四大元素、4組の順番
タロットの小アルカナでは4つの分野、エレメントに分かれています。
私たちマルセイユタロット組は、日本語に言葉を置き換えることが多いので、その4つの組を、剣・杯・杖・玉の組と呼んでいます。(それにも理由があります)
この4組に順位というものがあるのかどうかについては、いろいろと議論の分かれるところです。
元はと言えば、エレメントとも書いたようにこの世界を構成していると考えられている風・水・火・地(土)の要素から、物質的な、わかりやい形で4組で表したものです。
これに順位をつけるとなると、今風に言えば、分子とか原子とかのものに、優劣とか順位があるのかという話と似たものになり、そもそもがなじまない議題と言えます。
しかし、さきほど、剣・杯・杖・玉と書いたように、私たち、マルセイユタロットを扱う者では、その順番で述べることをノーマルとしています。
ただ、少し現代的にこの4つの要素を考えるとすれば、分子の運動のようなものをイメージするとわかりやすいでしょう。(まあ私は物理学は素人で文系人間なので、勝手な例えになりますが)
物理の世界では個体・液体・気体といわれるように、分子の運動や配列的なものによって状態が変わるのだと想像すると、玉は個体的で、そこから中を構成している粒子・分子的なものの運動が激しく流動的になればなるほど、液体から気体へと変わって行くので、すなわち、水、風へと変化するわけで、また風は空気とも言えますので、そこに水分が含まれていると、冷えて固まれば雨となって降ってきます。
それが集まると、川となり、湖となり、さらに冷えると冬に氷ができるように、固まって個体ともなります。言ってみれば、例えば「水」ひとつ取っても、個体・液体・気体と、ただ内部運動の変化、並びによって、同じものの見た目が変わるだけです。
こうして考えると、四大元素の4組とて、実はもとは同じもので、分離した状態として見ると、まさに4つの要素として現れ、分離していない状態、元の要素になればひとつであると言い換えることができます。ですから、優劣や順位も四大元素、4組ではないと考えられるのです。
ちなみに、錬金術や西洋密儀的なことでは、四大の元は第五元素と表現されています。何のことはない、四大とはすべて第五元素であり、第五元素のレベルや表現が、分離して変わっただけに過ぎないわけです。
この考え方は実は非常に重要で、宇宙の本質、表現を示していると言えます。
そうした四大元素と第五元素のシステムを持つマルセイユタロットなので、マルセイユタロットは宇宙のモデル、図式を象徴していると考えてもいいわけです。
ところで、本質的には四大・4組には順序や優劣がないと言いましたが、ある見方をすれば、それでも順位としてつけることもできるのです。
それが、さきほど述べた、剣・杯・杖・玉、四大で言えば風・水・火・地です。これは、マルセイユタロットならでのもので、分野とかタロットの種類が異なれば、同じ四大でも、火を最上位とする考えが実は主流と言えます。
ではなぜ、マルセイユタロットは風が最上位なのか、そして、もうひとつ疑問を挟むとすると、水と火の順位はどうなのか、火のほうが上ではないのかという意見も出てきます。
ただ、玉(地・土)が一番下であるというのは、どの流派も共通しているように思います。
それは、玉、土の次元が、すなわち、物質的な私たちの現実次元をもっとも象徴しているからです。
「玉」はコインであり、ズバリお金です。お金が物質的、実際的であることはよくわかると思ます。
しかし、そのお金を動かすのは人であり、感情や計算も働きます。ですから、玉(コイン)の背後には、上部概念として、風(思考)や水(感情)、火(モチベーションや情熱)もあり、それらが玉に影響している(させている)と言えます。
話がそれましたが、玉、地の要素が最後に来ることは比較的共通した見方だということで、それは、結局のところ、四大の順位のつけ方が、神や宇宙、もっとも高次なレベルから、もっとも人間的で、言い方は悪いですが、次元の低いレベルにエネルギーが降りてくる状態を示しているからだと考えられます。
これは古代密儀的な考えでは普通のことで、私たちは神のレベルから人間動物レベルに、言わば貶められており、神に戻る道を発見すれば神に回帰することができ、その過程はまるで闇から光に満たされていくようなもので、見えなかったものが見えてくる過程とも表現できます。※神とは、宇宙の根源や完全性、仏教的には仏と解釈してもよいです。
しかし、ここでいう「見えてくるもの」とは、今までは「見えていなかったもの」であり、見えていたことが反対に見えなくって行くという、逆説的な話になります。
すなわち、私たちが通常見ているモノ・世界は実は偽物のようなもの、仮の姿のようなもので、一見、しっかりとした「形」、物質的・三次元的に見えてはいますが、その実、神への道が進むと、それらは解体され、真の姿を見せ始め、次第に希薄なものへと変化していくのです。
物理的な表現をあえてすると、個体が液体となり、気体となり、さらにはプラズマ化して、見た目には消失したかのようになる状態です。
ですから、その意味においては、玉(土)はやはり最低次元を示し、神への道に入ると、さきほど、お金の裏の話、お金を動かす本質をほかの四大で見てきたように、水や火、風の要素が立ち現われ、次元が次第に上昇していくわけです。
従って、四大にも順位があると見ることが可能なのです。
マルセイユタロットの場合は、神への回帰の道が、四大的には、地から天への、地⇒火⇒水⇒風となっています。その根拠は大アルカナや宮廷カードにも示されています。
けれども、別の観点でも指摘したように、この四大はそれ自体が第五元素であり、分離しているようで分離しておらず、ただそのように4つに表現されているだけでもあるのです。
つまりは、私たちは、どのレベルにおいても神の要素を有しているという話になり、遍く一切、まさしく神は遍在しているのだと例えることができます。
低レベルな自分、ダメな自分、欲望やエゴでまみれた自分においても、人はいつでも神に転じる気質をその中に存在させているのです。
分子が運動して、他の状態に変化したように、私たちは、一見悪いことや低次のようなことに遭遇したとしても、数々の体験が自分の内なるものを運動させ、やがて本質の魂、神の素養を輝かせることになり、それがすなわち、自らが神に還る道を照らす「ともし火」となるのです。
それはまた、マルセイユタロットで言えば、「愚者」を導く、「隠者(智者、導師)」のランプでもあります。
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