カードからの気づき
仕事はつらいものですが
仕事というのはほとんどの人にとっては決して楽なものではなく、つらいことのほうが多いでしょう。
自分がコントロールできる形で仕事をしている方は別としても、多くの人は雇われ、毎日定刻に出勤しないといけません。
給料のため、生活のためと割り切ってはいても、人間関係、能力、ノルマ、内容などなど様々なことで悩み苦しむのが実状です。
しかしここで鍛えられることもあり、苦しさはあっても反面、仕事での達成感、やりがい、貢献、喜び、収入の上昇、同僚や仲間との協力関係、職場での人的交流、出張での各都市訪問などよいところもたくさんあります。
おそらくはどんな職場であれ、長い目、大きな視点からすると、すべては自分にとってバランスがとられているのでしょう。
しかしながら、今あまりに仕事や職場が苦しく、つらい状況にあるという人は、短期的な意味でのバランスが大きく崩れていることも考えられます。
それはよく言われるような心の持ちようで何とかなる、解決するようなことだけではないでしょう。実際的な大変さ、・悩みがあり、行動に移さないとバランスが回復しないこともあると考えられます。
私が危険だと感じるのは、「耐えること、我慢することが学びになるのでずっと辛抱し続けなくてはならない」という、極端な根性主義みたいな考えです。
人間圧縮する力がかからなければ、人として磨かれないということはあると思います。これは実はタロットや秘教的な意味でも同じです。
純粋なものを抽出するには、火で熱したり、水で洗い流す必要があるのです。これがいわば人生でいう場合、試練です。
その意味では職場でのつらいことも経験しないと成長がないと言えます。
ただ、それが目的に(耐えることそのもの)なってしまっていないか、辛抱しすぎて自分の成長を殺してしまっていないかも検討することも必要でしょう。
冷静に見れば、仕事の効率を無視して感情で仕事しているために周囲がつらくなっているというようなこともよくあります。つまり、やり方が悪いので苦しんでいるということです。
それならばやり方が変われば楽になりますので、今つらいのは、そのバランスがとれていない警告だと考えることもできます。
自分で変えたくて変えられないことがほとんどの職場でつらい日々を送っているのなら、その職場に留まり続けることにあなたのバランスが悪くなっていると見ることもできます。
これしかない、ここしかない、このやり方しかない、この働き方しか私にはない、こういう仕事しかできない、この人たちとでしか仕事ができない、この時間、この日にちしか働けない・・・そんな風にこだわっていないかもチェックしてみるとよいでしょう。
意外なことで働き方、あなたにとっての仕事というものの概念・思いこみがはずれることがあります。そうすると、今までより自由な発想で仕事をすることが可能になります。
私はかつて公務員をやっていながら、今はタロット講師などしています。180度どころか、一周回って540度(笑)くらいの転換です。
タロットカード(マルセイユ版)で仕事をもっとも象徴するカードの「手品師」は、数を順番とした並び方をすると、数のない「愚者」が左隣に来て、「手品師」、「斎王」と右に続きます。
この時「手品師」の視線は「愚者」を見ることになります。
この二枚で解釈すれば、仕事は自由に楽に(楽しく)なるよう発想することが求められていると言えるでしょう。「斎王」はまた仕事(手品師)に対する冷静な視点とも考えられます。
あなたにとって今の仕事はバランスがとれているか、確認してみましょう。
正しさの争いの意外な意味
私自身、タロットカードの「正義」との関係が深くありますので(これはパーソナルカードからというのもありますが、それ以外にもあります)、「正義」とはよく対話をしてみます。
対話と言っても実際に話をするわけではなく、カードを思うと「そう感じる」という別のコミュニケーション方法です。
話はそれますが、目に見えない何か、人ではないモノとのコミュニケーションというのは、普通に人が言葉で話をするという「コミュニケーション」とは異なると私は考えています。
そういう場合(言葉が響くこと)もあるかもしれませんが、だいたい次元とかフィールドが違うので、同じ言語的なものとはいかないのが当たり前ではないでしょうか。
実際の世界においても国や民族が違えば話す言語も異なるのですから。
それはさておき、「正義」の話に戻ります。
私たちは「自分が正しい」と結構な頻度で思うことがあります。それが人と対立する大きな原因であることもあります。
自分が正しい、相手は間違っているという前提で、感情的にも理論的にも相手から離れようとします。
とはいえ、よく考えてみると本当に相手から離れようとしているのでしょうか?
