カードからの気づき
自分の運の回転と波。
よく運気というのは巡ってくるという表現をしますよね。
これはなかなか面白い表記だと思います。
以前「時間は円環をなしており、循環している」と、特に古代では考えられていたというお話をしました。
運気というのもこのような時間や波と同じで、円あるいは波動を描いていると見るのなら、やはり運気の周期というものが推測されてきます。
運命学や命占と呼ばれる分野では、こういった運の周期については詳しく解説されることだと思います。
運というものが何によって作られるのかは諸説様々であり、私もまだ何なのかはよくわっていません。
ただ運を最も象徴する「運命の輪」やほかのタロットカードを見ていますと、その回転運動とともに、ある事柄が浮かんできます。
それは一番最初に書いた「巡り」であり、回ってくるということですから、天体の回転と関係しているのではないかということです。
なんだ、そんなことか、西洋占星術では当たり前のことだと思うかもしれません。確かに星の運動(回転と巡り)が運に影響を与えているというのは、占い的な占星術では基本的知識です。
とすれば周期として考えれば、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星の古典7惑星の回転周期が自分の運勢に影響を及ぼすということになります。(天王星、海王星、冥王星、小惑星を入れることもあります)
それぞれおよそ28日、88日、224日、365日、687日、12年、30年というスパンで黄道(見かけ上の太陽の通り道)を回ります。
惑星にもまた象徴的な意味がありますので、その意味と重ね合わせると、上記スパンの巡りごとにそれぞれの惑星の意味する出来事が象徴的に起こるとも考えられます。
別に私はここで占星術の講座をしているわけではありません。(笑)
大切なのは惑星を中心としてその回転運動によって「時」が生じ、その「時」から運というのものも発生しているのではないかということです。
そして黄道12宮というように、12の星座(サイン)の中にあって閉じた円で繰り返しているという点も重要です。
つまり運はある一定時空間の円の中で巡って発生しているもの、繰り返されるものという発想になります。
それとは別に、いや同じことかもしれませんが、自分固有の回転軸もあり、(自分自身が回っていると考えます)あるいは惑星同士の影響によって生じる別種の回転(比率)があり、それが自分に深く関係していると私は見ています。
それが自分と縁ある数字ではないかと考えています。
つまり、人それぞれに特別な「数」を持ち、その数によって回転し、そして周期ができ、その影響が「運勢」として実際に出てくるのだということです。
たとえば「6」という数字に縁のある人は6年周期で何か変化があるということです。(起こる事件や事柄は違っても、円・周期としてみると実は本質的に同じものが生じていると見ます)
これがカルマとも結びつき、人は人生で数や回転に象徴させられる何かを学び、レベルの上下によって違うことではあるものの、同じ本質を体得しようとしているのではないかと想像できるのです。
タロットのイヤーカードはそれに少し近い感覚があります。
皆さんも自分の人生を遡って、自分固有の周期と運の波について抽出してみるのも面白いと思います。
月のカードから 感情について その2
昨日の記事の続きです。
昨日は感情を抑圧することの危険性を書きました。
感情は表出させたほうがいいですよ、ということを導くために昨日の記事はありました。
いわば今日のための伏線です。
ところで、私たちの肉体は目に見えますが、精神世界の考え方としては、この目に見える肉体を囲む、あるいは接するように別のエネルギー体のようなものがあるとされています。
とらえ方によってそのエネルギー体の数は違ってくるのですが、肉体に一番近い部分のものを「エーテル体」ということでは比較的共通していると思われます。
マルセイユタロットでもエーテルのことは出てきますが、若干ここでいうエーテル体の意味とは違うところもあります。ただ目にに見えない霊的な物質ということでは共通する面もあります。
このエーテル体こそが感情と深く関係し、いわばエーテル体を鍛える栄養素とでもいうのが、ほかならぬ感情体験なのです。(そう「月」のカードが語ります)
感情を深く味わう体験をすればするほどエーテル体は震え、振動が起こり、強化・拡大すると考えられます。
そしてまたエーテル体はさらに上の次元(霊的世界)と関わるための扉であり、受容器の役割を果たします。エーテル体が整ってくると、それだけ別次元の情報とつながりも得やすくなるということです。
