カードからの気づき
目標を立てるのに、すでに遅い場合あり。
一年の初めに今年の目標を立てる人は多いと思います。
しかし、それでは時すでに遅しの場合があるのです。
えっ?と思うかもしれませんが、皆さんも経験的に見て、新年の目標がその後どうなったか、思い出してみてください。
そもそも(以前の年の)目標も、あまり覚えてないという人が多いのではないでしょうか。
ところで、マルセイユタロットでも描かれていますが、人はふたつの面を持ちます。
いわゆる二面性としてもよいですし、両極のエネルギーが渦巻いていると見てもよいものです。
そして、この二面性において、人には怠惰になる習性と勤勉を奨励しようとする働きがあります。
まあ、平たく言えば、楽したいという思いと、頑張ってしまう(ことを評価する)働き(習性)のふたつです。
それで、目標を立てる時におきましても、この二面性が現れるわけです。
新年になって、「さあ、今年は○○を達成するぞ!」などと目標を立てたところで、先述したように、たいていの人は、せいぜい一月余りその思いが継続するくらいで、春頃になれば、もうほとんど忘れてしまっている状態です。
目標を書いたノートや紙さえ、見ようとしないばかりか、その紙もどこにあるのか忘れている人もいるでしょう。(笑)
ましてや、夏とか秋になると、いったい年の初めに何の誓いを立てたのか、目標設定したのか、そういう話題すら起こらず、まったく忘れているのが通常という感じです。(企業の売上目標とか、公約などの場合は、嫌でも思い出さされることはあるでしょうが)
そして、また年末頃になりますと、「ああ、そういえばお正月に何か目標立てたけれど、今年はどうだったかな?」と一年を振り返って思い出すようなものとなります。
つまりは、怠惰な習性が働いて、目標は立てるだけに終わるというケースが少なからずあるということです。
もちろん目標に向かって行動し、その都度、見直しながら、きちんと目標達成される方もいらっしゃるでしょう。これはこれで頑張る性質のほうが働いたと言えます。
ですが、目標を立て、それを達成していこうとする(ちゃんと実現していく)人は、やはり前もっての準備や計画性も優れている人と見ていいでしょう。
普通の人よりも先手を打ち、前倒しのような形で計画・実行してくわけです。
新年になってやっと、周りの雰囲気に流されて(同調し)、「さあて、今年はどうしようかな・・・」なんてやっていたら、また三日坊主で終わるはめとなるのです。
新年から「どっこいしょ」という感じで計画を立てていれば、その分、実行するのも遅くなりますから、やがて新年の改まった気持ちも萎えて通常の感覚に戻ってしまい、計画を実現しようという気力も消失し、行動しないままに終わる恐れが強くなるわけです。
ということで、例えば、新年の目標や計画を立てる場合でも、むしろ、昨年からある程度の目処を立て、書き出したり、整理したりして、来年(新年)の目標を決めていく準備をしたほうがよいのです。
マルセイユタロットでいえば、「女帝」(アイデア・計画)と「皇帝」(行動・実現)の役割を、年末のうちに「女帝」までは大方済ませておくということになります。
そういった意味で、太陽信仰の古代では重要視されていた冬至を、ひとつのポイントとして意識し、それまでに整理をし、冬至明けにほぼ(現代の暦の上での)来年の目標を決定しておくのは理に適っていると言えます。
そして、年が明ければ、いよいよ実行に移せる段階にしておくのです。さきほど例示したマルセイユタロットでいえば、「皇帝」の段階は、もう新年になって始まっているのだと見ます。
新年のチャンスを逃した人は、自分の気持ちが改まりやすい日を目処にし、その日から逆算して、前もって計画を練っておくとよいでしょう。
次のチャンスには「節分」があります。また普通に「年度替わり」なども、切り替わりの意識として、一般的にも強いですから、使えるポイントとなります。
それから、これはまたいつか書きたいと思いますが、そもそも目標設定しないほうがうまく行くタイプの人がいます。
しかも、そのことがスピリチュアルに目覚めたり、自分の心理的な枠を打破して変容するために有効だったりします。
このことは、実はマルセイユタロットの「月」と非常に関連する話なのですが、それは今年から配信予定(準備ができればブログでもお知らせいたします)の、一般向けメルマガなどで、お話できればと思います。
冬至のタロットリーディング
今日は冬至ですね。
冬至というのは、言うまでもなく、地球と太陽の運行に関係して生じる特別ポイントです。
反対側には夏至があり、別の方向性では春分・秋分があります。