自分の正しさを証明しようとする時、相手と主義主張を述べ合ったり、文章でやり合ったり、とにかく相手と絡みますよね? そもそも相手があるからこそ争いになるわけです。
たとえ直接相手と対しなくても、自分が正しいことを愚痴のように自分を認めてくれる(と思っている)人に、争点になっている人とのことを話したり報告したりするはずです。
ということは、離れているのではなく、思いっきり近づいていることになります。感情的には近づきたくないのに、近づこうとしている、行動だけ見るとまるで矛盾しています。
人の世は結局、相手のことが好きな場合は当然としても、相手のことをよく思っていなくても、いやむしろ相手が間違っていると思えば思うほどその人と関わるようになる(特に心理的に関わる)仕組みになっているようです。
おかしいですよね。(笑)
だからといって、皆と仲良くしなければならないとか、争いはなくしましょうと言うのではありません。それは人としてこれだけたくさんの人がいる中で、普通は無理です。
ただここで言いたいのは、正しさを争うにおいても人は人と関わる仕組みになっていて、自分が激しく正しさを主張すればするほどその近づき度合いも激しさを増すということです。相手が嫌いでも。
つまりそれはタロットカードの「正義」でいう天秤であり、バランスです。
自分の偏った(自分が正しいと思いこみすぎる偏り)ものを修正するための装置や仕組みなのです。(争うことが全部が全部バランス回復のためとは言いませんが)
争う(剣)ことで中立(天秤)に自分が(正義の女神に)戻されます。ただこの争いでも中立にならない場合は、また別のバランス回復を図らされる何事かが起きる(自分で招く)でしょう。
恋人カードが示す「効率」
タロットカードに「恋人」というカードがあります。
今日はこのカードから得られたメッセージをお話します。
しかしながら普通に思われている「恋人」カードの印象とは異なるものなので、違和感があるかもしれません。
それは何かといえば、「効率」に関することです。
効率といえばマルセイユタロットの大アルカナでは「節制」のカードなども想像されるところですが、今日は「恋人」カードからの観点で「効率」を考えます。
ところで「恋人」カード(あくまでマルセイユタロットでの話です)の絵柄には、三人の人物が話をしているように描かれています。
そこから話し合い、相談、そしてコミュニケーションというような意味合いが出てきます。
すばり言いますと、本日のポイントは「コミュニケーションによって物事の効率が変わる」ということになります。
人と円滑にコミュニケーションができたり、積極的に話しを行ったりすることで、物事の効率や進み具合が違ってくるのです。
例えば、何かわからないことがあれば当然自分でも調べてみるでしょうが、知っている人に聞いたほうが早いでしょう。
パートナーや友人が何か困っている、不機嫌になっているような時に「ああでもない、こうでもない」と想像するより、直接理由を本人に聞いてみたほうがはっきりすることもあります。
また聞くだけではなく、言うことも大切です。
自分は何がしたいのか、何に困っているのか、どんな気持ちなのか、どうしてほしいのかなどきちんと相手に伝えれば、相手は的確で早い応対をしてくれると思います。
言わなければ誤解されたり、誤った対応をされてしまうことがあるのです。
日本人は相手が察してくれると思っていたり、相手に聞くのは自分も人もわずらわしいことだと過剰な配慮をしてしまったりすることがあり、とかくコミュニケーションせずに単独で進めがちです。
その結果、かえって遠回りになったり、見当はずれだったりして物事の進行を遅らせる要因となります。
つまりコミュニケーションをあまりせず、独りよがりなのは非効率なのです。
実は私のやっているマルセイユタロットでのリーディングはコミュニケーションを重視したやり方となっています。
「黙って座ればピタリと当てる」というやり方ではなく、カードの展開と象徴から推測される事柄を相手の実際の情報と重ね合わせることで回答や示唆を導き出します。
カードだけから当てていくことも占いの方法としてはありでしょうが、それではかなり当てる能力が求められます。個人の特殊な力に依存される傾向も出ます。
誰でも効率よくタロットリーディングができるようにするには、相手(相談者・クライアント)からの情報を聞き出し、コミュニケートしていくほうがよいのです。
仕事や生活面を含めて効率を上げるのなら、話す(言う)こと・聞くことをもっと行い、その上で相手とのスムースに会話のできるコミュニケーション能力を磨くとよいでしょう。
単に効率が上がるだけではなく、あなたにとって有益な情報や縁も人とのコミュニケーションによって運ばれてくるのです。
そのことは「恋人」カードの天使が示しています。この天使の矢は一般的なキューピッドの矢(恋に落ちる選択)の意味だけではなく、効率をよくする「剣」の一種であり、情報も意味することがあるのです。
「法皇」の話す言葉とは。
「法皇」、通常のタロットの呼び名では「教皇」あるいは「法王」というタロットカードがあります。
