マルセイユタロットとバランス性

マルセイユタロットの面白いところは、感性・心情的なもの思考・論理的なものとの両方が体験できるからなんですよね。

ですから、たぶん男性(あるいは女性でも思考をよくする人、感じるより考えることを先にしがちな人)にもお勧めできるのです。

で、やはりタロットなので、直感とかインスピレーションなど感性の世界とも通じるところがあります。タロットが女性に人気なのは言うまでもないところです。(男性でも女性的な感覚が多い人、考えるより感じるほうが大事になる人も)

私はと言えば、あれこれ調べたり、考えたりすることが好きなので、それら思考を整理してくれるものとして、マルセイユタロットは大変貴重なのです。

同時に、その絵柄と象徴から、心や感覚といったもの、つまりは見えない領域、あるいは潜在的なものまで(普段思考や常識ではとらえられないもの)浮上してくるので、すばらしいわけです。

そう思うと、本当にマルセイユタロットはバランス的にもよくできています。

ところで、私はそのマルセイユタロットを教えている男性講師ですが、受講者・生徒さんたちの多くは女性で、私はなるほど、タロットにおいては先生ではあっても、実は、皆さんから感性を刺激されている、もっと言うと学ばせてもらっている立場とも言えます。(実際に生徒さんに助けられることはよく経験しています)

その逆も言え、男性の論理性を女性側が刺激を受けている、学んでいるとも言えます。

では教える者、教えられる者は性が違わないといけないのかと思うかもしれませんが、そういうことではありません。ここで言っている性別は、見た目とか、一般的に言われる肉体的性別ではなく、本質的なまさに性質というべきもので、それを人間に例えているに過ぎません。もちろん人間の性別自体、それ(本質的な性質)と無関係では当然ありませんが。

ですから、女性同士、男性同士であっても、教え・教えられる関係性では、能動と受容のように、その立場そのものが性を表すとも言え、自分が男とか女とかは関係なくなります。

何が言いたいのかと言えば、結局はバランス性のことです。

私たちは、何かひとつの方向性や性質にこだわることもあって、それが究極への近道のように思われることもありますが、やはり、反対側の性質真逆ともいえるものの(言い換えれば様々な)体験があって初めて、真の向上があるのだと考えられます。

まあ、やり過ぎたら力を抜くことも重要ですし、抜き過ぎたら集中したほうがよいこともあります。学びを受ける側だけ、受容するだけでは成長は為せず、自分から行動を起こしたり、思いを述べたりすることもバランス性です。

好きなことだけで成長し、幸せになるように思う人もいるかもしれませんが、おそらく、それだけやっていても、別の体験を促すよう、何かの問題が出てくるはずです。

仮に一時的に満足している状況にあっても、そのレベルどまりで、環境が変化したり、今までとは異なる状況に押し込まれたりすると、必ず何か問題として浮上し(問題性が自覚される)、自分自身の向上(レベルアップ)を目指さなくてはならなくなります。

人間における問題性は、マルセイユタロットで言いますと、小アルカナの次元で生じることが多く、剣・杯・杖・玉みたいな分野ごと、人によって個性的に生じます。

例えば、具体的に言えば、お金の問題、健康や精神の問題、家族やパートナー、人間関係の問題、仕事の問題などとなって現れるわけです。

それらはマルセイユタロットの大アルカナ的な見方によって、バランスを取ることが求められ、そうすることで、成長が図られ、問題を問題として感じないレベルに達するか、問題自体の解決(策)が見つけられるかにより、自身は変容します。

その際、バランス性を取るわけですから、逆のことや、今まで気づかなかったことに気づいたり、採り入れたり、反対に削ぎ落したりしていく過程が生じます。

そういう意味では、極端に言えば、堕落であっても成長の一過程と言え、自分の状態は、大きな視点から言えば、すべて受け入れること(どんな自分でも自分として認めるみたいな感覚)もできると思います。(なかなか実際には難しいですが、そういう気持ちになれる視点というものがあるということ)

二元とよく言われるように、ふたつの性質とか運動、エネルギーは、見方の違いによっては入れ替え可能にもなりますので、バランスということでは、ひとつのことに、常に反転した見方や考え方を同時にもっておくことが重要かと思います。

言い方で例えれば、していると思ったらされている、動いていると思ったら停止しているみたいな禅問答のような表現ですが、どちらでもなく、どちらでもある領域に新しい次元があると言えます。

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