カードからの気づき

タロットメッセージ 心と行動

今日タロットを見ていますと、あるメッセージが来ました。


それは「心は遅く、行動は早く」というものです。


タロットによると、最近の多くの人はとにかくあせりすぎているということです。


それなのに行動が遅いか、もしくは選択で迷い過ぎているとも言っています。


タロットのいう「心を遅くする」というのは判断を遅くするという意味ではありません。


それはむしろ、判断をスピーディーに導くためには心を落ち着かせるという意味だと考えられます。


「遅くする」とは「運命の輪」でいえばゆっくり回転させていくということで、いわば輪の中の犬や猿のように振り回されず、輪の上のスフィンクスのように楽しみ、穏やかになるということでもあります。


私たちはフラットでノーマルな状態にいる時、心は波立たず、平穏で時間もゆっくり流れているかのように感じられるものです。


この時下される判断というものは、緊張や過剰な力が入っていないためスムースであり、適切です。ですから見た目には決断のスピードも迷いがないため速いと感じられることでしょう。


従って行動も自ずから早くなります。


これが私も含めて(^_^;)、多くの人がほとんどの場合、逆の状態になっているのです。


結果や成果を出したいがために心があせり、「運命の輪」がうなりをあげて回り出します(回そうとします)。


人によってはあまりに回りすぎて輪がはずれてしまい(苦笑)、あらぬ方向に走り出している人もいます。


「運命の輪」は宇宙のサイクルに合致した回り方をしている場合は、たとえ回転のスピードが早くなったり遅くなったりしても、それは適度でありスムースなのです。これは言ってみれば運がいい状態だと外面的にはとらえられるでしょう。


ですが、あせりでただただスピードを上げるだけでは逆効果です。宇宙のサイクルと合わせるには穏やかなでニュートラルな心が必要なのです。


そうすると様々にタイミングが合ってくるのと、本当の「」が発揮されるようになるのです。(「運命の輪」の次の数のカードは「力」です)


また考えすぎることも「運命の輪」を回転させすぎている(あるいは滞らせている)ことと同じだと言えます。「考えが堂々巡りする」という言葉もあるくらいですから。


これも「心を遅くしていない」ことになっているわけです。


この要因のひとつには、情報が現代社会では多すぎるということが挙げられるかもしれません。


ですから必要以上に情報を入れすぎないということも、心を遅くし行動を早くする対策になるかもしれません。


面白いことに「創造性」を表す「女帝」のカードと、そぎ落としやシンプルさを象徴する「13」のカードは同じ「」という数を持っています。


つまり創造する(生み出す)ためには破壊(処理・合理化・シンプル化、いわば「断・捨・離」)が必要であることが物語られているわけですね。


皆さんも「心は遅く、行動は早く」を心がけてください。


正義の女神

ある本を読んでいますと印象的な文書が目に入って来ました。

それは「「正しく生きるより、幸せに生きることを心がける

というものです。

これはタロットでいえば「正義」と「世界」の問題とも言えましょう。

とかく私たちは自分が正しいことにこだわります。人間だけではなく、組織や団体、宗教・国までもがそれに固執しているように見えます。

正しさにこだわる時、同時にそれは正しくないことが想定されます。正しくないと思うことがあるので、正しさの主張ができるわけです。

ということはふたつの正義・不正義という概念によっていつも支配されることになります。たとえ自分にとってあることが正しいと証明できたとしても、次にはまた自分の信念が増えるたびにそれが正しいことを証さないといけなくなり、きりがありません

そもそも正しさを希求するということは、結局自分が間違っていないという安心感を手に入れるためのものであると考えられます。

では安心を得たいということはどういうことかと分析しますと、これも自分が不安にならないことであって、最終的には幸せであることを求めていると言えるのではないでしょうか。

幸せというのは短絡的には満足感とつながっています。そのため「正義」はまったく反対の「悪魔」とも大きく関係しているのです。

いわば心の充足感がいつも得られていれば、正義にこだわることも少なくなってくると想像できます。

よって、冒頭の文をご紹介したように、私たちは正しいことを証明しようとするよりも、いかに自分が落ち着き、安心し、満足感を得て幸せを感じられるかを追求したほうが人生の価値は向上するのではないかと思えるのです。

では正しさを求めるのはいけないのかというとそうではありません。

数学にも正解があるように、ある局面・フィールド・状況では正しいものはあると思います。正しさを追求しようとするので、科学や文明・知識も発達するわけです。

しかしなか゜ら、数学的な万人に共通する「解」とは別に、人の、特に心の分野では様々な「解答」があります

ここが人間同士(人が係わる場合)において、「正しさ」を求めようとすると問題になる原因だと考えられます。

人によって価値観が異なるので、その人にとって正しいことはほかの誰かにとっては正しくないことは山ほど出てくるわけです。

ここからしても、人との間には正しさを追求していくのは大変であることが理解できます。ではどうすればよいのかということですが、正しさを追求することはゲームだと思えばいいということです。

