カードからの気づき

ひらめきやアイデアのために有効な方法。

マルセイユタロットの「女帝」はアイデアやインスピレーションの思いつく人でもあります。


ところで皆さんも、何かのひらめきやアイデアが浮かぶ時って、真剣にうんうんと唸って考えている時よりも、お風呂に入ったり、散歩中だったり、中にはトイレ中だったり、何か別のことをしている時に起こったりしませんか?


これはいろいろな要因があるとは思いますが、やはり集中しすぎるより、何か力が抜けたり、リラックスできたりする瞬間に脳の別回路がつながりやすくなるからなのかもしれません。


ひらめかない状態というのは、一種の固定状況にあり、脳の神経回路でも、おそらく一定パターンの通路でしか電気信号が通っていない様子だと考えられます。


そこからひらめきに至るには、複雑な神経の中で、今までと別の通り道や組織・ブロックで電気信号が流れなくてはならないと予想されます。


ということは何らかの多大な刺激か、逆にリラックス状態によって生み出される集中からの弛緩によるブレイクが必要だと想像できます。


刺激の場合は驚いたり、びっくりしたり、つらい修行であったりと、通常を超える感覚がいるのでしょう。でもちょっとこれは避けたいですね。(^_^;)


ならば、リラックス状態からのブレイクを目指すほうがよさそうです。


ここで大切なのは、おそらく同時進行ということでしょう。


具体的には何かを考えつつ、ほかのことをするということです。俗に「ながら」というやつです。


たとえば、ごはんを食べながらに考え事をしてはいけないと言いますが、これをあえてやります。(食事や消化を満足にすることとはかけ離れますので、その点はご注意ください)


もちろん先述したようにお風呂に入るもよし、運動するもよしです。重要なのは、考え続けることを先にやっておくことです。


なぜかと言いますと、まずは集中することが必要だからです。


集中してある一定の神経回路に電気が流れ続け、それから別のことをすると、ある時に、その別のことでの作業に意識を移さなければならないことが生じます。


その瞬間、今まで考え続けていたことと、別作業への意識がクロスして、混乱とブレイクが起こります。おそらくこの時、それまで一定の回路を流れていた電気信号がパッと散らばるのではないかと想像されます。


