カードからの気づき
「手品師」に見る学習方法
タロットカードに「手品師」(カモワン版マルセイユタロット)、一般的には「魔術師」や「奇術師」と呼ばれるカードがあります。
このカードには「1」という数が割り振られているように、「新しさ」や「シンプルなこと」が象徴される場合があります。
ただ、絵柄(マルセイユ版)的にはその名の通り、「手品」をしているのであり、その手品道具がテーブル上に様々に展開されています。
このことから、シンプルさとは逆の多様さや器用さみたいなことも導き出されます。
この一見矛盾した構造や意味がタロットのどのカードにもあり、そのことが一対一的、あるいは論理的な思考をすることに慣れている私たちを混乱させることがあります。
しかし、それこそが「象徴」であり、混乱したものの中に統一した意味や意志(つまりは宇宙の調和した法則)を見る訓練にもなるのです。
さて、その手品師の片方の意味とも言える「シンプルさ」ということから、私たちの学びについてある示唆を得ることができます。
「手品師」もやはり「手品」を学んでいるのであり、その技術はたくさんの道具をはじめとして多彩です。
しかし、その手品においても、人々を魅了するすばらしいマジックを数々披露するために、まずは基本と言いますか、ひとつの簡単なことが完全にできなければならないのです。
極簡単なものではあっても、いかなる時にも失敗がないようにそれを自分のものにしていなくては、ほかの技術も高度なテクニックも習得することは難しいと言えます。
基本を自分の中で完璧にしてこそ、次の段階の習得へと移っていくことになります。
言ってみれば最初が肝心であり、学びにおいては簡単なこと・シンプルなこともなめてはいけないということです。それができてこその応用です。
また、一度に多くを頭に入れるより、「1」という数が表すように、たったひとつでもいいので、確実に覚えておく、頭に入れておく、使えるようにしておくということです。
あれもこれもとよくばって、結局何一つ思い出せない、実際に使えないとなれば意味がありません。
また全部のことを完璧に学ぼうとするあせりがないので余裕もでき(「手品師」は遊び的な要素もあります)、学習においてかえってひとつ事を会得しやすいとも言えます。
日本人の気質や学生時代の習慣から、ノートに一生懸命書き留めて講義を受けるというタイプの方が多いです。(実は私もそうです(^_^;))
ただいつもそのような学習姿勢を取るのではなく、たったひとつでも確実にする、それも実践や実際に活きる知識・技術として学ぶという態度でもよいかと思います。
極端なことをいえば、ほとんど講義内容は忘れてもひとつだけ「活きる知識や実際技術」を持ち帰ればOKだという楽な姿勢で臨んだほうがよいこともあるということです。
ですから、カモワン版マルセイユタロットにおいては、「手品師」の次の段階である「2」の数を持つ「斎王」は書物(記録するもの)を手にしているとも言えます。
学びのスタイルとは人それぞれであり、自分の得意な方法というものもあります。
ゆえに、どれが一概にベストだとは言い難いのですが、たまには今までとは異なる方法で学習するのも自分を「新たにする」のに有効かと思います。
受け入れるスペースがあるか。
皆さんは何かを学んだり、新しい物を購入したり、人と交流し始めたりする時にいっぱいいっぱいになってしまうことはありませんか?
つまりは余裕がない状態です。
これはもちろん、行き当たりばったり、無計画さ(この意味ではタロットカートでの「愚者」の問題状態です)によるところが大なのですが、それ以外にもチェックしてもらたいことがあります。
それはそもそも何かを受け入れるスペース(空間・空白)が、あなたにはあったのかどうかです。
一番わかりやすい例で言うと物理的なことになるでしょう。
例えば新しい服を買ったはよいものの、もうクローゼットがいっぱいで入りきらず、やむを得ず部屋に無造作にかけたままにしている、本を購入したけれど本棚がいっぱいで床に置いてある・・・というような状況です。
これは見た目にも乱雑で息苦しく、いざ本当に着たい服や読みたい本があっても見つからないという事態にもなりかねません。
またお客様商売をされている人でも、お客様を招く場所がなかったり、技術や商品が不足していたり、あなたの時間そのものに余裕がなかったりすれば、お客様もやってこないと言えます。
このことは物理的な(目に見えることの)意味だけではなく、心理的な、あるいは目に見えない世界における影響もあると想像できます。
あなた(のお店や教室)にお客様が来ないのは、あなたのスペースの準備(余裕)がないからで、そのことがすでにお客様の無意識の中で感じられるていることもあるかもしれないのです。
ほかにも、「新しい恋の出会いがない」という方では、その人の中にまだ元カレ・元カノの影響が色濃く残っており、それがエネルギー体のような形であなたの心理的スペースを占めていて、そのために新しい人が避けている、入ることができないということも予想されるのです。
いずれにしてもここで重要なのは、何かを受け入れたいという場合には、そのための受け入れるスペースを作ることであり、もし雑多なもので埋まっているのなら、それを整理・処分しておく必要があります。
いわばタロット(カモワン版マルセイユ)で言えば、「斎王」と「女帝」、そして「吊るし」と「13」の関係になるのです。(あえてカードの意味を詳しくは書きません。またそれぞれで、「手品師」「力」の段階も重要となります)
受け入れたければ、その前段階のことをきちんとしておくことが大切となります。
ただ高次の段階では、たとえ処分や整理がなくても限りなく受け入れることもできるようになるとタロットは語っています。
それはもう自分の中が広大無辺になるからであり、また自動的に入るものも処理されていくからだと考えられます。
しかしながら、まずは私たちは準備をもって受け入れていく段階を進むのがセオリーと言えましょう。
あと何年生きますか?
