カードからの気づき
「再生」のメッセージ
<p><strong>マルセイユタロット</strong>になじんで来ますと、その<strong>象徴性</strong>から、その日・その時期など、関連すると思われるカードが浮かんでくることがあります。</p>
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<p>こうなってきますと、カードを引いたり、展開したりする必要がなく、心の中で勝手にカードが開いていくようなイメージがあります。</p>
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<p>実際、私は自分のことについてカードを引くより、<strong>カードの方からこちらに来る</strong>という感覚でわかることがあり、あまりカードを引かないことが多くなっています。</p>
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<p>別にこれは高度でもなんでもなく、タロットを象徴として最大限活用していくようになると、誰でもできるものです。マルセイユタロットがそのように使えるよう、もともと作られているからです。</p>
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<p>さて、ここ最近、特に今日浮かんできたのは、「<strong>審判</strong>」です。</p>
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<p>カードは象徴なので、ひとつの意味ではなく、<strong>たくさんの意味合い</strong>がもちろん一枚においてもあるのですが、それでもその時その時に出てくる(とらえられる)意味があります。</p>
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<p>今回「審判」から来るものは、<strong>「再生」「リニューアル」</strong>というイメージでした。中でも「漢字」で言うと、「<strong>再</strong>」の字が強調される印象です。</p>
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<p>ところでタロットの象徴は<strong>個別性と全体性</strong>を持ちます。</p>
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<p>すなわち、受け取っている個人と、もっと大きな範疇での国とか人類とか全体を含む象徴性があるということです。</p>
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<p>思えば、今日は伊勢神宮の「遷御の儀」が行われる日でもあり、10月という年度の折り返しが始まった時期でもあります。</p>
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<p>まさしく<strong>新しく再生される</strong>意味合いが強いということですね。</p>
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<p>おそらく、全体性・個別性のタロットの象徴性からして、このブログを偶然であれ意図的であれ、読まれた方個人にとっても何か「再生」「リニューアル」に関わるテーマがあるものと予想されます。もちろん当の私自身にもあるわけです。</p>
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<p>「再生」には「再び」という文字があるように、過去に自身が経験したり、学んだり、遭遇したようなことが同じ形、あるいは別の状態で蘇ります。</p>
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<p>再会、再始動、再現、再使用、再起動、再婚、再選、再入国、再編、再確認、再臨界・・・などポジティブだけではなくネガティブな意味においても「再」に関係するようなことが発生するイメージがあります。</p>
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<p>一気にリセットに行かれる人もいるでしょうし、前に経験した事柄や会った人と再会し、また何か別のものや新段階・新次元に移行していく人もあるでしょう。</p>
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<p>また、まだ前のものが<strong>未処理</strong>のままのもの(感情的な意味でも)は、ここできちんと<strong>向き合い</strong>、整理・浄化・卒業することも求められると思います。</p>
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<p>「振り返るな!」とよく言われますが、「振り返るな」と無理矢理顔を未来に向けるより、自然に<strong>「もう振り返ることがない」「振り返らなくてもよい」</strong>ような心境になって進むことが望ましいと感じます。</p>
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<p>そのためには一度少し戻ってから、<strong>助走</strong>をつけるような形でジャンプすることもあり得ます。後退しているようで、実は進歩のためのバックという象徴的出来事もあるのです。</p>