自尊心を得るためや主張を押し通すことに正義を使うのではなく、正しいことがいろいろとある、各人正しいと思うことがあるという「考え」を浮かび上がらせるために、ゲーム的に正しさ証明を楽しんでやってみるという態度でしょうか。

これが正義を幸せになるために使う方法かもしれません。

実は正しいことを純粋に追い求めていると、ある時から別の観点・今までとは違う正しさのようなものが自分の中で生まれてきます。

以前にも書きましたが、相手との正義争いによって、融合点や調和点が生み出されてくるからです。

本当は正義は自分を救い、自分の枠に気づかせてくれる恩恵であり「女神」なのです。古代ギリシアで徳として「正義」が語られていたのもうなずけます。

正義を追い求めながらでも「幸せに生きる」という観点を忘れずにいれば、「正義」もあなたの天使になってくれるでしょう。


本当のバランスとは?

タロットカードでも「正義」のカードの天秤が示すように、バランスということが大切だと強調されています。


ほとんどの方はそれはその通り(バランスが大切)だと認識されていることでしょう。


しかしながら、バランスについては私たちは本当に理解しているのでしょうか?


たとえば、バランスのよい食生活ということで、野菜や肉・魚などいろいろな要素を含んだ食事をそれこそ「バランスよく」三食食べることがよいと思われています。


けれども中には肉ばかりの食事で健康的な人もいますし、ベジタリアンの人は野菜中心で生活されています。食事回数も二食や一食で十分であり、そのほうが調子がよいという人もいます。


いやいや、「やはりきちんと調べてみれば、偏食をしている人は何か問題があるはずだ」と主張される方もいらっしゃるでしょう。


でも食事だけではなく、運動やスポーツを適度に「バランスよく」していたほうが健康だとか、仕事と趣味(遊び)をバランスよく配分したほうが充実するとか、世の中にはバランス賛美、バランス至上主義みたいな考えがあふれかえっているように思います。


ところが、先述したようにおよそ「バランスがよくない」と思われる人でも、普通に生活してできているどころか、成功したり、人生を謳歌していたりするように見える人が大勢います。


これはなぜなのでしょうか?


私は実はこういった人も本当はバランスが取れているのだと考えています。


言って見ればバランスという概念をどこまで拡大できるかという点がポイントだと思います。


狭い視野でバランスをとらえようとすることに問題があるのです。


それこそ食事でいえば「肉か野菜か」だけのことになり、極端にいえば「肉と野菜を毎日半々食べていればバランスが取れるのだ」と考えてしまうようなことです。


バランスを考える時、できれるだけ広く見ていくことが必要で、できれば宇宙的な規模まで拡大すれば本当のバランスというものがわかってくるのではないかと思います。


まあ、実際には宇宙的と言っても大変なので、やはり普段から視野や視点を広く持つこと、知識を入れて選択や幅を広げて行くことが大切だと感じます。


そうすれば不均衡なのに充実しているように見えていた人でも、やはりバランスが取れていたのだということがわかるのではないでしょうか。


ですからこのことを逆に考えれば、私たちは自分の思いこみで人のバランスを取ることは危険でもあるということになります。


その人なりに実はもうバランスが取れているかもしれないのです。それをお節介のごとく、あくまで自分の考える「バランス」によって他人に押しつけてしまうと、逆に問題になることもあるのです。


おそらくタロットカードの「節制」はそのことをよく理解したうえで人を救済していると思えます。


結局のところ、宇宙の真理・バランスを知ろうと努力することが自他ともに救済につながっていくとタロットからも考えられるのです。




自分の気持ちに正直かどうか。

世の中には優しい人が多いので、自分の意志より他人や相手を優先してしまうことが多い気がします。


いやいや、そんなことはないですよ、私は自分勝手な人ばかり見ますよ、という人もいらっしゃるかもしれませんが、それはそれで(自分勝手は)問題ではありますが、優柔不断であったり、人を優先しすぎたりするのもバランスが取れているとは言えません。


そういったことで、今日のテーマはタロットカードでいえば「正義」ということなるでしょう。


あなたは自分の意志をきちんと相手に伝えているでしょうか?


相手とトラブルになることを恐れ、あるいは相手から嫌われることを思って、自分の気持ちとは裏腹に周囲に合わそうとしていませんか?


