カードからの気づき

ブログを続けること

本日で、実は私がアメブロ開始してから一年になります。


当初はとにかくブログを書いて、自分のタロットへの想いを伝えようと始めたわけですが、気がつくと一年、記事としては欠かすことなく毎日続けることができました。


最初のあたりは1日に3記事くらい続けて書いていましたが、これは今種を明かせば、ある人に「まずはブログを人に見てもらうためには、最初に20記事くらいないといけないよ」と言われたので、一気に数日で20記事を書き上げたのですね。


それで書いた記事を少しずつ小出しにしていたので、最初のあたりはスタートダッシュという感じで、大量の記事をアップできていたわけです。(笑)


そういうことができたのは、もともと私が書くことが好きだったというのもあります。


それともうひとつは、タロットのおかげです。タロットがあるので、書くこと、ネタが少なくとも大アルカナ22枚、つまり22の記事は自分の中に最初からあったということなのです。


これは前にも書きましたが、たまたま私がタロットやっているからタロットネタとして、タロットのことを書くのはたくさんあるだろうと思われがちですが、タロットとは全く別の分野の人でも、タロットに込められた象徴の意味を知ると、誰でも最低22個のネタは仕入れられることになるのです。


ブログを続けながら、記事アップのペースはさすがに落として行きましたが、それでも「必ず1日1記事は最低一年は続ける」と決意しました。


たとえばこの人 からも、「反応なく、まったく売れない時代でもコツコツ続けていくことが重要(あとで必ずそれが活きてくる)」という涙ものの感動ストーリー(廃業寸前まで行かれたけれど、師匠さんの助言で思いとどまり、コツコツブログと営業努力を続けて来られた)を聞かされていたからです。


決意すると心構えや行動も違ってきます


実際ネタ自体は困らずとも、忙しい時や出張が入る時などは書く時間の捻出で苦しい時もありましたが、何とか一年続けることができました。


それがまた誇りとなり、確かな自分の自信と信頼にもつながるのです。


まさにタロットマンダラでいう、「斎王」(知識や方法の受け入れ、本はブログ)、「隠者」(杖はペンでもあり、探究と伝授)、「神の家」(蓄積された大きなもの、自信)の第二列そのものです。


とはいえ、一人で続けられるものではありません。やはりコメントをお寄せいただいたり、タロットの受講生の方や受講を希望される方から、「ブログ、読んでいますよ」とおっしゃっていただけることが有り難く、自分の励みにもなります。


そういうことでは、同じ石積み・ブロックつながりの、「太陽」(励まし、共有)のカードともつながるところがあります


皆さんも、何でもいいので目標を持ち、それを必ずやり遂げるのだという強い意志と実行継続していってください。


ただ、とてもできそうにもないことは設定せず、低い目標あるいは、高いものでも、細かく到達設定をするとよいでしょう。


たとえばブログならば一年は無理でも、一週間は続けてみる。毎日は難しくても、3日に一回は更新するという感じです。


集客を目的にブログを書いていらっしゃる人も多いかもしれませんが、何も営業的なことだけではなく、ただ自分の目標達成のツールや手段、課題練習の道具としても使えるのです。


その意味で行う場合は、内容はあまり関係ありません。


「とにかくブログを一ヶ月やってみるんだ!」と決めて、続けることが可能かどうか、続けられた自分に「戦車」や「神の家」を見ることができるか、そうしたこととして利用するのも有効だと思います。


人は小さなことでも成功(達成)体験を積み重ねることで、自分を大きく、強く、そして解放に導いていくことが可能となるのです。


今までお読みいただいた方、支えてくれた皆様、すべての人に感謝の気持ちを送ります。ありがとうございます。そしてこれからも変化はあるとは思いますが、続けていきたいと思っています。


