お金 物質

人間の悩みは四組の玉ベース

現状、「生きる」ということに喜びや楽しみを見出していると人は、当然幸せである(いつもではなくても)と思います。

しかし、「生きる」ことは簡単なようで難しく、ほとんどの人には、必ずと言っていいほど何らかの悩みや心配事があり、時に生きる意味を考えたり、もっとひどい場合は、生きることそのものが地獄に感じる人もいらっしゃるでしょう。

仏教的には、生老病死、その他の四つも含めて、四苦八苦と言われる、(思い通りにならない)悩みが人間にはあるとされています。

マルセイユタロット的に見ますと、大アルカナの悩み(問題)と小アルカナの悩みがあり、どちらも人間の問題性を象徴しますが、わかりやすいのは、意外と小アルカナのほうです。

マルセイユタロットの小アルカナは、四つの組に分けられ、それがすなわち、人の悩み、問題を表していると考えられます。

四組とは、剣・杯・杖・玉の組のことで、英語ではソード・カップ・ワンド・コインです。

私はその中でも、玉(コイン)の組の悩みが、実は人間の中で大きな特徴を占めているのではないかと思っています。

玉の悩みとは、端的に言えばお金となりますが、もう少し抽象性(範疇)を高めますと、肉体とか物質(モノ)の世界ということになり、すなわち、私たちは肉体やモノから生ずる悩みに、大きく支配されているとみなされるわけです。

モノから来るものと言えば、物欲などがもとになり、お金とモノ(動産・不動産、環境的に消費して獲得したいもの)が、自分の思い通りの状態ならない悩みと言えます。

肉体的なことというのは、たいていは体の調子や状況のことで、言ってみれば病気とか怪我などがあって、それに悩んでいる状態です。

そして意外かもしれませんが、精神的な悩みも、肉体(個人という意識を持つ肉体)あってのことなので、ほかの四組の要素(剣・杯・杖)と関係するとはいえ、基本は個人(の体)を通して「感じる」心の悩みと換言できます。

人間関係や恋愛などが、特に当てはまるでしょう。

ですから、玉の悩みとは、究極的には、肉体と三次元世界の認識によるものと言ってもよいのです。

これが人のお悩みの大きな割合を占めていると考えると、逆に言えば、玉中心の世界からの脱却が、悩みを減少させることになります。

グノーシス神話では、デミウルゴスという偽の創造神、実は「悪魔」とも言える存在が、私たちを牢獄の世界の中に閉じ込めていると語ります。

その牢獄の世界こそ、肉体と三次元認識(モノ中心で構築されている意識の世界)で考えてしまう、今の私たちの現実意識による世界観によるものと言ってよいかもしれません。

しかしながら、私たちは肉体を捨て、生きることをやめることはできません。

これでは最近言われている「反出生主義」(生まれる事こそ問題と考える思想)みたいな極端な考えになるか、厭世的、虚無的な状態になり、自殺さえ推奨されかねません。

実際、数千年にわたるグノーシス主義の思想の中では、反出生主義みたいな一派もあり、現実世界を極度に忌避していた人たちもいたと言われます。

ただ、グノーシス主義を探求していくと、それ(反出生主義的な考え)さえも物質的境地・観点に毒されているからではないかと思うことがあります。

グノーシス主義のことにつきましては、少し難しくなりますし、誤解も生じやすいので、ここではこれくらいにしておきます。(ちなみにグノーシス探究は、私のタロット講座受講者で、それに興味のある人たちのグループでやっております)

今日言いたいは、マルセイユタロットの四組「玉」の悩みをどうするかについてです。

玉の悩みは、つまるところ、肉体がベースだと言いました。

でも、肉体をすぐに捨てる(死ぬ)わけにもいかないのも当然です。ということは、残るは三次元認識をどうするか、になります。

おそらく、宗教や古代から解脱的な修行は、この三次元認識をいかに超えるか、変容させるかという技術とか知識であったと推測されます。

とは言え、私たち一般人で、なかなか修行ベースの生活を送ることは困難です。

ここで、タロット的には四組を再登場させ、玉の世界だけに偏りがちな意識を、ほかの剣、杯、杖に振り替えて行くということが考えられます。

これは玉、すなわち、肉体と三次元の世界をもとに思考や感情が出ていることに気づくのがまず大事で、そのあと、剣、杯、杖のほう(のどれか)に意識を強制的にでも移していくという作業になってきます。

もっと具体的に言えば、例えば、「杖」は情熱や生きがいを象徴しますが、肉体をはずした生きがい、肉体を通さない(使わない)喜び、目的を思う、創り出すということで、そうすると、意識は三次元価値観にどっぷりと浸かっていたところから、少し浮上するでしょう。

