カードからの気づき
「問題」 すべてとひとつ、ひとつとすべて。
これはマルセイユタロットの「世界」や「力」に特に関連することなのですが(あるいは「13」や「悪魔」なども)、今あなたに起きている問題やトラブルが、実はたったひとつのある事がブロックになっているということがあります。
すべての原因の「根」といってもよいものです。
それはよく心理的には言われていることで、たとえば親やパートナー、昔の恋人、上司、先生などへの感情のしこりや滞りといったものです。
簡単に表現すれば「エネルギーのつまり」となるものです。
パイプやホースの目詰まりと同じく、そこに石(小石となって粉砕されている場合もあり)のようなものがあれば、流れは止まるか悪くなります。
何もない時はスムースに流れますので、言ってみればエネルギーを全開して、いつでもどこでもそのまま使える状態にあると表現できます。
ということは、人間関係であれ、仕事であれ、プライベートなことであれ、全力でスムースに自分のエネルギーを注げることになり、効率も上がってうまくいくことが多くなるわけです。
しかしブロックがあれば本来のエネルギーは注がれず、少ない量で物事に当たることになり、非効率な上に時間もかかったり、うまく行かないことで問題と認識されたりすることが起こります。
そのひとつの詰まりが、いわば全体のバランスを崩しているわけです。
それからそのブロックは精神的なことだけではなく、肉体的なことが要因となっていることもあります。
突きつめればひとつである「根」も陰陽のごとく二つに分かれて、精神と肉体の表裏一体になっており、その中の一方、肉体的なことは意外に忘れられていることがあります。
特に心理や精神世界傾向の強い人は、すべてを心理のことに原因をかぶせがちです。
調べてみれば、それこそ血管のつまりであったり、骨のゆがみであったり、歯の並びであったりと肉体的なことから心理的なものに及んで、それがすべてに影響していたということもあるのです。
ということで、何か調子が悪い(内面だけではなく、外に現れている実際のこと、たとえば仕事なども含む)と思える時は、根の原因を探るよい機会だと思って調べてみるとよいでしょう。
根が見つかって解消されれば、一気に物事がすべて解決していくかのような爽快感を味わうことができるかもしれません。
とにかく今のことをやり尽くす選択。
昨日の「戦車」の話を書いていた時、まったく別のことの啓示が降りてきました。
今日はそれについての記事です。
よく、人は「今やっていることが自分にとって向いていることなのか?」とか、「自分のやるべきこととしてこれは正しいのか?」とか思ったり、悩んだりします。
究極的なことを言えば、今何をやっていても、実は自分の道を進んでいると言えるのですが、それでも今の時点で解答はほしいと、多くの人は願いがちです。
ここでそれに対するひとつの判定方法があります。
これは瞬間的にわからないという欠点はありますが、おそらく明確に判断は下せる方法だと思います。
それは今やらなければならないこと、すでにやっていることに全力で取り組むということです。
すると不思議なことに、ある瞬間に「これは私の道ではない」「何か自分の本質とは違うぞ」「こういうことをやりたいわけではない」と言った核心のようなものに導かれます。
ある時に、「はっと気がつく」と言ったほうがよいかもしれません。
ただし、これは今のこと、やらなくてはならないことから逃げていてはわかりません。
現在のことに集中してがんばるからこそ、神様が答えを与えてくれるというようなものです。
マルセイユタロットでいえば、「戦車」が「恋人」を見ていることでも表現できるでしょう。
一生懸命、今の自分の仕事や行うべきことに邁進すること(「戦車」)で、天使が選択のインスピレーションを降ろしてくれる(「恋人」)という印象です。
これが本当の意味での「成功」につながり、霊性の向上、天命や使命といったものと関係していることに気がつくことにもなるのです。
「どうして自分はこんなことやっているのだろう」「どうしてこんなことやらされているのだろう」と不平不満で続けているよりも、とにかく全力で今のことに集中してみるとよいです。
すると、その場所があなたの本当の場所ではないならば、必ず次なる所へ導かれる変化・事柄が訪れることでしょう。
またそこでがんばることで、あなたのレベルが上がり、そこから卒業してあなたの次なるステージへと導かれることにもなります。
最終的にはあなたの道はあなたが辿ったあとにきちんと一本の線でつながっていることが見えてくるでしょう。
ゆるめることだけが解放ではありません。
最近はスピリチュアルというような言葉で、自然体や自由になることが強調されているように思います。
