動きたくない、変化したくないと思う時に。
今は世の中の変化も激しく、自分も変わらなければ…と思う人も少なくないでしょう。
また、とにかく行動することがよく言われ、何もしない、できない自分を責めている人もいるかもしれません。
しかし、マルセイユタロットで考えると、動きたくない時、変化できない時は、それはそれで意味があると言えます。
ただ、その意味合いも、よい意味と悪い意味の両方はありますが。
マルセイユタロットで動きのないカードと言えば、大アルカナナンバー12の「吊るし」が代表的でしょう。
このカードは、逆さに吊られている(吊らされている)と見る向きもありますが、マルセイユタロット的には、吊らされているのではなく、むしろ能動的に(カードの人物は)自らこの姿勢を取っている、つまりは逆さになって吊っていると解釈します。(諸説あります)
動きがないので一見消極的に見えますが、自分からこのスタイルを取っているとなると、あえてこういう状態をよしと見ているわけで、見方を変えると(動かないことを)積極的に選択をしていると言えます。
またこのことは、私たちに、動かないことの重要性を語っているとも思えます。
先ほど、動きたくない時、変化できない時は(よい意味と悪い意味の)理由があると言いました。
それはまさに、何もしたくないわけで、動くことに問題があるから、そうさせられていると見ることもできます。
例えば、心理的・体力的にエネルギーも不足し、活動する力が失われている時、当然ながら回復のために休む必要があります。
精神や体のほうがもう動けないと言っているのに、自分の意識だけが無理から動こうとしているわけです。
立ち止まってステイしなければならないから、動きたくないと感じさせられていることもあるのです。
ところが、自分でも自らの状態に気づけず、がむしゃらに動くことをしてしまっているケースもあります。
これはそうしない(何かしていない)と自分が認められないとか、悪くなると思い込んでいる場合が多いです。何もしない自分、何も残していない自分は人から評価されないと信じているわけですね。止まったら死ぬ(と思いこんでいる)サメのような状態です。
さらには、静かに自分と向き合うと怖くなるから、あえて忙しくしている、無意識に動き回るように自分を仕向けていることもあります。
ほかに、怠けていては怒られるとか、働かざる者は食うべからずとか、いつの間にか自分の信念や信条(心情にもなる)として持ってしまっているケースもあると言えます。
こうなってしまう大きな理由のひとつには、自分に欠乏感が大きくあることがあげられます。
これに関連することが多いですが、自分の成果が出ないのは行動しないからと信じ込まされている場合もあります。
もちろん、それはある意味事実のところもあるのですが、問題は行動する動機なのです。
不安や恐怖、あるいは義務から行動することをしている場合、結局、たとえ成果が出たとしても、またぞろ不安が出てきて、そこからさらに行動に駆られるという、まるでラットレースのような悪循環に陥ってしまいます。
常に自分は新しくあらねばならないというのも、つまりは、新しくないと自分はダメだという固定観念があり、そのためずっと緊張し続けることになり、やがて新しくしていないと自分は置いて行かれる、失敗し続ける、評価されない、最終的にはみじめに孤独になって死ぬ…みたいな錯覚の連想が働いて、ずつと恐怖に追い立てられることになります。
心配しなくても、宇宙や全体は変化するのが常ですから、変わらなければならない時は、それに自然と導かれるようになります。
むしろ、無理な固定と変化(自然に反する利己的なもの)は、自然のルールからはずれますので、問題が生じるのが必然と言えましょう。
ということで考えますと、あなたが動きたくない、変化したくないというのには、きちんと理由があり、それは自然なことなのです。
しかし、それが自然のルールに反したこだわりによるものだとすると、いずれ強制的に動かされ、変化させられるのです。
そうではない、本当に必要となる停止(動きたくない・変化したくない)は自然なものなので、それでいいということです。
あと、動きたくない、変化したくない理由には、そうしたほうが今の自分にはメリットがあるからというのがあります。
少しでも変化しないほうに、自分のメリットがデメリットよりも上回っていたら、変化しないほうを選択するのは当然となります。
人によってこのメリットは様々ですから、自分自身で考えてみるとよいでしょう。
単に動かない、変化しないほうが楽だからというだけではないのです。
例えば、もし変わる選択をして、たとえそれがいわゆる成功や願望が叶った状態にあったとしても、その成功によって反対に抱えるデメリットを今のあなたは潜在的には想像していて、そのほうが強いからというのがあります。
ところで、マルセイユタロットの「吊るし」は「世界」のカードと実はよく似ています。数の上でも、12と21で、アラビア数字的には入れ替えにもなっています。
もちろん違いもあるのですが、この似た構造は、言ってみれば「吊るし」と「世界」が呼応する関係であることを示しています。
端的に言えば、「吊るし」の内的世界が、外側の外的世界を創っている(自分を取り囲ませている)という構造になります。
まさに、外の世界が中のものを映している状態とも言えますし、宇宙全体が個人の中の世界とリンクし、個人も全体・自然の流れに即するようになっているものと見られます。
「吊るし」が逆さであるのも、本質を理解するには、反転した見方も必要であることが示唆されていると考えられます。
「吊るし」と「世界」の関係を見れば、自分自身の変化・行動についても、勝手に個人一人一人で生じているわけではなく、全体と関係・連動して在り、それぞれのタイミングや理由も、偶然とかたまたまではなく、きちんとした法則のもとに思わされていることがわかるのです。

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