タロット占いの提供に関して

タロットは、いまだ占いの道具という認識が一般的です。

そうではない意義や活用について、私の場合は力を入れているわけですが、タロットに限らず、普通にネットとか雑誌とかでよく見るのは、毎日や今週、あるいはもっと長期的に、今月とか今年とかの運勢を占っているものがありますよね。

占いも役に立つますし、エンターテイメント的に見ましても、そういう類のものを読むのは面白いところはあります。

しかし、問題は、それに依存したり、運命だと信じ切ってしまったりする場合です。さらにやっかいなのは、他人にも押し付けるようになるケースですね。

日々掲載されているものに対して、本当に、自分が毎日それをチェックしないとおかしな気分になるというくらいになっている場合とか、それを見ている自分を、人からあまりいいように言われなくて、怒りや不安など感じてしまうような時も、すでに依存を疑ったほうがいいです。

毎日のもの(占い)は本当に危険性があることをちょっと指摘おきますと、毎日の場合は、習慣性が高まるので、その分、依存になる確率も高く、毎日継続されることで、無意識のうちに習慣化され、悪い意味で刷り込み、信念のようなものが自分の中に形成されてしまうことにあります。

言ってみれば、自分が占いを指針にするのではなく、占い内容自体が自分をコントロールしてしまうということで、まるで逆の話になるのです。

ひどくなれば、占いの通りになるよう、自らが無意識のうちに行動してしまうようなことも起こります。

何のことはない、当てているのは、自分自身だったという、自作自演みたいな話(苦笑)です。

これは先述したように、毎日見る(読む)ことによって、自分の中でルール化されるのが強固になっていき、ついには、実行ブログラムのように強制化されてしまうという仕組みです。

従って、毎日よりも、せめて毎週くらいにして(つまり占いにふれない時期がそれなりにあることが望ましい)、占いを信じたり、楽しんだりする自分と、あくまで占いだからと冷静に見て、どこか疑う部分を持つ自分との、二人の自分を持って対応するとよいということです。

一方、占い的なものを提供する側にも、工夫が必要な時代に入っていると考えます。

毎日、タロットを引いて、普通の占い的なことを書くというのは、当人の占い訓練にはいいでしょうが、いろいろな意味で、そのやり方も変えたほうがいいかもしれません。

例えば、すでにやっている人も多いと思いますが、テーマ別に占ってみるというように、ある程度具体性・現実性を伴って占いし、書くということがあげられます。

また、思いきって、特定の人(年齢・性別・仕事・性格・地域など結構絞って)に対して占うのも、逆に個人性が出て、面白いかもしれません。

タロットの場合、たった一枚でも、質問の仕方によっては、大きなレベル(宇宙・国家規模)から小さな個人レベルまで、占う(読む)ことができます。

その一枚でも、どこに目が行くかによっても、読み方、占い方を変えることができますので、メッセージとしても、絵柄のどこに注目したかによって書くのも、見る側としては、とても興味深いものになります。

そして見る側は、それぞれ個人ではあっても、全体的ともいえる大きな範疇とか流れの話にも、興味がある人がいるかもしれません。激動や危機的な時代ほど、そういう傾向は強まるでしょう。

だから、全体的なレベル(の占い内容)をあえて入れることで、むしろ、そちら(全体性)のほうに意識を上げて行く意図を持つ、言わば、占いを超えたものをやってみることを、タロットのメッセージを提供する側には、やってもらいたいと、私は思います。

つまりは、個人レベルと全体レべルを常にセットで書くという意識と実行性です。

これからは提供者のほうも、それなりに意図とか目的をきちんと持って、書くべきだと私は考えます。(すでにそういう意識でされている方も多いとは思いますが)

誰に、何のために、それを書いているのか、たとえタロット占いといえど、目的があるはずです。

もちろん、営業的にやっている人には、集客という目的が裏にはあるでしょうが、それは読む側もわかっていることでしょう。

それは承知のうえで、しかし、あなた(提供者)がやっていることは、単にタロットで稼ぎたいということではないはずです。

世の中のビジネスには、当然、ビジネスとして営利を出す目的はあるにしても、特にタロットの仕事をしている人は、経済的なことだけでそれをしているわけではないと思います。

ただ漫然と抽象的にタロット占いを毎日書き連ねても、あなたのしたいことが伝わりませんし、集客的にもおそらく疑問の出る方法でしょう。

本当に、誰に対して、タロットを使って何をやりたいのか、それが特に対外的にタロットを使う方には、必要なもの(意識)だと思います。

そうすると、結局、提供者のほうも、自分と向き合わねばならなくなってきます。

言い換えれば、自分というものを改めて知らねばならないということであり、また知ったとしても、常に変化も伴い、自分自身の改革も求められることになります。

自分について取り組むと、最初は、自分が本当は何がしたいのか、余計わからなくなってしまう時期があります。

またビジネスとしてやっている人には、経済的・物質的なものと、精神的・霊的なものとのバランスに苦慮してしまうこともあるでしょう。

自分に関して、単純な好き・嫌いですら、つかめてない人も結構います。まずは、そういうシンプルな分析から始めてみるのもよいでしょう。

タロットを仕事とするからには、当然仕事としての努力とか、苦しさもあるとは思いますが、何と言っても、自分が本当にしたいことの本質からずれてしまうのでは、結局、うまく行かなかったり、継続できなかったりしますので、本質と表現の違いを理解しつつも、本質を曲げてまでやることなのかを問うのは、とても重要だと考えます。

何事も、する側・される側というふたつの方向性があり、占いやリーディングをして、皆さんにその内容を提供する側と、それを読み、参考にしたり、楽しんだりする人たちの側とがあります。

される側だけではなく、する側の意識が変われば、される側(受け取る側)も変わるでしょう。

ビジネス的には消費者のニーズに合わせるということもあるでしょうが、タロットは消費されるだけものではありませんから、むしろ、する側のほうの意識を上げて、表現自体はたとえ、占い・物質レベルであっても、霊的・全体的な向上の目的を込めることは可能だと思います。

そういう人たちが多くなれば、受け取る側の意識も変わって来るでしょう。

基本的に、責任というものは双方にありますが、私たち側(タロットをする側、提供する側)にもあることを、もっと意識する必要があるかもしれません。

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