タロットの使い方

タロットの視覚効果

タロットカードは、絵でできているカードですので、当然ながらビジョンやイメージという視覚的な効果と関係します。

視覚と言っても、実際に目に見える部分と、心で想像(イメージ)して見えている(気がする)部分とがあります。

前者は誰でも同じに見えますから(厳密には、同じものを見ていても、ひとりひとり違うでしょうが)、一般化や元型として、言わば人の共通のパターン・あり方などを見ていくのに機能します。

つまりは、軌道修正であったり、調和を図ったり、自分の立ち位置を見たりして、客観的に判断するのに向いているわけです。

一方、後者の場合は、個人個人でカードから心の中でイメージするものなので、それは人によって異なるシーン・絵を見ていることが想像できるでしょう。

ということは、個人の心にあるデータ、思い込み、願望のようなものが現れてくると言えます。

ですから、カードを心でイメージすることは、個人的な問題の解決やセラピーを目的とするのには有効な方法だと考えられるわけです。

ただし、カードの絵を見て、心でイメージする(させる)場合、ある程度、カードの意味を知っておいたほうがよいです。

マルセイユタロットの場合、誰が見ても同じようにそのカードから感じられるような内容になる仕組みがあるのですが、それでも、意味を説明されないと、そのカードがどんなもの(こと)を描いているのか、わからない部分もあります。

そもそもイメージというのも、意味や内容がある程度わからないと、湧きにくいものです。

従って、カードの意味・概要を知ったうえで、改めてそのカードのことを心でイメージしてみるというプロセスが重要になります。

比較的やりやすいのは、大アルカナのカードの意味を知り、そこに描かれている人物になり切るようなイメージをしてみる方法です。

そうすると、イメージしやすい人物とイメージしにくい人物とに分かれるかもしれません。

イメージしにくいものは、思い出したくないもの、過去(記憶)に問題のあることが多く、イメージしやすいものは願望、あるいは実現できそう(可能)なことなどを示す場合があり、時制では現在から未来方向の指針である傾向があります。

また、イメージをした時に、自分の気持ちの状態によって、ブロックや抑圧、その逆の、願望や期待する夢を見出すことも可能です。

とは言え、カードを見ての心の中に作るイメージは、もとは実際に目に映るカードの絵から始まっていますから、先述したように、実際の絵は客観的でもあり、カードからイメージする心の絵(心象)は、逆に主観的と言え、主観と客観、両方が相まっての想像(創造でもあります)になっているわけです。

主観は自分の感じ方ですから、意味を知らなくてもよいのですが(むしろあまり意味にこだわり過ぎると思考に傾き過ぎ、イメージが制限されることもあります)、客観としての絵は意味が必要と言えます。

言ってみれば、カードの絵の一般的象徴性(客観)によって、主観的(心に浮かぶ像や感覚的)なものを精査、新たに意味付けするような感じ(役割・働かせ方)です。

このあたりのことは、タロットが、例えばロールシャッハテストなどのような、心理的投影を見るだけのものではないことを意味します。

ということで、カードの絵からのイメージを使う方法でも、やはり、カードの勉強(カードの意味を知ること)はある程度しておかないと、うまく機能しないのです。

カードの意味がわからないと、ただ主観のみになり、心でイメージしたことが何の意味を持つのか、あるいはそのイメージをどう扱えばよいのか、わからなくなります。そして、カードの概要がわからないと、そもそも心でイメージする手がかりもつきにくいのです。

もうひとつ付け加えると、このように、人は主観と客観によって、より自分を知ることができますので、同じタロットを学んでいる他人との共同作業で、カードを使ってやると(自分を知るのに)効果は高いと言えます。

マルセイユタロットの「月」と「太陽」ではありませんが、主観と客観、自分と他人、二つの見方や立場の違いがあるほうが、実は本質が見えやすく、もし自分があるレベルに留まって問題状態であるのなら、そこからの脱出、成長も図りやすいと言えます。

タロットは心理カードとしての活用度は高いツールと言えますが、さらに霊的な活用まで目指すとなれば、カードが個人的にどう見えるか・どう思うかだけではなく、カード(タロット)そのものの象徴性を個別と全体でとらえ(体系・システムとして見る)、その設計シンボルと調整・調和させていくような視点が必要だと思います。

