お金 物質
お金は出すと入ってくるのか?
私自身はマルセイユタロットを教え伝える講師をしておりますが、あくまで一人の普通の人間であり、強みもあれば、もちろん弱みもたくさんあります。そして学び足りない分野もいくらでもあります。
ということで、アウトプットばかりではなく、インプットのために受講側に回る機会が自然と出てきます。
人に何かを伝えるということをしている者は、逆にもっと学びたい、吸収したいということになってきます。それは普段は「出して」いるのですか、「入れていく」ことも多くなるのはバランス的にも当然と言えます。
このように「出して」いれば、自ずと「入る」ような働きになりますが、ではお金がそうならないのはなぜなのでしょうか?
バランス論からすれば、お金をたくさん使ったら、いっぱい入ってきてもおかしくないですよね?
ところが、バランスというものは、必ずしも同じ物質や形でバランスが図られるわけではないのが、この宇宙の仕組みのようです。
お金を出したらそのままお金が入るのかといえば、そうではないのは、皆さん、当たり前に経験していることですよね。
でも実は、きちんと「入って」きているのです。
何が入っているのでしょうか?
それは、使った分の形と、満足感のような気持ち・感情です。
モノを買えば、当然、そのモノを販売した側からいただくことになります。ということは、単純にモノとして入ってきたということになりますよね。
またモノではないものならば、知識とか情報とか、楽しい、うれしい、良かった、癒された・・みたいな感情ということもあるでしょう。
もし自分で使ったお金と、その価値に見合うモノか情報・感情を手に入れていない時は、あなたの中で葛藤や不満足感が起き、そのバランスを回復させようと、別の行動や感情を発生させます。
また、単に出す・入るを局面だけの完結で考えていると、今あるレベルのものを出して、その分を入れるだけということになります。
簡単に言えば、循環や流れ、別の表現になって変換していくというイメージがないと、規模を拡大させることができないという意味です。
財布に入っている一万円のみで何か買って支払い、支払った分の何かをもらっても、それだけの世界(一万円だけの世界)です。
これでは「一万円という世界」において、増えも減りも実はしていません。一万円から何かを購入した残額と、買った何かの価値分を足して、やはり一万円ということです。
お金がもっと入るようにしたいとすれば、一万円世界をもっと拡大することが必要です。
でもイメージしただけではもちろん何も起きません。財布の中の一万円だけの世界の枠を拡げ、循環させたり、外の世界と出し入れでつながっていったりするような流れ・仕組みが必要なのです。
お金を消費しただけでは、その世界内での完結に近いです。
何も考えず、単純に出せば入るのだと思ってお金を使っても(消費しても)、本当は支払った金額に応じて、モノや価値に置き換わっているだけなので、確かに「(モノや感情として)入って」はいるのですが、実質、見た目の「お金」の形としては、出る(減る)一方になります。
やっかいなのは、見た目のこの「お金」というものが、現代では交換価値を持つ重要な「印」なので、お金が見た目(実際)に自分のものとしてあることが重要になっているということです。
だから消費して別のモノに置き換わっていても、お金の実体として「ない」ので、消費すればするほど貧しくなるという状況になります。(置き換わったモノを売れば、少し金額は減ってもちょっとお金に戻るでしょうが)
ということでお金がほしい人は、使ったお金をまたお金に戻す作業(戻す量はやり方で半額になったり、逆に倍以上になったりします)か、循環の流れを意識し、もっと流入と流出の規模を拡大させるということが大切となります。
結局それは投資とか、自分の持っているモノ、資産、知識、技術、個性、体力、魅力、時間等、いわばエネルギーをお金の表現に変えていくということになるでしょう。
スピリチュアルでよく言われる「与える」「先に使う」などを、単純にお金にそのまま適用することは、ある人にとっては、先述した「消費」の過剰になりますので危険とも言えます。
「与える」「先に使う」ことで豊かさを入手するというのは、本質では私もその通りだと思いますが、個別やレベルによって適用も異なってきますので、そのまま文字通りと解釈しないことだと思います。
しかし、お金の使い方を投資やエネルギーの循環と変換的な見方でとらえる人は、きっとお金を先に使う(出す)ことで、あとから潤うことはできてくるでしょう。
ふたつの錬金術
いきなりですが、「お金」と聞いてあなたはどのような感じを受けますか?
