マルセイユタロットから恋愛について
今日は七夕ですね。
織姫と彦星、ベガとアルタイルの伝説のことから、本日はマルセイユタロットから、恋愛をテーマとした記事にします。
マルセイユタロットの、特に大アルカナのとらえ方として、三階層で見るものがあります。
もはやマルセイユタロット界隈では有名かもしれませんが、カモワンタロット系では「タロットマンダラ」と呼ばれる絵図も、それが基本となっています。
この三つは、言わば、地上(物質・肉体)的・精神的・天上(魂・霊)的見方です。
ですから、恋愛もその三の恋愛モードやタイプがあると、マルセイユタロット的には言えます。
それぞれの違いがどのようなものかと言いますと、地上的なものが肉体的・現実的・遺伝レベル的なものの要因からの恋愛なので、まあ一般的な恋愛は、この意識でのものが大半だと思います。
次の精神的なものは、内的なつながりを重視したものと言え、いわゆるプラトニックな関係が中心となるでしょうし、必ずしも異性間とは限らないですし、この次元からは人間同士でないものの恋愛もありと考えられます。
そして、最後は天上的・霊的なもので、ここまで来ると、肉体・現実・時空を超越したものとなりますから、普通の人では想像できないレベルのものであり、エネルギー的引き合いみたいな感じとも例えられ、また特定の人同士、一組のカップルではない、集団的でそれでいてひとつの組み合わせのような、個を超えたものと言えるでしょう。
そしてそれは、もはや恋ではなく広義の愛と表現したほうがいいかもしれません。
レベル別に見れば、上下や優劣があるかのように見えますが、実はそうではなく、三つとも、私たちの中にはあるものだと考えられます。
そういう中で、その人の意識レベルによって、どれがもっとも意識の中心に来るかによって恋愛モードが決まってくると思えます。
カップル・ペアの場合、結局、同じレベルの者同士の組み合わせとなりますから、自分の意識レベルが、つまりは相手のレベル(逆もまた真なり)ということにもなるでしょう。
私たちは、通常肉体をもって、時空限定の次元に存在していますから、普通は、地上的レベルでの恋愛モードを楽しむか苦しむか(苦笑)になります。
恋愛相手の選択も、自分からか相手からかという、目に見える範囲でのものであり、その行為も肉体的・物質的なものとして目に見えるものが中心です。
しかしながら、恋愛はまた心の思いであり、相手のことも、また自分の気持ちでさえ、実はわからないこともあるという、地上的には不思議モードにあります。
目に見える物質世界の出来事なのに、目に見えない世界がからむことで、悩みどころが多くなるのが(地上的)恋愛の特質と言えます。
これをマルセイユタロットで表しているのが、「恋人」のカードです。
「恋人」カードには、三人の男女恋愛模様と思える人間たちと、上空に天使のような存在がいて、この事象が、目に見える世界の上に、目に見えない世界が影響していることを示唆しています。
私たちは目に見える地上的世界観に支配されてはいますが、恋愛のような、気持ちや心が重視されるものの場合、目に見えない内的な世界へと思いが行きます。
恋愛は、両想いならば至福とも言える幸せ感に両者は満たされるかもしれませんが、一方、相手に思いが通じない、または、好ましくない相手から好かれるなど、結構、恋愛は片思い的な苦悩が少なからずあります。
たとえ両想いであったとしても、それがずつと続くとも限りません。
結局、恋愛は、不安定なもので、永続性は地上的には薄いと言えるかもしれません。
しかし、少なくとも、先述したように、目に見える物理的、物質的世界、つまり外側の世界ばかりに目を向けていた者が、恋愛を通して、内側へと強制的に意識が移行させられます。
片思いを多くの人が経験するのも、裏側にふたつのものが融合する意識を覚えているからとも言えます。つまりは、異性とか相手を通して、分離感を再認識しているのです。
もとは融合としていたもの、分離していなかったものが、分かれてしまった、それゆえに、もう一度融合を果たそうという衝動が誰しも起きるわけです。