ですから、繰り返しますが、感覚だけではなく、タロットの学びが不可欠で重要となってくるのです。

学び、感じ、考え、スパークし、今の自分を超えて、新しい世界や自分と出会って行きましょう。

これは、言い方としては、成長とか新しい自分に向かっての脱皮みたいに思うでしょうが、実は本当の自分を思い出す旅のようなものなのです。換言すれば、元(本来に)に戻ることであり、忘却からの回復です。

こういうものが、タロット活用の醍醐味でもあると私は思います。


私のマルセイユタロット講座は、かなり様々な情報と知識をお伝えしています。

※もっともライトなコースとか、入門コースなどもあって、必ずしも全部がそういうわけではありませんが。

そういうたくさんの情報のひとつで、やはり重要なものとして私の中で位置づけているのが、タロットに関連する歴史です。

ただし、タロットの製作史とか、公やアカデミズムで言われている歴史というわけではありません。それも大事ではあるのですが、私が主に力を入れて解説しているのは、裏の歴史と言いますか、秘教・秘伝的な話なのです。

何事にも裏と表があり、私たちが見知っていることでも、すべてには二面性があり、それらが表裏一体となって、ひとつの完全を知ることになっているように思います。

もちろん、裏の歴史と言っても、さらに細かく言えば、それでも表裏のようなものが連綿と続いていると考えられ、私も知らない話、マニアックな人でも、ほとんど知られることのない話もあるでしょう。

それでも、常識的・表面的なものとは違う歴史の側面を知ることで、タロット、特にマルセイユタロットが何なのかを判断したり、理解したりする材料・情報として、得るところは大きいと考えられます。

タロット占いやタロットリーディングの技術を学ぶことに主眼を置く方には、こういった歴史的な情報はあまり価値がない、必要ないとさえ思う人もいるかもしれません。

実際、タロットに関連する歴史や情報を知らなくても、タロットを使うことができますし、特に支障があるわけでもありません。

むしろ技術面に集中し、それをしっかり学び、実践を繰り返していく中で、タロットを、特に他人に向かって活用するという意味では、有意義とさえ言えるかもしれません。

しかしながら、これは私の経験や体験、感覚も入りますが、こと、マルセイユタロットに関して言えば、たとえ他者向けにタロットリーディングを行っていくことを目的としてタロットを学ぶにしても、やはり、関連する歴史的なことは知っておいたほうがよいと思うのです。

その最大の理由は、目に見えない力とでも言いますか、そういうものの加護のようなものが、実際のリーディング場面でも感じられるからです。

マルセイユタロットが作られるために積み重ねられてきた人々の思いのようなものが、歴史を知ることによって、あえてネガティブな言い方をすれば、まさに「重荷」としてのしかかってくるという感じでしょうか。

それを逆にポジティブに反転させますと、「ご加護」ということになるのです。

そうですね、日本人ならば、自分と関わるご先祖に思いを馳せると、ご先祖のしがらみも背負うことになるのかもしれませんが、逆に、ご加護も得られるかもしれないというような感覚です。

さらに言えば、単にタロットを扱うというものではなく、タロットを“扱わせてらう”使命感・責任感のようなものも、歴史を知ることで出て来ます。

タロットが好きとか、タロットが占いに使えるからとか、そんな理由ではなく、まさに、タロットはご縁によって私に与えられたもので、その意味をかみしめながら、自分と他者に向かって、救済の道を目指して活用していくという自覚が芽生えてくるのです。

マルセイユタロットに関連する歴史的な事項や人々としては、例えば、キリスト教では異端とされたカタリ派の思想やそれを信仰する人々、よい悪い両面の噂もある「神殿騎士団(テンプルナイツ)」、キリスト教関連でも、洗礼者ヨハネとか、マグダラのマリアなどの人物の話などがあります。

もっと古い時代の歴史・話・人物も、たくさん関係してきます。

マルセイユタロットを知ることは、今まで裏で隠され、非常識とされてきつつも、実は表を支えていたり、私たちの中に眠る大きな力や智慧を象徴していたりしたものに近づくことになります。