昨日は物事を「始まりから見るか終わりから見るか」によって変わってくるというようなお話をしました。
それでは今日は、この「終わりから見る」ということを、また別の観点でもって説明したいと思います。
実はそれはとてもシンプルなことです。
人生でいえば「終わり」、つまり言い方は悪いですが、「自分の死」を想定して今を見ていくということです。
こうした場合、悩んでいることが意外にあっさり解決してしまうことがあります。
それは結局昨日言ったことと重なるのですが、大目標、到達点から見れば、現在悩んでいることも実にささいなことのように見えてしまうということがあるからです。
またあるいは大目標の前では、小さなことに関わっている暇がない、もしくは今やっていることが本質的に目的と合致しないことに気付くという状態にもなるからです。
そしていったんは悩み事から解消されることもあるのですが、今度は逆にとてつもない恐怖や不安にかられることもあります。
なぜなら、死を考えますと、「もう、あとこれだけしか自分の人生は残されていない」という事実に気がつくためです。
たとえ輪廻転生が仮にあったとしても、今の「自分」で生きているのはまさにこの時だけと言えましょう。
この「自分」が現実の世界で生きていられるのも、たとえ病気にならなかったり事故に遭わなかったりしたとしても、寿命から考えて誰もがそう多くはないはずです。
今が10代でも70年生きられればいいほうかもしれません。ましてや30代、40代ともなれば本当に残りわずかです。
そしてよく歴史を見ていくと、そんなに安定して同じような状態が続く時代はないのです。長くてもせいぜい200年程度ではないでしょうか。
その中でも流行や習慣、様式、常識といわれる事柄が同様に続く期間は、さらに少ないのです。100年いや、50年もあるでしょうか。たとえば日本の今のスタイルも戦後50~60年そこそこです。
そう考えますと、自分の生きている時代と人生は、誰にとってもどの時代の人でも非常に特別で貴重だということになります。
また永遠にまったく同じことや安定した時が続くこともないのだと思うことができます。
今、日本では大きな出来事が起こり、これから全体としても個別としてもすさまじい変革を迎えると言われています。
少なくとも今までの数十年とは大きく異なってくることは誰もが実感していることでしょう。
となれば、自分の人生を逆算し、残り少ない時間をいかに有効に質として濃密に生きるかということが問われてくると思います。それも変革の潮流の中で、です。
安定の意味や、これまで言われていた幸せ観(感)というものも変化していくかもしれません。それは個人としてもです。
であるならば、最終的には大きな目標と自分の感性・直観を大切にし、自分の思う自己実現、自己表現も迷わず実行していくほうがよいかもしれません。もう時間がないのですし、自分が変わることが全体としても要求されているからです。
とはいえ、あせる必要はありません。前にも書きましたように、「終わり良ければすべてよし」であり、最終地点で「よかった」「生き抜いた」「すばらしい人生だった」と思えれば成功であり、その人にとってそれまでの道筋は栄光となり「完成」に至ったとも言えるからです。
ただやはり、無目的に自分をただ欲求のままに、あるいは流されるままに生きるという態度をするのではなく、向上心をもって意識的な生き方をし、学びと実践を続けていく人生を歩むことのほうが限りある命と時間を高められると考えられるのです。
それが自分のためでもあり、また人や社会のためにもなっていくと予想できます。
そのひとつの精神的ツールとして「タロットマンダラ」を自身の心にもっていると、人生の羅針盤として役に立つのではないかと私は考えています。
タロットメッセージから見る今後の人との関係
このところ、タロットカードを引いてよく出ていたのは19の「太陽」でした。
これにはいろいろな象徴があります。
国として見ると日の本・日本ということがやはりイメージできますし、太陽のほかにカードに描かれている二人の人物を見ても、人々のつながり、助け合いというものが強調されているように見えます。
また身近なところからでも、なるべくつながりをつけていくというようにも感じられます。
こうして書いている内にほかのタロットカード(「節制」「女帝」)も登場してきましたので、その意味と重ね合わせて、タロットからのメッセージとして述べさせていただきたいと思います。
それは、シンプルに言えば、「これまで以上に人との交流を増やしていく」というものです。
