タロットの使い方
占星術、水星逆行より
今、西洋占星術的には、水星逆行の時期になっています。
逆行(天文学的には逆行するわけではありませんが)する惑星のうち、水星は頻繁なので、逆行と言えば水星というほど、比較的星占い好きの人たちには知られていると思います。
このブログは、タロットがメインですから占星術的な話は詳しくせず、水星逆行によって何が起きるのか、どんな意味があるのかについてはここでは説明しません。
知りたい方は、いろいろな人が説明されていますのて、検索して読まれるとよいでしょう。
ただ、これはタロットにも一部言えることですが、あまり強く信じすぎないほうがよいかと思います。
水星逆行については、その昔、私は個人的に試してみたことがあるのですが、意識しなくても、確かに何らかの作用が自分にありました。逆行が順行に戻った時に、明らかに変わったのも覚えています。
それでも、あくまで大きな意味では「象徴」であり、個別次元まで関係してくることもあるとは言え、その現れ方こそ、人の意識次第、惑星や占星術コンセプトとのリンク次第と言えるかもしれません。
つまり、やはり強く信じている人、惑星意識の強い人には顕著に個人レベルまで影響が現れるということです。
占星術の扱いで懸念されることのひとつは、「星を使うと思っていては、逆に星に使われるようになる」ことです。
実はタロットにもその危険性はあるのですが、タロットの場合は、占星術よりかはある意味、危険がないとも言えますし、反対に扱い方によっては、占星術以上に危険になることもあります。
わかりづらい言い方をあえてしますが、ツールはあくまでツールであり、本質そのものではありません。しかしながら、単にツール扱いしていると、ツールを本当の意味で使いこなすことにはなりません。
言ってみれば、ツールは道具でありながら、生き物であり、宇宙と自分自身そのものでもあるという認識が必要です。この見方に立てば、タロットも占星術も偉大なものとなります。
ツールだけではなく、「知識」についても同様で、知識はあくまで知識にしか過ぎません。
ですが、その知識も智慧となり、もとの本当の自分につながるための架け橋となるのであれば、知識もまた偉大なものとなっていきます。知識があることをただ自慢したり、知識を集積したりすることだけに囚われていては、知識も単なるモノ、ツールでしかないわけです。
占いにおいても、使い方によっては、自らと他人の人生、生き方に大いなる指針と幸福の導きとなるものではありますが、扱い方を間違えると、自分と他人を縛るものとなります。
もう一度言いますが、知識とかツールは、基本的には向上と解放の福音となりえますが、逆の束縛と支配の道具にも化けます。
占いでも、吉凶、良し悪しの現世的二元観点ばかりで見ていると、常にいいと言われるほうを選択したがるようになり、さらには自分で決められない依存体質にもなってしまいます。
「いいこと・幸福なこと」である、と、伝統的・知識的、現在的に判断されることであっても、時代が変わったり、人々の価値基準が変化したりすれば、悪いことになるおそれもありますし、その逆の、悪いことと思われていたことも、よいことに変わる可能性もあるのです。
物事には両面があり、今の認識力では、片方しか見らない狭い了見になっていて、それはレベルが上がらない限り、両面を見ることは不可能なのです。
ボールで例えると、ボールの表面からの視点では、明るいほうと暗い側の区別しかできず、それが球体であることすら気づかないのです。
もし球体であることがわかれば、球体の回転、もしくは観察者側の回転によって、光が当たる部分が変わる(暗い部分も同じく変わる)ことは、一目瞭然です。
しかなしがら、球体であることを認識できるには、球体の表面から出ないとわかりません。球体の外、上の視点ですね。ちょうど、地球が球体であるとわかる前と、わかった後での視点の違いみたいなものです。
占い(だけに限らず)で、いい・悪いを判断して、悪い方を避け、いいほうを選んでいく視点は、ともすれば、球体の表面にいて、光が当たるところはこちらだけだと選んでいるようなものになります。
言ってみれば、どこまで行っても、新しい観点、次元上昇の位置を得るのは難しいことになります。同じ位置でずっと続くのは、あくまで過去から今の認識に基づく、幸せで豊かな生活をする観点です。