また「杯」は感情を象徴しますが、これも、肉体的欲求から出ているかどうかをチェックしていくことで、例えば、何かを買う時や、恋愛においても、肉体意識から離れて、もっと別のつながりとか目的を持ちたい自分に気づくこともあるかもしれません。

また、三次元認識を超えるということは、すなわち四次元以上の認識に自分を上げることなので、そうしたテクニック・知識が論理的にできるものを学ぶのもよいかと思います。

特に、今は、半田広宣氏が提唱されている「ヌーソロジー」が、個人的にはマルセイユタロットの幾何学にも通じていて、とてもお勧めです。少々難しくはありますが、普遍的な意味で、三次元認識を超えて行く(少なくとも、今の現実意識を変える)きっかけになると思います。

それからスピリチュアル的なことになりますが、やはり、霊性という部分を、仮定でもいいので自分の中に創り(本当はすでにあるものですが)、常に自分の行動や感覚、あるいは悩みの時に、その部分・存在を意識することで、玉・肉体の囚われを和らげるように思います。

実はマルセイユロタロットの大アルカナでも、肉体と三次元意識からの脱却による現世での悩み軽減(究極的には解脱のようなもの)は、描かれています。というより、それこそが大アルカナの目的と言ってもよいかもしれません。

マルセイユタロットの、大アルカナ「数をを持たない愚者」には、旅人とともにが描かれており、その犬とともに旅をしているか、犬に駆り立てられているかのように見えます。このこそ、霊性と関係すると見てよいのです。

ですから、言ってみれば、霊性をいかに育てるか(回復するか)であり、そして復活していく霊性(霊性の意識の顕在化)の程度により、囚われの現実世界(肉体と三次元認識中心の世界)からの脱却が進むと見られます。

多くの人が、肉体と三次元中心の世界観の意識から変われば、逆に世界のほうが変容し、現実と呼ばれるものが、新しい、今、普通の人が想像したこともない(しかし本当は故郷・本質として覚えている)現実に移行するのだと考えられます。

肉体を通した悩みに私たちがある時、それはある意味、大きなチャンスだとも言えます。

肉体があるうちに、変容(マルセイユタロットの名前のない「13」で象徴)過程をたくさんの人が通過することで、いわゆる輪廻転生的な、ある意味、面倒な成長(変容)手続き(システム)が、人類からなくなっていくものとも想像されます。

まあ、とはいえ、私もまだまだ囚われていて、言わば「実験体」みたいに、肉体ベースの悩みが起きてくることを強烈に経験中です。従って、皆さんの助けにはならないかもですが(苦笑)、それでも、考えていること少しずつ、これからもお話したいと思います。


タロット活動の現実化

ちょっとスピリチュアル的な話が記事で続いたように思いますので、このあたりで現実的な話もしてみたいと思います。

私のところに学びに来られる人は、どちらかと言えば、自分のためにタロットを使う目的(自己の成長、探求、開発、発展、統合などの意味)の方が多いです。

それは、私自身がそのような意図でタロットを教えているからというのもあります。

ただ、実は、自分のためにタロットを使う目的であったとしても、他人に対してタロットを使うこともできるのです。(その方法を個人的には推奨しています)

ましてや、最初から、人のためにタロットで役に立ちたい、具体的にはタロットリーダーとなって活躍したい、また、それでもって仕事にもしたいという人は、他者志向が強いわけです。

こういう人のためにも、もちろん講座は開かれています。

それで、タロットを仕事にしたいという人には、初期には、ふたつのタイプがいらっしゃいます。

ひとつは、タロットを学ぶ目的自体もあまりはっきりしないまま、学習していくうちに、目的と意識が次第に定まり、タロットを使って人の役に立ちたい、タロットリーディングを仕事にしたいと思うようになるタイプ。

もうひとつは、最初からタロットを仕事にするために学びに来るというタイプです。このような人は、タロットの現実的な仕事(場)として、「占い師」になりたいという人が結構あり、また、すでに占いをしているものの、タロットはまだあまりよく知らないので、占いの技術のひとつとして学びに来るという方がいます。

私自身は占い技術を教えるのをメインにしていませんので、後者のタイプの人は今は少ないと言えますが、教える内容と技術によって、結果的には占いにも活用できますので、それは本人の活かし方次第にもなります。

まあ、タロット占いの技術習得を目的にしている場合は、占い師として活躍している(実績のある)先生とか、占いに特化したものを教えられている先生に学ぶほうがよいかもしれません。

ただし、何事もそうですが、先生というのは、必ずしも現場で優れた人がよいというわけではありません。スポーツがよい例ですが、名選手は名コーチや名監督になれるとは限らないのと同じです。それは教えるテクニックというのは、現場の技術とまた別だからです。