このカードを見ていますと、伝える、話すということの大切さを感じます。(マルセイユタロットを元に語っています)
大アルカナを数の順番に並べていくと、「法皇」の次は「恋人」になります。すると法皇の視線は詳細に見ると、「恋人」カードの天使の部分に向いているように見えます。
前にも書いたかもしれませんが、「恋人」の天使を見るということは、「法皇」は天上世界(の存在)を見ているということになり、いわばこの世を超えた次元を視野に入れて「法皇」は話をしていることになります。
これは違う言い方をすれば、崇高な精神、自分の神性存在を意識して語っているとも表現できます。
つまりは高い見地と意識性をもって人に伝達していることになり、逆にいえば「恋人」に描かれている三人の人物たち(普通の人間たち)のような通常のレベルでは話をしていないということになります。
従って「法皇」から発せられる言葉には重みも伴い、また責任も自覚していると考えられるでしょう。
「法皇」は次代(の人たち)を教育する人でもあります。何かを伝え、教えていく人は理想としてはこうあるべきだということを「法皇」は語っているかのようです。
また詳細はふれませんが、「法皇」は連綿と続く時代性、伝統性、蓄積、経験なども象徴します。
自分が高い意識でいるから言葉にも重みがあると言いましたが、それと同時にこれまで自分が、あるいは先人たちが積み上げてきた経験・体験・知識・伝統等の重みも有しているのです。
その両方の重みがまさに言葉に乗り(ノル、宣る)、ある意味、霊的な力さえ発すると言えるのです。言霊(ことだま)と言っていいかもしれません。
「法皇」は日本では天皇(の役割)と関係する部分もあります。「法皇」の言葉は、時に天皇の詔(みことのり)のようなパワーと強制力を持つ場合もあります。
一般的に見たとしても、何かを伝える(教える、話す)言葉や話に重みのあるなしがあるとすれば、それは言葉を発する人の意識、真摯な思い、そして知識や経験による蓄積、その人の背景(背負ってきた歴史のようなもの)によって決まると言ってもよいでしょう。
反対に言えば、重みのある、あるいは説得力を持つ言葉を発するには、それらのことが必要であると言うことでもあるのです。
世の中に絶対はない。
世の中には絶対ということはないと私は思っています。
あるとすれば宇宙の真理のようなものかもしれません。
しかしながら私たちは意外と絶対という言葉を使いたがります。
でもよく考えてみれば、ポジティブな意味にしろネガティブなことにしろ、「絶対」という言葉を使う場合や人のことを思うと、実は怪しいことだと気付くはずです。
「絶対大丈夫だから!」「絶対うまく行くよ」「絶対災難に遭います」「絶対失敗するね」・・・
こう言われたらどうですか?
何かうさんくさく感じたり、腹が立ったりするでしょう。
でもこれが現実の生活の中において使われると、素直に信じてしまったり、疑いを持つことがなかったりします。
やはりそれは雰囲気や状況に流されてのことが多いでしょう。つまりは言葉そのものよりも、気分や感情に左右されているわけですね。
ですから上記のように文字で表されると冷静に「おかしい」と判断できるのです。
ただ必ずしも「絶対」の言葉を使うことが悪いわけではありません。
極端にネガティブになっている人、落ち込んでいる人などには、励ます意味で、強調・勇気づけの言葉として、その響きから来るエールのような形で発することがありますし、それは時に効果的です。
私が本当に言いたいのは、実は言葉の問題ではなく、絶対と決めつける心理状態の危うさについてです。
絶対ということは逆にいえばそれ以外あり得ないと考えることであり、もしそれ以外のことが起こったとき、いろいろな意味でショックが訪れます。
人であれ事柄であれ、絶対と信じていたものが崩壊するわけですから、いわば自分のアイデンティティを失うかのごとくの状態になります。
人は自分の存在の意義が失われた時、自分に存在価値がないと思った時、生きる希望を失います。最悪の時は死の衝動に駆られます。
ですから絶対と思うことはとても危険なのです。また学びの意味でも、「これで絶対だ」と信じた時から成長は止まります。
ほかにも絶対ということを言わないことでのよい意味があります。
それは自分の人生が「これで絶対である」と思うことがなくなるということです。
絶対と考えない姿勢でいると、人生(以外のことでも)は変転するもの、生々流転なるものと一種の達観した境地になることができます。
悪いことがあっても過剰に落ち込まずに「またいいことがある」と思えますし、反対に良い状態であっても心を引き締め、謙虚になることができます。
タロットカードでいえば「運命の輪」であり、カード全体の道筋のようなものとも言えるかもしれません。
人様の相談をしていると、本当に絶対などありえないのだということを思い知らされますし、いろいろな意味で人間のすごさと可能性を感じます。
あなたの「今」も絶対ではない、固定されたものではないことを思うと、まだまだやれること、成長できる部分はあると考えられるでしょう。