スピリチュアル

上昇の流れに乗るためのタロット

10月から始まったマルセイユタロット基礎講座(ハイクラス)が終了しました。

受講生の方の講座の感想は、また別記事でご紹介したいと思います。

今回は受講生が全員が男性という、私にとっても初めての経験でした。やはりタロットといえば、女性の受講生がどうしても大勢を占めるからです。

カリキュラムと内容的にはいつもの女性が多い受講生のものと同じだったのですが、受け取り方や感じ方も違っていて、とても新鮮でしたね。やはり私自身男性ですので、論理的に教えていく傾向があり、受講する側でも理解がしやすい部分もあったようです。受講メンバーの方のリーディング能力が高いのとも驚いたことでした。

今回のことで、逆のこともよくわかり、女性に配慮した教え方への改善と、反面、私が男性だからできる部分の特徴の確認とのバランスを図ることが見えてきました。来年に計画している新しいリーディング講座(タロットリーディングに絞った特化講座)の参考にもなったと思っております。

それにしても女性・男性という性別に関わらず、年々学ぶ方のタロットへの感応力と言いますか、直感的な理解力が上がってきている気がします。

実は、数年前から、タロットを通して世の中や宇宙のエネルギー質の変化を感じていました。タロットの展開方法もそれによって変えたくらいです。

タロットを学びに来られる方というのは、自分が認識していなくても、そういうものには敏感なところがあります。そのため、エネルギーの変質(上昇と言ってもよいです)によって、タロットへのコンタクトも以前より容易になってきているのではないかと推測しています。

ただし、その分、古いモノ・何かの観念や縛りにこだわりと執着をもっている方は、手放そうとする(解放を促す)エネルギーとの葛藤によって、かえってタロットを学ぶ時に苦しくなったり、見かけ上の象徴的なトラブルが起こったりする場合も、以前より起こりやすくなっている気配もします。

これがある時には、タロットリーディングがなかなかできにくいという現象で現れ、またある時にはいろいろな抵抗感や怒り、落ち込み、モチベーションの低下、迷いなど心理面で現れ、さらに現実的にはタロット学習が困難なことに遭遇するなどのことで表現されることがあります。

ともあれ、今、静かに自分の身を置くと、潮流のようなものを感じることができるはずです。

昨日は選挙があって、実際に世間・外の動きは激動していますが、それとは別に、外部(と情報)を遮断し、ただ静寂の中に耳を澄ませていると音が聞こえてくる感覚があると思います。

それは早瀬のようにスピードがあり、渦巻いているかのようです。何かにしがみついていると、あっという間に置いてけぼりにされてしまうかのような「流れ」です。しかし、遅れを取っても自分次第ですぐ追いつくこともできます。

私はこの流れにスムースに乗るために便利な道具は、マルセイユタロットだと感じています。流れ自体が浄化や葛藤を乗り越える統合のエネルギーの質だと感じており、マルセイユタロットはそうしたこと(自己の統合と発展)に役立つよう作られているからです。

また流れの中には置き石のようなものがあり、それが自己変容の準備のために用意されているサービスエリア(停泊地)のようなこともあれば、とらわれの価値観や固定化させる信念であることもあります。

この石たちの区別をつけることができるのがマルセイユタロットによる洞察と自己観察です。偽物のに石につかまると、石ごと動いて流れの後方に流されていきます。

あるいは流れそのものが変化していくために、流れの中に入ることができないか、次の石に飛び移ることが困難になるという比喩で表すこともできます。

12月21日は冬至であり、大きな宇宙の転換点であると語られています。

確かに象徴的に見れば、すでにメッセージが至るところに発せられていることを感じることができるでしょう。選択はもちろんあなた次第であり、何もかも本当は自由だと思います。

私からはただ、「望む人生を生きる勇気を持つこと」だと、一言メッセージを送りたいと思います。マルセイユタロットでいえば、「」となるでしょう。ちなみに「力」のカード自体が、あるサイクルの終わりと新しい始まりを意味します。

今は世界が激動していますが、外は内でもあります。ということは、すでに多くの人が、実は内に劇的な変化が起こっている(あるいは深層意識で合意している)証拠だと言えるのです。


感情にまつわる人生の意味

私はマルセイユタロットに接してきまして、人の人生はまさに感情の体験に鍵があると思ってきています。

よく「無になる」とか、「穏やかになる」ということが人生の目標のように言われますが、「感情の体験」となると、まるで正反対のことを述べているわように思われるかもしれません。

