コロナ禍を経てのタロット講義

今日は自分のタロット講義の変化について書いてみます。

コロナ禍になってから、ほかの皆さんもそうでしょうが、リアルでの講義とかセミナー、セッションよりも、オンラインでのものが増えたと思います。

一般的に普通の仕事自体も、かなりオンライン・リモートワーク化し、自宅に居ながらにして行えるようになりました。

私のタロット講義も、一部例外を除き、今はすべてオンラインでやっております。

何事も良い面と悪い面はセットであり、ネガティブな面としてオンラインでは、どうしても長時間の集中が無理であり、双方疲れてしまうこと(リアル講義のように一日やるのは大変)と、空間的な情報と言いますか、実際の場で講義をして聴くのとでは、情報の質と量(見えない部分も含む)が異なってしまう(次元的にひとつ低くなる)気がします。

しかし、後者の欠点(空間情報の劣化)は、図やイメージを使ったり、感覚を鋭くしたりして感受性を豊かにすると、かなり補えるとも実感しました。

言い換えれば、、講義をする側と受ける側の濃密度を上げることであり、思考と感性をリアル講義の時より、増幅するという感じでしょうか。

となりますと、指摘したオンライン講義のもう一つの欠点のように、長時間は難しいこともあって、結果的にタロット講座を終了させるには、リアル講義の時よりも長期間になってしまうのです。(濃密度を上げることも含めて)

それはまた欠点のようでいて、実は見方を変えれば長所でもあります。

短期間でタロットの技術と知識を習得したいという方には望ましくないでしょうが、期間を長く取ることにより、タロットの落とし込み、タロットの象徴を通じた自分への向き合い、変革や調和、その過程について、無理なく、深くやっていくことができるように思います。

基本、私の講座は、本当にマルセイユタロットを学習したい(マルセイユタロットを通して世界への本質的学びを深めたい、自己の精神的・霊的成長を図りたい)と思う人しか来ないようになっています。

もっと言うと、目的のためにマルセイユタロットを学ぶという選択をするだけで、マルセイユタロットそのものを学びたいことでもない場合もあります。(笑)

私の場合、自分でも自覚していますが、一連のお知らせ・ブログなどを見ても、何か敷居が高いような、気軽には受けられないような雰囲気もあるのだと思います。(本当はそうでもないのですが(苦笑))

ともあれ、私のタロット講座は、今はマンツーマン講座が基本となっています。

それを長時間かけていくわけですから、効率的には非常に悪いです。おそらくコンサル的な人には、ビジネスの意味では、やり方のまずい例として指摘されるでしょう。稼ぐため、あるいは自分の余裕のためには、短時間で、多くの人を同時に講義したほうがいいのはわかっています。

ですが、教育的・私塾的なところ(意味合い)のほうが自分としては大きいのです。効率よりも、内容と理解を大切にしています。

だからこそ、同じようなカリキュラムにあっても、一人一人まったく違った講座となり、質問と対話を中心に進めていくようなものになります。

その日の講義までに感じ、気づき、疑問に思った(もちろん当日でも)ようなことを、余すことなく話していただき、それらを講師と共有し、疑問は解消に向けて話(会話)をします。

そのため、日によってはタロット自体の伝達が少なくなり、ほとんど双方の話やカウンセリング的なことだけで終わるよう時もありますが、それも学びの過程としては、実は大変重要なことなので、そのようにしています。

言ってみれば、タロット講座の形を借りたグノーシス(神性・全体性を認識していく、つまりは霊的成長のための)講座(知的ワークショップ)なのです。

正直言いまして、タロット講座としては、このようなものはほとんどないのではないかと思います。そのようなスタイルに、オンライン化して、より変ったわけです。

カードでいえば、「太陽」(意思や魂を共有するものたち)と「神の家」(神性を構築する、復活させる)で象徴されるでしょうか。

同時に、今後の方向性(自分のしたいこと)も見えてきたものがあります。

完全に占いや現世利益を得ることを目的とするようなものから離れ(それらを否定したり、貶めたりするわけではなく、それを求める人にはふさわしい人に教えてもらうのがよいということ)、全体性と個人性を調和させ、深く自身で考察したうえで、部分部分から統合を果たして、個人としても全体としても向上する(次元を上昇させる見方を得て行くこと)ことを主として、講座等を行っていきたいと考えています。(それは今までもそうでしたが、より明確になったということです)

これも選択と自立をテーマにしていると、自然に出て来るものと言えます。

ただ、難しいことばかりでも確かに入りづらいところはありますので、幾分ライトに、シンプルにも、今後、何か別の形で、無料(読み物とか動画とかで)で提供していきたいと思っています。それもあって、ブログ再開(仮)“かっこ仮”と、この前、書いていたわけです。

今すぐにはまだできませんが、いずれそれらも実施できればと思います。

長々と自分語りをしましたが、言いたかったのは、ほかのこともあるのです。

それは、今の変化の時代、結局のところ、自分の本当のやりたいことや、表現というものに落ち着いてくる、収束してくるのではないかと言うことです。

しかし、ここで言う「やりたいこと」というのは、表面的な、欲求(欲望)的なことではないことに注意です。

おそらく、望んでいるのに、なかなかその方向性に行かないとか、現実がなかなかそのようにならないという人は、真の意味で自分の本当の望みではないのかもしれません。

本当の望みというより、「神の家」的な使命のような、魂が求めるもの・方向性、あるいはコンプレックスや不足分を補いたいという願望的なものを浄化し、ネガティブとポジティブを統合して出てくるものと言ったほうが適切でしょうか。

そういうものに自然となっていくというのが、この混沌とした情勢の中で、一人一人にあるのではないかと考えるわけです。

別の言葉で言えば、このことは、私たち一人一人が全体として「覚醒」するためのひとつの過程であるのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top