カバラーの生命の木でいえば、イエソド(基礎)に当たるのがエーテル体だと言えるでしょう。いわば霊的な入り口です。タロットカード(マルセイユ版)では、「月」と関係する「斎王」にもそのことが表されています。
私たちが感情を味わう体験をすることで、エーテル体の振動とエネルギー流道が開き、それが循環する仕組みが整ってくるように感じます。
そのエネルギーが一定量以上流れ、循環・縦貫するシステムとしてさらに整備されると、まさに霊的な扉が開くのだと推測されます。
これはエーテル体によって取り囲まれている肉体(つまり健康)にもよい影響を及ぼすと考えられます。
だからこそ、様々な感情を感覚として体験することは必要であり、この世界と人間とで感情的な反応が起こるように設定されていると言えます。
ただ問題は得た感情と感覚に罪悪感を持ったり、悪いモノとしとして評価してしまったりすることでしょう。
「悪く思ってしまう」「つらく感じてしまう」という状態が自分で自分を苦しめ、エーテル体の正常な発展にブレーキをかけていると言えます。
ましてや感じないようにする感情の抑圧はなおさら問題です。
結構わがまま過ぎるくらい思うがままに生きている人がエネルギッシュで溌剌とし、時には運さえよいように見えるのは、感情の発露によってエーテル体が鍛えられているからとも想像できます。
そして一般的には言えるのは、多くの感情を体験すること、感情を抑えすぎないこと、そしてつらく苦しいと思ってしまう状況ばかりにならない(そのような環境と心持ちの自分を改善していく)ことがエーテル体の正常鍛錬には大切なことだと思われます。
ですから厳しいことから逃げることでもありませんし、反対に自分に忍耐をさせ続けることでもないのです。
「月」のカードにおける水たまりはエーテル体のプールとも言えます。波が描かれているのも振動している証拠でしょう。
詳細には述べませんが、エーテル体と月の関係を見ると、ザリガニと後ろにある門も重要な象徴として関係してきます。
私たちの現実(行動による選択・結果)は感情の祖型であるエーテル体に蓄積される部分によって支配されていることもあると考えられますので、感情への配慮はもっと注視したほうがよいと思います。
月のカードから 感情について その1
マルセイユタロットの「月」のカードを見ていると、普通では思いつかない、あるいは見えない事柄が浮かんできます。
といっても私の場合、何かが見えてくるというのではないです。
カードからのインスピレーションのような形で「感じる」「わかる」というものですね。(これは最初からではなく、カードと長く接していると自然にそうなってきます)
今日はその「月」のカードから得られた話のひとつを書きます。
月は感情と結びついているということは聞かれた人も多いでしょう。
占星術をされる人は、月が感情を象徴することは知っていると思います。太陽の光を受けて輝く月の受容性・反射性などからもそれは想像されることです。
ところで私たちは生身の人間である限り、感情に支配されがちです。いや、感情があるからこそ「人間的」だとも言えますよね。
しかしそれなのに、「感情的になることは悪いことだ」決めつけられているようでもあります。
私たちのイメージでは、「悟った人」「賢人」のような人物は感情をコントロールすることができ、いつも平穏な心でいられる人だと思っています。
本当にそうなのでしょうか。やはり悟った人ともなれば感情を超越していそうなので、そうなのかしもれません。
ただ私たち普通の状態にある人間は、感情を抑制するとあまりよくないことがあります。心の奥底に抑えられた感情は、マグマのように溜まっていつか爆発しようと機会をうかがうことになるからです。
これはただ抑えているだけでコントロールしているわけではありません。圧縮している分、非常に圧力が高く、いつか暴発する危険性があります。
爆発しなくても、無意識のうちにずっと強く抑えていますので、それだけ知らず知らずにエネルギーを浪費していることになります。
このため、全力で物事に立ち向かえない弱さ、何かに依存する心が生まれたり、逆に自分を過剰に意識して他者を支配したりして気を紛らすことすらあります。
ゆえに感情を抑圧することは自分にとってよくありません。
悲しければ泣き、腹が立てばを怒りを表し、うれしかったり楽しかったりすれば笑えばいいのです。
アニメ「エヴァンゲリオン」で、感情のないクローン人間である綾波レイに対して、「笑えばいいと思うよ」と言ったシンジ君を思い出します。(これはちょっと意味が違いますが・・・(^_^;))
とはいえ、感情を表出するとしても、時と場合があるのも事実です。所構わず感情を露わにしてよい社会状況でありません。特に日本では、です。
それでも必要以上感情を抑えていないか、改めて確認してみるのはよいでしょう。