かくいう私自身も、タロットを通じて心の囚われの解放、枠をはずしていくことは書いているところです。
しかしながら、何事も行きすぎは問題になることがあり、バランスは大切です。
実は1つの整然とした「型」に自分を当てはめるのは、ある状態から自分を解放することに役立つのです。
ゆったりすること、解放することというのを浅はかに何も考えず実行してしまうと、たいてい人は休むこと、のんびりするという行動に出ます。
そしてひどい時には、だらだらと無駄に時間を過ごしてしまうことになります。
するとなぜだか、ひどく逆に疲れてしまったようなことはありませんか。休日だからと、何もせずダラー(笑)と過ごしていたら、気持ちまでだるくなってしまったような経験です。
これでは解放どころか逆に、何かゆるい綿のようなもので自分を縛っているようにも感じます。
この原因はリズムの乱れやメリハリをつけないことにあります。
そしてそのメリハリには、やはり締める時と解放する時の二極の動きがあるのです。それは自然の摂理・運動・エネルギーバランスでもあるので、一方の動きだけをしていては、疲れてくるのも当然だと言えます。
言ってみれば正座をしたり、足を崩したりすることが交互にやってくる(行う)のが実は自然なのだということですね。
よってのんびりしたり、ゆるめたりするだけが解放ではなく、締める、強める動きを取り入れるからこそ、緩急一体の自然のリズムにつながって、自分が本当の意味で解放に向かうことができるのだと言えます。
これは運動のことだけではなく、心にも言えることで、ある程度の圧力がかかる時があってはじめて解放の意味(気持ち・心)が理解できるのです。
またある種の型は自分の状態を一定化・自動化することに役立ち、他の影響を受けづらくします。つまりは落ち着きや安定をもたらすのです。
そうしておいてやっと自分本来の力が出ると考えられます。いわば平常心をもたらす行為が型です。
緊張したり、油断したりしていてはどこかに無理がかかっているのだと想像され、それはやはりアンバランスな状態であり、囚われて解放されていないことだとも説明できます。
日本のものに「道」として「型」を習得するものが多いのも、ひとつにはこうした理由が考えられます。
「○○道」というと、さも堅苦しいもののように感じますが、それこそが実は行動や精神を解放する有効な手段・技術となっていると私は思います。
タロットにおいては「吊るし」がよくそのことを表現しているように感じています。
自分が行く土地、行けなかった場所。
まずお知らせです。
私の(セブンスウィル)のタロット講座を受講された方向けのメルマガ第2号を、10日(月)に送信いたします。メルマガ登録されている方、メールボックスにご注目ください。(設定によっては迷惑メールボックスに入っている場合もありますので確認されてください) 10日に届いていない方は当方までご連絡ください。
さて秋の行楽シーズン、連休でどこかにお出かけされている方も多いのではないでしょうか。
ところで皆さんはこれまで自分が訪れた土地を思い返したことはありますか?
人は生きていることに意味や価値を見い出すとするのなら、自分が興味をもった場所、あこがれを抱いている所、実際に訪れた土地などにはやはりそれなりの意味があるのではないかと考えられます。
そして、普通は何回も行った場所や、訪れることのできた所に意識を向けますよね。
ところがマルセイユタロットのリーディングを行ってきますと、私はあることに気がついてきました。
それはシンクロニシティという偶然のように見える中での必然性に関することです。
タロットカードのリーディングは、偶然に自分(あるいは他人)が引いた(選択した)カードに意味を見いだすというものであり、それは偶然性の中から自分に関連性のある必然性を発見するということでもあります。
その鍵となるのは、同じことの繰り返し、つまり同一性(同質性)と、逆に同じことの中に際だつ異質性を見ることになります。
この法則を自分の行った場所ということにも適用してみるのです。
そうすればやはり自分が何回も訪れている場所や、特にあまり意識することはなかったのに(偶然で)何度も行くことになった場所には意味があるということになります。
そしてここが意外な視点なのですが、行った所の中でなぜか行けなかった場所というのもあるはずです。
あるいはあとで重要な所と知ったのだけれども、その時は偶然に素通りしていた・・・行きたくてもある理由で行けなかった・・・というような所にも意味があると考えられるのです。
たとえば私の場合ですが、スペイン一国の有名な観光地を回ったことがあるのですが、バルセロナではモンセラート (奇岩の山に修道院のある場所)という所には行けませんでした。