とはいえ、やはり、現場経験はそれなりにあるほうが、説得力や、リアルな感覚が違ってきます。

さて、なにはともあれ、タロットを学習し、プロとしてタロットリーディングをしていこうとなった時、ビジネス的に成立するかどうかは多くの人が経験しているように、難しいところはるあるでしょう。いや、これも難しいという人もいれば、そんなことは簡単だよ、という人もあって、実際は様々です。

もし、一般的な意味での「成功」で見れば、どうしてもそれを実現している人は、少ない数とならざるを得ないでしょう。

ところで、タロットで成功している人を見れば、ある程度のタイプが見えてきます。

●カリスマ性のある人

●行動力・実践力がすごい人

●もともと資本(資源)がある人

●別の分野で有名か、成功している人

●新しいコンセプトやメソッドを開発した人

こんな感じでしょうか。

まず、カリスマ性や個性が際立ち、いわばエッジが立っていて、本人も自覚していたり、演出したりしていて、多くの人を引き付ける魅力な人(これはプラスイメージとは限りません)になっている場合です。

また、カリスマ性という意味では、人物の魅力だけではなく、タロットリーディング・占いの能力が異次元的レベルにある人(特に占いが抜群に当たるとか、現実的解決策をズバリと指摘してくれて、それが見事に正解だったというような場合)は、神秘性も加わって、人気が出るでしょう。

あとは、やはり、企画力と、それを実現させていく行動力・実践力が、すごくある人も成功する可能性が高いです。

こういう人はチャレンジ精神と好奇心も旺盛で、成功するために努力も惜しまない人です。何より、自分自身も好きで、人や社会との関わりもまた好きな人というところも大きいでしょう。このような方は、自分で組織や団体を作ったり、自分なりのメソッドや技術を開発したりして、それによるビジネスを手掛けることもあります。

それから、自分は最初はそれほど成功する気はなくても、資金が豊富にあったり、人からプロデュースされたりして、祭り上げられて、いつの間にか成功してしまう人もいるでしょう。

これはいわゆる運が良かったり、自分自身は感じていなくても、他人から見れば、それなりの魅力や能力がある人だったりするからということもあります。巫女的な能力を持つ女性などに、こういうケースがあります。

ほかに、他分野ですでに有名だったり、成功したりしていて、その人がタロットもやってみた・・という人が人気が出ることもありますし、タロットとはおよそ関係ないと思われる異質な分野・経歴を持つ人が、タロットをやることで注目され、成功していくこともあります。

こう書いてくると「私は成功するのは無理・・・」と思ってしまう方もいるかもしれません。

そうですね、もし思いと現実がある程度一致するという考えを入れるならば、成功は無理と思う人は、厳しい言い方になりますが、やはり現実的にも無理なのだと思います。(苦笑)

成功したければ、タロットであれ、何であれ、それを信じる心と方法(行動も含む)が大事でしょう。タロットにもある四大元素で言えば、が重要で、もちろん、ほかの風、水、土の要素もいるということです。

それでも、タロットと仕事の意味では、あきらめるのはまだ早いです。

今までは一般的な意味での成功、厳密に言えば、大きな経済的成功を手にする観点から見た場合でした。

では、成功のイメージを一般的な意味ではなく、別のものにすればどうでしょうか?

言い換えれば、あなたが思う、タロットでできそうな成功(あなた自身が可能だと思う)イメージはどんなものかということです。

それと、一般的な意味での成功(大成功みたいなもの)を比べると、いかがですか?

そこに乖離があればあるほど、あなたの成功は実現しないでしょう。

自分ができると思う成功と、一般的な成功とが、かけ離れているのは、そこに大きな溝があるからです。

ビジネス的には、そこを埋める情報と実践が必要となるのですが、ここでは、違うやり方を述べます。

まず、一般的な成功(大成功)イメージを切り離します。それと同時に、自分の思う描く成功とか活動状態との比較を止めます。

次に、成功イメージをもう少し現実的なものにレベルを下げ、言ってみれば、あなたがほかの仕事で、アルバイトとか定職で稼いでいた金額レベルと同等か、少し上くらいのものをイメージします。

つまり、手が届きそうな成功イメージをするわけです。

次に、稼ぐ手段を複数化します。(実現していなくても、まずはアイデアから)

例えば、電話占いとか、占いの館で稼ぐもの、自分の発信で稼ぐもの(自らお客様を呼び込むもの)、他人や別のものとのコラボ、共同作業で稼ぐもの、タロットを教えて稼ぐもの、場合によってはタロット以外での仕事で稼ぐもの、自分以外の者(家族など)の収入、その他補助されるお金なども考慮します。

