カードからの気づき

自分を変えたい時には。

人を変えていく、あるいは自分を変えるのに効果的なものは何だと思いますか?


いろいろと方法や答えはあるでしょう。


私はそのひとつには「移動すること」だと思っています。


シンプルにいえば、移転です。


具体的に言うと、たとえば住む場所を変える、過ごす場所を変える、所属するところを変えてみるということになるでしょうね。


これはいわば強制的な変化であり、外から内へと変容を促す方法です。


通常は精神世界などでは、内から外へと変容が求められるのですが、内と外が照応関係にあるのなら、環境が変わればいやがおうにも内側も変化せざるを得ないことがあります。


やはりそのためには今いる所とはかなり違う場所がよいでしょう。


同じ地域内よりも別の地域へ、国内よりも海外へ、同じ業種よりも別の業種へという具合です。


このことをタロットで表すとすれば「愚者」「世界」「吊るし」です。


愚者」は移動や移行をもっとも象徴するカードであり、移動を続けるがために、とらわれることがないという自由さがあります。


逆にいえば、移動することで今までいた所のルールやしがらみから自由になれるのです。


世界」は四方へさらに拡大していく意味があり、広がったことによって、今まで以上の多視点を持つようになります。


それを内に向ける時、「吊るし」として逆転された異なった観点と見方ができるようになり、内から今度は別の世界が創造(新しい世界観で生きることが)可能なことが観察されます(気付くこと)。


それをひとことで言えば、やはり「旅による変化・変容」と表せるでしょう。


「人生は旅だ」とよく言われますが、旅によってまた人生は見直され、輝き、当たり前だと思っていたことが、実はとても恵まれていて幸せだったのだと気がつかされます。


海外旅行に行って、異文化にふれて刺激を受けるとともに、日本の良さ、有り難さも身にしみるというものと同様です。


ここでいう「旅」は象徴です。別のところへと移り変わっていくことが「旅」ならば、すべては旅だと言えるのです。


旅には危険もあります。同時にワクワクやまだ見ぬ期待感もあります。非日常の怖さと輝きと言ってもいいでしょう。


安住の地、宿屋から動こうとしない態度でいると、次第に人生がつまらなくなってきたりしますし、宿屋の主人(大いなるもの)から追い出されるかのようにアクシデントが起こったりもします。


なぜなら、私たちは旅そのものを目的としている可能性があるからです。


宿屋自体も実は変化しているものなので、自分は居座り続けるつもりでも、明日には宿屋はなくなっているかもしれませんし、まったく違ったホテルに変化しているかもしれません。


つまり、自分もほかもすべては変転しており、旅をしているといえるのです。


ですから日常に窮屈さを感じたり、なかなか自分に変化をもたらせにくいと感じていたりする人は、実際に旅(移動すること)をしてみるとよいのです。


そして距離が離れれば離れるほど、また質が異なれば異なるほど、あなたへのインパクトは比例して大きくなるでしょう。


皆さんの旅行経験でも実感してきたことだと思いますが、旅は楽しみながら味わうのがコツですよね。嫌々旅するとそれは苦行となります。


それがまたタロットの「愚者」であり、自由と自分の枠をはずすことに、もっとも効果的なことの象徴でもあるのです。


気になる人の鏡作用

昨日の続き です。


気になるというのは、同じ氣に気がついているということでもあるのだというお話をしました。


そしてそれはつまりは、自分も同質のところがあるために「ひかれあう」ということにもふれたところです。


では、なぜ人はそれぞれ違うのに、同質のところがあるのでしょうか?


特に嫌いと感じている人にはとても同じ部分があるとは思えませんよね。


ところがつきつめれば、やはり相手とあなたの間には同質のものがあるのです。


それは昨日も言ったように、人には等しく、大きくいえば「」があり、さらに別の観点でいえば四大元素があり、さらに見方を変えればタロットの22で表される個性や心があるからです。


これらの出方が人によっては当然違ってくるのですが、いわばそれが個性です。


しかし、つまるところは表現の違いだけであり、結局は同じもので構成されています。


たとえば傲慢で勝手な人だと誰かについて思っていて、その人のことが気になるのなら、やはりあなたにも似たところがあるのです。その出方・現れ方が違うか、または表に出てきていないか、気がついていないかです。


現れていないと言いましたが、人や立場・環境が変われば、あなたが人に感じたネガティブな要素と同様のものを表現している可能性は大きいのです。


たとえば、私の場合でも、「あの人は上から目線だよなぁ・・・」とある人に感じたことがありました。


そしてある日別のことで、家で妻から、「どうも、その、あなたの上から物を言うような言い方は嫌だわ」と指摘されたことがありました。やっぱり私も同質のところがあるのだと気がつかされます。(^_^;)