笑っていい時なのに、かっこ悪いからといって笑わない。泣いても別に悪くないはずなのに我慢している。
こんな場面はないでしょうか? 性別(男だからいけない、女だからダメ)の制約も結構あります。
やはり感情を表すことがしやすいのは、安心して自分を出せる人がいるかどうかという点も大きいでしょう。
やはり人は人によって救われるのです。
そうした人がいない場合は、セラピストなどの専門家の力を借りたり、映画やドラマ、本、芸術作品などで感情を表出させることも可能です。
長年感情を抑えざるを得ない環境(親や配偶者、職場などの影響で)にいた人は、かなり感情を表すことそのものをセーブする強固な仕組みが出来上がっています。
このような人は、少しずつコツコツと雨水が壁を壊していくかのようにやっていく必要もあります。
こうした人は「私には無理だ」と最初から否定したり、反対に「私は感情的に安定している(実は感じていることを感じないようにしているだけなのですが)」とさえ誤解していることもあるからです。
少しくらいやって効果がないからとすぐにあきらめてしまう場合もあるのですね。ですから少しずつ壊していくことが大切なのです。
ただ、壁にもある種のポイントがあり、そこを刺激されると一気にダムが壊れ、感情の激流が放出することもあります。(溜まっている分、あまりに流れが大きい場合があって慎重さがいることもあります)
溜まっていた感情を追体験のように味わうと、たいていは涙のカタルシスとなって現れ、流れていきます。感情と涙は非常に密接に関連しています。(タロットカードに描かれている「月」のしずくも涙に見えます。ただし、この「水滴」には別の原義があります)
月のカードと感情についての話は、まだ先があります。今回本当にお話したいのは実はそのことなのですが、長くなりましたので、それは次回にいたします。
意外な形とタイミングで救いは起こる。
今日はちょっと個人的なことを書きます。
私は中学3年生の時に父の転勤によって、関西から広島へ引っ越ししました。
それから高校の2年が終わるまで広島にいました。
私は新しいところになじむのが苦手で(これはいまだ気質として残っています)、まず関西圏から広島・中国地方に変わったことで文化や言葉の違いにショックを受け(外国でもないのに大げさですが(^_^;))、さらに転校して友人もいない状態で結構孤独でした
ようやく友人と呼べる人ができたのは高校に入学してからです。高校では最初は誰もがフレッシュだっため、何とかなったわけです。
ただそれでもまだ広島に住んでいることに違和感を覚え、関西に戻ることをずっと夢見ていました。
高校も2年になり、せっかくできた友人ともクラスが分かれ、またしばらく孤独な日々が続きました。
私は「自分はこのクラスになじんでいない」ということを自覚しており、さらに自分の中で「よそ者だ」という意識を持ち続けていました。
今思えば、それこそが孤独の原因であり、自分で孤独を選択していたと言えます。(この居場所のない客観性と疎外感は私のもっと前からのトラウマでもあり、実は非常に重要なポイントでもあったことは最近知りました。このことについては、いずれメルマガでお伝えしたいと思います)
そうしているうちに学校でイベントがあり、いわゆるキャンプのようなものが開催されました。(このあたりは少し記憶が飛んでいますが。。。)
そのイベント中に、自由時間だったのか学校の企画だったのかは忘れましたが、鬼ごっこのようなことをすることになったのです。
とはいえ、普通の鬼ごっこではなく、誰かと組になってお互いの足をひもで結んで(つまり二人三脚状態で)逃げたり追いかけたりするという一風変わった鬼ごっこでした。
この時、偶然私と組になったのはT君でした。私たち二人は特に今まで意識はしていませんでしたが(それは私が孤独を選択してたからです)、この場合は二人三脚鬼ごっこですので、無理にでも協力しなくてはならず、自然と言葉を交わすことになったのです。
タイプが似ていたのか、二人は結構間が合い、逃げ足が速く(笑)、なかなかつかまりませんでした。確か最後の方まで残っていたと記憶しています。ということは、それだけ二人の会話する時間は長くなったわけです。
最初はポツリポツリとでしたが、次第に話をするようになり、鬼ごっこが終わる頃には結構親しくなっていました。
そしてその後、このT君は私にとって大切な友人となり、今も広島に行った時は会って交流を深めています。
T君と仲良くなったことで、私はいわば広島への本当の意味でのなじみが出てきました。高校2年生が終わる頃には、ほかの2人のメンバーも入って強力な4人の仲間もできていました。