そしてマルセイユタロットと接するようになって、ここがマルセイユタロットの奥に流れるある教えと関係する特別な場所であることをあとで知りました。(重要なシンボルでもある黒マリア像がここにはあります)
それからスペインにはサン・チャゴ・デ・コンポステーラという町がありますが、ここに至るための巡礼路(「愚者」と関係します)があり、そういう霊的な場所が色濃くちりばめられた所がスペインでもありました。
ちなみにこの時、サン・チャゴ・デ・コンポステーラにも行っていませんが(当時は存在も知りませんでした)、なぜかこのような場所の多くあるスペイン一国のみを私は回っていたのです。
そしてトレドというマドリッド近郊にある古い伝統的な町に、この時のスペイン観光で最初に訪れていたのですが、私はそこの大聖堂に圧倒され言いようのない感覚を味わいました。町自体にもどこか懐かしい気分も感じたほどです。
それで、あとでこれもわかったことですが、トレドがカバラなど密儀の伝統を学ぶ重要な場所となっていた時もあったのでした。
スペイン旅行のあと数年して、私はマルセイユタロットに導かれるかのように出会いました。今ではこの旅のことはタロットの関連としても私の中で息づいています。
皆さんも偶然と必然を意識しながら、あえて行けなかった場所、中でも訪れていた地域なのにそのポイントは見逃していた、行けなかったというところにも注目してみてください。
何か自分の人生での意味が出てくるかもしれません。
学びと実践をタロットで考える
よく机上の空論と言われるように、実践の伴わない理論というのは空虚なものです。
でも、実践ばかりして、とにかく「なせばなる」と言って根性論みたいに学習しないのも問題です。
こうやって書くと、「はは、そりゃそうだよね」と、さも自分はどちらもバランスよくやっているかのような印象を抱いてしまいますが、意外に私たちはこのどちらかに傾いていることは多いものです。
それで、改めて学びと実践ということをタロット的に考えてみたいと思います。
さて、学び・学習とはいったい何をしていると思いますか?
いや、だから勉強しているんでしょ、 と答えればその通りなのですが(笑)、その意味について問うているのです。
先述の学びと実践という観点で分析すれば、学習はモデルや理念を自分の中に構築する作業をしていると言えます。
いわば物事には設計図があることを知り、そのイメージと書き方を学んでいると言い換えることができるでしょう。
設計図はモデルや型(パターン)でもあります。万人に理解できるように一般化したもの、抽象化したものと言ってもいいでしょう。
そして実践とはその一般化されたものの個性化と具体化、応用を行っていると考えられます。
つまり設計図で書いたものを実際に具現化することを行っているのです。
その過程では、当然、設計図(理念・モデル・型)通りには行かないことはあるものです。それが応用であり、ケースバイケースといわれる個性の発揮となります。(マルセイユタロットでは「手品師」でよく表されています)
実はこれは逆の方向でも考察でき、実践から一般理論を抽出することも可能になります。
言ってみれば学びと実践は抽象・一般化と具体・個性化のひとつの現れ、表現なのです。
「こういう理論を学んだ」ので(学び)、それを使ってみて「実際うまく行くか試してみる」(実践)というようなことであり、反対に「こういうことがあった」(実践)ので、「こういう理論が考えられる」(学び)ともなるものです。
これはマルセイユタロットでいえば「女帝」と「皇帝」のペアでも考えられますし、大アルカナでは数の多いカードと小さいカードとの関連でも当てはめることができます。またタロット全体としては大アルカナと小アルカナの関係とも共通するところなのです。
今、何気なくタロットで例えましたが、ひとつではなく複層的にタロットでは例えられていることに注目してください。
ここがタロットの構造としてのすごいところなのです。(意味がわからない人は、私の講座で確認するとよいでしょう)
さてタロットリーディングについても、学びと実践のバランスは大切です。
私の知り合いで心理学の理論を学び、心理の教壇にも立っていた人物で、それでも人々の悩みは心理学(理論)だけでは対応できないと、とある占いの実践の場で人々の相談に当たっている人がいます。彼です。
彼などはまさに理論と実践のバランスが取れている人、あるいは取ろうと努力されている人と言ってもよいのではないかと思います。ちなみに彼はマルセイユタロットも深く学ばれている人でもあります。
皆さんも何事であれ、実践と学び(理論)のバランスは常に考慮しながら進めて行かれるとよいでしょう。