「自分は絶対あんな嫌な人とは違う」と思っていても、「気になる」という時点で自分の同質のものが引き合っているのであり、もっといえば鏡作用としての天からのメッセージだと言えます。


嫌に感じていたとしても、「あまり気にならない」という場合は、それほど自分のその部分の出方としてバランスを崩していないとも予想できます。


たとえ出ていても「気にならない」程度なのですから、あなたが出しているその部分も、誰かにおいても「気にならない」ものだと安心することもできます。


逆に先述したように、「気になっている」のなら、まさに「鏡」として、あなたも誰かに同じように「気にされている」のです。


このように鏡作用は二重に働いています。(自分が同じものを持つこと、そして自分も自分が相手に感じたそのままのことが、誰かに感じられているということ)


まさにタロットでいえば、「月」と「太陽」のカードであり、この二枚の考察によって本当の自分を取り戻すことが語られているようにも思えます。


有り難いことに、私たちは自己修正できる機能の世界に住んでいるのです。そのことに気がついた時、いわば「審判」のカードに象徴されていることに思いは至るのです。


学ぶ方法

何かを学ぶ時に、いつも同じ方法を取っている方はいらっしゃいませんか。


たとえば、


いつも本で勉強する。

DVDなど教材で学習する。

多人数の講演会に行く。

少数のセミナーばかり行く。

マンツーマンでしか受け付けない。


などなど。


英語の勉強するのにいろいろな方法がありますが、それが英会話だとすると、本ばかりでやっていても上達しませんよね。


また会話だからといっていきなり外国に行って、外国人の中に身をさらすのがいい場合もあれば、逆にじっくりマンツーマンで落ち着いて習ったほうが身に付くのが早いこともあります。


ほかにまずは個人で勉強して、国内の外国人と会話し、そして外国で暮らすという段階的な方法もあるでしょう。


このことを見ても、いつもいつも同じパターンで学ぶことはまずいということがわかります。


学ぶ対象や自分の環境(経済状況も含む)にあわせて、臨機応変に学び方を変えていくことも考えてみるとよいでしょう。


一言で言えば、多角的に見る視点を学びでも持つということです。


ひとつのことを学ぶのでも、たくさんの人と一緒にやっていく方法からマンツーマンへ、あるいは逆にマンツーマンから多人数へという段階もふまえると効果的です。


それを意図的に考慮してくれる先生だとなおいいですね。


タロットにおいても、たとえばそれぞれのカードで示される学び方があります。「斎王」的学習もあれば「法皇」的学習もあり、「手品師」や「皇帝」、「太陽」などの学び方もあるのです。


いずれにしても、ただ受け身に知識を入れていくだけではなく、積極的に自分で学ぶ方法を考えたり、変化させたりすることで、よりその対象の上達と興味もわくことになります。


タロットによる願望実現のシステム

昨日の続きのような話になります。


昨日の記事 では、「あやふやなままのイメージでは、未来を本当の意味で形作ることができない」というお話をしました。


それで、当然ながら、あやふやなもの(イメージ)をはっきりしたものにすることが現実化においては重要であることがわかります。


それは言ってみれば、「どうなりたいのか?」という質問に対して、「こうなりたいです」という明確で具体的な「映像」を思い浮かべることができるようにするということです。


このことは、カモワン版マルセイユタロットのタロットマンダラ、「月」「力」「皇帝」のラインに描かれていることでもあります。


そして、このラインから、もうひとつ重要なことがわかります。


それは単純なことですが、先述した質問「どうなりたいか?」というものに対して、「こうなりたい」という映像とともに、声に出して言えるか言葉に出してそれが言えるかということです。(なぜ「声に出す」ということがカードから読み取れるのかはここでは指摘しませんので、見つけてみてください)


映像だけではまだ自分が思っているだけ、イメージしているだけなので、それをさらに具体化させるには、声に出してそのイメージを語ることであり、つまるところ、それは人に「具体的に」説明できるかどうかということになります。


人に説明できるということは、かなり詳細に形になっているということであり、自分でも次第に映像や想像の世界ではリアルになっていることでもあります。


そして人に語るので、言葉だけで終わらせてはいけない強制力のようなものも働きます。実直な人ほど、これは自分に働いてきます。言霊と言ってもいいかもしれません。


説明できない場合は、やはりそのことの実現に対してブロック・抵抗があるので、スムースに現実化することが困難になります。


「こうなりたい」という映像を詳細に、そして人に対しても説得力を持つほどそれを語ることができるのなら、もはや実現は時間の問題と言えましょう。


その途中段階で、特に人に語ることができない場合は、やりたいこと、なりたいことに対して抵抗があるか、自分にはそれができないと、どこかで許可していない(認めていない、無理だと思っている)ことがあるということになります。