それは自分自身の分離であり、また自分自身との再統合への願いです。この統合の境地は、マルセイユタロットの「太陽」のカードでも象徴されます。
しかし、誰もが地上的には性別に分かれるので(肉体と意識は別の性であっても、どちらかには分かれています)、皆、片思いで片割れ状態なのです。
異性とか想い人としてあなたが意識する相手は、自分の片割れ、分身でもあり、ただ、まったくの半分というわけではなく、その時その時に、あなたが求めている自分の一部であり、認識してほしいと潜在的に願っている(言い換えれば、今の意識的自分が嫌っていたり、逆にあこがれていたりする)部分なのです。
ですから、天上的次元から見れば、想い人と結ばれようが結ばれなかろうが、どちらでもよいのです。地上的には結ばれたいとは思いますが。
そして精神的レベルで見るのなら、想い人とは何らかの形で、あなたが意識した時点でつながっています。
従って、あまり意識を向け過ぎると、サイキックレベルでは、いいにつけ、悪いにつけ、相手か自分自身に影響が出ることもあります。恨みや呪いの世界にも、場合によっては入ってくるわけです。この点は注意が必要です。
精神世界の次元は、もはや形がなくなってきますので、どう思っているかが大事になってきます。ですから感情レベルの話が、結構重要なのです。
結局、このレベルにおいても、恋愛は自分とのつながりを目的として起きていると考えられます。
ここの次元では、出会いも別離も実は同じことであり、別れても昇華すれば、そのつながりはあなた自身との融合への進歩となって、次第に大きな愛へと変容する力になります。
しかし、未練や執着として残ると、それは恨み、つらみ、被害者、加害者意識になって、自分自身を牢獄へと捉え続けることになります。
これらは、マルセイユタロットでは「13」のポジティブ・ネガティブ両面で象徴されるでしょう。
とは言え、地上的恋愛モードが通常ですから、実際の恋愛状態では、自分や相手を俯瞰することがなかなか難しいのも、現実ならではの世界と言えます。
その場合は、どうにもならないこと自体が、自身の経験として必要なのかもしれません。コントロールできないものを真に理解する経験とも言えましょう。
先にも述べたように、恋愛は、マルセイユタロット的に見れば、自分自身の分離から融合に向けた衝動と出来事であり、外的なことから内的なことへ意識を転じる、大きな変容プロセスでもあります。
地上的には結ばれないとしても、相手は何らかの意味で、あなたに必要な人・対象であり、あなたの分身、一部としての役割を演じています。
ところで、今の若い人たちは、そもそも恋愛を面倒なものとして、あまりそういったモードにもなりにくいと聞きますが、これには、時代性もあると思います。
すでに地上的恋愛は必要としない時代に移行しつつあるのかもしれず、性別も、その境目とか役割が、以前よりはあやふや、中性的になってきたところも感じます。すでに精神次元での恋愛へ変化しつつあるのかもしれません。
ですから、必ずしも、恋愛を経験する必要もないでしょうし、それが必要な人には、まさに必要な範囲で、その事象を経験することになるでしょう。
前世縁とか、ソウルメイトとかというようなロマンチックな出会いを思うのもよいですが、これを言ってしまえば身もふたもない話となりますが、すべては自分自身が起こしていると見て、望ましくない相手や、最初はいい人のように思えて、つき合ってみたら、いろいろと不満が出てきたというような場合でも、その相手との関係性には、自らの中に理由があると言えます。
また恋愛にも、ここで書いたように、少なくとも三つのモードや見方があり、そうした階層別のとらえ方を知っていると、恋愛の最中は無理でも、あとで自分の恋愛の意味を、別意識で知ることができるでしょう。
それは意識次元の上昇につながり、マルセイユタロット的には、「審判」の象徴性と関係します。

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