こうしてタロットによる、あるいはタロット活動するためのお金、収入、稼ぎを複数化していくことで、独立、ビジネス、仕事としての可能性を増加させるわけです。

人は、「できるというイメージ」がリアリティを持てば持つほど、現実化も促進されてきます。

タロットによる稼ぎ、タロット関連による収入、タロットをしていくためのお金が、現実的に、最初は少額でも、複数からのルートで集まれば、自分が可能だと最初に思った成功イメージに近づくことを実感してきて、本当に自分はタロットを仕事としてやっていけるという確信に変わってきます。

ここまで来ると、おそらくあなたは、タロットを仕事として続けていくことができるはずです。

そうすれば、最初に設定した成功イメージのレベルを上げることも可能になり、もっと上の成功も現実味を帯びてくるでしょう。

もちろん、達成したレベルに留まり、安定したものを構築・維持することでもよいです。その判断・選択は自分次第です。

タロットに関心のある人は、スピリチュアルや精神世界への比重が高いため、物質的なもの、端的に言えばお金への関心が薄いです。これは私にも言えることですが・・・(苦笑)

そこで、仕事やビジネスにタロットを活かすとなれば、矛盾とか、違和感を覚える人も少なくありません。

と言っても、現状の貨幣経済システムがありますから、サービスとお金、もっと言えば、あなたの精神とお金をリンクさせないと、まさに物質・現実としてのお金を手にすることは難しくなります。

言い換えれば、(経済的なものとして現実化するためには)あなたの気持ちがお金に向かうことを許し、身に着けた知識や技術、提供しているサービスをお金に換えることをする必要があるのです。

心を浄化したり、スピリチュアルなことを探求したりするのと、次元や表現が違いますので(本質的にはつながるところもありますが)、これの切り替え(物質の波動に下げる、お金と心をリンクさせること、お金に無関心であったり、亡者のごとく囚われたり、運任せや博打のようなことをするのではない正しいリンク性)が重要となります。

タロットを仕事・ビジネスにすることの現実的な意味では、お金とは無関係ではいられません。

物質やお金と向き合うことも、また成長の糧になるものです。(そこからの超越のためにも必要だと考えられます)


タロットでの(スモール)ビジネス

タロットを使って、大きなものではなく、スモールな形でビジネスをやっていくとなると、お金をいただくタロットリーダー・タロット占い師になることや、タロットを教える講師となる道などが一般的に考えられます。

また、タロットがメインではなくても、すでにもっているほかのサービス、身につけている(営業している)技術などと組み合わせたり、メニューに取り入れたりすることで、タロットを補助としてビジネスで活用する方法があります。

ただ、もともとビジネスにすごく関心があり、ビジネスが主で、タロットはあくまでそのツールのひとつだと思っている人は別として、だいたいの人は、タロットを学び、これを人様の役に立てたいと思いつつ、同時にお金をいただける仕事にできればよいと考えて、スモール規模的なタロットのビジネスを希望します。

そこにはタロットが先で、タロットを役立てたい(広めたい)という思いがあるわけです。言ってみれば、お金儲けとか、ビジネスは後のことになってきます。

実は、ビジネス的にはここが落とし穴となります。

私も実のところ、タロットを“ビジネス”としてはほとんど見ていなくて、生きていくためにやむなく(笑)、あるいは自分の得意なものを活かすことで、皆さんからお布施をいただくような形でタロット関連のサービスを提供させてもらっているという感じであり、えらそーにビジネスのことを講釈できる立場ではないのですが、そんな私だからこそ、わかる部分もあるのです。

さて、その落とし穴というのは、タロットや他人様への思いが先となっている関係で、ビジネスやお金にするという思いが後になって、どうしても、ビジネスモデル・システムとしてはいい加減になったり、あまり真剣にビジネスを考えずにやってしまったりするところがあるということです。

タロットを仕事にしたいという人でも、多くはそれまで主婦をしていたり、社員やアルバイトなど雇用される立場であったりした人であるので、いきなり自営で稼ぐということへの準備とか、そもそもなじみが少ないのです。

しかも、タロットに関心を持つような人は、バリバリのお金儲け、物質的成功思考の人ではなく、どちらかといえば、あまり人様と争ってまで事を起こしたいとは思わないとか、自分のアピールは苦手だという人が少なくありません。

こういう人は、平和や融和を望み、他人のために役に立ちたい、社会をよくしたいと思ってはいても、ビジネスを通してとなると、難しくなってしまうことがあるわけです。

それは、現代のビジネスが基本、競争であるからです。競争は突きつめれば分離であり、一番他者から分離されたものが有利となり、いわばピラミッド構造の頂点方向に行けば行くほど、稼ぎもよくなる仕組み(成功する仕組み)になっているのです。

一方、スピリチュアルや精神世界を志向するタロット好きな人たちは、これとは反対のワンネスや統合、融和に同調しようとしています。それは見ようによっては、逆ピラミッド志向や円環志向と言ってもいいかもしれません。