これらは歴史の表舞台にはほとんど出ませんが、いつの時代も、そして今でさえ、実は存在し、認識されるのを待っているものです。

例えば、「蛇」という動物の象徴は、一般的には邪悪なものとして扱われ、普通は気持ち悪いイメージもあって、あまりよい感じはしないものでしょう。

しかし、これも裏の話、象徴の意味を知っていくと、逆転した見方が出ますし、仮に悪いものだとしても、私たちを締め付け、グルグル巻きにしている“蛇”のような存在は、いったい何なのか? それを知ることで大きな解放がもたされてるのではないか? ということに次第に気づいてきます。

蛇の締め付けも、逆方向の運動回転であれば、緩めることにもなります。

マルセイユタロットを学ぶうえで、伝説的な話として扱われてきた歴史的なものが、実は真の認識・覚醒には重要なものとなっていると考えられます。

「私は(裏の)歴史なんて興味ない」という人もいらっしゃるでしょう。タロットが使えれればそれでよいと。

それも個人の自由で、好みの問題です。

ただ、私は、マルセイユタロットに興味を抱き、それを学びたい方、マルセイユタロットをもって自他に役立てたいという方は、こうした秘密や裏の歴史に関心があり、ご縁がある人が多い気がしています。

そういう方は、おそらく、すでに魂的には知っていることでしょうし、もし前世的なものを設定するとすれば、これまでも何度もそういう側面と関わってきた人なのではないかと思います。

つまりは、マルセイユタロットを学ぶことは、かつての自分を癒し、その自分を応援者として味方につけ、あるいは、途上だった修行や救い・癒し・浄化・上昇を、今の自分が担っていくことになるのではないかと思うのです。

言い換えれば、究極的な意味で、自分を助け、自分を活かす(生かす)ことでもあります。


タロットとイメージ

タロットというのは、絵柄が基本ですので、視覚の効果、視覚の作用が中心となります。

ですから、逆に言えば、視覚以外の機能・センサーとタロットは、つながりにくい部分もあるわけです。

しかし、人間の感覚・センサーは、五感だけではなく、いわゆる第六感とか、直感のような、五感とは別だったり、超越したりする感覚もあると言われています。というより、そういうものは普通にあると考えたほうが、今や半ば常識的かもしれません。

そして、五感をはじめ、感覚器官は、一見、バラバラに存在しているようでいながら、情報として統合される形にあり、それは科学的には脳が行っているとされていますが、スピリチュアル的には、脳を超えた何か、本来の自分の何かが行っていると考える向きもあります。

とにかく、例えば、視覚の情報が中心であっても、ほかの感覚・センサー連動したり、情報が加味されたりして、ひとつにまとまって来ると推測され、その意味においては、タロットは確かに視覚中心とはいえ、ほかの感覚への刺激もあるのだと見ることも可能です。

それでも、視覚中心は確かですから、そうなりますと、イメージという言葉が思い浮かんできます。

そう、タロットはイメージと強く結びつくツールであり、絵がイメージと関係するのは誰にでもわかるので、そのことは当たり前のことではありますが、意外にイメージの力とか使い方については知られていないものでもあります。

イメージの力で大きいのは、思考では難しい方法や答えを簡単に導くことができることです。

私たちの悩みの多くは、考えることによって発生し、また、考えてもわからないから悩むわけです。(笑)

世間では、考え方を変えることで解決を図る手段がよく述べられていますが、考え方を変える方法そのものがわからなかったり、実際に考え方を変えても、悩みは消えないということもあります。

ところが、イメージを使うと、思いも寄らなかった解決方法とか、問題へのアプローチが見えてくことがよくあります。

それは、イメージと思考(考えること)の回路と道程が違うからで、イメージのほうが、一般的にダイレクトに潜在意識など、普段意識しないところとつながる傾向が強いからです。

ただし、ここで誤解されがちなのは、思考は役に立たない、思考を働かせると、本当の自分とつながりにくい(つながりにくくなる)と言われることです。

思考が問題なのは、同じ考え方のレベルに留まっていること、一般的・常識的・論理的回路によって問題と解決を見てしまうことにあります。

つまりは表面意識、顕在意識、普段の自分、社会的で合理的な意見をよしとする基準で見てしまうことが多いわけです。それでは、特に個人の問題が解決しにくいのはわかる思います。(集団と個人、普遍性と個別性の違いが大きいため)