実は以前、メルマガ(講座受講者・修了者用)にも書いたのですが、普通の人が特別な意識を持ったり、変化を経験したりするためには、天・地・人から見た力を利用するものがあると考えられます。
詳しくは省略しますが、簡単に言いますと、パワースポットとか聖地などの特殊な場所、血脈や身体が特別な人に備わる能力、あるいは学び・身につけた技術、そして天体の運行による交点や意味ある角度(比率)を持つことによる「時(とき)」のポイントの力などを利用するということです。
その天体的・時間的パワースポットといえるのが、冬至などの「時」と言えます。
タロットリーディングをするのにも、こうした時の力を利用すると、よりはっきりとしたものが出たり、感性が普段と違ったもので読めたりします。
さて、一方で、冬至は古代から、その昼と夜の長さとの関係から、死と再生のエネルギーと結びつけられていました。太陽が一度死に、また復活再生されると象徴的に見ていたわけです。
この時期がクリスマス、イエス・キリストの生誕と結びつけられているのは偶然ではありません。イエスも一度死に、復活を遂げたと言われているためでもあります。
このあたりは実はマルセイユタロットでも象徴的に描かれており、「太陽」のカードを中心として、数枚のカードを組み合わせると、はっきりとその意味合いを読み取ることができます。
ということで、結局は太陽信仰と関係するのですが、その太陽(のエネルギー)をメインとした(暦を考える)場合、冬至こそが、言わば大晦日と正月のポイントになると言えます。
冬至が明けるとともに新しい年になったと、太陽エネルギー的には言えるわけです。
とすると、冬至までに整理・掃除・浄化をしておくことが理に適っていることになります。
また特に意識しなくとも、私たちの中には外的な太陽(の運行)と自分の中にある内的な太陽とのシンクロ・調和(時には葛藤もあります)が起きるようになっていますので、冬至の前後の時期にちょっと(内に)意識しますと、これからどうすればよいのかが、自然と内から起こってくるような状態になります。
タロットなど、特に内面を外面化(見えないものを見えるように)するツールがあれば、なおさら、わかりやすくなると思います。
私自身でいえば、今後はシンプルにする、ということが求められており、「わかりやすく」とか「簡単に」とかということがテーマや外側への表現ポイントとなりそうです。
一方で、より忠実に魂と言いますか、本来の自己の太陽に沿っていく活動も志向されるようです。その意味においては、逆に、複雑さもありのようです。
と、書いているうちに、ブログ読者の方にも、冬至メッセージを送りたくなってきましたので、一名だけになりますが、タロットを引いて、無料でメッセージ(今後の方向性などになります)をお届けしたいと思います。
象徴的なものだけではなく、何か迷っている具体的なことがありましたら、それも情報として書いていただければと思います。象徴的メッセージと関連して、その(具体的)選択や迷いへの示唆になるヒントも書かせていただけたらと思うからです。
今回は大げさにわざわざ募集と書きません。「ブログをさらっと読んでいたら、最後のほうに無料メッセージ企画があった」的な(笑)ラッキー記事と考えていただけたらと思います。その代わり、応募期間は短いです。まさにご縁企画です。
冬至の無料タロットメッセージをご希望の方は、その旨明記のうえ(タロットに聞いてみたい具体的な内容はあとで結構です)、ご応募ください。
締め切りは明日、23日(水)17時までです。一名様限定で、応募が複数の場合は、タロットによる抽選を行います。なお、応募資格は特になく、私の講座の受講者の方でもOKです。
ご応募はこちらから。※リンク先のどのフォームからでもOKです。
承認欲求が刺激される時代で。
インターネットの拡大、SNSなどの発展に伴い、誰でも自分から情報発信することができるようになりました。
それによって様々な情報が提供され、今まであまり知られていなかった(知られにくい)ミクロでニッチな話題も発信・受信ともに容易になり、情報量の飛躍的増大と選択肢の多様さという点では、すばらしいことになっています。
しかしながら、何事も良いことばかりではありません。
マイナス面も同じくらい、いろいろとあることになりますが、特に今回取り上げたいのは、承認欲求の拡大についてです。
承認欲求というのは、ご存知のように、自分(の存在や価値)を認めてもらいたいという、言わば、誰しも持っているような欲求のことです。
自分から簡単に発信できるようになりますと、当然、自分を中心とした情報、もっと言えば、自分自身のことを書いたり、見せたりする傾向になりがちです。