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<p>今、困難の中にいる人、思ったように進まない人でも、助走や処理・浄化期間なのだと思って、やがてくる大きな成長とジャンプに期待いたしましょう。</p>
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思考の現実化において必要な、ひとつの過程。
マルセイユタロットの「女帝」と「皇帝」の関係(それ以外の組み合わせも多数)にも言えますが、思ったことを現実に表すためには、現実世界のルールにあてはめる必要があると考えられます。
ここで言う現実世界とは、すなわち私たちが認識し、住んでいる普通の物理的世界のことです。
その特徴は、一言で言えば「モノに形がある」ということで、いわば三次元だということになります。
一方、心や精神の世界は立体ではなく平面・二次元が中心です。ホログラムぽく、三次元に見えても、実在としての立体ではありません。
ということは、二次元のものを三次元にしていくためには、立体化が求められるわけです。
アニメや漫画の世界は二次元なので、実は心の世界に近いのですが、ここで出てくるキャラクターはもちろん現実にはいません。
そこでファンやオタクの人は、好きなキャラクターのフィギィアなど製作したり、購入したりして「立体化」し、あたかも現実に存在しているかのように感じる術を施すのです。
これは魔法のひとつに近いものがありますが、もちろん、一般的には意識されません。
こう書くと、フィギュアを作る種類のアニメファンの人は気持ち悪いと思う人もいるかもしれませんが、意外な分野でこれと同じようなことは行われているのです。
それは偶像崇拝のある宗教の世界です。
イスラム教・カトリックキリスト教など、メジャーな宗教は実は偶像崇拝が禁止されているのですが、結局、特にキリスト教では絵とか像を作って神を表現している場合が多いです。(理屈では偶像崇拝ではないとされていますが)
仏教系は仏像を作ることが多く、それによって皆さん仏様を感じ、拝んでいます。
これらもつまるところ、心や精神で感じる世界を立体化して、我々の通常認識している現実世界になじむようにしているわけです。言わば、神や仏の現実化です。
ということで、何か思っていることを現実化するためには、シンボルとしてそれを何らかの方法で立体化するとよいわけです。
もちろん、立体化したそれであっても、もともと思っていたそのものではないのですが、ミニチュアだったり、立体化された象徴だったりして、そこに魂(エネルギー)が入ります。いや、入れるのです。
「仏を作って魂入れず」では、あまり効果はないわけです。
自分の作った、あるいは選んだ願望の立体物が、本当に自分の思いの象徴なのだと強く信じ、なおかつ「触れて」現実にあることを実感することが大事です。
簡単な例でいえば、家がほしければ家のミニチュアを作って、それにふれる・味わうといった感じです。
この時、さらにシンボル・象徴として意味づけが強化されるものがあれば、(「護符」的なものとかタロットとか)さらに有効になってきます。
とにかく思考と現実の間、言い換えれば非物理と物理の境目には、そのままでは次元が違うので通過せず、そこに変容過程が必要なことは覚えておくとよいでしょう。
「貴婦人と一角獣」展
一昨日は、タロットの受講生(修了生含む)の方とともに、大阪の国際美術館で今開催されている「貴婦人と一角獣展
」を鑑賞する企画(メルマガ企画)を行ってきたところです。
「貴婦人と一角獣」というのは、フランス・クリュニー中世美術館所蔵の巨大な6面のタピストリー(タペストリー)で、中世の頃に製作され、優雅な貴婦人と伝説の霊獣一角獣(ユニコーン)とがメインに配置される神秘的な絵柄とっなっています。
そのため、その解釈に多くの人を惹きつけている作品群です。
私はフランス現地において、タロットの関係で鑑賞したことがあるのですが、これが再びそろって6面全部、日本で見られるとは思ってみませんでした。
タロットの関係・・と書いたように、そのタピストリーに描かれているものには、タロットの象徴とも関連が深く、隠された意味がタロットや西洋密儀の伝統から解釈すれば見えてくるのです。
一般的には、この6面のタペストリーは、それぞれ、人間における五感、つまり「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」と、それを超える「第六感」的なものを表すとされています。
実際に、中央に描かれる「貴婦人」を中心に見ていくと、そのように解釈するのも当然で、その意図は私もあったと感じます。
五感というのは、いわば、人間の肉体を通して知覚する感覚で、誰でも普通に味わうことのできるものですので、低次なものとこのタペストリーが作られた頃は見られていました。
そういった肉体的な欲望や知覚を超越した次の感覚を得ることが重要であるというテーマが、最後の「第六感」を表すタペストリーにおいて掲げられていると考えるわけです。
しかし、タロットの描かれている西洋密儀の象徴を理解してもう一度この作品群を見直すと、ここに驚くべき解釈が成り立ってくるのです。
意味的には「常態の超越」という、一般的に言われているテーマと似てくるのですが、そこにはもっと別で具体的な方法と目的が、タロットの知識を入れていくと浮上してきます。
こうしたところが、マルセイユタロットを知っておくと良い点でもあり、特に西洋絵画等の芸術作品においては、その象徴的知識がまた違った芸術の鑑賞眼を養うことになります。
実はマルセイユタロット自体、そのような描かれ方をしています。
例えば一般的には「魔術師」とか「奇術師」とか呼ばれるカードがありますが、私たちは「手品師」と呼ぶこのカードが、見た目上は、文字通り「手品」行っていることを絵柄から見ることができます。