その場合は、さきほどの「月」「力」「皇帝」のラインの真ん中のカードである「力」の段階をよく検討し、今度は下の「皇帝」に向かうのではなく、水平ラインの「運命の輪」「隠者」「正義」、あるいは「吊るし」「13」「節制」の方向にスライドさせて考察すると、自分の弱み、抵抗がわかってくるでしょうし、どうすればよいのかにも気づきがあるでしょう。


もともと自分に縛りやブロックをかけていることが多い人は、イメージから実現化を図る前に、浄化や解放をしておく必要性があります。


逆に、すぐ思ったことがかなう人は、それだけブロックがはずされているか、縛りが少ない人だとも言えるでしょう。


結局とのところ、イメージであれ、行動であれ、望む「現実」を「実現」させるには、自分の人生について能動的になれるかどうか、それにかかっているのです。


良い悪魔、悪い悪魔。

さて、一昨日、昨日からの流れになりますが、いよいよ「悪魔」さんに登場してもらいましょうか。


「悪魔」(カモワン版マルセイユタロットの絵柄を想定しています)は、見たまま悪魔がドーンと何か台のようなものの上に乗っており、そしてその台から出ているひもにつながれている二人の人物という構成になっています。


この台とひもが何かは詳しくは省くといたしまして、この「ひもでつながれている」ということに今日は注目します。


人物たちはつながれてはいるので、拘束されていると言えば拘束されています。ところが、当の二人の人物は苦しんでいるどころか、恍惚の表情ともいえる笑顔です。(笑)


悪魔もそれを知ってか知らずか、一緒に笑顔。(舌は出していますが)


まるで、「楽し-い仲間がぁ...」というあのACの歌が聞こえてきそうなくらいです。


まあ、確かに仲間でもあるのかもしれません。そういうことから結束しているという意味も出ることがあります。


それでやはり絵の構成から見ましても、一人の突出したカリスマ的な人物(悪魔)と、それを信奉している普通の人間たちというようにとらえられます。


そう考えながら再び「ひも」を見てみますと、もしかするとこのひもはエネルギーパイプではないかとイメージされてきます。


つまり、悪魔として描かれている者が大きな影響力を持ち、それによって人を惹きつけてはいますが、いったんひもでつながれてしまうと、そこからひもを通してある種のエネルギーを吸い取られているのではないかということです。


それによって悪魔はますます大きく元気になっていきます。


こう言ってしまうと、悪魔ってとんでもないヤツと思ってしまうかもしれませんが、エネルギーを吸い取るだけの一方通行の悪魔はいわば悪い悪魔です。


しかしこれはパイプなので逆方向に流すこともできます。そう、悪魔からも流すことができるのです。


これをしている悪魔はよい悪魔です。


悪魔は先述したように非常に魅力あふれる存在で、正義をも超えた自分を大きく確立している者だとも言えます。


そうした人につながれるのはこれは仕方のないことです。


特に自分に自信がなく、どのようにすれば自分を打ち立てることができるのかということに悩まされている人にとっては、悪魔はよいモデルなのです。


悪い悪魔はこの心を利用し、人をつなげ、ひもを通して他人のエネルギー(これは象徴ですからお金などのこともあります)奪うだけです。そして自分の肥やしにします。


よい悪魔は自分のエネルギーを与えます。(ただし「もらう」こともします、つまり循環です) それは言い換えれば価値変換のエネルギー交換です。


たとえば人からお金をももらいつつ、それがお金と替わるような智慧や技術、心の自信・満足などを悪魔はお金から変換して人に与えていきます。いわば商売の原理です。


よい悪魔は自分と同等になってほしいと実は育ててもいるのです。しかし、悪魔は優しい(笑)ので、悪魔のほうから「おまえはもう卒業」だ、と無理矢理ひもを自分から切ることはないのです。


結局、つながれている人は自分でひもをはずすしかないわけですね。


悪い悪魔の場合は大変です。その場合はカードでいう別の力が必要な時もあります。


しかし悪魔は悪いイメージがありますが、持ちつ持たれつで、悪魔もよいところがあるのです。


とまあ、こんなところでどうですかね、「悪魔」さん。


悪魔 「まあオレもいいところがあるんだ、ということがちょっとわかってもらえたかもしれんが、まだまだだな」


あ、そうですか、すみません、力不足で。(^_^;) 「悪魔」のその他のことについては、いずれまたの機会に。


それから、昨日も言いましたが、これは王道の解釈ではありませんので、その点はお気をつけください。悪魔と二人の人物、そして「ひも」の関係にはまた別の意味があります。


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