しかしながら、思考が一段上になり、これまでより高度の思考に導かれると、問題のとらえ方と解決策のレベル・次元も上昇して、解決策もわかってきますし、高次の自分に、より近づく手段の一つにもなり得ます。

ですから、思考そのものが悪いのではなく、思考レベルと扱いの問題のほうが大きいと言えるのです。

ただ、思考レベルを上げるにも、それこそ、頭の回転を上げなければならないので、なかなか難しいところもあります。

それならば、堂々巡りのような同水準思考の中でグルグル回っている状態に対して、イメージという違う回路を使えば、案外あっさり、別の道が見えてくることもあるわけです。

ということで、タロットの絵を利用してイメージを喚起させ、今の悩み・問題への解決を、イメージの力でもたらせることを志向できるのです。

ところで、イメージというと、「私はイメージするのが苦手」という人もいます。

昔、カルチャーセンターのタロット講座の体験会をしていた時、こういう場所では、がっつりタロットに興味があり、学びたいという人より、なんとなく覗いてみたい・・・というライトな感じで来られる方も少なくありませんでした。

すると、タロットを見て何かイメージするということが苦手と言いますか、「この絵を見て何でもいいですので、思ったこと、感じたこと言ってみてください」とこちらが指示しても、「別に何も出ません・・・」「イメージが浮かびません・・・」という方がちらほらいるわけです。

これには、いくつか理由があります。

そもそも、私も講師としてまだ経験が浅かったこともあり、カルチャークラスレベルの人に、タロットから自由に発想してもらうという作業自体、無謀であったのが、今ならよくわかります。(苦笑)

人は「自由にイメージして」「何か感じて見て」といきなり言われると、実はしにくいものなのです。(慣れてないと、ある程度、誘導がいります)

次に、「イメージする」というレベルや質の問題があります。

一般的に人は、「イメージしてください」とか、「何か思い浮かびますか?」とか言われると、具体的でしっかりしたカラーの絵柄とか、何か言葉とかメッセージとか、意味が浮かんでこなければならないと思い込んでいる節があります。

最初からそんなことができるのは、サイキック的な力があったり、ビジョン瞑想に慣れていたりする人などです。

普通は、うっすらと何か見える、感じる、出てくる、そんな気がする・・・レベルです。そして、それで最初はいいのです。

イメージは絵とは限らず、音とか、温度か、触感とか、視覚とは違う感覚も入れてのイメージの場合もあります(正確にはイメージを補強するもの)。

また、イメージが浮かんでも、言語化するのが困難な人もいます。それはイメージと言葉も、イメージと思考同様、回路が違うからです。

あと、イメージすること、感じていることを表現するのに、何らかの形でブロックしてしまっているケースがあります。このことはまた別項でいつか述べたいと思いますが、今日は詳しくは書きません。

いずれにしろ、このように、イメージひとつ取っても、レベルや質の違い、イメージから何かを見出す道筋の問題もあって、「これがイメージの正しい方法、使い方」というものは言えないわけです。

タロットによる、悩み事や問題の解決というのは、タロットリーディングで普通に行われることでありますが、タロットの絵柄から想起・刺激されるイメージを使った解決法と、タロットの絵柄(数などのサブ情報も含める)の象徴性を通じて、意味を探って解決法を考えるのとでは、実は違う回路を使っていると言えます。

それでも、タロットリーディングの目的が、自分やクライアントの問題解決、癒し、変化にあるのなら、結果的にそれができればいいわけで、方法や回路は違っていてもOKと言えます。

「押してダメなら引いてみな」という言葉があるように、タロットの意味を考えてもわからない(うまく当てはまらない、よい方法がわからない)のなら、タロットの絵柄からイメージを浮かべて見る、想像してみるというのでもよいですし、その逆もまたありで、イメージや絵からは、さして思い浮かばないというのなら、カードの意味、知識から思考的に、解決法を見出してもよいわけです。

要するに、情報の取り扱い、ソースからの通り道・ルートが違うだけです。

ですが、イメージの力と使い方によっては、ずっと考え続けてもわからなかったことが、突如ひらめいてわかったり、何をすればよいのかがイメージで見えたりします。

イメージの世界には、現在的・常識的思考の世界とは違うものがあり、それはいろいろな分野を超えた、悪く言えばごちゃ混ぜの混沌とし世界のように思えますが、それだけに、普段考えつかないような、多種多様で時間空間にとらわれない情報が眠っています。