ところが、その細かな象徴の意味を知っていくと、「手品師」の彼が実は別のことを行っており、それがまた手品と関連していることもわかってくるのです。
言わば、表面的な意味と裏の隠された意味の二重構造(さらにはあと二重あって、全部で四重構造になっています)になっているのがマルセイユタロットの特徴なのです。
このことが理解できれば、他の芸術作品、あるいは日常的に我々が経験する事柄さえも、見た目だけの表面的意味合いのみではないことがわかるようになるのです。
昨日の会では、美術館での鑑賞のあと、皆さんで感想や気づきを述べ合い(ここで新たな発見もあって、一堂驚愕でした)、シェアをしつつ、私とゲストのマルセ氏とともに「貴婦人と一角獣」のタペストリーに隠された意味を説き明かして行きました。
終了時にはタロットを引いての「貴婦人と一角獣展」グッズプレゼント当選企画(笑)にてお開きとし、真剣ながらも和やかな内に終了することができました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。(あまりに話に熱中し過ぎ、皆さんとの写真撮影も忘れていました、すみません(^_^;))
とはいえ、会で話したことも我々の仮説に過ぎず、もっと詳細な象徴の意味や検証も必要であり、また違った解釈もできると想像されます。それほど、このタピストリーは魅力的なものなのです。
是非、興味ある方は鑑賞してみてください。敏感な人はタペストリー自体の力(それぞれ質がが異なります)を感じ取ることもできるでしょう。
「太陽」、その二人。
マルセイユタロット(に限らずでずが)には「太陽」というカードがあります。
数の順番で隣の「月」や「審判」に比べても「太陽」はわかりやすく、親しみやすい絵柄で、読むことも容易なように思われています。
しかし、実はどのカードも奥が深く、また逆にシンプルに考えることもできます。
「太陽」のカードは一見簡単そうに見えながらも、結構複雑なものを含んでおり、タロットを理解すればするほど、実はなかなか不可解なところも出てくるカードだと思います。
マルセイユタロットにおける「太陽」の二人組(二人の人物)は、同じように見えていても、厳密には明かな違いもあり、その仕草に大きな秘密があります。
また同時に同じ(人物の)ように見えることも、それはそれで意味があるのです。
そしてさんさんと輝く太陽、これには顔が描かれており、いわゆる私たちが普通に見る天体の太陽とは異なるのではないかという推測が成り立つわけですが、それもまた然りというところでしょう。
おそらく、ある境地に達したり、ある霊的な境界を越えたりすると、ここに描かれているシーンは真実に見えてくると思います。
逆に言えば、その段階に達していなかったり、そういった特種な境地や世界に行っていなかったりすると、なかなか絵柄の象徴の本当の意味は悟りにくいのではないと推察されます。
もし簡単にこの「太陽」の感覚を得たいと思えば、それは亡くなった時に体験できるのではないか考えられます。
さて、一方、このカードにおける二人の人物の雰囲気から、パートナーやペア・カップルとなる二人組が想像されます。
ただ、この二人組、確かに現実的な意味での友人や仲間、恋人・夫婦などを表すこともありますが、両者は心や魂のつながりだと見ると、一種の特別な関係の二人だと解釈することもできます。
いわゆる「ソウルメイト」と呼ばれる関係もそうかもしれません。
実際にもこのカードを引く時、普通の恋愛関係の二人というより、同志的なつながりや、一度も会ったことがなかったのに知り合って最初からなじみがある者同士だったり、会う度に何かを想い出す関係であったりする者同士を指すことがあります。
また、まさに自分を映し出してくれる相手として存在する関係という場合もあります。
「月」のカードにも自分が投影されるような相手との関係を示す場合がありますが、「太陽」と「月」の違いは、前者が比較的ポジティブな似たものを見る同士であるのに対し、後者の「月」は、シャドーや影の部分を映し出したり、あぶり出したりする関係同士であるということが挙げられます。
ここで「ソウルメイト」について少しふれておきますと、魂の伴侶とか、同一体の片割れであるとか、前世からの深い因縁のある関係同士だとか、ロマンチックな意味での「ソウルメイト」もあるかもしれませんが、実際は、まさに自分のレベルに応じた、いろいろな意味で似た者同士か相補的(相反を埋め合うような)な関係が「ソウルメイト」と言えることが多い気がします。
ですから、この概念に従えば、ソウルメイトは人生で複数現れることにもなりますし、その時々によって(自分の成長やタイミングによって)変わるとも言えます。
それでも、やはり、自分の人生において特別な関係であるという人は、同性であれ異性であれ、たいていは存在します。
私はだいたい同性・異性で、普通にそういう人が三人ずつくらい、どなたにおいてもいらっしゃるのではないかと考えています。
もしまだそれくらいの人数の人がいないという場合は、これから現れる可能性があります。
こうしたことも、「太陽」のカードに接していると、伝わってくるものがあるのです。
「過去」「現在」「未来」意識の活用。
私たちが時間をとらえる時、「過去」「現在」「未来」という時間軸やレッテルをイメージします。
そうやって、ある「時」を色分けしないと、時間というものの実感が湧かないのです。
しかし、逆に考えますと、時間はその三つによって、人の意識内では無理矢理区分けされていると言えます。
本当は刻々と移りゆくなかでは、「今現在」も少し前では「未来」であり、それもあっという間に「過去」になることから、「時間」は厳密に三つの分類でとらえることはできないものなのでしょう。
さて、それをふまえながらここで皆さんに質問ですが、普段の私たちは、この三つのうち、どれをよく意識して過ごしていると思いますか?