それはそれでいいのですが、一方で、過去と今を超える未来、あるいは今の認識の当たり前を超えた、超幸せ世界(笑)までは思いが至りません。
自分一人だけでは、過去から今の視点でいいのかもしれませんが、もっと先で高次な世界へ、一人一人から全体として超越していく、移行させていくには、統合視点、これまでの視点を超えた見方が必要となってきます。
タロットでも占星術でも、そういった目的で使うこともできます。
水星逆行で一喜一憂したり、現世利益的な視点で、良し悪し選択の行動指針にするのは、それはそれで面白いですし、現実的なところの影響もあるにはありますが、あまりそれに囚われ過ぎると、例えるならば、水星の神、ヘルメス・マーキュリーの移り変わり、魔法に幻惑されます。(笑)
間違っても、すべてを水星のせいにしてはいけません。水星逆行のせいではなく、単純に、あなたのうっかりミスということのほうが多いでしょう。(苦笑)
とは言え、アストラル(星)的な力はなかなか強く、私たちの通常の肉体を超えた、ある「からだ」に作用し、それは無意識レベルと言えます。
惑星を「しもべ」として扱っていると、とんでもないしっぺ返しを食らいます。それゆえ、ギリシア・ローマ神話では、惑星は神々で例えられているのです。
今回の水星逆行、個人的な意見ですが、タロット的には火と関係し、「残火(ざんか、のこりび)」というキーワードが浮かびます。残り火があるのなら、それを消火・鎮火するための再生があるかもしれません。
小アルカナ的人間関係の問題と解決
前回のコメント企画、ご協力いただきありがとうございました。
これは、私の中で、小アルカナと大アルカナの使い方を検討する意味で、少し皆さまに、試していただいた次第です。
今回の意図や詳しいことは、私の生徒さんのZoom勉強会やメルマガでお話したいと思います。
一般的にマルセイユタロットを扱う方の場合、どうしても、その絵柄の違いから、大アルカナだけを使うことが多く、小アルカナの活用がおざなりになってしまう傾向があります。
何事も、使えば使うほどなじんできますし、反対に、使わなければ、いつまでたっても疎遠な存在になります。
小アルカナに関しては、食べず嫌いのところが、多分にマルセイユタロット使いの人には多いのかもしれません。
しかしながら、そもそも使い方を説明されないと、どうしていいのかもわからないのが実情だと思います。
私も、自分がタロットを習った時は、ほとんど小アルカナのことは説明されませんでしたが、今は自分なりに研究と実践を進め、おそらく、ほかのところでは言われていない活用法や考え方を開発してきました。
私の生徒さんで、ほかでマルセイユタロットを学ばれた方でも、初めて小アルカナの有意義な活用法を知る人もおり、それは非常にシンプルな方法なのですが、知っているのと知らないとでは、かなり実用度においても異なるところです。
そして、活用法とは、それが生まれた原理や背景をきちんと知っておかなければ、本当の意味では、使いこなせません。なぜそれが言えるのか、そう使うことができるのかの理由です
技術だけをただ教えられても、応用度が低くなります。学ぶ側は、先生のコピーであってはならないのです。
さて、今回のコメント企画では、比較的人間関係に悩んでいる方が多くいらっしゃったように感じました。
そこで、小アルカナの基本である4組をベースにした、人間関係についての処理とか扱い方について、簡単に記したいと思います。
小アルカナの4組とは、すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)と呼ばれるスート(組)のことで、それはもとは四大元素という、世界を構成していると考えられる要素として見る西洋の古代概念です。
この4組の応用範囲はなかなかすばらしく、古代思想とはいえ、さすがによく練られている象徴概念だと、タロットを使っていると感じます。
それで、人間関係の問題と解決にも、この4組で、とらえたり分類したりすることが可能です。
詳しく説明すると長くなるので、ここでは簡単なことだけ言いますね。
●剣 考え方を変える 関係を断ち切る 離れる 環境を変える ルールを作る
●杯 思い方(感情・トラウマなど)を変える、浄化する、 人間味のつきあいをする
