タロットとの縁、双方の小宇宙。
タロットと関係する人というのは、最初からカードとかタロットが好きで、当然のようにタロットを手にする人もいれば、タロットなどまったく興味はなかったのに、ふとしたつながりで、偶然のようにタロットと関わるようになったという方もいらっしゃるでしょう。
私は完全に後者です。
そして、ことマルセイユタロットで言えば、前者の人もおられますが、そして統計を取ったわけではないのですが、どこか、感覚的には後者、つまり、タロットに最初興味はなかったけれど、偶然のような必然で関係するようになったという方が多い気がします。
私は、マルセイユタロットを学び扱うようになって、より思うのですが、物事は双方向(時には多方向)から見ないと本質はつかめないと考えるようになりました。
そこからしますと、タロットとの縁も、自分からつなぐ縁と同時に、タロットからつなげられる縁もあると感じます。
前々から言っておりますように、自分がタロットを選んでいるようでいて、実はタロットから選ばれているところもあるのだと。
これは、タロットだけではなく、人やモノ、あらゆる事象との出会い、縁でも言えることかもしれません。
自分はあの人を選んだ、あの学びを選択したと思っていても、向こうのほうがあなたを選んだのかもしれないのです。
そして、その双方向の働きと言いますか、複合的な作用、化学反応にも似た状態によって、両者の関係による体験、事件、事柄、意味合いが生まれてきます。
これは両者によってできあがったものなので、決して一人だけでは誕生しなかったものです。その意味では、あらゆる関係は「結婚」という象徴で言い換えることができます。誰もが、いろいろな結婚を体験しているのです。
しかし、両者によって生まれたものであっても、それぞれの見方、認識は異なることもあるでしょう。人との出会い、関係性はこの意味が強いです。
それでも、同じ時空と言いますか、関係性でできた小宇宙とでも言える中に両者はいるのです。思えば、この小宇宙が、山のように世の中にはあるのだと想像します。
この両者の共同作業によって生まれる経験や時空は特殊であり、まさに双方によってできあがるものなので、両者の関係性のエネルギーによって、様々な状況を見せることもあるわけです。
例えば、あの人のおかげで自分は救われたとか、その逆の場合もあるでしょう。
まさに、小宇宙の中の色とりどりの星々の動きみたいな感じです。
片方の自分からだけの視点では、「自分がなになにをした」とか、時には傲慢に「自分がなになにをしてあげた」と思うこともあるかもしれません。
しかし、双方の関係性から見ると、その反対の解釈にもなるわけです。それこそ、自分こそ、「してもらった」とか、「させられた」ということにもなるのです。
よく、失ってはじめて本当の大切さ、本当の意味を知った」と言われますが、双方の関係性で生まれていた小宇宙が壊れる時、つまり、別れとか新しいものとの関係性に移る時、今までの双方によってできあがっていた小宇宙で体験した貴重な経験性を知ることになります。
すると、自分の主体性・能動性は、客観性・受動性として認識され、その逆もあり、自分が受け身であったと思っていたことは、実は自分が引き起こしていたと、その能動性・主体性(よい意味でも悪い意味でも)に気がつきます。
私自身も、その昔、ある人にいろいろ与えていたと思っていたものが、別れた時に、実は、自分のほうがたくさん与えられていたのだと気づくことがありました。
また、自分があの人を見出したのだと思っていたら、反対に、「私(相手)があなた(自分)を見つけたから、あなたが私を選んだのです」という意味合いのことを言われて、なるほどと感心したこともありました。
すべての関係性は(人とだけではなく)、こう考えると、意味があると思えます。
それは自分だけの意味もあれば、向こう側からの意味もあるでしょうが、双方の出会い・関係性においては、小宇宙としての特別な時空を経験する、第三者的意味合い(それは両者を超える高次の視点ともいえます)が、もっとも双方において必要とれさる「本質」なのかもしれません。
タロットにおいても同様なのです。
あなたがタロットに出会った意味もありますし、タロット側からあなたを選んだ意味もきっとあるでしょう。
そして、世の中に、数えきれないほどたくさんの種類のタロットがあるのに、わざわざそのタロット(例えばマルセイユタロット)と出会い、ツールや学びの資本として選んだのも、やはり意味が(双方向的に)あるのです。
ところで、この記事を書いていて、マルセイユタロットで、ふと浮かんできたもの(カード)があります。
それは、「恋人」「運命の輪」、そして「神の家」です。ちなみに、これらの数は「6(恋人)」「10(運命の輪)」「16(神の家)」です。
6+10=16ということで、まるで三枚が複合して「縁」というものが回転したり、出来上がっり、選ばれたりするのだとも感じます。
もし、あなたにマルセイユタロットの縁があるのなら(そう感じ、思うのなら)、自ら動くのと同時に、すでに向こう側からは働きかけがあり、両者の邂逅を待っている、言わば第三の視点の存在のようなものもいる(見ている、設定している)のかもしれませんね。
もちろん、ほかのタロットとの縁の人もいれば、そもそもタロットには縁のない人もいるでしょう。
しかし、すでにあなたがこのブログにたどり着いたということは、タロットとの何らかの縁は生じている可能性があります。たまたまであっても、タロットと一瞬でも関わる何かがあるのでしょう。
一瞬であっても、あなたとタロットの間に小宇宙は築かれたわけで、言ってみれば、そこへの小旅行を体験しています。旅行なので、楽しまれるとよいでしょう。
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