「いや、それは『現在』に決まっているでしょ」と言われるかもしれませんが、よく考えてみると、「過去」と「未来」のほうが心のうちを占めているウェートが大きいと思いませんか。
人はだいたい、いつも「未来」のことを心配しています。
「未来」と言っても遠い将来のことばかりではありません。あと数時間後や数分後のことを考えていることはかなり多いのではないでしょうか。
仕事をしていたり、家庭で家事をしたりしていても、「あれをどうしよう?」「どうなるのかな、あれは・・」と、私たちは気になるのは「未来」のことばかりです。
子供の将来のこと、これからの取引先とのつらい交渉のこと等で悩みもすれば、今度の休みに旅行に行こうとか、おいしいもの食べようとか、楽しいことを思って「未来」のことに意識が向いているシーンは少なくありません。
一方、「ああすれば良かった」「どうしてあんなこと言ってしまったんだろう・・」「あんなことをしなければ良かった・・」と「過去」を後悔することもよくあります。
これらを思うと、いったい私たちは普段、どれだけの思考エネルギー(創造エネルギーでもあります)を「未来」や「過去」に振り分けているのだろうと、ぞっとする気持ちにもなってきます。
よく「今に生きろ」と言われますが、まさにそれは言い得て妙で、私たちはこのようにほとんど今に意識を集中していないので、「未来」や「過去」のことで悩んだり迷ったりして、「現在」をうまく生きることができなくなっているのです。
つまり、悩みは「過去」と「未来」(を思うこと)から発生していると言い換えることもできます。
もちろんその悩みの原因(「過去」や「未来」に思いを馳せるようになってしまった要因)は「今・現在」にあると考えられるので、その意味でも逆に「現在」を意識することは重要だと判断できます。
とはいえ、ただ漠然と「意識を今に集中しなさい」と言われてもわかりづらい面があります。
そこで提案したいのは、どうせ、「過去」「現在」「未来」と時を意識する構造があるのなら、これをうまく利用すればよいのではないかということです。
言わば、その三つへの意識の向け方を変えてみるということになります。
具体的には、たとえば嫌なこと(つらいこと、悲しいことなど含む)があった時は、意識は「過去」に向かいますので、これを「未来」に方向性を転換します。
心の痛みであれ、肉体の苦痛であれ、不快なことであれ、起こったこと、起こっていることに対して意識が向くのは当然で、そのことを気にしすぎるようになってしまうのが普通です。
「嫌なこと」であるだけに「現在」という2文字が、まるでブロックのように横に連なり、どんどんそれが「過去」に積み重なっていくイメージをするとわかりやすいでしょう。
まあ、簡単にいえば嫌なことはいつまでも残りやすい、思い続けやすいということです。
ですから、それがわかっているので、「もう済んだこと」「起こってしまったことは仕方ない」「くよくよ考えていても仕方ない」と、意識を「過去」・「現在」から「未来」にシフトさせます。嫌なことがあれば、「現在」と「過去」に意識が向くのは当たり前だと認識することが大事です。
それを理屈のうえで思いながら、ここからまったく別のことでの「未来」を、いつものように考えイメージします。「いつものように」というのが鍵で、普段あれこれ「未来」について考えていることを思えばいいのです。
反対にまだ起こってもいないことに取り越し苦労のように、あれこれ想像して悩んでいる場合は、意識を「過去」に向けます。「現在」を飛び越えて、「過去」に向けるのです。
すでに自分がやってきたこと、起こった事実、実績、これまでのパターンなどを想起することで、意識はある程度収束してきます。すると、自然に次は意識が「現在」に向かいます。
あるいは、「未来」に意識が飛びすぎているなと自覚した場合、今自分がやっている行動そのものを言葉で表現します。(心の中でもOK)
たとえば「道を歩いている私」「コーヒーを飲んでいるオレ」「パソコンのキーを私は打っている」という感じです。これはある瞑想法のテクニックでもあります。
あと、これは究極のものになりますが、よくイメージができる人は、時間軸を円でとらえることです。
つまりは三つ(過去・現在・未来)を意識しない方法です。これは三つを意識し活用することとは違うもので、今日のテーマと矛盾しますので、これくらいにしておきます。
ともかく、自分の普段での「過去」「現在」「未来」の意識・イメージをただ勝手に流すままにしておくのではなく、意図をもってとらえ活用していくことで、時間のコントロールが次第にうまくなり(ここでいう時間コントロールとは時間の有効活用の意味とは異なります)、自分の力が蘇ってくるのを感じます。
そう、このことがマルセイユタロットの「運命の輪」と「力」の秘密のひとつでもあるのです。