●杖 使命や目的の見地からつきあう、行動を変える、相手に仕事(役割)を与える
●玉 仕事やお金のためと割り切る 自分を守る 金銭や利害を調整する
人間関係の問題は、主に、自分でどうにかできる部分と、他人や外部からの助力を必要とする場合、もうひとつの分け方は、自分の思考や感情の中での問題と、明らかに客観的に見ても相手にも問題や否があるというケースがあります。
これらも4組で分類が可能であり、錬金術(現代的なお金を生み出す意味ではなく、古代中世の四大元素の性質を見る意味)的な応用から、4組の組み合わせ(相性や反発性)を検討することもできます。
まあ、自分がその人と付き合わないように移動したり、引っ越ししたり、関係を断ち切れたりすればよいのですが、職場が同じだとか、友人として関係を続けたい(修復したい)、事情があって割り切れない・・・などがある場合は、結局、相手自身をなかなか変えることはできませんから、自分の思考や感情を変えるか、行動・環境を何らかの形で変えるかでないと難しい場合があります。
まあ、しかし、タモリさんではありませんが(笑)、友達なんかいなくても生きていけるわけで、いい意味で自分中心、エゴイスティックになったほうが、結果的には相手も自分も楽になることが多い気がします。
誰しもがペルソナ、社会的、場面的役割をもって、自覚・無自覚において、いわば演じているわけで、夫婦関係や恋人関係ですら、お互いがそういう役割になっているわけです。
つまりは、真の自分など、どこにも現実的生活の中にはいないわけで、そうであるならば、助け合える人、比較的わかりあえ人は、それはそれでそういう役割同士の関係だと見て楽しくつきあえばいいですし、逆に嫌なやつ、面倒な人、攻撃してくるような人は、これまた、そういう役割の人と割り切って(自分が嫌ったり、避けたりして)考えることもできます。(真の人間同士としてのつきあいではないから)
ですから、相手との関係における「自分自身の役割」も、その人と関係してしまう役から、ほとんど関係しない役にするとかで、自分の心の中では決められるわけです。
そんなことでは問題は解決しないかもしれませんが、相手を憎んだり、自分を卑下したりせず、心の中でお互いの役を変えて、相手を飛ばしてしまうイメージでも持ち続けていれば、現実の関係性が変化することもあり得ます。
要は、相手を意識し過ぎると、それだけ強く自分の中で存在と役割が刻印されていくので、ますますその悪い関係性が固定されるという悪循環に陥ります。
自分に向かってくる意識ではなく、自分から離れてしまう意識やイメージ(願望や祈りにしてしまうと、また意識が強まるので、ゲーム的な方法がよいかと思います)を持つほうが、実際的にはいいのだ考えられるわけです。
うつ病になった私が言うのもあれですが、たとえ人に嫌われても、最終的には自分を守り、自分を大切にしたほうがよいと思います。
自分が壊れてしまえば、その回復に多大な時間を要しますし、もしいじめている相手からすれば、それこそ思うつぼと言いますか、悪い相手を守ったところで、あなたには何の恩恵もないのが普通です。
自分さえつぶれていなければ、人間関係など、別の人とまた新たに結ぶこともできますし、あなたと相性のいい人とか、理解してもらえる人とかと出会う可能性もあります。
魂は永遠ですが、今の人格、人間としては有限の時間の中に生きています。
限られた時間は貴重であり、できれば幸せに、あるいは自分が楽に、思うように生きたいものですよね。その決断を、ただあなたがすればよいのです。※不幸や困難をあえて選択する生き方もありますし、それは自由ですが。(苦笑)
マルセイユタロット 主観・客観
タロットは、主観性のツールと言えます。
タロットカードという絵柄の象徴を見ている者が何かを想起させたり、判断したりするわけで、結局、そのカードを見ている人の思考や感情、モノの見方のパターンは必ず入ります。
言ってみれば、カード(タロット)を読む人の脳によるのです。
個人の脳は、構造は皆同じでも、一人一人データ・働き方は違うので、タロットを読むことは、その人個人の脳に基づくと考えられるわけですから、当然、主観となる仕組みです。
しかしながら、タロットはまったく逆の、客観性に導くところもあります。
