人間の悩みは四組の玉ベース
現状、「生きる」ということに喜びや楽しみを見出していると人は、当然幸せである(いつもではなくても)と思います。
しかし、「生きる」ことは簡単なようで難しく、ほとんどの人には、必ずと言っていいほど何らかの悩みや心配事があり、時に生きる意味を考えたり、もっとひどい場合は、生きることそのものが地獄に感じる人もいらっしゃるでしょう。
仏教的には、生老病死、その他の四つも含めて、四苦八苦と言われる、(思い通りにならない)悩みが人間にはあるとされています。
マルセイユタロット的に見ますと、大アルカナの悩み(問題)と小アルカナの悩みがあり、どちらも人間の問題性を象徴しますが、わかりやすいのは、意外と小アルカナのほうです。
マルセイユタロットの小アルカナは、四つの組に分けられ、それがすなわち、人の悩み、問題を表していると考えられます。
四組とは、剣・杯・杖・玉の組のことで、英語ではソード・カップ・ワンド・コインです。
私はその中でも、玉(コイン)の組の悩みが、実は人間の中で大きな特徴を占めているのではないかと思っています。
玉の悩みとは、端的に言えばお金となりますが、もう少し抽象性(範疇)を高めますと、肉体とか物質(モノ)の世界ということになり、すなわち、私たちは肉体やモノから生ずる悩みに、大きく支配されているとみなされるわけです。
モノから来るものと言えば、物欲などがもとになり、お金とモノ(動産・不動産、環境的に消費して獲得したいもの)が、自分の思い通りの状態ならない悩みと言えます。
肉体的なことというのは、たいていは体の調子や状況のことで、言ってみれば病気とか怪我などがあって、それに悩んでいる状態です。
そして意外かもしれませんが、精神的な悩みも、肉体(個人という意識を持つ肉体)あってのことなので、ほかの四組の要素(剣・杯・杖)と関係するとはいえ、基本は個人(の体)を通して「感じる」心の悩みと換言できます。
人間関係や恋愛などが、特に当てはまるでしょう。
ですから、玉の悩みとは、究極的には、肉体と三次元世界の認識によるものと言ってもよいのです。
これが人のお悩みの大きな割合を占めていると考えると、逆に言えば、玉中心の世界からの脱却が、悩みを減少させることになります。
グノーシス神話では、デミウルゴスという偽の創造神、実は「悪魔」とも言える存在が、私たちを牢獄の世界の中に閉じ込めていると語ります。
その牢獄の世界こそ、肉体と三次元認識(モノ中心で構築されている意識の世界)で考えてしまう、今の私たちの現実意識による世界観によるものと言ってよいかもしれません。
しかしながら、私たちは肉体を捨て、生きることをやめることはできません。
これでは最近言われている「反出生主義」(生まれる事こそ問題と考える思想)みたいな極端な考えになるか、厭世的、虚無的な状態になり、自殺さえ推奨されかねません。
実際、数千年にわたるグノーシス主義の思想の中では、反出生主義みたいな一派もあり、現実世界を極度に忌避していた人たちもいたと言われます。
ただ、グノーシス主義を探求していくと、それ(反出生主義的な考え)さえも物質的境地・観点に毒されているからではないかと思うことがあります。
グノーシス主義のことにつきましては、少し難しくなりますし、誤解も生じやすいので、ここではこれくらいにしておきます。(ちなみにグノーシス探究は、私のタロット講座受講者で、それに興味のある人たちのグループでやっております)
今日言いたいは、マルセイユタロットの四組「玉」の悩みをどうするかについてです。
玉の悩みは、つまるところ、肉体がベースだと言いました。
でも、肉体をすぐに捨てる(死ぬ)わけにもいかないのも当然です。ということは、残るは三次元認識をどうするか、になります。
おそらく、宗教や古代から解脱的な修行は、この三次元認識をいかに超えるか、変容させるかという技術とか知識であったと推測されます。
とは言え、私たち一般人で、なかなか修行ベースの生活を送ることは困難です。
ここで、タロット的には四組を再登場させ、玉の世界だけに偏りがちな意識を、ほかの剣、杯、杖に振り替えて行くということが考えられます。
これは玉、すなわち、肉体と三次元の世界をもとに思考や感情が出ていることに気づくのがまず大事で、そのあと、剣、杯、杖のほう(のどれか)に意識を強制的にでも移していくという作業になってきます。
もっと具体的に言えば、例えば、「杖」は情熱や生きがいを象徴しますが、肉体をはずした生きがい、肉体を通さない(使わない)喜び、目的を思う、創り出すということで、そうすると、意識は三次元価値観にどっぷりと浸かっていたところから、少し浮上するでしょう。
また「杯」は感情を象徴しますが、これも、肉体的欲求から出ているかどうかをチェックしていくことで、例えば、何かを買う時や、恋愛においても、肉体意識から離れて、もっと別のつながりとか目的を持ちたい自分に気づくこともあるかもしれません。
また、三次元認識を超えるということは、すなわち四次元以上の認識に自分を上げることなので、そうしたテクニック・知識が論理的にできるものを学ぶのもよいかと思います。
特に、今は、半田広宣氏が提唱されている「ヌーソロジー」が、個人的にはマルセイユタロットの幾何学にも通じていて、とてもお勧めです。少々難しくはありますが、普遍的な意味で、三次元認識を超えて行く(少なくとも、今の現実意識を変える)きっかけになると思います。
それからスピリチュアル的なことになりますが、やはり、霊性という部分を、仮定でもいいので自分の中に創り(本当はすでにあるものですが)、常に自分の行動や感覚、あるいは悩みの時に、その部分・存在を意識することで、玉・肉体の囚われを和らげるように思います。
実はマルセイユロタロットの大アルカナでも、肉体と三次元意識からの脱却による現世での悩み軽減(究極的には解脱のようなもの)は、描かれています。というより、それこそが大アルカナの目的と言ってもよいかもしれません。
マルセイユタロットの、大アルカナ「数をを持たない愚者」には、旅人とともに犬が描かれており、その犬とともに旅をしているか、犬に駆り立てられているかのように見えます。この犬こそ、霊性と関係すると見てよいのです。
ですから、言ってみれば、霊性をいかに育てるか(回復するか)であり、そして復活していく霊性(霊性の意識の顕在化)の程度により、囚われの現実世界(肉体と三次元認識中心の世界)からの脱却が進むと見られます。
多くの人が、肉体と三次元中心の世界観の意識から変われば、逆に世界のほうが変容し、現実と呼ばれるものが、新しい、今、普通の人が想像したこともない(しかし本当は故郷・本質として覚えている)現実に移行するのだと考えられます。
肉体を通した悩みに私たちがある時、それはある意味、大きなチャンスだとも言えます。
肉体があるうちに、変容(マルセイユタロットの名前のない「13」で象徴)過程をたくさんの人が通過することで、いわゆる輪廻転生的な、ある意味、面倒な成長(変容)手続き(システム)が、人類からなくなっていくものとも想像されます。
まあ、とはいえ、私もまだまだ囚われていて、言わば「実験体」みたいに、肉体ベースの悩みが起きてくることを強烈に経験中です。従って、皆さんの助けにはならないかもですが(苦笑)、それでも、考えていること少しずつ、これからもお話したいと思います。
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