そして、これまで考え続けていたことによってできている、ひとつの強くなった回路があると思います。


これが大切になってくるのです。


ブレイクによって散開した電気の火花は、再び元のその強い回路に回帰しようとするからです。


さらに散らばった分だけ、別の神経や回路とも一瞬つながり、そこで新しいアイデアやひらめきが生まれるのだとイメージできます。


ただ散らばるだけではだめで、ずっと強固に思っていた回路が必要なのです。それがあるからこそ、元の考えと新しいものがつながり、アイデアと論理が統合されるわけです。


この仕組みから考えて、やはり「ながら」での集中した考え事が、アイデアやひらめきをもたらせるには有効だということがわかります。


集中と弛緩は、実は何事にも大切なエネルギーの方向でもあるのです。


※これはあくまで私の想像ですから、科学的に、特に脳の電気信号の流れなどのことが正しいかどうかわかりませんので、素人のたわごととご了解ください。


カードのスペースに注目する

マルセイユタロットに「13」という数だけのカードがあります。


ほかのカードでは「死神」と名前がつけられているようですが、マルセイユ版を見てもらえばわかるように、下部の名前の欄には実際、その枠自体がないのです。


カードの名前の欄がない分、そのスペースは絵の一部になっています。このことはあまりにもシンプルなことなので、ほとんど指摘されることはありません。


それがどうかしたのですか? と思われるかもしれませんが、結構重大なことです。


なぜなら、そのために「13」は、一番大アルカナの中で絵柄の面積が広いということになるからです。


ほかにも特殊なカードとして「愚者」があります。このカードは「13」とは逆で、名前は「愚者」としてありますが、「数」がないのですね。


しかしながら、「愚者」の場合でも、上部の「数」の欄は空白であってもスペースとしては残されています。


ということは、やはり「13」が一番絵柄のスペースを取っていることになります。


偶然そうなったのか、意図的にこうしているのか、それはわからないと言っておきましょう。


それでも、この特徴からはいろいろなことが考察されます。


まず、単純に考えて、下の名前の欄まで絵柄になっているということは、見た目、下部に目が行くようになります。


それは下の方へ注目させる意味があると考えられます。


「13」の絵柄で、その下部に位置しているのは大きな鎌の刃です。また首がふたつ転がっています。


ここから、まさに「根こそぎ」そぎ落とす、刈り取るということが表現されていると見ます。


そして首は人の首ですので、人間的なもの、人間性、現実に関わることだと推測されます。


ある法則に基づく並べ方によって、他のカードと関連させると、「13」の下部の絵柄にはまだまだ秘密が隠されていることに気がつきます。

詳しくは講座でご説明することもあるでしょうし、メルマガでも書かせていただきたいと思います。


とにかくも、「13」がその下部を中心に、大きな絵柄としてのスペースを占有しているということは、それだけ変化・変容において重要な段階なのだということを強調しているように思います。


また下方向というのは、大地や現実、さらには玉石混淆の価値の混じり合いのようなものも象徴します。


とりあえず、年末における「13」といえば、大掃除が想起されるでしょう。掃除自体、一種の「スペースの変容作業」です。


今回奇しくも「絵柄のスペース」の話をしたのも偶然ではありません。


できるだけ無駄なものを捨て、空間をきれいに広くした時、そこから磨かれて出現する(輝いて見える)宝物も出現することでしょう。


「13」の絵柄のスペースが広いのは、名前がないことからによる偶然の産物かもしれませんが、「13」の作業を行うと、いかに広さ(物理的・精神的)が増すかということを、すでに結果として知らしめていると想像できます。


何もしなければ、あなたのスペース(物心両方)はどんどんと狭くなるばかりなのです。


素直になること。

実は昨日、ある記事を書こうと思っていたのですが、私の場合、書いている途中でタロットの囁き(^_^;)や、何かのインスピレーションによって、内容が変わってくることがあります。


たぶんそのほうが、その日に読まれる必要性が大きいのでしょう。


ということで、本日は昨日書こうと思っていたことです。昨日の記事の場合でも過去の話が出ましたが、今日もやはり過去に関連するお話です。


先日、とあるアニメを見てますと、高校生が楽しい文化祭をしているシーンがあったのですね。その時は別にそれほど何とも思わなかったのですが、その後何気なくついているテレビを見ますと、こちらも高校生らしい人たちが、なにやら楽しく学校ではしゃいでいるシーンが写りました。


それを見て、ふと自分の高校時代を思い出したのです。


私は当時、中学三年生で転校してきたこともあり、その地域にあまりなじまないまま高校に進みました。どこか自分に「ここは自分の場所ではない」という感覚を残していたんですね。


ま、言ってみれば心を閉じていた(少しだけ開けていましたが・・・苦笑)状態で、何事も斜に構えて見ていました。


私が進学した高校は結構文化祭が盛んで、2年生の時はクラスで映画を撮影することになりました。実は私はこういう「映画作り」みたいなことは大好きです。特にシナリオとか話を創るのが好きなんですね。


ところが先述したように、地域にもクラスにもなじもうとしていなかったので、みんなが放課後、文化祭に向けて一生懸命、そして楽しく映画作りに励んでいたところ、私はというと、さっと帰宅してしまうという「とんでもない行動」をしていました。(^_^;)


実際、あとで自宅までクラスの人から電話がかかってきて、「何さぼっているんだ!」と怒られたりしました。おそらく自分勝手なヤツと思われていたことでしょう。


しかし私の本音は、関わりたくない、さぼりたいというようなものではなく、むしろ逆で、本当は自分も参加して、特に話作りに協力したかったのです。てすが、クラスになじんでいない自分が急に関わろうとするのも恥ずかしく、はがゆく、いきなり飛び込んでいく勇気もなかったのです。


その葛藤のため、結局迷いつつも、自分を落ち着かすことのできる家に帰るしかなかったというのがホントの心境でした。


長々と自分語りをして申し訳ありません。


何が言いたいのかといえば、今思えば、もっと素直になっておけばよかったというものです。


しかし、昨日も書いたように、おそらくその時に戻ったとしても、今の私の記憶がなければ当時の私はまた同じような選択をしたでしょう。


重要なのは、過去を振り返った時、過去自体の自分の選択をもう一度することはできませんから、反省を活かし、今からでも自分をもっと創造的に生きるこということを実行することです。


