「悪魔」と支配

タロットの「悪魔」のカードは、どうしても名前からネガティブな印象を受けてしまいます。

しかし、マルセイユタロットの「悪魔」は、その絵柄を見ても、意外に怖がられず、楽しい雰囲気に見えて来る人もいます。怪しげではあっても、私たちを楽しませてくれるエンターテイメントな要素を持っているのかもしれません。

楽しませるという意味では、「手品師」(手品をする大道芸人であるので)とも関係するところがあり、やはり「見せる」「魅せる」という共通点が見い出せます。

ただ、「手品師」にはそのタネが、ほかの一般人にも見破られる可能性があるのに対し、おそらく「悪魔」の手品は、もはや手品と呼ぶレベルにはなく、魔術的とも言える高度なものと考えられます。

それゆえ、「悪魔」には、つながれている人が描写されてはいても、そのつながれた人は恍惚とした表情を浮かべ、自分が悪魔の罠にかかっていることに気づいていない風に見えます。

マルセイユタロットの「悪魔」にはいろいろな意味や象徴性があり、従って、リーディングにおいても、難しいところがあります。

また、タロットを、ある種の(心理的・あるいは霊的な)自己統合、自己洞察に使う場合でも、「悪魔」は複雑なカードと言えそうです。

それは、自己の統合のためにタロットを使用するなら、カードたちは皆、自分自身だと認めなくてはならないからです。

どのカードにも、光と影、ポジティブとネガティブのような、二面性の意味が含まれますが、特に「悪魔」ともなりますと、二面性だけでは収まらないところもあるでしょうし、そもそもネガティブのほうが一般的には優勢に見えるので、「悪魔」から光とか良さを見るのは難しい作業と言えます。

また、自分の中にある悪魔性を発見し、受け入れるということは、表面的には自己否定のように感じられますし、自分の弱さとか悪さを認めるようで、苦痛かもしれません。

そういうこともあり、「悪魔」は、リーディングであれ、自分のために使うものであれ、少々難解で厄介なところのあるカードなのです。

しかし、だからこそ、「悪魔」と向き合う時、大きな成長のきっかけになったり、意外なヒントも出てきたりするのです。

今回、「悪魔」の様々な意味において、ひとつ取り上げたいのが、「支配」という課題・テーマです。

「悪魔」は支配と関係し、それはもちろん他人への支配ということが第一義的にはありますが、意外にも、自分自身への支配ということもあるのです。

後者の自分自身への支配はわかりづらいです。それでも、まずわかりやすいものとしては、自我が肥大し、そのために本来的な自己が支配されてしまっているという関係があげられます。

実は本来的な自己のほうが強いので、本当は支配されるということはないのですが、肉体的・地上的世界(つまり現実世界)では、その次元の欲求が強力に働いて、本来的な自己が眠り(保護のため)についてしまっているような状態があります。

要は見せかけの自分、エゴが巨大(強力)化し、その自分で押し通そうとする有様です。

これが自分だけではなく、他人にも向いてしまい、自分の欲求や欲望を満たす(満たしてくれる)人を無理矢理つなげようとします。

依存の関係にもこれはあり、自分が支配される側になることで、楽な立場を選択し、一時的な安住を得ようとします。

しかしそれはまた、自分自身への別の形での支配で、本当の自由からは離れてしまいます。

今は自分から発信できるネットワークや機器のおかげで、自己表現の場を得て、活き活きとしている人もいる反面、自分に向けての評価や関心を過剰に得たく、承認欲求が膨らんでしまう人も多いです。

承認欲求も、支配欲と結びついているところがあり、他人の支配はもとより、つまるところ、自分自身への幻想的な支配エネルギーに囚われているのです。

言わば、自分を認めろと周囲に訴える悪魔の支配に罹っており、その悪魔は自分の中で生み出されています。

本来的な自己、あるいは本当の意味で自分を認め、様々な自分を統合し、成長していく方向性があるのに対し、それに反旗を翻し、抵抗して、いつまでも自立できない不自由(見せかけで一時的・幻想的)な自由の場に留め置かせるために、悪魔としての自我・エゴが、ほかの自分・自己を支配しようとするわけです。

自分に向けるのも、人に向けるのも同じで、結局、「支配」という課題によって、他者への直接的支配、他者への依存、あるいは他者に認められようとする支配欲求の別の形(間接的支配)として、症状が出ます。

他者に向けられない場合は、自己嫌悪、自己破壊(自傷や自己の蔑みなど)、逃避という形を取りながら、自我によって自分を支配しようという試みがなされます。

こういうと、清く正しく美しくあれ、わがままはいけないみたいな誤解を生むかもしれませんが、悪魔の支配が課題とするものは、そう単純な、正義と悪の戦いみたいな話ではありません。

むしろ、その混交と言ってもよい、二面性の統合にあるのです。

ですから、わがままになる必要の人もいますし、逆に、わがままを抑制、コントロールしなくてはならない人もいます。

ただ、いずれにしても、何を、誰を支配しようとしているのか、その支配欲は、本質的には恐れとか不安とか、欠落とか、失うものの恐怖とか、満たせない、認められない怒りとか、そういった何かから生じていると分析してみるとよいでしょう。

意外と思われるかもしれませんが、「吊るし」のカードがその手助けになるかもしれません。「吊るし」も「悪魔」も、ひもで結ばれているという共通点があり、それがヒントでもあります。

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