キラキラと輝く素敵なものとイメージする人もいれば、ズバリ札束やコインを思い浮かべる人もいるでしょう。
また、感情的に「嫌だな」「卑しい」と思う人や、逆に「楽しい」「嬉しい」「大好き」「ワクワク」と感じる人もいるでしょう。
意外にも、その第一印象やイメージ、わき起こる感情があなたの「お金」に対する思いを表していることが多いものです。
心理的には、ここ数年、お金に縁がない人、今ひとつ経済的に思うような状態になっていない人に対して、「お金」に対するブロックという面でとらえられることが増えました。
そのアプローチは、時にとても効果的ものを生み出すように思います。
まあ、お金に限らず、いわゆるメンタルブロックというものは、様々に自分の人生に影響を及ぼしており、うまく本来の自分を表現できてない要因(現実が不幸に思える状況)は、メンタルブロックであることも少なくありません。
しかし、何でもかでもメンタルブロックだという主張もどうかと思います。ブロックも悪いことだけではなく、自分を守るための盾となっていることもあるからです。
これは「お金」についても言えるのではないかと考えます。
お金をエネルギーや表現としてとらえた場合、タロットをしたり、精神的なことで仕事をしたりする人には多いのですが、単純にエネルギーをお金に価値変換できないだけという場合もあると思われます。
端的に言えば、自分の提供する・表現するエネルギーを、お金という形に換える方法や手段に疎いということです。
これはブロックというより、情報の問題です。お金にする技術を知っているか知っていないかということが大きいのです。
例えば、子供の頃を思い出していただければ、「商売」や「お金を手にする」というもののイメージが、何かをモノを売ることだったり、漠然とただ「働くこと」と思っていたりしていただけではないでしょうか。
大人になれば、「お金」を手にするいろいろな方法を知ります。単純に雇われて働くことだけではないのです。
情報や知識を売ることもできれば、スポーツ(選手)も実はお金になることが(子供の頃はお金の視点より、ヒーローとかヒロイン的な視点だったでしょう)わかります。株や不動産などの投資も同様です。
さらには、何かがお金に換わっていくシステムそのものを知見することにもなっていきます。(これは非常に重要な視点です)
自分の携わる企業・組織、関係する人たちとの交流によって、自分のそれまでの常識でのお金の稼ぎ方から、あり得ないと思っていた方法での獲得を「情報」として知ることになるわけです。
まあ、その過程で極端に言えば、詐欺・犯罪的なグループや組織に影響されて手を出してしまう人もいます。これは悪い例ですが、本質だけを見れば、自分の(それまでの)常識を超えた情報による金銭の入手ということになるわけです。
つまり、実は「錬金術」の知識と技術が問われているのです。
「錬金術」はタロットにおいても重要なファクターとして登場しますが、古代から中世における、いわゆるいにしえの「錬金術」と、現代で言われるところの経済的な「錬金術」とはもちろん異なります。
前者は卑金属を金に変える技術ですが、この「金」というのは象徴で、霊的な意味も含みます。
後者は単純に「お金」を生み出す(稼ぐ)方法ということで使われます。
ただ、象徴的には似ているところがあり、あながち、昔の「錬金術」と現代の人が使う意味での「錬金術」が全く違うとは言えないのです。
古代の錬金術も、いわばエネルギーや情報の世界と関連するからです。四大元素論とも通じるところがあります。
ということで、情報は非常に重要です。
かつての錬金術師が、師や霊的な文書(このふたつは「ヘルメス」という言葉で象徴されます)を求めたように、現代的なお金の構築にも、自分を超えた人や情報の世界に接触する必要があるでしょう。
そこには詐欺や欺瞞の世界として、昔の錬金術と同様、危険なものもあります。しかしながら、自分をこれまでの範疇の世界観を超えないと、その求める情報次元の世界には移行できないところがあります。
またたとえそういった情報に接しても、やはりメンタルなブロックが強くあると、行動を制限してしまいますので、メンタルブロックの解除との同時進行は必要かもしれません。(行動そのものが、メンタルブロックを解除させる装置になることもあります)
錬金術の世界に入ることは、マルセイユタロットでは「手品師」のカードで象徴されています。
このカードが「1」という最初の数を持ち、出発点であることも興味深いことです。なお、「手品師」は「仕事」も象徴しますので、お金を稼ぐ第一歩でもあるのです。
スピリチュアルな傾向の人は経済的なことやお金を後回しにしがちですが、マルセイユタロットの場合は、現実面での成功の道が最初であることも謳われており、マルセイユタロット的にも、それ(現実の充実)は無視できないものと言えるのです。
なお、お金の分野については、「宮廷(コート)カード」の通称コイン、「玉」の人物たちとも深く関係するので、注目するとよいでしょう。
人物で、見えない世界を象徴する。
<p>タロットを身近に感じたり、カードに描写されているものを実感したりするひとつの方法が、<strong>カードの擬人化</strong>です。</p>