これを繰り返していると、いつか自分の感覚が麻痺してしまい、自分の意志なのか人の意志なのか、選択においてわからなくなってしまうことがあります。


そして人によって人生はコントロールされ、ほかでもない人のために人生を消費することになります。


また他人ばかり気にすることになるので、気が休まる暇がありませんし、そもそも自分の気持ちには嘘をついていることになるので、その罪悪感から自分を潜在的に苦しめます。


時には自ら罰を与えるかのごとくの状況を自分で引き寄せ、不幸やトラブルを我が身にふりかからせます。それによって自分(の気持ち)を許す仮の行為をしているわけです。


いずれにしても、自分に対する不正直さは自分のため(人のためにも)になりません。


結局のところ自己評価の低さから来ていることが多いわけですが、逆にいえば自分に自信が持てるようになれば、自分への不正直さも消失していくことになります。


よくあることに、何かの行事の参加や行動を促されている時に周りを尊重し過ぎて(というより自分を卑下して)、本当は断りたいのにOKの返事をしてしまうという人がいます。


それで最悪なのは、直前になって思い直し、いわゆるドタキャンをしてしまうというパターンです。これは自分も気分がよくないでしょうが、誘った人にとってはもっとも嫌なことでしょう。


このことも元をたどれば自分の気持ちに正直ではなかったことに起因します。不正直さは決断のスピードさえ遅らせるのです。


「正義のカード」には天秤のほかにも手にしているのは興味深いことです。剣は決断もひとつには意味します。


波風を立てないようにする「なあなあな態度」は、結局のところ、逆にあとで波風を周囲に立てることになります。


八方美人が終局的には誰からも特別に好かれないのと同じです。(奇しくも「正義」の数は「8」です)


自分の気持ちに正直になること、これは言ってみれば自分を救うことにつながるのです。(カードとしては「節制」と関連します)


これからの健康対策

一昨日も健康のことにもふれましたが、私自身もそうでしたが、タロットの受講生の皆さんも結構体調を崩されている方がいらっしゃるようです。


寒暖の差が激しいという今の時分のことや、多忙な個人個人における疲れなど様々な要因はあろうかと思います。


そしてあまりここでは根拠がないと思われるので、または不安をあおるかもしれませんので書きたくはないことですが、放射能の影響もあるようにも感じられます。


これは私の信頼する整体の先生が実際に多くの人の体を診ておっしゃていることでもありますし(地域に関係なくです)、個人的にはタロット展開からでも推測されることです。


あくまで私個人のまったくの感覚にしか過ぎませんが、タロットカードでも若干対処できる部分もある気がしています。


実はマルセイユタロットはカード自体がエネルギー調整に使えるよう工夫されているのです。


このタロットそのものでヒーリングする技術は、先頃シンボリックリーディングの本もご出版された「はるひなたさん」が使われておりますし、タロットセラピーとして技術もご教授もされているようです。


さて、よく「肉体と精神」と言われるように、健康においてはこの両方も当然ながら密接に関わっています。


肉体の箇所に不調や異常が出る時、その肉体の役割と同じような意味で象徴的に心の負担や問題が表現されていることが結構あります。


たとえば自分が仕事などでかなり重荷を背負っていると思っている時、実際に肩こりや肩に重みや痛みを感じることがあります。


背中のトラブルでも「屋台骨」としての負担と考えれば、背負い過ぎている、責任を思い過ぎているなどのことが考えられます。


喉の調子が悪い時は、何か言いたいことが言えない場合や、反対に言葉によって人を傷つけた思いなどが反映されていることがあります。


足の部分に問題があれば、歩くこと、つまり進む方向性の問題、踏み出す勇気がない、自分の仕事や目的に対して支えとなってくれる人がいないか、パートナー・友人との理解が得られていないなど感じているということもあります。


お腹では「腑に落ちる」という言葉があるように、まさに腑に落ちていない、真に納得していない部分があること、受け入れられないものがあることなどが表されていることがあります。


これはほんの一例で、ほかの意味があったり、また当然ながらその部分の単なる使いすぎ・酷使という理由もありますし、症状がウィルスや病原菌などによる本来の「病気」の現れの場合があるというのも当たり前のことです。


それとは別に象徴的に肉体が心や精神のアンバランス、生き方や表現の不調和を表していることもあるのだと考えると、病に対する本来的な対処(治療)と同時に、考え方の見直しや心の変容も考慮に入れると、治りがさらに促進されることもあるわけです。


最後に、これも私的感覚でタロットからのメッセージになりますが、これからは肉体も精神も柔軟にしておかないと、硬直した人は病気のような症状としてよく現れるようになると推測されます。


逆にいえば、病気によって柔らかくさせられる強制発動が起こりやすくなる時代や次元に入ったのではないかと思えます。


ということで今まで以上に、心身ともに柔軟体操(心は精神的な学びや実践となるでしょう)をしておくことが重要となってくると考えられるのです。


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