天上と地上世界との間で
これも見方や立場によって、いろいろと言えますが、私自身は、マルセイユタロットには、天上的なものと地上的なものとの思想対立とでも言いますか、葛藤が描かれているように思えます。
今のスピリチュアルに関心のある方たちの多くは、理想的には、そういう天上と地上の葛藤があっても、それらを統合していけるものという思いがあるでしょうし、また、地上的繁栄と天上的繁栄はリンクしており、言わば、精神的・霊的成長があれば物質的にも恵まれるという考えもある(実体験のある人もいる)でしょう。
しかし、マルセイユタロット的には、地上的なものと天上的なものは、結局、レベルとか次元が違うので、地上から天上を見るのと、天上から地上を見るのとでは、同じようでいて、まるで異なることではないかという気がしています。
もう少し別の言い方をしますと、私たちの視点は常に地上から天上へという方向性であり、地上における幸福や充実、発展、成長といったものを見ます。
私たち一般の人間が、幸せだとか充実だとか善だとかと考えたり、感じたりするものは、どうしても短期的(人の一生か、せいぜい親子・孫世代くらいまで)で、人間の実生活に基づく、肉体的・物質的なものが中心となります。
たとえ観点が精神的なものであったとしても、個人の心が思うもの、もしくは集合的であっても、その人類としての全体意識みたいなものとなります。
これが天上性からの方向性になりますと、言ってみれば神目線のようなことになりますので、非常に長期的、俯瞰的、宇宙的レベルなものとなるのは予想され、一人の人間の幸せ感(観)がどうこうとかのレベルでは当然ないでしょうし、たとえ人類全体規模であっても、しょせんはそれも小さな地球規模みたいなものです。(もっとも、宇宙は地球しかなく、その反映として、ほかの惑星や宇宙があるかのように見えているという説もありますが)
ということで、私たちは、地上生活を頑張って生きているわけですが、その過程や結果が思うように行かないことになるのは、誰もが経験していることだと思います。
それは地上的に見れば、不幸だとか失敗だとか、ちゃんと努力しいるはずなのに・・・と不満や理不尽さを感じさせるものではあっても、天上的に見れば、きちんと理屈が通っているものではないかということです。
マルセイユタロットの「神の家」ではないですが、天上的視点から見れば、地上の苦しみにも意味があり、それも真の幸福につながっているのだという視点です。
なるほど、これに基づくと、地上性と天上性とではレベルや次元の違いが大きく、私たちは天上ルールを推しはかることができないので、地上的幸福として人間レベルで見るのが普通となるがゆえに、天(天上・神)の真の意図がわからず、地上の不幸や災厄の本当の意味を知ることができないということになります。(逆に言うと、天からすると、すべては公平で完全、真の幸福に向かっていることになります)
ところが、そうでもないかもしれない、というのが今日の趣旨です。
実は、天上的レベルが、私たちのいる地上的レベルによって、まるで光が屈折して曲げられてしまうかのように、何か虚像、鏡像のように、(地上において)本当の姿でとらえられなくなってしまっているからだとも考えられるのです。
詩的にあえて表現するのなら、天上の光が正しく届いておらず、偽物の光を受けて、地上生活を照らしてしまっている(つまり影を見ている)状態だということです。
ですから、いくら地上的に平和を見ようとしても、そして天上的な立場に近づこうとしても、私たちが見ている世界そのものが虚像と言いますか、幻想のようになっているので、どこまで行っても平穏(真の安寧・幸福)はないみたいなことにも感じます。
ふと、ここで般若心経の文言が出てきます。
般若心経では、ひたすら、「そんなものは無い」の無い無いづくしに終始します。無いからこそ最上だみたいなことのようにも聞こえます。
スピリチュアルや心理系の世界では、肯定していくことが尊重されます。
しかし、否定し続けて行く方法もまた、真理に近づく道かもしれません。
地上そのものと、地上における欺瞞の天上性をすへで否定し続けていくことで、そこに現れる真の光(グノーシス)というものがあるのかもしれません。
一件、逃避的で破壊的、虚無的行為のように映るかもしれませんが、地上の苦しみの中にある人にとって、否定というのは、悪い思想行為とは思えません。むしろ救いの道の一つではないかと想像します。
地上における理不尽で大変な生活をしている人、あるいは、何か違和感を覚え、暮らしている人にとっては希望となるものです。
それこそ、個人的な感覚でいえば、下手な肯定よりも否定に愛があるように感じます。
本当にいろいろな道や選択はあるのだと思いますが、さらなる探究をマルセイユタロットを通して続け、自他ともに常識の世界(地上世界)からの希望と救いを見い出したいと思っています。
そして、諸事情で、しばらくブログ活動は休止いたします。(再開はする予定です)
またの日までは、過去記事もたくさんたまっていますので、お読みいただければありがたく思います。
それでは。
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