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<p>これは、簡単にに言えば、<strong>カードを人物(人間)のように思い、会話してみる</strong>ということです。</p>
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<p>「えっ、なんと幼稚な」とか、「ばかばかしい」と思う人は、残念ながらタロット(とつきあう)のセンスが、今の段階ではないと言わざるを得ません。</p>
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<p>タロットは象徴なので、その解読には基本的に、ロマンチストな詩人的能力がいります。ただし、そればかりでは現実に活かすことができず、空想の世界で遊ぶだけのものとなります。</p>
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<p>この(ロマンと現実の)<strong>橋渡し</strong>や、<strong>道をつなぐこと</strong>がタロット活用の鍵となります。これはタロットの、あるカード(たち)が持っているのですが、ここではふれないことにしましょう。</p>
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<p>さて、そうした擬人化のテクニックの応用で、タロットに限らず、<strong>目に見えないことを人物として象徴してしまうやり方</strong>があります。</p>
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<p>特に問題事項に有効で、たとえば心理の療法的にも、病理現象を人物化して扱う方法が存在します。</p>
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<p>ということは、はっきりしないけれども、何か問題となっていることを<strong>人物として見立てるとよい</strong>わけです。</p>
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<p>日本人はこれを八百万の神とか、また妖怪・物の怪とか、時にはお坊さんや神社のお札を配る人などによって表現していたことがありました。</p>
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<p>たとえば、こういう面白いものもあります。</p>
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<p>昔話や落語でなどでおなじみの、貧乏神です。(笑)</p>
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<p>貧乏はそれを担当する神様がいると考えたわけですね。便所にも神様のいる国ですから、これもありです。</p>
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<p>貧乏神を今風のスピリチュアル的にとらえると、そういう<strong>波動やエネルギー</strong>、平たく言えば雰囲気ということでもあります。</p>
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<p>いわば、お金のことであっても、貧乏はある種、「病」や普通ではない状態、憑依された状態として認識されるわけですね。もしかるすと裕福すぎる(裕福でも不安がある状態)のも問題かもしれません。</p>
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<p>貧乏神と仲良くなるとますます貧乏になるのかもしれませんが(笑)、「貧乏」を人物化すると、語らうこともできますので、自分についている貧乏神と話し合い、去って行ってもらうこともできるでしょうし、何が貧乏神の好みで、福の神とは違うのかということも見つけることができてくるでしょう。</p>
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<p>ということは、福の神も<strong>人物化</strong>して見ていくとよいわけです。</p>
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<p>両者とも「<strong>神様</strong>」ですので、特に貧乏神といえど、その扱いはぞんざいにはできません。もしかするとこの二人の神様は、<strong>同じ神様</strong>かもしれないからです。</p>