前にも書きましたが、▲と▼の構造は、やはり方向性が違うわけです。ただ、▲と▼をあえて融合させれば、六芒星になり、その重なった内部六角形では競争的ビジネスと融和精神が重なるところも示唆されます。

ただ、現実的に言えば、たとえば趣味起業とか、本格的にビジネスをするのではなく副業的、半ボランティア的、何とか赤字にならないくらいで、自分の活動費や学者費の補助となるくらいの稼ぎがある程度なら、この内部六角形で賄えると考えられます。

内部六角形を超えた、上の▲の頂点の角に立つには、他よりも突出した何かが必要です。たとえ頂点が無理でも、▲と▼の重なる内部六角形を超える▲の上部三角形に入るには、相当、ピラミッドの上の階段にいなければならないことがわかります。

そうなるには、ビジネス的に言えば、自己存在(自らの提供するサービス)のアピール、際立つ個性、ウリ、多くの同業種からお客様が自分を選んでいただくための何かがないといけないわけです。それはやはり競争の世界です。

さらには、ウリや個性だけではなく、ザービスを売ることでお金になるシステムの構築、継続的に収入となる仕組みづくりなども求められてきます。自然と同じように、市場も変化していくものですから、その変化に対応した自らのビジネスの変容や調整も重要でしょう。

このように、単にタロットが好きとか、タロットを活かして人様のためになりたいとか、これを好きな仕事にしたいという思いだけで突っ走っても、丸腰で危険地帯に突っ込んでいくようなもので、たちまち矢つき、刀折れの状態で、思っていたもの(お客様や得る額などの予想)とは違うことに直面し、撤退を余儀なくされることがあるわけです。

まあ、最低限、競争のビジネスの世界に入るのだという自覚、その折り合いをつけること、自分のウリやコンセプトを確かめ、集客方法もある程度計画しておくことが望まれます。

今までビジネスや自営をしたことがない人は、タロットの学びだけではなく、商売・ビジネス・集客などの方法を学ぶことも重要です。いくらタロットの技術があっても、それをビジネス的に活かすことを知らなければ、サービスをお金に換えていくことができにくいです。そもそもあなたの存在が知られていない状態では、あなたのところにお客さんが行くこともできません。

ということで、自分をアピールするのが苦手とか、ビジネスの細々とした準備など面倒という人は、やはりビジネスを行うことは難しいと言えましょう。そういう人は、雇用されていたほうが稼げると思います。

と、ここまではあくまで本格的なビジネスを、タロットで目指す(タロット一本で暮らしていくという気概のある)人のためのものでしたが、そこまで目指していない人、先述したような副業的・趣味起業的・半ボランティア的なことでいい人、つまりは自分の創造性・自己表現の一環としてビジネス風にやってみたい人は、そこまで厳しく考えなくていいかと思います。

こういう人は、思いのままにやってみることが大事です。いろいろとビジネスのこととか、システムとか集客とか考えるより、フィーリングや心の求めを意識して、やりたいようにやるというのが意外に奏功します。

それは、思いは感情や情熱であり、思考とは異なり、こういう場合は、思考が整理に働くのではなく、感情や情熱のブロックのほう(削ぐほう)に作用してしまうからです。特に女性ではそういう傾向があると思います。

どちらかというと、タロットを学ぶような人には、行動に移すこと(特にやったこともないようなものを行う場合)のほうにブロックがある人もよく見かけられますので、情熱がある時に、そのまま勢いで行動に移すほうがうまく行くケースがあるわけです。

規模的に、稼ぎとして、本業の(生活の)補助的なスモールビジネス程度でいいという場合は、何より、やはり好きとか、やってみたいとか、これをやると活き活きするとか、自分の気持ちがどうなのか(やりたいのか、やりたいくないのか)が大切になってくると言えるでしょう。嫌々とか、義務的にやるのは、本業や暮らしのために働く仕事で十分だからです。

また、これも時々質問されたり、見かけたりするのですが、あれこれビジネス的に計画するのではなく、ただあるがままの状態でやっていれば、集客も困らず、好きな時に好きな状態で、苦労することなく、自然にビジネスを成功させていくことができるという考え(の人)があります。

これは天のビジネスと私が名付けているものですが、こういうことのできる人がいることはいます。

ここでは詳しく説明しませんが、これには特別な条件や状態が必要です。マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」を超える意識でのもので、それ相応の蓄積と過程がいるものです。(前世的データも含める場合があります)

いきなりそれを目指す方法もないわけでないのですが、何が起こっても天に任す境地・安心感、「私は神性である」という穏やかで強い認識と、大きな愛にいつも包まれて、自分もその愛を提供できる状態にないと、なかなか難しいことです。