タロットの「恋人」カードと自分

昨日は タロットは象徴的に解釈するというお話をしました。


今日もそれに関連しつつも、別の話をしたいと思います。


タロットカード(カモワン版マルセイユタロットを例にしています)の中に、「恋人」というカードがあります。一般的には「恋人たち」と複数名で呼ばれることの多いカードです。


これはマルセイユ版でも「恋人」カードの絵柄に、複数の人物が描かれているのでそう呼ばれても不思議はないものです。


そしてこの人物たちによって人間の恋愛模様が見えるので、「恋人」という恋愛に関連する名前がついています。


さらに、上空にはキューピッドも登場しているので、ますます恋愛に色濃く関係するように見えてきます。


ということで、「恋する」とか「愛する」とか(「恋愛」の文字を割ればそうなります)の意味も見い出されます。


「恋する」とか「愛する」といえば、その対象は人間と思いがちのうえに、「誰かに恋する」「誰かを愛する」というように、対象を「他人」にもしてしまいがちです。


そのように限定しまうと、昨日の話ではないですが、たちまちリーディングの限界を迎えてしまいます。


そうではなく、象徴なのですから、恋したり愛したりする範囲をもっと広げて考えてみるのです。


当然人間以外の動物や自然、さらには物や事柄(趣味とか好きなことにつながります)もあり得ると思えてきます。


さらに、もしかすると、その対象は「自分」だと考えてみることもできます。


対象が自分だと思うと、非常に興味深いことに気がつきます。


言葉として表現すると、「自分に恋する」「自分を愛する」となってくるわけですが、このふたつを聞いて、皆さんはどう感じるでしょうか。


私が思ったのは、自分に恋しているのは、まさしく「自惚れ(うぬぼれ)」ではないかということです。


自分に恋してポーとなっていると想像してみてください。いわゆるナルシスト状態と言ってもいいかもしれません。


そもそも「ナルシスト」の語源も、ギリシア神話の泉に映った自分の姿に酔いしれ、自分に恋をし、悲惨な末路を迎えたという美少年ナルキッソスの話に由来していると言われます。


これには彼がもともと美しいため、ニンフ妖精たちに慕われ、恋心を告げられても冷淡にあしらったから神の罰を受けたということもあるようです。


まさに自己愛というか、自己恋(じこれん)であったからこそ、ナルキッソスは身を滅ぼしたと言えるかもしれません。


言い方を換えれば自己中であり、自己中心というより自己中毒というほうがふさわしいでしょう。


結局自己恋は幻想を見ているようなもので、他人に異常に恋している時と同様、冷静さや本質的なものを欠いている状態だとも言えましょう。


それに対して、「自分を愛する」ということはまた別のように感じます。


これは自分のいいところも悪いところも含めて総合的に「愛する」ことで、自己の向上につながるものだと思います。


たとえば体に悪いものを、いくらおいしいから、安いからと言ってどんどん取り入れることは、自分に対しての愛情に欠けていることだと考えられ、つまりは自分を愛していないことにつながります。