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<p>「そんなはずはない」と思うかもしれませんが、<strong>両極のものはレベルの違う同じものの表現の違い</strong>でしかないという、神秘学上の定説・法則があります。</p>
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<p>ということは、お金回りが悪いと思っている人も、それを変化させていく可能性はあるわけです。</p>
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<p>まあ、ただ貧乏神様がいらっしゃる状態というのは、一方の極にふれている状態ですので、メーターを逆方向に移動させないと、同じ状況が続くことになります。</p>
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<p>メーターを移動させるには、貧乏神様のエネルギーとは異なるものに目を向け、採り入れなくてはなりません。それが意外に「<strong>思考</strong>」にあるということは知らされていません。</p>
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<p>言ってしまえば、貧乏神様はあなたの思考が好きなのです。あなたの考え方とか思い方に、貧乏神様がとっても気にいられているわけですね。(笑)</p>
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<p>実際のお金のあるなしではなくて(それももちろん重要ですが)、その<strong>元になっている思考や表現方法が問題</strong>なわけです。</p>
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<p>というようなことも、擬人化するとわかってきたり、感じたりすることができます。</p>
私たちは物理世界に生きています。
私たちは肉体を持ち、いわゆる現実という物理的な世界で生きています。
そのために物理法則は絶対として働きます。
また形無きものは存在できないようになっています。いえ存在はしているのですが、日常的にとらえることができないものとなるので、実際的に存在していないように感じてしまうということです。
ですから、モノ・形、目に見えること、感覚的に味わえること(五感で確認できること)は、重要なことなのです。
仮に形のいらない世界があったとしても、その世界では経験することのできない内容を、反対に物理的なこの世界では体験することができているのだと推定することができます。
というのも、おそらく宇宙は二元のエネルギーや質で表現されると推測できるからです。
これが陰陽になったり、昼と夜になったり、男性性・女性性になったり、能動と受容になったり、表と裏になったり・・とあらゆる局面でふたつの表れ方を示し、それらが多層に重なり合うために、一見とても複雑に世界は見えるのです。
しかし結局はふたつであり、最終的にはひとつです。
となれば、「形ある世界」と「形のない世界」というのも、セットや対で表現されるのではないかと想像することができます。
そして、そのどちらにも私たちは行くこともできますし、経験することもできるのでしょう。
しかし、昼に夜の世界を見ることができないように、物理的な次元では非物理的世界そのものを体感することは困難といえますし、逆の世界での特質をあえて表すことも無理があると言えます。
※(ただし、地球でも昼の時に夜の地域があったり、昼にも影があるように、別の次元を一部見い出したりすることも可能ですし、方向性と見方・観察方法を変えれば別の世界が見えてきます)
いわば、昼には昼の活動や表現方法があるので、昼を活かした自分を意識しようということです。
ですから、この現実世界では精神や心、霊などの目に見えない領域を探究するのもよいのですが、そちらばかりに氣を取られ、形で表現することを忘れてしまうのは、大変もったいないことだと言えるのです。
たぶん、あちらの世界(形のない世界)というのは、死後にいくらでも体験できるのではないかと予想できます。
従って今は夜(形なき世界)ではなく昼に生きているのだ自覚し、なにがしかの結果や形を求めていく(もしくは形を味わう・経験する)ことは大切だと考えられるのです。まさにこの物理的世界にいる間に、自分もその特徴に合わせて表現していくということです。
もしこちらの世界の逆の特質で自分を表現しようということは、旅行でたとえれば、アメリカに行ってもずっと日本のことばかり考え、食事も日本食で押し通し、現地でも日本語でしか会話せず、一切現地の人ともふれあわず・・・というようなものです。
ただ、日本的な思考で逆に海外にインパクトをもたらせたり、現地の人が常識と思っているやり方とは別の見方をしたりすることは可能です。
これが心の世界を知って、物理的世界に活かすみたいなたとえのひとつとなるでしょうか。