そこへアクセスするには、タロットの絵柄が必要なのです。

メルヘン風に言えば、タロットの精霊の世界にあなたが入り込む、もしくは連れて行ってもらうようなイメージと言ってもいいかもしれません。

タロットを扱っていると、イメージにも慣れてきますので、魔法的には、イメージの世界のほうを現実と置き換える、塗り替えるみたいなことも可能だと言われています。

イメージをどう扱うのかは、「月」や「力」のカードに隠されてもいます。

最初は弱弱しいイメージしか出せない人も、タロットと接していると、自分の中にあるイメージ・ビジョンの力を発現させていくことができるようになるでしょう。

それをどう扱うのかもまた、本人次第ではありますが、大きくは、まさしく自分と周囲の世界を変えてしまう力を持つのです。


占星術、水星逆行より

今、西洋占星術的には、水星逆行の時期になっています。

逆行(天文学的には逆行するわけではありませんが)する惑星のうち、水星は頻繁なので、逆行と言えば水星というほど、比較的星占い好きの人たちには知られていると思います。

このブログは、タロットがメインですから占星術的な話は詳しくせず、水星逆行によって何が起きるのか、どんな意味があるのかについてはここでは説明しません。

知りたい方は、いろいろな人が説明されていますのて、検索して読まれるとよいでしょう。

ただ、これはタロットにも一部言えることですが、あまり強く信じすぎないほうがよいかと思います。

水星逆行については、その昔、私は個人的に試してみたことがあるのですが、意識しなくても、確かに何らかの作用が自分にありました。逆行が順行に戻った時に、明らかに変わったのも覚えています。

それでも、あくまで大きな意味では「象徴」であり、個別次元まで関係してくることもあるとは言え、その現れ方こそ、人の意識次第、惑星や占星術コンセプトとのリンク次第と言えるかもしれません。

つまり、やはり強く信じている人、惑星意識の強い人には顕著に個人レベルまで影響が現れるということです。

占星術の扱いで懸念されることのひとつは、「星を使うと思っていては、逆に星に使われるようになる」ことです。

実はタロットにもその危険性はあるのですが、タロットの場合は、占星術よりかはある意味、危険がないとも言えますし、反対に扱い方によっては、占星術以上に危険になることもあります。

わかりづらい言い方をあえてしますが、ツールはあくまでツールであり、本質そのものではありません。しかしながら、単にツール扱いしていると、ツールを本当の意味で使いこなすことにはなりません。

言ってみれば、ツールは道具でありながら、生き物であり、宇宙と自分自身そのものでもあるという認識が必要です。この見方に立てば、タロットも占星術も偉大なものとなります。

ツールだけではなく、「知識」についても同様で、知識はあくまで知識にしか過ぎません。

ですが、その知識も智慧となり、もとの本当の自分につながるための架け橋となるのであれば、知識もまた偉大なものとなっていきます。知識があることをただ自慢したり、知識を集積したりすることだけに囚われていては、知識も単なるモノ、ツールでしかないわけです。

占いにおいても、使い方によっては、自らと他人の人生、生き方に大いなる指針と幸福の導きとなるものではありますが、扱い方を間違えると、自分と他人を縛るものとなります。

もう一度言いますが、知識とかツールは、基本的には向上と解放の福音となりえますが、逆の束縛と支配の道具にも化けます。

占いでも、吉凶、良し悪しの現世的二元観点ばかりで見ていると、常にいいと言われるほうを選択したがるようになり、さらには自分で決められない依存体質にもなってしまいます。

「いいこと・幸福なこと」である、と、伝統的・知識的、現在的に判断されることであっても、時代が変わったり、人々の価値基準が変化したりすれば、悪いことになるおそれもありますし、その逆の、悪いことと思われていたことも、よいことに変わる可能性もあるのです。