それは、タロットが極めて優れた象徴システム(シンボリズム)を持っているからです。ただし、タロットのすべてが、よい象徴システムになっているとは言い難いです。
時に、客観性というテーマで見た場合、作者が特定され、その思い・主張が入り込み過ぎているもの、独特なものは主観性が強くなります。
その作者の頭の中ではバランスが取れていても、ほかの多くの人が見ても同じに理解できるかどうかはわかりません。
その点、マルセイユタロットはとても客観性があると言えます。
それは、マルセイユタロットはひとつの版の作者の名前は伝わってはいても、その元型としての絵柄の根本デザインは、誰がどのように作ったのかはわかっていないからです。
要するに、特定の作者の個人的な考え・思いでは作られていない可能性が高いということです。
しかも絵柄自体は、絵画としてのでデザイン性、芸術感は少なく、おしゃれでもありませんし、おどおどろしくもないです。言わば、インパクトには欠ける絵柄です。
このことは、実は客観性にはよいことで、強烈な印象がない代わりに、多くの人に違和感を持たせない普遍的なスタイルがあると言えるからです。
確かに絵柄自体は、中世から近世にかけてのヨーロッパの人物・雰囲気を描いていますが、現代の日本人から見ても、さほどおかしな印象は受けず、意味がわかってくると、スーと心にも入ってくると言いますか、受け入れやすい絵柄となっています。
もちろん個人差はあるので、絵柄に癖を感じる人もいて、嫌いだという方もおられるでしょうが、ほかのタロットに比べると、特徴はあまりないと感じることが多いと思います。
ということで、基本、主観性のものであるタロットですが、こと、マルセイユタロットを選択する場合、多くのタロットに比べて、すでに客観性の点では秀でているということが言えるかもしれません。
ここで、改めてになりますが、客観性を持つことは、何がいいのかということについて、タロット的に簡単に記します。
1.自己に対して、冷静さやバランスが保ちやすい
2.リーディングにおける相談者の立場が確保しやすい
3.大局的・本質的・統合的観点に導かれやすい
ほかにもたくさんありますが、重要なところではこんな感じでしょうか。
主観に入り込み過ぎると、いわゆる自分勝手、自分の思い込みの世界に囚われやすくなるのは誰でもわかるかと思います。
自己の問題は自分では気づきにくいところがありますし、文字通り、客観という他人視線があれば、自分の盲点にも簡単に指摘可能となります。
ビジネスや商売の世界でも、お客様視点は基本であり、売る側が「これは売れるはず」と確信していても、さっぱりだったということもあれば、逆に「えー、こんなのが売れるの?」と、思ってもみなかったヒットもあります。それは買う側でないとわからないこともあるからです。
私は今でも経験しますが、クライアントさんから問いをお聞きした時、「これはこういうことかな?」と原因や解決策を予想していても、タロットを実際展開してみると、自分の思いとは違っていたということがあります。
マルセイユタロットと、タロットそのものが表す、人の共通・普遍パターンがあるので、タロットを出すことによって、タロットリーダーといえども、その思い込みはありますが、そこから脱する働きがあるわけです。
客観性があると、まさに自分本位から逃れ、相手側との調整、バランスが働き、調和へも近づきやすくなります。
そして、他者に対してタロットリーディングする場合、クライアントは自分ではないので、すでにそれ(他者リーディング)自体が客観性を持つのですが(だからこそ、人の相談ができるとも言えます)、それでも、タロットは基本、主観であるとお話したように、どうしても、タロットリーダーの主観性の影響も受けます。
そこに、タロットが間に入ってくると、タロットによって、タロットリーダー側の最初の思い込みとか、途中での感情的な揺れ動きなども修正され、客観的視点が出てきます。
さらに、客観性は主観性と対立することがありますが、たからこそ、主観と客観の相克の中で、それらを超えた超客観性とでもいうべき視点や立ち位置が出てくる可能性があります。
これは「次元上昇」と言い換えてもよい状態です。
他人も含めて、従来の世界観・常識が超越し、新しい次元の世界に、これまでの主観と客観が統合され、導かれるのです。