いずれにしても、せっかく物理的次元がメインの世界に来ているわけですから、郷にいれば郷に従えで、その世界に応じた楽しみ方(形・目に見えるモノ・結果を出す、残すなどでの実感)を自分なりに表してみることは、よい経験(つまりよい人生)になると思えるのです。
これはマルセイユタロットの「悪魔」が語ることです。つながれている喜びの発見(決してマゾではないですよ(^_^;))がわかれば、また「悪魔」も楽しです。
誤解なきよう願いますが、精神世界や霊的世界を知ることが悪いとかダメだとか言ってるのではありません。これはこれで物理次元だけで理解不能なことや、うまく行かないことへのカウンターになって、裏から見る世界を知ることで、現実の見方が変わり、よりよく物理次元を生きる智慧になります。
問題なのは、別の次元に逃避してしまうことです。今いるのは物理次元なのですから、これを無視して、別の世界に引きこもってしまうことは、実にもったいないということを言っているのです。
たとえ今いい結果や形が残せていなくても、味わうことそのものが目的だと思えば、必要以上に悩むこともなくなってきます。
そして精神や心の、目に見えない領域のことは、この現実と物理的世界をよりよく生きるためのヒント・別情報として知れば(学べば)いいのです。
男性だけでは難しいことも、女性がいればスムースに進むことあるというように、別の世界は自分の所属する状態を補完してくれるエネルギー・領域だととらえればよいでしょう。
物理次元・現実では女性(男性)が決して男性(女性)になれない(これは「思い」だけで形を変えるということを言っています)ように、反対のものに完全変容・移行しようとするのは困難を伴って、川の流れを逆行するようなものなのです。
自分の今ある本来の状態をよく自覚することで、スムースな生き方ができるのです。
お金の問題におけるバランスとエネルギー。
お金のことで問題となっている場合、まずはバランスという点から見ていくとよいです。
第1には、単純な収支のバランス。第2には精神と現実、いわば心と行動のバランスです。
収入より支出が多い生活をしていれば当然お金はなくなっていきますし、経済的な問題が生じます。これは収入の金額に関わらず、どのレベルにおいても言えることです。
お金を増やそうとするのならば、支出を抑えるか、収入を増やすことを考えなければなりません。現状から見て、どちらが自分に適切なのかはケースバイケースです。
収入を増やす場合は、ポストを上げるなり転職するなりして収入を上げるか、別の収入口を作ることが必要です。
しかしたいていの場合、支出に問題があることが多いのです。だいたい支出のコントロールがうまく行っていない人がお金のトラブルを抱えることになります。
そしてこの支出というものはほぼ自分の選択と行動によって支配されますので、自分次第ではかなり修正していくこともできるのです。
人の行動は、実は心によって決まってきます。自動的に行動しているようでも、必ず心(思い・精神)が込められています。その思いが意識的か無意識的かも大きなポイントです。
何かわからないうちにお金を支出してしまっているというのは、無意識・無自覚である証拠です。
たとえある程度自覚していても、ついお金を使ってしまうというのは、無意識の領域に消費による欲求の解消や代理行為があると考えられます。(つまりお金を使う本当の理由は、心に原因があるということ)
だからこそ、心と行動のバランスを取ることがお金のバランス(回復・調和)にもつながってくるのです。
またもうひとつには、大きな意味でのバランスと言いますか、タロットでいえば「正義」の天秤によるようなお金の問題があります。
たとえば精神世界やスピリチュアル傾向の強い人が、そのバランス回復のために非常に現実的な問題に悩まされるというようなことです。
その現実的なことというのがお金や経済的な問題になる場合が多く見受けられます。
本当の意味でスピリチュアル・調和がとれている場合は、実際的にも豊かさが進行していくと予想されます。
しかしだいたいにおいて、逃避や何か自分の中に問題を積み残したまま過度にスピリチュアルに走ろうという場合が見受けられるため、当然ながら現実や物質と向き合わさられる事が、その人たちの間に起こることになります。
これは宇宙的バランス(の自動修正)と呼べるモノで、実はとても有り難いものです。
次なる段階に進むためには、クリアーしなければならない問題が、まさにふさわしい形で自分の前に現れるのです。
従ってスピリチュアルに生きていると自分では思っていても、経済的な問題が生じているというのならば、調和ではなく、どこかアンバランスに前に進もうとしているという警告のこともあります。
マルセイユタロットで見た場合、「節制」や「星」の逆位置で出ることが結構あるケースです。
お金もエネルギーの表現だと考えれば、お金の問題があるというのは、どこか自分にエネルギーの不調和が生じており、過度にエネルギーを流しているところがあったり、逆にエネルギーを抑制し過ぎていたりする箇所があることになります。
エネルギーの漏れ(浪費)や滞り(執着)がお金(の問題)にもつながるのです。言うまでもないことですが、エネルギーは精神にも置き換えることができます。
自分のお金の問題を今一度確認してみましょう。