物事には両面があり、今の認識力では、片方しか見らない狭い了見になっていて、それはレベルが上がらない限り、両面を見ることは不可能なのです。

ボールで例えると、ボールの表面からの視点では、明るいほうと暗い側の区別しかできず、それが球体であることすら気づかないのです。

もし球体であることがわかれば、球体の回転、もしくは観察者側の回転によって、光が当たる部分が変わる(暗い部分も同じく変わる)ことは、一目瞭然です。

しかなしがら、球体であることを認識できるには、球体の表面から出ないとわかりません。球体の外、上の視点ですね。ちょうど、地球が球体であるとわかる前と、わかった後での視点の違いみたいなものです。

占い(だけに限らず)で、いい・悪いを判断して、悪い方を避け、いいほうを選んでいく視点は、ともすれば、球体の表面にいて、光が当たるところはこちらだけだと選んでいるようなものになります。

言ってみれば、どこまで行っても、新しい観点、次元上昇の位置を得るのは難しいことになります。同じ位置でずっと続くのは、あくまで過去から今の認識に基づく、幸せで豊かな生活をする観点です。

それはそれでいいのですが、一方で、過去と今を超える未来、あるいは今の認識の当たり前を超えた、超幸せ世界(笑)までは思いが至りません。

自分一人だけでは、過去から今の視点でいいのかもしれませんが、もっと先で高次な世界へ、一人一人から全体として超越していく、移行させていくには、統合視点、これまでの視点を超えた見方が必要となってきます。

タロットでも占星術でも、そういった目的で使うこともできます。

水星逆行で一喜一憂したり、現世利益的な視点で、良し悪し選択の行動指針にするのは、それはそれで面白いですし、現実的なところの影響もあるにはありますが、あまりそれに囚われ過ぎると、例えるならば、水星の神、ヘルメス・マーキュリーの移り変わり、魔法に幻惑されます。(笑)

間違っても、すべてを水星のせいにしてはいけません。水星逆行のせいではなく、単純に、あなたのうっかりミスということのほうが多いでしょう。(苦笑)

とは言え、アストラル(星)的な力はなかなか強く、私たちの通常の肉体を超えた、ある「からだ」に作用し、それは無意識レベルと言えます。

惑星を「しもべ」として扱っていると、とんでもないしっぺ返しを食らいます。それゆえ、ギリシア・ローマ神話では、惑星は神々で例えられているのです。

今回の水星逆行、個人的な意見ですが、タロット的には火と関係し、「残火(ざんか、のこりび)」というキーワードが浮かびます。残り火があるのなら、それを消火・鎮火するための再生があるかもしれません。


小アルカナ的人間関係の問題と解決

前回のコメント企画、ご協力いただきありがとうございました。

これは、私の中で、小アルカナと大アルカナの使い方を検討する意味で、少し皆さまに、試していただいた次第です。

今回の意図や詳しいことは、私の生徒さんのZoom勉強会やメルマガでお話したいと思います。

一般的にマルセイユタロットを扱う方の場合、どうしても、その絵柄の違いから、大アルカナだけを使うことが多く、小アルカナの活用がおざなりになってしまう傾向があります。

何事も、使えば使うほどなじんできますし、反対に、使わなければ、いつまでたっても疎遠な存在になります。

小アルカナに関しては、食べず嫌いのところが、多分にマルセイユタロット使いの人には多いのかもしれません。

しかしながら、そもそも使い方を説明されないと、どうしていいのかもわからないのが実情だと思います。

私も、自分がタロットを習った時は、ほとんど小アルカナのことは説明されませんでしたが、今は自分なりに研究と実践を進め、おそらく、ほかのところでは言われていない活用法や考え方を開発してきました。

私の生徒さんで、ほかでマルセイユタロットを学ばれた方でも、初めて小アルカナの有意義な活用法を知る人もおり、それは非常にシンプルな方法なのですが、知っているのと知らないとでは、かなり実用度においても異なるところです。

そして、活用法とは、それが生まれた原理や背景をきちんと知っておかなければ、本当の意味では、使いこなせません。なぜそれが言えるのか、そう使うことができるのかの理由です

技術だけをただ教えられても、応用度が低くなります。学ぶ側は、先生のコピーであってはならないのです。

さて、今回のコメント企画では、比較的人間関係に悩んでいる方が多くいらっしゃったように感じました。

そこで、小アルカナの基本である4組をベースにした、人間関係についての処理とか扱い方について、簡単に記したいと思います。

小アルカナの4組とは、すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)と呼ばれるスート(組)のことで、それはもとは四大元素という、世界を構成していると考えられる要素として見る西洋の古代概念です。