物語風にいえば(笑)、同じ人間レベルで、たとえ他人を交えて話をしていても、結局、同じレベルでの方法しか思いつかないけれども、天使や神、はたまた地球文明を超えた宇宙人レベルのような存在だと、超越したレベルの発想が出ますよ、という話です。
マルセイユタロットは、すでにあるだけで、客観性が確保できるところがありますから、持っていて損はないかと思います。
ただし、その客観性の精度を上げていくためには、象徴・シンボルの知識を学ぶ必要があります。
学びや学習もまた、客観性を助けるものとなります。
感情・感覚的なものは主観から来ていることが多々ありますから、その感覚を客観性に置き換えていくためにも(これは「斎王」と「法皇」のカップル性でもあります)、学習・研鑽・知識が重要となります。
しかし、客観性に傾き過ぎると、機械的、パターン的な思考のループにはまりますので、やはり主観的な感性も必要です。
みんながいいと言っていても、あなたが嫌なら、それは実はあなた自身にとっては何か大きな意味や問題があるのです。ほかの人にはわからない、あなただからわかる、感じている何かがあるわけですから。
でも、時には、人の意見や視点のような客観性が、自分を救うこともあるわけです。
宇宙はいわば、神のような完全性のバランスにあると考えられますが、そのバランスが、いろいろなレベルにおいても働いており、高次元であればあるほど、そのバランス・公平性はわかりづらく、低次であるほど、わかりやすいと言えます。
しかし低次のバランスは、高次のバランスから見れば、局所的・一時的には整ってはいても、実はアンバランスであることがほとんどではないかと考えられます。
つまりは、低次になるほど、高次的な意味てのバランス・調和性は無視され、悪い意味の主観中心、自分だけがよいという意識に囚われていくのだと想像されます。それは言い換えれば、非常に狭い範囲でのバランスを保とうとする働きです。
狭過ぎるがゆえに、主観・自我ばかりの世界での考え・感覚に陥るということです。短期的見方と言ってもよく、それは面白いもので、短気的(笑)でもあります。
とりあえずは、狭い世界においても、客観という意識を持てば、ひとつ分、世界が広がることになります。
だからこそ、私たちは「客観」という「視点」が求められるのです。
それでも主観を殺していいわけではありません。あくまで主観の修正、狭い主観性のモノの見方から解放を促すための客観であるべきで、客観があなたの主観に取って代わるわけではないのです。(つまり、他人の言いなりにならない)
とにかく、マルセイユタロットは、まず、「タロット」という主観性の道具でありながら客観性を促すという意味で、主観と客観のバランス・統合を見るには、とてもよいツールだと言えます。
再掲 タロットへの質問
何度か扱っているテーマですが、また「タロットへの質問」について書こうと思い立ちました。
ところが、自分のアメブロサイトに、二年前の同時期に書いた「タロットへの質問」に関する記事があがっていまして(笑)、偶然のような必然かと思い、再掲載しておくことにします。
この記事自体は、「占いからの脱却を観点にした“タロットへの質問”」についてですが、占いのことは抜きにしても、タロットへの質問そのものが、タロット活用(の種類)を変えていくことが述べてありますので、タロットリーディングする者にとっては、結構、重要な記事かと思います。
特に後半は、自分に対してタロット使う(自己リーディング)する場合の方法を、質問のやり方のほうからふれていますので、自己リーディングは難しいという人には、是非読んでいただきたいと思います。
ここで、また少し補足しておきます。
タロットへの質問は、タロットリーディングには必須なものと考えられていますが、実はそうでもありません。
特に、自分を洞察したり、客観視したりする自己リーディングにおいては、質問があるほうが読みにくい場合もあるほどです。
ですから、質問はあえてせず、タロットを展開してから(引いてから)質問を見つけるという、逆の方法もあるのだということをお伝えしておきます。
カードが出たあとで、それを見ながら、「自分は何を質問したかったのだろう?」と推測するわけです。