会社や組織で情報を集めているわけではない個人ですから、知っている情報や環境というのも、その個人の範囲に帰属するものになるのも当たり前です。
従って、結局は自分のことを発信する場合が多くなります。
そして、人には困ったことに(笑)、あるいは、だからこそよい面とも言えるのですが、自分の呼びかけに誰か応えて欲しいという欲求が根本的にあるようです。
おそらくある程度の集団や家族で暮らすようになった大昔からの、生きるために備わったパターン(習性)みたいなものなのでしょう。
今のような情報通信機器がない時代、自分単独のアクシデントに際しては、それこそ生命の危険がリアリティをもって感じられるはずで、誰かに救いを求める呼びかけをして反応してもらうことに、ものすごい切望感があったはずなのです。
これが現代人にも受け継がれていると考えられます。
要するに、自分から発信(呼びかけ)すると、誰か別の人に反応(呼応)してもらいたいという習性が働くということです。
反応する人は、自分が知らない人でもいいのですが、知っている人ならば、なお安心できます。
知らない人の場合は、批判とか拒否反応よりも、当然、親和性のある反応、愛を感じる呼応のほうが嬉しいに決まっています。
これをそのままSNSなどに当てはめますと、人の反応パターン、自分がどうされれば嬉しいのかがよくわかります。
つまりは、今の時代、もとからあった人の承認欲求が、無理からでも刺激されることになっているのです。
冷静になれば、依存みたい(発信しては人の反応を求めるという承認欲求のまま)になっている姿も分析できるかもしれません。
ただ、これも悪いことばかりではないと思っています。
マルセイユタロットでは、カードに描かれている絵柄の象徴が、人の共通パターンや自己の様々な像(プラス・マイナス含む)を表すと見ることもができ、結局、その自覚と統合が自他の調和を促すと心理的には考察することができます。
承認欲求は、自分が人から認められたいということでもありますが、裏を返せば、実は人に貢献したいという(自分が他人に役立っている存在でありたい、ゆえに役立ちたいという)思いでもあります。
承認欲求をただの自己満足の段階で終わらせるのではなく、さらに一歩進み、自分は人や社会に役立ちたいと思っているのだと認識して、自分の個性と全体(社会や外の世界)との交流、そして内外の調和を目指していくきっかけにするとよいと思います。
簡単に言えば、自分の個性でもって、何か役に立つことをする(と自分が思える)表現をしましょうということです。
まあ、最初のうちは、他人から見ればうざいものであったり、しょーもないものに見えたりすることもあるかもしれません。
しかし、考えてほしいことがあります。
この世界、結局、内と外、自分と他人、個と社会など、二元の対立と交流(融合・調和)によって成り立っているものと言えますので、人から認められたいと思うのは実は自然なこと(そうした仕組みになっている)なのです。
そして、認められたいという欲求から出る行動によって、そのうちの何かが、外の世界(社会や他人)に貢献できる自分のヒット作として生まれるかもしれないのです。
ヒット作というのは例えであり、何も実際の形ある作品というものに限らず、生き方(行動)や思い、主張、存在そのものなど、形にとらわれないものを含みます。
ただし、欲求の自覚なく、承認欲求を満たすことだけに囚われ、「もっともっと自分を見てほしい、すごいと言ってほしい、愛してほしい」など際限なく欲求を肥大させていく悪循環になるのは問題です。
愛の存在も自己の価値も、すぐには認められない人は少なくありません。
人は傷つきやすく、不安や不満足に陥りやすい存在であると同時に、神性(仏性)を内包し、力強く、完全性を表現できる神聖さも併せ持ちます。
承認欲求から始まって、認められる実感、愛される実感を伴ってから初めて先に進む(人に求めず、自己にあることを認識する)場合もあるのです。
狭い自己の世界で苦境に陥るより、承認されたい欲求をエネルギーとして外に向かわせ、自己の殻を破って外部のエネルギーを流入させ、その反応・統合によって、より広い世界に飛翔することが可能となります。
すべての欲求は、実は向上の叡智・エネルギーとなりうる可能性を持ち、欲求にただ身を任す者は、その欲求の奴隷となるのです。
承認欲求を刺激する今の状況は、それゆえに諸刃の剣でもあり、大きな可能性と大きな落とし穴の両方が開かれていると言えるのかもしれません。
この世は縁結びの世界
初めにお知らせです。12/5に新大阪で開催いたしますマルセイユタロットの体験会は、満席となりました。また来年も機会があれば行いますので、今回ご縁をいただけなかった方は、次回ご検討してもらえればと思います。