私の場合は、今回のことでは、「素直になる」「気持ちに正直に行動する」ことを、今後気がつけば進めていくということが挙げられます。


素直でないと、結局損をすることが多いものです。ひねくれたり、妙なプライドのためだったりで、せっかくの経験のチャンスをふいにすることがあります。


人生はいかに楽しく体験し、様々なことを実際的にも感情的にも味わうかということが大切です。それは魂の栄養素と言ってもいいものです。


「素直になる」「純粋になる」といえば、マルセイユタロットでは「愚者」であり、またまったく違うように見えますが、正直さという点では「正義」も関係してくるでしょう。


人と接する時、人からものを教わる時、書籍を読む時など、素直さという態度はとても重要です。私たちは先入観や、「もうそのことは知っている」「わかっている」とつい自分で入り口を狭めてしまいがちだからです。


いつも心に「愚者」や「正義」を思い、素直に純粋に、そして正直になることを心がけば、あなたはやはり「愚者」のように無限の可能性を秘めて、それを開花させていくことができるでしょう。


そしてそのような人には、人は進んで多くの情報を与えてくれますし、神や天からも愛され、チャンスや縁にも恵まれて、よき人生を歩んでいくことができるものです。


過去を悔やむ人に。

今までのことを振り返ってみますと、人は「あの時、こうすれば良かった・・・」と悔やむことは少なくないものです。


しかし、もはや時計の針を戻して、その時に戻るということはできませんので、ある意味、割り切ることも必要です。


おそらく、よくドラマであるように、天使とか変な能力者が出てきて、「あなたをその時に戻してあげよう」と言われて実際にタイムワープしても、結局同じ選択をしてしまうことがほとんどではないかと思います。


ただ、今の意識や記憶をもったままワープしていれば、選択は違うものをしている可能性も高いでしょう。


このことからわかるように、実は「悔やみ」というものは、今のあなたが成長しているから起こっていることなのです。


当時と同じような感覚と記憶しかなければ、やっぱり、同じ場面に遭遇すれば、当時選択したことと同様の行動をするはずです。だって、それが「あなた」である証明なのですから。。。


過去のあなたではなく、今のあなただから過去のことを悔やむことができるのです。


もし悔やむことがないとすれば、一切過去を振り返らない人か、行ってきた選択はすべて正しいし、これからも選択に間違うことはないと確信している人だけです。


後者は別として、過去を振り返らない人というのは一見前向きでよいように感じますが、反省もないということになりますので、もしかすると自己成長は少ない人かもしれません。


人によっては悔やんでも悔やみきれないと悩まれている人もあるでしょうが、それは確かにつらく苦しいことではありますが、そのように「悔やめる自分がいる」ということだけでも、救いがあると言えます。


少なくとも反省や悔恨があるのは、その時点での自分より高い位置で見ることができているのです。


過去の行為で、大変な損失、もう取り返しが付かないと考えているかもしれませんが、まったくのマイナス点ばかりではなく、たとえわずかでも自分が成長したのだと思うことができます。


もちろんそれで過去の自分の行いが消えるわけでも、行為自体がよいことに変わるわけでもありません。


しかしながら、過去の自分の選択を悔やめる今の自分がいることを自覚することも大切です。


また精神的には時間は関係なくなります。あなたが過去をを思えば気持ちとして過去に飛び、逆に未来に行くこともできます。


もし過去に誰かを傷つけてしまったのなら、その誰かに謝意と感謝をエネルギーとして送ることができますし、今の人に対しても同様です。


顕在意識としては届いていないかもしれませんが、人は魂としてすべてつながっていると考えれば、潜在的には届いている言えます。


あなたが実際に気がついていないか、告げられていないだけで、その対象の相手(の魂)は「もういいよ、気にしないで」と思ってくれているのかもしれません。


このことからも、過去の選択を悔やみ続けるより謝意と感謝を送ったほうがよく、そして反省はよいとしても、過去や現在の自分を傷つけないことです。


さらには今後の人生を、過去の悔いのあった時間(過去のあなた、過去の関わった人)から見て、よい意味で、すばらしく変容したような自分になるよう生きていくことだと思います。


素晴らしき哉、人生!