全体的な意味ももちろんあるのですが、それよりも重要なのは、むしろ個人レベルのことです。
皆さん一人一人が、限りある人生の中でもっと多くの人と交流する、知り合う姿勢を持って生きていくことを心がけるというものです。
今はインターネットを含め、様々な「人と知り合うための」便利なツール・方法があります。
もしかすると、今日のようなメディアが発達してきたのもこのためにあったのではないかと思えるほどです。
なぜ多くの人と交流することを勧めるのかと言えば、ひとつにはやはり今回ののような災害や危機があった時に多くの人が実感されたように、一人でも知り合いがいれば物理的にも精神的にも安心感が増すからです。
そしてこれがもっとも大切だと考えるのですが、たくさんの人と出会い話をすることで、様々な考え・価値観が交流し(あるいは対立・交錯することもあります)、そこから化学反応のように新しい考え・仕組み・物などが創造されていくとイメージできるからです。
それが今後の日本の救済につながることもあるかもしれません。
日本全体という視点をはずしても、個人のうえでも救いが希望が生まれてくる可能性もあります。
もちろんいいことばかりではなく、人と人がぶつかれば争いや衝突も起こるおそれもあります。
ただその危険性を差し引いたとしても、数の原理で表させるように、2(対立)から3(融合・調和)になれば新しいものが何かしら生み出されていくので、その分創造されたものも多くなり、その中からよいと思えることも増えるという算段です。
これまで何かをためらっていいた人、勇気がなくて引っ込み思案でいた人も、少しずつでもいいので人と交流する機会を求めて、自分から一歩踏み出してみませんか。
私自身も範囲を広げて、たくさんの人と知己を得たいと考えています。
「女帝」と「皇帝」に見る現実化
タロットには「女帝」と「皇帝」というカードがあります。
たいていのマルセイユタロットの場合、その数の順番でこの二枚を並べると向き合う形になります。
カモワン版ではカップル・夫婦ととる事もあります。
ですから、この二枚はあらゆる意味でペア・セットで見ていくとよいのです。
特にこの二枚は、私たちが思い行動することとはどういうものであるのかをわからせてくれます。
「女帝」は考えやアイデア、発想・着想を意味するカードです。それに対して「皇帝」は現実・実際・組織・行動(化)を表します。
単純に考えても、「女帝」の考えを「皇帝」が現実にするという二枚の意味になるわけですが、私たちは必ずしも自分の考えを即行動に移すということができません。
むしろ、躊躇したり迷ったりしてなかなか実際にできないのが「現実」です。
この場合はふたつの理由がタロットの「女帝」と「皇帝」から読み解けます。
カモワン流の場合、カードの逆向き(リバース)は何らかの問題状態ととらえますので、たとえば「女帝」が逆向きの時は「女帝」の示すことに問題ありとなり、皇帝が逆だと「皇帝」の事柄に問題ありとなります。
「女帝」が考えで「皇帝」が現実や行動だとすれば、タロット的にいえば、考えが問題か行動が問題かの判定がつくということにもなります。
つまり、考えが現実化しないということは、その考え(アイデア・発想)自体に問題があるか、行動方法、現実において問題があるかということになるのです。
考えがすばらしいが、それをどう行動して実際にするかの方法がわからない、あるいは考え自体思いつかない、考えがありすぎてどれを行動したらよいのかわからない、こんな状況だと言えます。
ただ考えと行動の結びつきは別々で見ていく分析方法も大事ですが、結局のところ、自分の思っていることが行動や現実に結びつく同じ価値になっているかということが重要だと思います。
本当にやりたい実現したいと思うことと、自分のやろうとしていることが価値的に同じものとして共有しあっているかでもあります。
具体的には、たとえば今の仕事をすることで自分の価値を置いているもの(理想と言ってもよいです)に何らかの貢献や進展があるかどうかです。
もし価値が共有されていれば、仕事ををすることに意義と意味を必ず見い出して行動する力も大きくなることでしょう。
反対にほとんど価値を見いだしていないと思っているのなら、その仕事をすることが嫌になり、辞めたくなったり、仕事をするモチベーションに結びつかなくなっていたりします。
これは仕事ということでたとえに出しましたが、ほかの分野でも同様です。
「女帝」と「皇帝」が正立の場合、なぜ向き合っているのかを丹念に見ていくことで、あなたの考えと行動は接点を持つことになり、「皇帝」の示す「物事の現実化」も早くなってくると考えられるのです。