さて、ご縁ということでは、このマルセイユタロット自体との縁も、また不思議なものがあるように思います。
そして、タロットを見ていて思うのは、人の縁には、大きくわけて三種類(三つの次元)があるのではないかということです。
その3つとは、よく言われるような、天・地・人(天縁・地縁・人縁)と考えてもよく、また別のとらえ方では。魂・心・モノが関係する縁と述べてもいいかもしれません。
簡単に言えば、魂や天から与える縁、人の心や人によって生じる縁、土地や場所、金銭など、物質やフィールドによって得られる縁という感じです。
さらに縁の質ということでは、自分の心に響いたり、心が癒されたりする縁もあれば、行動を変えたり、環境が変わったりする縁、お金が増えたり減ったり、所有するものが変化したりする縁などもありますね。
ここで大切なのは、どの縁も重要で、優劣というものがなく、結局先述したように、質の違い・次元の違いでしかないのだと思うことです。
自分の心に必要な縁もあれば、自分の経済に必要な縁もあるといったところなのです。
それは私たちは人間として、現実世界で生きていますので、当然心もありますが、肉体や物質のある世界で生活しているわけですから、心やイメージだけでは生きていけるわけでもないので、いろいろな質の縁はそれぞれ大切なのです。
とはいえ、天縁・地縁はあるものの、中心は人によって生じることが多く、人は感情によって動かされるわけですから、人の気持ちに配慮すること、「心」というものが縁では大切になってくる(結局は人縁が大切になる)のもわかります。
まったく人と関わらずとも、天や地の縁によって何かは与えられるでしょうが、この現実世界では人の縁のほうが動きやすい(もたらされやすい)と言えます。
このことをよく表しているのが、マルセイユタロットの「恋人」カードです。
中には、自分はつきあう人を選ぶと宣言したり、波動が高い人としか縁を結ばないようにするとか述べている人もいますが、一見無駄と思えることの中にとても大切で重要な価値が隠されていたり、低俗で下品だと感じているものの中に、崇高で上質な世界を見ることもあるのです。
世界の二元性と多重性を理解しないと、なかなかその発想には至りませんが、人の縁も同じで、「こんな人との縁は嫌だ」と思っていたところが、その人からつながる大切な縁、あるいはそれを拒否することで逆に出てくる重要な縁(拒否する前には当然、その人との縁が存在します)というものもあります。
とにかく最初から選びすぎていては、その時の自分の価値観(つまり自分の作っている世界)に囚われた狭い範囲でしか縁が生まれません。
もちろん、必要以上にエネルギーを奪われたり、人生の限りある時間を、消耗激しい人とつきあうのは問題です。
しかし、どんな縁が、どんなところでつながっているのかわからない部分もあり、それはマルセイユタロットで言えば、「恋人」カードの天使(キューピッド・クピドー)が知っているもので、その放つ矢によって縁が結ばれていきます。
それは、人間の次元では、苦しい縁だったり、よくわからない縁だったり、何とも思わない縁だったりと、自分ではすばらしいものとは思えないものかもしれませんが、キューピッド次元から見れば、やはり実りある必然とも考えられるものかもしれないのです。
ちなみに、「恋人」カードは、高い次元では「神の家」ともつながっており、神性なる次元への気づき・誘いとして、人の縁を見ることもできます。
さらに言えば、恋人カードには三人の人物が描かれているように、人間たちの行動と選択の意志が、キューピッドを呼ぶことになると考えることもできるのです。
ですから、やはり、じっとしているのではなく、またえり好みをし過ぎることなく、自由に好奇心と関心のもとで、自分が現実世界で行動していくことにより、心や天(魂)とつながるものが見えてくるとも言えるのです。
また反対に、心や魂の縁を求めるだけではなく、地・物質(モノ)、お金などとの縁も大切だと思って、それを求め結んでいくのも、この現実次元に許された楽しい「縁結びの世界」だと言えますので、狭義のスピリチュアル縁ばかりを探すことの視点を変えたほうがよいこともあると理解しましょう。
「力」と願いの叶え方との関係
タロットには「力」というカードがあります。
マルセイユタロットでは、ライオンを手なずけているかのような女性とともに描かれています。
「力」というカードの名前から、この女性は目一杯力ずくでライオンを押さえつけているかのように思えますが、よく見ると、そんなに力が入っているようには見えません。
これは私たちの想像しているパワー的な力とは別のものだということがわかります。