常識的には地のビジネス(通常のビジネス)から始めて、そこの学びと、ある程度の実績を得てからというほうが、天のビジネスはやりやすいのではないかと思います。

今はインターネットがあるので、誰でも自分の存在を知らしめることができるようになりましたし、そういう意味では、すぐにでも起業すること、宣伝アピールすることは可能な時代になりました。

それだけに手軽ではあっても、競争相手や似たような人は多量に出る時代であり、その中から選ばれ(選ばせ)、継続してやり続けるのは難しい側面もあるといえます。

ということで、タロットを使うビジネスでは、みなさんの多くに勧められるのは、▲と▼の融合した内部六角形の範囲での、補助的なビジネス規模になります。


タロットとお金の話

私は自分で言うのも何ですが、お金儲けが苦手です。(苦笑)

心理系・スピリチュアル系の人の言い方を借りれば、おそらく「お金に対するブロック」や、「お金に関するよくない思い・心のデータ」のようなものがあるのでしょう。まあ、個人的にはそのブロックも、決して悪いことばかりではないと考えていますが。

人にはタイプや性格のようなものがあり、私自身はどうも学者や清貧な(笑)聖職者・宗教家タイプみたいなところがありますので、どうしても、お金を稼ぐというのには、ストレートになり切れないところがあります。

さて、そんな私でも、一応、タロットによるスモールビジネスを行っているわけなので、まったくお金に無縁に生きられるものでは当然なく、むしろ、もっと真剣に考えないといけない立場でもあります。

それゆえ、以前はお金に対する研究や学びも行っていました。しかしそもそも、その態度自体がすでに「学者」タイプであることをに如実に物語っているのであり(笑)、ビジネスマンなら、勉強も大事ですが、何より、どんどん行動していくのが普通です。

さて、そうしたお金の学びの中で、いろいろと気づいてきたこともありました。

まず、お金による豊かさを追求するには、物質的アプローチと精神的アプローチとがあると思います。

物質的アプローチとは、お金やモノへの投資をしたり、モノや知識を商売したりなどし、文字通り、物質・モノにフォーカスしてお金を増やす(動かす)方法です。

一方、精神的アプローチは、そのまま「精神」に焦点を当て、前述したような、お金に対する自分の(ネガティブな)思い込み、ブロックを解除したり、お金に対すアンバランスな気持ちを調整したりして、また時には自分自身を洗脳までして、お金を稼ぐことに積極的に取り組める気持ちにさせるというものです。

物質的アプローチをしていく中で、自然に精神的なブロックがはずれる場合もあれば、精神的アプローチによって、心の中のお金の思いを変えないと、何を行っても、実際に効果がないという人もいます。

もちろん、両方のアプローチを同時進行していくと、より効果的になるという人もあるでしょう。

ところで、タロットでお金を得るというテーマで見た場合、どのようなケースが考えられるでしょうか?

第一にイメージできるのは、タロット占い師での成功パターンでしょう。

あとはタロットを教える講師とか、タロットをほかの技術と組み合わせたり、メニューに加えたりして、人様の相談援助をするビジネスに用いるということや、タロットカードなどカードそのものを(仕入れて)販売するということも考えられます。

いずれにしても、ボランティアや低額の報酬を得るような趣味レベルではなく、ビジネスとしての利益を出すことが求められます。

ということは、結局、お客さんや顧客を集める「集客」という技術(知識)と実践が、タロットからお金を生み出す(お金に換える)ためには大事だということがわかります。

お金はタロット自体がコインやお札に変わるものでもありませんし、虚空から出現するものでもなく、お客さん、人が運んでくれる(買ってくれて来る)ものだからです。当たり前のことですが。(笑)

いくらタロットのことを理解している、知識がある、読める技術があると言っても、お客さんに来てもらう営業努力や行動を起こしていないと、お金は来ません(運ばれません)。

お金はエネルギーという人もいますが、もしエネルギーという表現をするにしても、実際には、お金は目に見える物質ですから、(抽象的な)エネルギーを物質化すること、物質(お金)に交換することが行われなくては、自分のもとにお金を出現させることはできません。

労働で賃金を得るという行為も、結局、労働のエネルギーが、給料というお金に変化しているわけです。

何が言いたいかと言えば、抽象的なことに留まっていたり、思考や感情が、形・物質としてまだなっていない状態のままだったりすれば、お金という物質にはならない(それはお金ではまだない)という至極単純なことです。

要するに、お金へ変換する技術・システムを、間にはさまないといけないわけです。

思いや知識だけでお金が来ないのは、まず当たり前の話として、お金に換える努力や行為、システムがないからと言えます。

次に、お金にしやすいタロットが活用できるフィールドというものがあります。

それは、より現実的であるフィールドということです。

スピリチュアルな観点では、現実的=物質的と言え、それだけお金に換えやすい状態の世界(次元)があるのです。一方、精神や高次の霊的な世界となりますと、物質に下降していく(固めていく)のに、次元の変換を何度か行う必要があります。