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さて、クリスマスイブですね。クリスマスになりますと、アメリカのこの映画が話題になります。


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ずいぶん古い映画で、1947年製作です。だから白黒です。

それでも内容はすばらしく、一人の男の人生が一時どん底状態になり自殺を図ろうとするも、二級天使に助けられ、天使とともに、いかに自分の人生がすばらしいものであったかということを確認する物語となっています。

一言で言えば、「人生、捨てたものではないよ」というお話です。

私自身の話で恐縮ですが、私も何度もピンチがありました。まあ、最大のものを除くと、皆さんに比べれば大したこともないのでお話するものではありませんが、しかしながらその最大のものだけは、本当に客観的に振り返ってもキツかったです。

それは以前ここでも書きましたが、うつ病や不安神経症になって、毎日が地獄のようなイライラ感に襲われ続けたことです。

寝ている時(眠るのも睡眠薬を飲まないと無理でしたが)以外、ものすごい焦燥感とイライラが常に起こり、気が狂いそうな時間が永遠に続くかと思う、大変な苦しさでした。あまりのキツさに、自殺を図ろうとしたことは一度だけではありません。

ただこれもブログで書いたように、死ぬ勇気がなかったこと、変なスピリチュアルな知識と信仰で「自殺したら、そのままの状態が固定される」という恐怖があり、万が一にも死んでから同じ状態が続けば、それこそ本物の地獄になりますで、死にきれなかったということがあります。

そんな私でも様々な人や出来事によって救われたわけで、今曲がりなりにもこうしてタロットの講師をしています。

この映画に出てくる天使はまだ見習いです。それから「天使」なんてファンタジー、子供だまし・・・と考える人がいるかもしれません。

実は自分が苦境に陥っている時は、必死なので周囲が見えません。そのため、天使がいても気がつかないのです。

また私が思うに、天使は実際の天使としてこの世界に現れるのではなく、現実の人間か出来事として出現することが多いと感じます。

俗に「捨てる神あれば拾う神あり」と言われるものは、私たち自身や私たちと関わる実際の人や出来事であり、つきつめれば人々の「心」に存在している「神(あるい悪魔)」だと考えられます。

だからファンタジー的に天使などを想像することがなじまない人は、自分や人の良心や悪心と思えばいいかもしれません。

話が戻りますが、天使は上記の映画でもあったように、あなたを即救ってくれるような十分な能力があったり、簡単に手助けをしたりしてくれません。また奇跡的な姿や能力を見せるのでもなく、現実の人として、普通の力として現れます。

しかしながら、必ず現実にいます。ですから困難な状況にいるあなたは天使に救いを求めていいのです。天使に気付いてもらいましょう。絶望する前に、少しだけ周囲を見渡して、救ってほしい意思表示をするのです。

また、純粋な心に天使のアンテナは反応しやすいと思います。

大変になったことで人を憎んだり、自分自身を責めすぎたり、どうせ・・・私なんかというような投げやりになったり、何の努力もせず、さも当然救ってくれるかのような態度であったりすると、おそらく天使ではなく悪魔のアンテナに引っかかるのではないかと思われます。

それから本当の苦しさといえば、なりふり構っていられないものです。

かっこやプライドを気にしたり、何かにこだわったりしていては、天使は「まだ本当に苦しくはないのだな」と思い、アンテナにもキャッチされず、救えるものもの救えなくなります。

純粋にもがき苦しみ、本当に大変で救いを求める時、タロットカードでは「13」の正立になります。

逆向きではただの中途半端な逃避か、救いを求めるのではなく何かや誰かのせいにして、何か(誰か)を傷つけたり、攻撃したりすることになっています。

これではエネルギーとしては受容する方向ではなく、放出の方向になって、救いを受け取ることができなくなります。

その状態では、「13」の次の数「14」を持ち、マルセイユ版では「13」と向かい合わせになる救済の天使「節制」とは出会えないですし、「節制」の天使も気がつきません。

あなたが苦しくとも「13」の正立になった時、天使と出会い救われます。それは今からでも遅くはないのです。必ず救いがあります。

苦境にいる人はもうわかっているはずです。どうすればいいのかを。それを勇気をもって実行に移すのです。そうすれば「節制」の天使と遭遇できるでしょう。

そしてまさに映画のように、自分がこの世界で必要であること、少なくとも生きていてよいことを知ることになり、「素晴らしき哉、人生!」となっていくのです。


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