結局、絵柄から想起されることは、図像という「象徴」を通して、あなたの意識(顕在・潜在含む)にあったものを言語化、表面化させたものと言えます。(そうとも限らないことも、本当はあるのですが、ここではそれはひとまず置いておきます)
ならば、質問はなくても、それはあなたの関心や注目として浮上してきたものなので、いわば「答え」みたいなものと見ることができ、そこから逆算すれば、質問もわかってくることになります。
質問とは知りたいことでもありますから、まやかしではなく、本当の意味で、自分が求めていたものとなり、「ああ、私はこの質問がしたかったのだ」と気づくことにもなります。
この場合、変な話になりますが、真の質問の発見ために、タロットリーディングしていることになります。
タロットリーディングは、ある意味。答えを探すものというより、質問を見つけるための方法になることがあるのです。
タロット事始めに際して。
ちょっと公私ともにバタバタとしており、ブログに間が空いてしまいました。
体調不良ではありませんので、ご心配なくです。
あと、6月末に一度ブログを休止して7月に再開した際にも書きましたが、これまでは記事掲載ペースを二日に一度にしていましたが、今後は少しランダムになることと、内容的にもガッツリ記事(笑)ばかりでなく、ライトな比較的短い記事も掲載しようかと考えています。
連続して書くこともあるかもしれませんし、一週間くらい空くこともあるかもしれません。ですが、二日か三日に一度のペースくらいに、基本はしたいと思っております。ということで、あらかじめご了解ください。
さて今日は、タロットを始めたいという方、あるいはすでに学習している人にも参考になる話をしたいと思います。
まず、何はともあれ、タロットを選ぶことがタロット事始めみたいなものと言えます。
自分がどのタロットを選択するのか、どのタロットを使いたい、学びたいのか、これを決めるのはすんなり行く人もいますし、かなり迷う人もいます。
ですが、私は思いますが、人とタロットには縁と相性のようなものがあり、結局、最終的には、自分にふさわしい、自分に合っているタロットに出会うことになると思います。(タロットに関心があり、学びたいと真剣に思えば)
たとえ最初に選択を間違ったとしても、途中で違和感が生じ、あまりそのタロットに興味が行かなくなり、別のタロットとか教室とかで学び直す可能性も高く、最後にはしっくりしたタロットと巡り合う(あるいは自分が納得するタロットの使い方に出会う)ことになるでしょう。
中にはカード好き、タロット全般好きというタイプの人もおりますので、複数のタロットを持つこと、扱うことが合っているという人もいて、いくつかのタロットを学習して、使いこなす場合もあります。
私のところに来る方でも、別のタロットをやっていたけれど、マルセイユタロットを学ぶことになったという人、その反対に、マルセイユタロットを学んだけれど、ほかのタロットや教室に学ぶ縁ができ、結局そちらが自分のタロット活動の中心になったという人もいますし、ほかのタロットを使っているけれど、マルセイユタロットも使いたいので習いに来たという人もいらっしゃいました。
まあしかしながら、全体的には、マルセイユタロットに縁がある人が集まってくるように思いますし、私の生徒さんは、マルセイユタロットオンリーという人のほうが多数派です。こういう点からしても、人とタロットの縁とか相性というのは感じるところです。
あと、同じタロット種であっても、
●厳密にどのタロットを使うのか
●何を目的をしてタロットを学び、使うのか
●実際にタロットを活用するフィールド、シーンは何か
●タロットリーディング・タロット占いの場合、どのスプレッド(展開法)をメインとするのか
などによって、かなり変わってきます。
同じタロットであっても、実は版とか、大きさなどに違いがあり、例えばマルセイユタロットであっても、「〇〇版」というように、作られた年代、工場(出版元含む)、作者などによって絵柄は異なっています。
一見、同じ絵柄に見えても、微妙なところで結構違っており、そのため、一枚全体の大まかな解釈では同じところはあっても、細かいところでは差が出るため(採用する読み方によっては、小さなことでも、解釈の決定的な違いになる場合もあります)、実はタロットの読み方、見方、とらえ方、示唆の受け方なども変わってくることがあるのです。