ではタロットを使う場合で、より現実的なフィールドとはどこか?と言えば、人々の生身の思いが色濃い(言い換えれば人間的な思いが渦巻く)場所であり、平たくいえば、今のところで言えば、占いの(学問的な占いではなく、実際の相談の場としての占いの)世界です。

ここでは現実的な悩みをもって相談に来る人たちがたくさんいます。現実的であるからこそ、お金や物質の世界とも近くなります。

ちょっと悪い表現をあえてすれば、「お金を払ってでも解決したい」「お金を払うから何とかしてほしい」と思っている人が来る世界ということです。

ゆえに、(プロの)タロット占い師になると、お金が入りやすくなります。

ただし、たくさん入る(稼げる)かは、腕次第、あるいは、この人にお金を払ってでも占ってもらいたいと思わせる技術・魅力(それは個性・他者との差異と言ってもいいです)があればになりますし、集客技術はまた別の話です。

つまり、手っ取り早く、タロットからお金を生み出したければ、すぐにお金が動く世界で活用すればよく、とはいえ、その(入るお金の)量を多くさせるには、やはりそれなりの違いを生み出したり、単価や数を増やしたりする必要があるということです。

一方、こうした占い・現実次元とは違うレベルでのお客さんを相手にする(タロットを活用した)ビジネスももちろんありますが、長くなりますので、それはまた別の機会にお話しします。

少しだけ言っておくと、どのレベルにおいても、バランスやルールはそのレベルにおいて存在し、占いや現実、生身次元の相談を超えたところにフォーカスしたタロットによるビジネスとなりますと、供給・提供側もそれなりのレベルになっておくことが求められますし、どんどんサービスや内容が抽象的にもなってきますので、詐欺や幻想でだまされる(だます)世界見分けがつかなくなってくる危険性もあります。

ともかくも、タロットに限らず、お金を稼ぎたいという人は、今の(経済社会)世界においては、人間の感情・欲求を見て、生身や本音、現実次元の世界に焦点を合わせておくことも大事かと思います。


お金・経済をレベルと枠組で考える

タロットの相談でも、意外に少なくないのが、経済的な問題です。

たとえ表向きは心の相談であっても、結局、生活のため、生きていくために、お金に関わることが含まれるからです。

大きな(スピリチュアルな)世界では、物質も精神も、言わばエネルギーととらえ、形になるかそうでないかの違いみたいに考えられています。

ですから、本当はお金も心も区別されるものではないのかもしれません。

とはいえ、願ったからと言って、お金が空中から飛び出てくるわけではありません。

とにかく、現状、この現実世界では、お金、あるいはそれに代わる財産や価値あるものを持たないと、生きていくことができない仕組みになっています。

ここで、お金の問題を簡単に整理してみましょう。

考え方として、レベルの枠を入れてみることです。

大まかには、個人(単独)レベル、家族や身の回り人たちを含むレベル、地域社会レベル、国レベル、アジア・ヨーロッパなど世界地域レベル、さらに地球全体レベル、宇宙規模レベル・・・といった感じで、次第に拡大します。

実は、それぞれの階層にルールがあり、システム・枠組みがあるものと考えられます。

同時に、その範囲においての自由と責任のようなものもあります。

現実的・具体的という言葉においては、この枠組(レベル)が下に向かう(小さくなる)方向となります。

つまり、一番現実的なのは、自分個人(の生活)のことになります。次に、家族とか自分が直接関係する人のレベルとなるでしょう。

だいたいの人において、このふたつのレベル・枠でもってお金を考えます。それは自分の生活に直結するからで、否応なく、お金の問題が生々しく関わってくるからでもあります。

しかし、このレベルを大きな方向から見てみると、お金の問題は、まったく違ったものとして見えてきます。

ただし、あまりにも大きすぎると、身近には考えられず、そうしたレベルでの考えに行き着くことはあまりなく、捨て置かれます。

そういう大きな枠のことは、ほかの組織や大勢の人が考えることだと思ってしまうわけです。

私が思うに、お金の本当の問題は、このレベル間で隔絶が起こり、具体的で現実的な個人の枠から、少なくとも地球レベルの枠まで、すべてが繋がっているいること、関連していることがわからなくさせられていることにあると考えます。

教育の問題も大きいです。お金や経済のことを大枠から教えられず、しかも個人レベルにおいても、お金の扱い方を訓練されず、や外から見聞きしたもので学ぶしかないからです。