一方、このカードを見て思うのは、普段私たちは、力が入りすぎているということが多いのではないかということです。そのために、うまく行くこともうまく行かなくなくしてしまっていると。
スポーツでも武道でも、脱力することは本当の力を発揮するうえで、とても大切だと言われます。
精神的な面にしても、何かを達成しようと力み過ぎると、かえって失敗したり、緊張したりしてしまいます。
しかし、成功系やスピリチュアルな話では、強い願い(思い・意識)が必要だとも言われます。
そのため、夢を叶えるためには、思いを強く持ったほうがよいのか、持たないほうがいいのか、悩む人も出てきます。
この手の話で、私がよく言っているのは、一人一人、方法論において違うということです。
全員にあてはまる具体的なものはなく、逆に言えば抽象的・漠然とした次元にまで上げれば、皆に当てはまるようになるものも出ます。
ですから、何かを叶えたいということでは、おそらく何らかの思いは持ったほうがいい(思いがないと、そもそも目的が決められませんから)ですが、その強さや思う期間は、人それぞれ、まちまちであると言えます。
強く願い続けることで叶うことが多かった人は、それが自分には合っていますし、運任せのように、ラフに進んでいれば自然に叶っていたという逆の場合は、それが自分の願望達成法としては向いていることになります。
まあ、それはさておき、脱力やあきらめが、時に目的や願望の達成に効果があることは確かで、それは「力」のカードに象徴される、力の扱い方にもヒントがあるように思います。
特に深刻に物事を考えがちの人、あることに強い関心とフォーカスをしていて、もはや執着のようになっている状態の時は、バランスが崩れており、力のかけ方がおかしなことになっているのだと推測されます。
マルセイユタロットの「力」は、フランス語でフォルス、英語ではフォースとなり、確かに物理的・肉体的な力のような意味もあるとはいえ、気力や勢力というような、目に見えないものが広がっていくイメージもあります。
そして、このカードは、「世界」や「手品師」のカードとも強く関係します。(マルセイユタロットの場合)
そこから考えると、要するに、力を世界にする、世界を力にして、仕事(現実の作業、実際に叶えたい事)に活かすということになるでしょう。
何を言っているのかわからないと思いますので、もう少しわかりやすく言えば、力を集中するのではなく、自分の周囲に拡散して、そのエネルギーフィールドのような磁場でもって、相手や周りを自分がコントロールできる世界にしてしまうということです。
漫画・アニメでワンピースが好きな人には、トラファルガー・ローのオペオペの実の能力、「ルーム」にしてしまうという感じで思っていただければわかるでしょうか。(笑)
「手品師」のテーブル内、「力」のライオン、「世界」のリースで囲まれた空間(「世界」の場合は4つの外側の生き物も含みます)が、コントロールできる場として共通なのです。
強く思いを持つことは、ドリルのように一点集中してパワーを溜めることには向いていても、ある特定の場に、自分の勢力を及ぼさせるという意味では不向きです。
しかし、その前提としては、エネルギー・フォースを集め、実感することは大事なので、最初は強い思いや意識は必要だと考えられます。(まるで「スター・ウォーズ」のような話になりますが)
そして一度集まったフォースを、自分が脱力することでふわっとエネルギー磁場のようなものを周囲に作り出し、それによって自分が世界の中心(創造主のような形)となりますので、願いを叶えたり、思うような結果を出したりすることが可能になるとイメージできます。
「あきらめ」が効果を持つのも、無駄にバランスを崩した力のかけ方が、あきらめることで脱力し、一端のリセットを呼び、自分と外の世界の垣根をなくして、内外調和することに要因があると考えられます。
言わば、自然や宇宙、神にお任せの心境です。
それは意識する力と意識していない力の融合であり、結果的に「自分を世界にする」ことと同じなのです。
なかなか願いが叶わないという人は、一度、いい意味で「あきらめてしまう(強い思いを手放す)」のもひとつの方法です。
一見それはあきめているようでも、本当の「力」は自分の内にあると気づく作業でもあります。
自分の内にある「力」は、実は外にも同じように遍在しているものであり、そのことが意識できれば、自分は大宇宙に比してちっぽけな存在でもありながら、同時に巨大で大きな力に満たされていることにも気がついてくるでしょう。
願望達成の真の意味は、自分がいかに大きな存在であるかを自覚するための単なる手段ではないかと、私はタロット的には考えています。