの理由、きちんとした意図をもっているのなら、それはそれでOKだと思います。無名の人でも、やり方次第では、ほかの人が見たくなる書き方・方法があるはずですから。
例えば、毎日読んでくれた人だけにわかる暗号を入れるとか、それを発見した人には無料占い・リーディングをプレゼントするとか、そういうことも考えられますし、漠然とした抽象的な占いをするのではなく、恋愛の、しかも「片思いに悩んでいる人」用の占いを続けてみるとか、個性を出す方法はたくさんあると思います。
人は自分のことに関心があるのです。
「〇〇さん、そうそう、あなたです、あなたには、これから「戦車」のような男性が近くにいるか、近づいて来ていますよ」と言われるほうが、「皆さん、今日は、戦車的に行きましょう」と言われるよりも、自分のことのように感じるはずです。
一般的・抽象的な言い方は、それだけ自分のことではないとして、スルーされることも多いのです。
少し違う話になりましたが、一枚引きブログ、やってみたい人は、ぜひ、チャレンジしてみてください。
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