これと同様、自分の気持ちのよいこと、楽なことばかりが自分にとっての「愛」の選択ではないこともあり得るのです。


「自分を愛する」ということは包み込むような母性的な愛だけではなく、父性的な、時には厳しい選択と経験もあるのです。


もしかすると、あなたの自分への愛は、実は自己愛ではなく、盲目の自己恋に近いかもしれません。

それを今一度自ら精査してみるのもよいことでしょう。


知ることの意味 タロットカードの学習から

物事は知ることで理解できます。


ただ、この「知る」ということには、ふたつの意味があると考えられます。


ひとつは文字通り、「知る」こと、つまり情報として入れるということです。


そしてもうひとつは、漢字で表せば「識る」ということになるでしょうか。言わば、心に「織り」込むかのように真の意味で理解することです。


これは別の表現を借りれば「腑に落ちる」というものが、日本人にとってはもっとも適切な表記かもしれません。


ですから「知識」とは本当はその両方で理解してこそのものと言えましょう。


実はタロット学習も同じなのです。


タロットも「知る」ということが初めとしては大切です。


まずタロットに出会う体験・縁があり、次にタロットをもっと知りたい、使いたいという欲求が生じます。


ここでタロットを学び始め、「」のほうは満たされていくのですが、ここではまだまだ不十分です。


今度はタロットを使って自分の中で「腑に落ちる」体験や経験が必要なのです。


これは具体的にはリーディングにおいての感動や、実生活でタロットと事柄が本当に結びついていることを実感することで得られます。


自分がクライアントの場合は、最初の段階、つまりタロットと縁ができる時に「腑に落ちる」体験をする人もいます。


そういう人はタロットとの出会いも衝撃的であり、カードでいえば「神の家」の体験をしたと言えるでしょう。一生涯、忘れることはないかもしれません。


ただ、それは「縁」での体感であり、いわば受け身のものです。


ここからタロットを「知」として学び、その上で今度は自分がリーダーとなったり、自分がタロットの「知」を仕入れた上で実生活に臨んだりする時、また新たな次元での「神の家」体験があります。


それは能動的なものと言えます。


その時の驚きと感動は非常に新鮮であり、心はうちふるえるでしょう。


そして、カードの番号のまま(「神の家」の次)に、あなたは「」のような宇宙や森羅万象の調和を感じて、自然に感謝する気持ちにもなるかもしれません。


もちろん「神の家」だけではなく、「恋人」や「13」の体験、「正義」や「節制」など、22枚大アルカナすべてを心で本当に感じることが起こってきます。


それも一回だけではなく、同じカードでレベルを違えて何度でも味わうことができるのです。


言ってみれば「宇宙の真理」を「心理」として「心」で理解しようとしているということかもしれません。


これは結局、自分の中にある様々な心を再体験・再発見し、統合して宇宙に還る(悟りのようなもの)ことの作業をしていると言えましょう。バラバラだったものをひとつにものに再構成しているのです。


そのために私たちは、「知る」ことと「識る」ということ両方を、人生で「知識」として入れなくてはならないのです。


自分の師を持つ

昨日と少し関連する話になるかもしれません。


昨日の話の中で、「社会は与え、与えられることによって成立している」ということを、タロットカードになぞられえて指摘したところです。


そうすると、以前にも書きましたが、自分がまだ未熟な部分や知識不足なところは、ほかの誰かから学べばいいということになります


教えを乞い、学びを受けるのです。


ここで私も含めて、男性にありがちなのが「妙なプライド」による抵抗です。


曲がったプライドとでも言いましょうか、そのために素直に学べない心が生じます。


男性は基本、全員「教えたがり」のところがあります。なぜならば、男性的エネルギーは流出突出、外に出すという性質だからです。


しかし、出すものがないと出せません。(本当はそうではないのですが)