確かにある意味その通りで、しかしまた実は同じ意味にもなってくるのです。

ところで、肉体をもって生まれるとということは、肉体という箱・制限をもって生まれ、人生を現実的には歩むということになります。

ちょうどコップにを入れてみればわかりますが、水もコップの囲みという制限があるからこそ、そこに水として存在することができます

そしてこの水の波・振動自体が感情だとイメージします。ここでコップを揺らせてみます。

そうしますと、波はやはりコップの壁に囲まれていることにより大きく発生し、バチャンバチャンと音を立てるでしょう。

これが周囲に何もない状態だと波は生じません。水としてただ流れるか染みこむだけです。

この囲いこそが肉体でもあります。そう、私たちは肉体や物質があるからこそ水が揺れ、つまり感情を味わい体験することができるのです。

さらにはこの水=感情(の波)はなかなかこの現実世界でしか経験できないと言えます。なぜなら形(物質)なき世界があの世だと想像できるからです。

たとえ物質があの世(別世界)にあっても、おそらくそれはこの私たちが経験している現実の世界のそれとは異なるものでしょう。次元や表現の違う物質だからです。

ということは泣いたり笑ったり、まさに喜怒哀楽を味わい、感情に波(振幅)を起こす体験は、非常に貴重だということになります。

しかしながら、一方であまりに激しい波はコップからあふれ、時には振動によってコップの壁を打ち破ることになるかもしれません。

これでは元も子もありません。こうした状況は、土台や大元である肉体が壊れるということであり、死や病気・不幸を意味することになるからです。

ただし、これが秘密にもなりますが、壊れるほどの感情の波をエネルギーとして自分にうまく採り入れたとき、それは常識を超えた世界に自らを飛翔させる原動力になるということでもあります。

しかしながら、これはきちんと修行しないとおそらく危険なことでもあるでしょう。

ともあれ、あまり激しい波は問題があることになります。

実際的に言えば、起こる現象に振り回され右往左往したり怒りや悲しみに任せて感情的になりすぎたりしてしまうことです。

従って、ほどよい感情体験を経験するか、あるいは怒りや悲しみのようなマイナスの激しい感情に支配されるのではなく、ひとつの小さな体験にも深い喜びと楽しみを見いだせるようになるのが望ましいわけです。

具体的にどうすればよいかは皆さん、各自で考えてみてください。

私自身は、特に後者の「体験を深くする」というものは、マルセイユタロットでできると考えています。


マイナスのシンクロ

私は以前、タロットリーディングやタロットを教えることを仕事にすると決めて、活動を開始し始めた時(いわゆる開業した時)に、数々のマイナスのシンクロ(シンクロニシティ)を経験したように思います。

マイナスのシンクロとは何かと言いますと、偶然のようで必然的に起こっていると考えられるいろいろな重なり・同調の意味が、おそらく警告や注意を発していると思えるもののことです。

よくスピリチュアルな世界で言われるシンクロは、どちらかというと、よいこと、前向きで積極的なことの兆しや意味として解釈されることが多いのですが、反対の意味を持つものもあるということです。

私がタロットで開業しようとした際、リーディング用に注文した机が注文と違った色塗りになっていたり、リーディング部屋のほかの家具や調度品を購入してもなせが不良品であったり、インターネットや電話開設でいろいろとトラブルがあったり・・となかなかスムースに行かないことが続きました。

こう書きますと、あたかも私がタロットを仕事にするのが問題であるということがシンクロとして起こっていた、となりますが、事実その時点ではそうだったと考えています。

ここで重要なのは、マイナスのシンクロ(の意味)でも二通りあるということです。

ひとつは、まさに、そのやろうとしていること、考えていること自体に問題があり、できれば実行しないほうがよいという警告。いわばストップ的な意味です。

そしてもうひとつは、行おうとしていることに何か問題はあるものの、それ自体が悪いわけではなく、やり方や時期に注意が必要であるという示唆です。

前者はあり方・本質自体に問題があり、後者はあり方・事柄そのものより、やり方やタイミングが問題だということです。

結果的に見ますと、私のタロット開業は、後者と言えました。タロットを仕事にすることがまずいというより、その方法に問題があったのでした。

当時の私はただ研究や待つということしか知らず、タロットカードで言えば隠者的な生活とエネルギーのかけ方であり、まったくもって営業という表現を忘れた存在でした。ある意味、かなり甘えや浅薄さもあったのです。