そんな時、またしても父が転勤となり、今度は関西に戻ることになりました。あれほど戻りたいと願っていた関西も、この時ばかりは広島に残りたいと真剣に悩みました。少し前の私からは考えられないことでした。(結局3年生で戻ることになりましたが・・・)
さて、長々とつまらない(笑)過去を書いてきましたが、実はこのことは私にとってはタロットカードの「吊るし」「悪魔」「太陽」「世界」と関係しているのです。
私は当時ありもしない前の自分の世界に閉じこもり、孤独になっていましたが、ある偶然のつながり(鬼ごっこのひも)によって友人と出会い、自身の縛りから解放されました。そうしてまったく新しい世界に入ることができたのです。
つながれることで解放されるという不思議な体験です。(笑)
そして重要なのは、どんな時にも救済の天使が現れるということです。
それは自分でも思ってもみなかった形・人として登場します。
それと、願っていることはタイミングをずらして叶うことがあるということも知りました。それがその時にはもう願っていないことであってもです。
結局のところ、自分を幸福にするのも不幸にするのも自分次第ではあるのですが、その重要なファクターとしては「人の縁」というのがキーポイントだと感じるのです。
行動に移せない人、手品師を見よう。
一般的な名称では「魔術師」とか「奇術師」などと呼ばれる「1」という数を持つ大アルカナのタロットカードに、「手品師」があります。
マルセイユ版では絵柄を見るとまさに「手品」をしているので、私は「手品師」と呼称するようにしています。
とはいえ、手品は手品なのですが、裏では魔術・魔法に近い意味もありますので、一般的名称の意味もきちんと実はあるのです。
ただいきなり魔術師と言ってしまっては元も子もないという感じはあります。(^^;)
さて、昨日はカードから示唆を得るという話をしましたが、今日は「手品師」からの示唆です。
どういう示唆の形(昨日の記事のテーマ)だったのかはご想像にお任せします。
私たち、特にいろいろと考えすぎる傾向の人は完璧主義と言いますか、完全主義と言いますか、何かが完成してから、あるいは納得してから行動に移すというパターンが多いと思います。
これはタロットでいえば、いきなり手品師(1)から世界(21)に飛んでいるようなものです。
その間には2から20の段階(大アルカナの数を示しています)があるのですから、言ってみれば、実際にはそのことをしないと言っても、想像上・心の中では1を思い立った時、2から20の段階を経て21に至ったという意識が「完成」しないと、行動に移せない状態だと言えます。
これがまさに行動を遅らせる原因となっているのです。
行動が遅れればそれだけ結果も遅れ、フィードバックや検証も遅れ、すべてが遅れていくことになります。
では行動が早い人はどうしているのかといえば、言ってみれば「手品師」の段階でGOとしているのです。
21までの想像をすることなく、1の段階でやってみるという意識です。
作業しながら結果を見てさらに修正し、改善していく。
完成ありきから入るのではなく、完成は進行の中にあると見ているのですね。
言い換えれば、21までの段階のステップを限りなく次元を落として細かくし、非常に小さなスパンで想像しているため、実行に移しやすいということでもあります。
つまり、行動が早い人は1から21までの想像上の段階の長さが、行動の遅い人に比べて極めて短い、一瞬に見えるほどのものだということです。
ということは、21という完成の度合いが低いとも言えます。低いからこそ、実行への躊躇、失敗への恐れが少なくなるのです。ハードルがもともと低いからです。
まさにスモールステップでの完成(目標)を見ていくということと同じです。
それから、これが恐るべきことなのですが、高い目標、遠い完成の道のりを設定することによって、「自分にはできない」「完成することは難しい」となり、それが「しなくてよい」「やろうとしているけれど、完成には時間がかかるので・・・」という行動の言い訳、逃避に使われるという事実です。
ほとんどの人の成功できない要因は、「やらない」のこの一言に尽きます。(自戒の意味が多分にあります・・・(^_^;))
これを変えるには自分が「手品師」であることを自覚し、「手品師」は「手品師」としてその最初の段階から実行していくことで、技術や知識を身につけていくことにあると思うことです。
誰しも最初から完璧な人はいません。やりながら改編し、完成させていくものだということを思うと、気は楽になります。
実は1の「手品師」と完成を意味する21の「世界」との間には密接な関連があり、これを読み解くと、「手品師」の実践がいかに大切かがわかってきます。
しかし、ただやるだけではなく、大アルカナの2から20までのステップを細かいものにわけて(考えて)やっていくことが肝心であると、タロットからは示唆が得られるのです。