この4組の応用範囲はなかなかすばらしく、古代思想とはいえ、さすがによく練られている象徴概念だと、タロットを使っていると感じます。

それで、人間関係の問題と解決にも、この4組で、とらえたり分類したりすることが可能です。

詳しく説明すると長くなるので、ここでは簡単なことだけ言いますね。

●剣 考え方を変える 関係を断ち切る 離れる 環境を変える ルールを作る

●杯 思い方(感情・トラウマなど)を変える、浄化する、 人間味のつきあいをする

●杖 使命や目的の見地からつきあう、行動を変える、相手に仕事(役割)を与える

●玉 仕事やお金のためと割り切る 自分を守る 金銭や利害を調整する

人間関係の問題は、主に、自分でどうにかできる部分と、他人や外部からの助力を必要とする場合、もうひとつの分け方は、自分の思考や感情の中での問題と、明らかに客観的に見ても相手にも問題や否があるというケースがあります。

これらも4組で分類が可能であり、錬金術(現代的なお金を生み出す意味ではなく、古代中世の四大元素の性質を見る意味)的な応用から、4組の組み合わせ(相性や反発性)を検討することもできます。

まあ、自分がその人と付き合わないように移動したり、引っ越ししたり、関係を断ち切れたりすればよいのですが、職場が同じだとか、友人として関係を続けたい(修復したい)、事情があって割り切れない・・・などがある場合は、結局、相手自身をなかなか変えることはできませんから、自分の思考や感情を変えるか、行動・環境を何らかの形で変えるかでないと難しい場合があります。

まあ、しかし、タモリさんではありませんが(笑)、友達なんかいなくても生きていけるわけで、いい意味で自分中心、エゴイスティックになったほうが、結果的には相手も自分も楽になることが多い気がします。

誰しもがペルソナ、社会的、場面的役割をもって、自覚・無自覚において、いわば演じているわけで、夫婦関係や恋人関係ですら、お互いがそういう役割になっているわけです。

つまりは、真の自分など、どこにも現実的生活の中にはいないわけで、そうであるならば、助け合える人、比較的わかりあえ人は、それはそれでそういう役割同士の関係だと見て楽しくつきあえばいいですし、逆に嫌なやつ、面倒な人、攻撃してくるような人は、これまた、そういう役割の人と割り切って(自分が嫌ったり、避けたりして)考えることもできます。(真の人間同士としてのつきあいではないから)

ですから、相手との関係における「自分自身の役割」も、その人と関係してしまう役から、ほとんど関係しない役にするとかで、自分の心の中では決められるわけです。

そんなことでは問題は解決しないかもしれませんが、相手を憎んだり、自分を卑下したりせず、心の中でお互いの役を変えて、相手を飛ばしてしまうイメージでも持ち続けていれば、現実の関係性が変化することもあり得ます。

要は、相手を意識し過ぎると、それだけ強く自分の中で存在と役割が刻印されていくので、ますますその悪い関係性が固定されるという悪循環に陥ります。

自分に向かってくる意識ではなく、自分から離れてしまう意識やイメージ(願望や祈りにしてしまうと、また意識が強まるので、ゲーム的な方法がよいかと思います)を持つほうが、実際的にはいいのだ考えられるわけです。

うつ病になった私が言うのもあれですが、たとえ人に嫌われても、最終的には自分を守り、自分を大切にしたほうがよいと思います。

自分が壊れてしまえば、その回復に多大な時間を要しますし、もしいじめている相手からすれば、それこそ思うつぼと言いますか、悪い相手を守ったところで、あなたには何の恩恵もないのが普通です。

自分さえつぶれていなければ、人間関係など、別の人とまた新たに結ぶこともできますし、あなたと相性のいい人とか、理解してもらえる人とかと出会う可能性もあります。

魂は永遠ですが、今の人格、人間としては有限の時間の中に生きています。

限られた時間は貴重であり、できれば幸せに、あるいは自分が楽に、思うように生きたいものですよね。その決断を、ただあなたがすればよいのです。※不幸や困難をあえて選択する生き方もありますし、それは自由ですが。(苦笑)


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