それが知識であることが多いのですね。出せる知識があること、すなわちこれが男性自身を自覚できることであり、まさにプライドにつながるのです。


このことはマルセイユ版のタロットカード「神の家」を見ればよくわかります。


しかしながら、その変なプライドにこだわっていては、学びの機会を大幅に損していることになります。


一応男性を例にはしていますが、女性でも誰でも、またプライドとは関係なくても、知らなければ学ぶというスタイルは素直に取っていけばよいと思います。


そして、私がタロットの受講者さんにもお勧めしているのは、「師」「先生」を複数持つということです。


もちろん、「この人こそすべての私の理想であり、先生・師匠・メンター」だと思う方もいらっしゃるでしょう。いわば人生の総合的な師です。


ですが、なかなかそのような人にはお目にかかれません。人は誰でも欠点に見える部分を持っています


ですから「この人が理想」だと思っていると、自分が観たくない部分を時には見てしまい、幻滅するということもあり得ます。


その人への幻滅だけですめばいいですが、自分の人生そのものを狂わせてしまうことすらあります。


いわば一本の柱だけに寄りかかっていたら、それが崩れた時、すべてを失うがごとくになるということです。


この世界は多彩です。色んな人がいます。だから「色々」なのです。


そのことを考えると、それぞれの分野別で師匠や先生を持てばいいのです。


仕事の師匠、趣味の先生、生き方やあり方の師、ファッションの先生、旅の達人、パソコンの指導者、集客の講師などなどです。


まあ、「師」や「先生」ですから、あまりにたくさんいても逆に混乱してしまうかもしれませんが。


私は、だいたい4人くらいのマスターを自分の中で持っているといいのではないかと考えています。それぞれ分野を違えれば、なおよいかもしれません。


実際にお会いして学びを受けるのが一番ですが、今の時代、様々な方法があります。


インターネットを通じてもありですし、相手と知り合わずとも、その人の著作を読んで薫陶を受けていくというのもありでしょう。


そうすると、過去の人でも師となりえる場合があります。だいたい宗教はそのパターンですね。


そして一時期先生であっても、あなた、あるいは相手に変化があればその立場も変転していきます。ですから「一生、師とする」などと、かたくなに思い込まないことです。(尊敬と感謝の念をずっと持つことは大事です)


結局、あなたの周りの人や事柄はすべて先生でもあるのです。


縁の発生とは?

今日は「恋人」カードからのささやきです。(笑)


あなたは恋の縁にしろ仕事の縁にしろ、趣味の縁にしろ、ただ待っていればいいと思っていませんか?


あるいは、何となく自分の意志に関係なく訪れるものだと考えていませんか?


確かに、「縁は異なもの味なもの」ということわざがあるように、不思議で予測がつかないことがあります。特に恋の縁はそうしたところが濃い(恋)かもしれません。


しかし、タロットの「恋人」カードは語ります。


このカードは、カモワン流のタロット絵図・「タロットマンダラ」においては、6番目に当たります。


ということは、ここ(恋人カードの事柄)に行き着くまでには、少なくとも5段階の過程を経ているわけです。


そうして、ようやく恋人カード(の表すこと)に到達するのです。


そこまでは、「手品師」「斎王」「女帝」「皇帝」「法皇」という道のりがあるのですが、カモワンタロットを持っている人は、それらのカードと「恋人」カードとの違いに注目してみてください。


すると、「恋人」カードには人間ではない存在・天使が現れていることがわかるでしょう。


この天使はキューピッドでもあります。そう、キューピッドは人と人の間を(特に恋愛として)結びつける「縁」者のようなものです。


つまり、縁を生じさせるには、人間自身の行動と努力・過程がいるということです。


また「恋人」カード自身、天使の下には三人の人物が描かれており、やはり複数の人たちがいる中で縁が生じることが語られています。


言い換えれば、一人孤独に待っていても何も始まらないということです。


自分から行動したり、縁が起こる努力をしたりすることによって、キューピッドのいる世界に行くことができる、あるいはキューピッドを招き寄せることができると言えます。


そして、もうひとつ。


「努力してみたけれど結局縁がなかった」「ある人や事柄と自分との縁をつけることができなかった」という場合もあります。


それはまさに「今、タイミングではない」「現在のあなたに必要ではない縁だった」ということだと考えられます。


いわば、キューピッドの矢が放たれなかったか、放たれていたとしても、誰にも当たらなかったと想像できます。

もちろんあなた自身の状況の変化や成長によって再び縁が発生することもあるでしょうし、違った人やものとの縁も生じるかもしれません。


がんばってみたけれどダメだったというものは、ある程度天からのメッセージだと受け取ってもいいかと思います。


これに反して、何もせず、ただ「棚からぼた餅」的に「何とかなるだろう」「いつかは星の王子様が現れる」「私を救ってくれる人がコンタクトしてくれる」なんて思っていたら、まさしく無縁のままで生きることになりがちです。


ですから、縁はつけていくものだと考えましょう。


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