そのことへの警告と注意がシンクロという形で来ていたのでした。

シンクロはセンスが磨かれたり、目に見えない世界の教えや学びを進めると、繊細に発見することが可能になりますが、そんな状態にならなくても、その人にとって重大な場合には、ほとんど誰でも「これは何かあるのではないか」と思えるような現れ方をします。

これは神やご先祖など自分を守る存在からの恩恵ととらえてもいいですし、自分の内なる力が知らせてくれていると見てもいいですが、とにかく実は結構、私たちは大いなるものから自然と修正が図られるよう、メッセージをわかりやすく受けているものです。

それにはプラスのシンクロ(OKメッセージ)とともに、逆のマイナスのシンクロ(ストップ・注意・要観察)もあります。

シンクロが続く場合は、「気のせい」としてしまうのではなく、やはり何かのメッセージだと思って見ると、必ず結果的に自分の成長や進展に結びついていることがわかります。


「調和」を考える。

今日は「調和」というものが題材です。

「調和」といえば、すべてがうまく整っていることであるとらえることができると思います。

さらに究極的に「調和」となれば、その通り、すべてうまくいっている、バランスも取れていることで、苦労も何もないようなイメージが出てきます。

マルセイユタロットでも、「すべてを整えること」というのは、ある意味テーマといえ、ひとつひとつのカードはそのためにあるとも言えます。

また単独で「星」や「世界」など、調和を表すようなカードもあります。

さてここでで改めて、「調和」というものを、すべてのバランスが整っている状態と定義することにします。

そしてマルセイユタロットの示す宇宙構造と照合しつつ考察していくと、面白いことが見えてきます。

それは実は調和にもレベルがあるという見方です。

大調和もあれば小調和もあり、地域や個人個人それぞれの調和レベルが存在しながらも、全体としてもやはり「大調和」しているという発想です。

私たちは、大きな視点に立つと「調和」というものを理解しやすいですが、個別や具体として小さく細分化された世界になりますと、意外に「調和」を見つけるのが難しくなります。

たとえば、あなたは今、調和していると言えますか?

スピリチュアルなことを思い、何からのメソッドを実行して自己の調和を図っている方でも、毎日、毎時間調和しているとは言い難いと思います。

少なくともあなたは、「調和していない」と思っている時間はあるはずです。

けれども、また大きな視点や違う自分になった時、静かな時間を持ったり、自分が好きなことをしたりしている時、愛を感じる時などは、「調和」を実感していることでしょう。

実は、これは私のタロットを見ての考えですが、おそらく「調和」は、いついかなる時、どんな局面だろうと調和しているのではないかということです。

あなたが誰かとけんかしている時も、うまく仕事が進まなくて悩んでいる時も、どこかで戦争が起こっている時も、そのどれもが、その時において調和していると見ることができるのです。

「そんなばかな」と思うかもしれませんが、宇宙がホログラムであり、フラクタル構造をしているのならば、一は全で、全は一であり、個別も全体も同じ構造と仕組みになっていなくてはなりません。

単に表現や規模、レベルが違うだけです。

とすると宇宙は調和しているのですから、個別であっても、どんな時もどんな状態でも、どれも調和していると考えることができます。

これを理解するには、次元レベルの違いというシステムを採り入れなければなりません。

いわゆる低次元での調和というものは極端なものであり、たとえばものすごく刺激的で楽しいことがあるかと思えば、残酷でつらい出来事も見ることになるというようなものです。

これに対して高次になれば、まさにどんな時も平穏で創造的であり、何かが起きているようで起きていないように感じるような、極めて高い周波数(波としては小さくたくさんある状態)のようなことであると想像できます。

この考えに立てば、自分に実際に現れている状態を見ることで、自らの調和レベルを知ることができます。

いつも問題が多くあったり、波乱な状態であったりすれば(「そのように感じている」というのが正しい言い方になります)、調和のレベルがまだ低いということであり、逆にほとんどのことがスムースに行くようになった(問題を問題と認識しなくなった)となれば、あなたの調和は次元を上げたということになるでしょう。

また、便利なのは、調和のレベルを知るだけではなく、それに応じた目標設定もできるということです。

つまり、あまりに高い次元の調和をいきなり求めようとしても、それは違い過ぎて、すぐには実現困難であり、少しずつ次元を上げていく必要があるのだとなるのです。

私たちは「調和」していると言うと、高次の調和を想像してしまい、何もかもうまくいっている状態を思い浮かべがちです。

しかし、自分(の意識状態)にあった調和レベルというものが現実化されると見れば、そういう絵に描いたような何も問題のないような「調和」状態というものはほとんど幻想に近く、すぐには実現できにくいものであることがわかります。