従って、自分のお金の使い方、扱い方、イメージは、自分の親やお金を与えてくれた人、お金と関係した人からのものが大きく影響します。

しかも、悪いことに、親世代もまたその親をモデルにしているため、これは結局、国レベルの伝統的ともいえる同じパターンの轍を踏むことが多く、それがその時代に合っているものならばいいのですが、経済システム(「あり方」ではなく「やり方」の方)も変化していきますから、親世代のやり方がうまくいかないこともあるわけです。

そういうデータをクリアーし、時代に合ったものにバージョンアップする必要もあるかもしれません。こういうところが、いわゆる「お金のブロック」などと言われるゆえんでしょう。

ただ、「お金のブロック」の話については、またいつか書きたいと思いますが、ブロックという概念自体がおかしいこともあるのです。また、ブロックがたとえあったとしても、それを簡単にはずすことは、かえってよくないこともあります。

世の中の考えは、すべては作られた概念といえますが、何もない状態にすることが、必ずしもいいとは限らないのです。ブロックそのものが、いわば、自我の肥大(悪魔化)を自動的に防ぎ、倫理観や天使性とバランスを取っているところもあります。

さて、話を戻します。

さきほど、お金の問題は、それぞれのレベルで見ることを提示しましたが、そうは言っても、やはり現実(お金のこと)を無視できない自分がいるでしょう。

この現実世界を、ひとつのゲーム世界だと仮定しますと、私たちはこの世界のゲームプレーヤーです。

ここでは、通貨・お金なるものが、あらゆるものの交換道具になっています。ゲームを進めるうえでは必要不可欠なものです。

なるほど、こうしたルールのゲーム(世界)では、お金を稼ぐこと、たくさん持っていることが有利なのは当然です。

しかし、このゲームの目的は、道具(お金)をたくさん持つ者がゲームクリアーとなるのか? ゲームの目的なのか?ということです。

お金はプレーヤーがゲームを円滑に進める(ゲーム世界に存在させやすくする)ための道具ならば、ゲームそのものの目的が別にあるはずです。

もしかすると、人によっては、道具としてのお金をたくさん持つことが目的だと思ってしまっている人もいるかもしれません。いつのまにか、手段と目的が入れ替わっているのです。

しかし、逆に言えば、このゲーム世界では、お金がなければプレーができず、所持金ゼロが一定期間続くと、ゲームオーバーとなるおそれもあります。

ですから、目的はあっても、手段を放置することはできないのです。

しかも、目的達成のための数ある手段の中で、お金は、今のところ、このゲーム世界の設定では、とても有力で重要な力を持っています。言ってみれば、まずはこれを持つことから始まり、過程においても常に持っておくもの・・・という基礎・土台です。(タロットの「玉・コイン」のスート)

タロットの相談の話に戻りますが、生き方の問題、仕事の問題において、その葛藤の多くは、経済と自分のやりたいこととの狭間というパターンです。

しかし、今述べたように、この世界では、お金は目的のために必要です。

自分のやりたいことは、抽象的・象徴的にとらえて(具体的な仕事とか「やり方」ではなく「あり方」と見て)、一方、お金は具体であり、手段であると見ていくと、意外に解決の糸口が出てきます。

目的を果たそうと、熱意をもってはいても、あるいはアイデアや発想があったとしても、また優しい心や、人とのふれあいがあっても、土台である「お金」という道具が最低限なければ、なかなか難しいわけです。

まずは自分の経済的安定を図ること(儲けるとか、たくさん持つというのではなくても、一応の普通の暮らしができるレベル)、これが選択においても大事になる場合があるのです。

やりたいことばかりを模索して、ずっと経済的に困っている、不安だというのも、実は本末転倒になっていることもあります。

とりあえず、自分に余裕を持たせること、ゲーム世界のルールに基づくことにから始める(戻る)ことを意識してみましょう。

ただ、そうは言っても、ゲーム世界そのものから逃れるという意志を持つ人、ゲームのルールを超越した方法でゲームを乗り切りたいという人もいます。

これは考えみればわかることですが、簡単なものではありません。

ゲームシステムに介在し、プログラムを解除したり、ゲーム世界からの脱出を図る必要があるからです。それでもこちらの方法で、お金の縛り(ルール)から解放されていく人もいるでしょう。(タロット的に言えば、「愚者」になること、「運命の輪」を超えること)

それを目指すには、そのやり方を発見し(学び)、それ行っていく覚悟が求められます。

それから、おそらくこのゲームは、プレーヤーの集合智(多くの人の合意)によっても、システムの変更が可能な世界だと推測されます。

それゆえ、現状のお金のルールを受け入れ続けるか、変換させたいかの選択によって、ゲーム世界自体も新たなものへと移行する可能性を秘めていると言えます。

さきほどの話とは矛盾するかもですが、自分の暮らしと向き合い、お金の必要性を思うのは仕方ないところもあるとしても、一方で、大きな枠組にも思いを馳せることがあってもいいと思います。それが世界の変革につながるからです。


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