さらに深く言えば、霊的にも違いが出る可能性さえあります。
これに、自分がメインとして使う展開法(スプレッド)も、教わる教室や先生、本によって異なってくることがありますから、自分の採用するそれによって、また大きく差が出ます。
カードだけでも違いがあるのに、展開法も異なるとすれば、やはり、同じ種類のカードを使ってはいても、人それぞれで、表現・個性はまるで違うことになる場合もありうるのです。
そして、自分はタロットを占いで使いたいという人と(そもそもタロットは占い道具でしかないと信じているような人もいます)、自己実現やセラピー、その他違う目的に使いたいという人とでは、学習内容や活動場所、シーンも違ってくるのは当然です。
気をつけないと、自分がタロットを使ってやりたいことと、教わる内容がかなり乖離していて、たくさんお金を払ったのに、目的とは違うものを学ぶことになったという不満が残ることもあります。
よって、独学ではなく、先生や学校のようなところからタロットを学ぶ場合、その先生や学校が何を目的として(教えて)いるのかを見極めたうえで、学ぶ選択をしたほうがよいです。
よくわからない場合は、その先生自身、または学校の出身者の活動内容、活動している場所を見るとよいです。
占い師として活躍している(人が多い)のならば、それは占いの学校、占いの先生と判断するのが普通ですし、セラピストとして活動されているのなら、セラピー的な内容を教えることが多くなるでしょう。
有名だからとか、すごい活動しているとか、よくネットや広告で目にするとか、そういうもので選んでしまうこともあるかもしれませんが、やはりタロットと同様、先生や学校も相性がありますから、ばっと見だけのことで選ぶと、あとで後悔することになります。
有名な先生は当然多忙ですから、一人一人について面倒が細かく見られないこともありますし(講義はたいてい、多人数同時となるでしょう)、先生自身、最初から特別に能力を持っていて、普通の人の感覚がわからない、ズレているということもあります。
しかし、有名になる人は力とカリスマ性もあり、一方、陰では大変な努力をされている人も多いですので、その感化を受けて、自分も飛躍的に変わることができる場合もあります。
一方、そんなに名は知られていなくても、まるでカードの「隠者」のような人や、教え上手の人、親身にマンツーマンで教えてくれる人など、よい先生もいらっしゃいますので、これもまた縁かもしれません。
無名ながらもよい先生は、広告とか宣伝をあえてしないとか、それ自体が苦手という傾向の人がありますから、見つけること自体がすでに修行、縁を見つける旅になることもあります。(笑)
ですが、きっと、あなたが志を持てば、その志に応えてくれ、まさに「志」を持った先生、教育機関に出会える可能性は高いです。マルセイユタロットで言えば、「恋人」カードの天使の矢が当たるようなものです。
この天使は「志」以外に、まるで逆のようなことともいえる、ふとした瞬間や、関心をちょっともった程度のことでも現れることがあります。
いつもは見ない情報をなんとなく見てしまった、ついついネットサーフィンしていて見つけてしまった、友達に誘われて参加してみた、久しぶりにあるサイトを見た・・・こんなようなことで、タロットとの出会いが生じることがあります。
タロットを習いたいと最初から「タロット」に関心があって出会う場合と、タロットはほとんど知らず、無関心ではあったものの、自分が悩んでいること、知りたいこと、興味のあることに対して(答えとか手がかりを)探していたら、偶然タロットに出会ったというパターンがあります。
私自身も実は後者なのです。
ですから、やはり、タロットに出会う人には、出会う「運命の輪」があり、それが回る時、「恋人」の天使から放れたれた矢が当たるようなことがあるのだと思います。
今、この記事をたまたま目にした人は、もう、そういうことになっているのかもしれませんね。(笑)
あと、最後に、いくら縁が生じても、自分が決断し、動かないと、現実世界では何も始まりませんから、最終的に選び、活動するのは自分自身であることは覚えておかれるとよいと思います。
タロットに限らず、結果がどうあれ、自分が興味や関心を抱いたものを、やるかやらないかは、結構、この現実世界の中では、大きな意味を持つように思います。