従ってこれを認識していれば、無理な目標や状態を設定することがなくなるので、大調和(すべてがうまく行き、整っている状態に)していない自分にいらだちをやあせりを感じることが少なくなります。

たとえば仕事とプライベートでも、仕事が6割うまく言っているように感じ、4割のプライベートの達成状況ということもありえますし、それぞれの大調和を10として考え、仕事は7割、プライベートは8割の達成感というような感覚もあり得るわけです。

それはそれでよくも悪くもなく、あなたのレベルに応じた「調和」状態なのです。

できれば低次元の調和ではなく(これはジェットコースターに乗っているようなもので、結構疲れるものです(^_^;))、もっと上の調和を目指したいものですね。

でも一足飛びには難しく、やはりひとつひとつのレベルをクリアーしてこそ、次のステージの調和を得ることができると考えたほうがよいでしょう。低次の調和を得ずして、その上の中次や高次の調和を達成することはできないのです。

ですから学びや成長のメソッドを実行していても、問題あるほうが自然だと思って、あせったり、自分を責めたりしないことです。

(秘密のポイントや宝物を発見すれば、ジャンプしたり、近道できたりもないわけではないですが(笑))


マルセイユタロットの役割

私がお伝えするタロットリーディングの基本に、「相談者(クライアント)が答えを知っており、それを自らが発見・選択する」というものがあります。


タロットリーダーはそのお手伝いをするめに過ぎない存在です。(けれども、タロットの知識と象徴を知らなければ、お手伝いはできません。カードの「節制」の「段階」を見ることです)


これはマルセイユタロットには、その根底に、人は神性(神なる性質、完全性)を持つというグノーシス的教えが込められているからです。


人には人間性、あるいは動物性とも呼べる部分と高次の霊性をともなう神性的部分とが共存しているとも言えます。


残念ながら、普段はたいていその人間的・動物的部分で動かされているところがあります。さらには他人や自然界からの働きかけによる、ある種のエネルギー反応に同調して、知らず知らずの行動をとらされていることもあります。


いわば、人は神性という純粋で完全なものをもちながら、いつも妨害電波に悩まされているようなものと表現できます。


ただ、いつもいつも完璧で正しい判断ができる状態を想像すると、それは果たして楽しいことなのだろうか? クリエティブ(創造的)だといえるのだろうか?という疑問が起こってきます。


いつもいつもクリアーだということは、まったく動きが無く停止した「無」に近いものが感じられることになり、そこに新しい動きや創造性を見ることは難しいように思います。


そこで神なる存在は、私たちにいろいろなハンデイをつけることにより、その制限の中から新しいものを生じさせるアイデアや行動力を見ることにしたのでしょう。


ゲームをイメージすればわかりやすいです。最初から完全無欠のプレーヤー設定していては、ゲームが面白いはずがありません。


特にパーティを組んでイベントを経験していくようなゲーム(ロールプレイングゲーム)は、非常に人生に似ていると言えます。


パーテイを組むというのも、それぞれの欠点をそれぞれの得意分野で補い合うことにより、チームとして完全に近づこうとする行為です。助け合い教え合いという人間社会の縮図を見ることができます。


また起こるイベントは、あるルールや前提条件で発生し、それを経験することで全員は成長します。これは一人のこともあれば、チーム全員のこともあります。


ともかくも、人は制限の中で実は創造性が発揮されることになり、そうした状況に置かれて何か考えや行動を起こすことにより、ひらめき・感動・覚醒(神性との邂逅・接触)が生じます。


つまりは、何もないところに、神性とのつながりを感じることは難しいようにできているのです。


こうして見ると、私たち一人一人、そして地域や国、全体として起こることも、それぞれの規模において成長・発展させるためのイベントであると考えることができます。


そしてあなたの周囲にいる人たち、家族、友人、仕事や社会、地域社会で関係している人、偶然旅先などで出会う人・・・皆相互にイベント要因、助け合い要員として存在していることがわかります。


ということは、一人は誰かのためにあり、誰かはあなたのためにある(いる)ことになります。


すると究極的にはあなた個人、あなたの魂の中の神性を目覚めさせること、認識することに回答があり、あなたが目覚めれば周りの人も目覚める仕組みにあると考えられるのです。


おそらくマルセイユタロットはそのために作成されている(残されている)と、私は今、思っているところです。


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