タロットの使い方

タロットカードの人物像

タロットは、人物が描かれていることの多いカードです。もちろん人物以外の絵柄もあります。

特にマルセイユタロットの場合は、小アルカナと呼ばれるパートの、数カード(数札・スート)の絵柄は、記号模様みたいになっていて、人物などまったくイメージできません。ただし、逆に、小アルカナでも、宮廷カード(コートカード)のほうは、人物ばかりの絵柄になっています。

そして、大アルカナのパートでは、ほとんどが人物と言ってもいいくらいの絵です。

しかし、その大アルカナの中でも、人物とは見えないカードがあります。まるでマシーン物体のように見えるのです。

マルセイユタロットでの大アルカナにおいて、具体的に、そのようなカードはどれかを指摘しますと、10「運命の輪」、16「神の家」、18「」というところでしょうか。

まあ、このうち、「」のカードは、文字通り、天体の月(本当は私たちの知る物理的な天体の月とはいえないところもあるのですが)がメインであり、ほかに犬やザリガニのようなものがいて、動物も目立つということでは、物体的ではありません。

それ以外の二枚、「運命の輪」と「神の家」は、どちらにも動物のようなものや、人間に見えるものが描かれているので生物感はありますが、物体・マシーンのほうが目立ちます。

ここから、この二枚には、生き物的なものよりも、機械的な何かが象徴されていると考えることもできるのですが、今日のテーマはそれではありません。

むしろ逆で、人物(像)の話になります。

宮廷カードも人物なのですが、今回は大アルカナに絞ります。

大アルカナには、先述したように、人物に見えないカードもあるものの、ほとんどが人物(像)に見えます。(人間とは限らないものでも、一応、人物的な存在とします)

心理的には、これらのカードに描かれる人物は、一種のパータン(型)であり、人類に共通する人間像とも言えます。世界中の物語に現れたり、実際の人々を典型的な性格や特徴などに強調したりした人物でもあります。

従って、大アルカナを人物として把握していくと、世の中の人間のパターンがわかってきます。同時に、ここが重要ですが、これらの類型パータンは、実は、一人の人間の中にも存在するキャラクター、性格、パーソナリティ、特質とも想定することができるのです。

これも心理的(あるいはスピリチュアル的)な話になりますが、面白いことに、入れ子構想やホロン構造のように、一人の中にいる複数のキャラクターたちが、外の世界にも同じようなパータンの人たちとして存在し、内と外とが同じ構造、もしくは投影しあっていると見ることができます。

例えばカードの「隠者」は、あなたの中のアドバイザーとか智慧者、孤高を望む人物像かもしれませんが、外の実際の世界においては、あなたのメンターや先生として現れているかもしれないのです。

逆を言えば、その人に自分の智慧ある存在のような人物を投影している、当てはめているとも言えますし、そのまた反対に、外の実際の人物によって、あなたの中のそれに似た存在・キャラクターが息づき始める、見出されるということになるのです。

ほかのカードの例でも考えてみましょう。

節制」は天使の姿が描かれていることで、救済者であり、セラピストのような人でもあります。

もし、あなたがセラピー受けて、そのセラピストの技術や人物に感銘し、自分もこの人のようなセラピストになりたいと思ったとすれば、その人によって、あなた中にいた同じような人物(性格)が発動したと言えるのです。

つまり、あなたの中の「節制」が見出されたのです。

もしかすると、あなたが受けたセラピストの人は、もともとあなたの中にいた「節制」の天使であり、あなたがそれに目覚めるために、待っていた外側の「節制」の天使とも言い換えることができます。

この場合、例えば、「節制」は14の数を持ち、その前の数のタロットは「名前のない13」です。この「13」と「節制」は、マルセイユタロット的には、セットやペアを形成し、救いと、その前の困難、試練と救済を示唆します。

ということは、あなたがもしセラピーを受けなくてはならない何か悩みや問題を抱えていたとすれば、それは「13」の状態であると言え、そのためにセラピスト(14「節制」)に治療を受けに行ったわけですが、この仕組みには、先述したように、自分の中のキャラクター・人物と、外の実際のキャラクター・人物とがいて、外の人物が中の人物の覚醒に関わっていたとすると、あなたの悩みや問題は、そのために実は起こっていたと考えることもできるわけです。

見た目は問題とその治療ですが、背景には、内と外の共鳴による、内なる人物の覚醒があるわけです。(セラピスト側には、「13」のほうの覚醒が促されることもあります)

カードの人物像とその性格を知っておけば、こうした仕組みにも気づくことかあります。

また、タロットリーディングにおきましても、展開の中の重要なカードと思えるものに、まさしく、その人物像が強調されることがあります。

もし問題の解決とか癒し、変革に関わるのならば、その重要なカードの人物像は、あなたが目指したり、行動したり、その性格になったりすべき人物(キャラクター)と言えます。

あなたは自分の性格はこうだとか、こういうタイプだと思っているものがあるでしょう。それは誰しも大人であれば、今までの経験から、何となく自分を想定しているところはあるものです。

しかし、タロット的には、あなたの性格はそれだけではないのです。少なくとも、大アルカナの数、22の性格(キャラ)があるとも考えられます。一応、ノーマルモードのあなたとして現れるのが、自分がそうだと思い込んでいる、あるいは、成育的・経験的に培われた性格です。

あなたが問題状態にある時は、ノーマルモードだけでは対処できないことがあるのです。また、今までのバージョンのあなたでは追いつけない、無理がある、古くなっているということもあります。

従って、そうした時は、別モードのあなたが必要となるのです。それを示すのが、問題に際して現れる(アドバイスとして引く)カードの人物と言えます。

宮廷カードの場合は、それがもっと現実的(外の世界の人物)であることが多いのですが、大アルカナの場合は、外の人であることもあれば、自分自身の内的な別の性格を意味することもあります。

そのカードになり切った時、あなたに現れるイメージは何か、この人物ならばどう考え、どう行動するのか、それを想像することです、

いや、実は、想像するというより、会話するというほうが近いかもしれません。タロットのそのカードの人物と話をしてみるのです。擬人化する感じで、タロットの人物とコミュニケーションすれば、きっとあなたにアドバイスが届くでしょう。

サイキックなタロットリーダーやタロット占い師の場合、実際にカードを読むというより、カードの人物(精霊となります)と話をしたり、カードの人物同士がまるで生きているかのように会議している内容を聞いて、クライアントに伝える人もいます。

世界はモノで満ち溢れていますが、すべて生命を持つと考えれば、カードだけではなく、あらゆるものと会話が可能になるかもしれません。

一番最初の話で、大アルカナの中で、マシーンや物体のようなカードがあると述べたのには、これと関係するところがあります。

ともあれ、カードの描かれてい人物像、キャラクターをあなた自身の中に発見してみてください。

それには、やはりタロットカードを知る必要はあるでしょうが、直感の優れている人は、カードの絵柄を見ただけで、人物を推し量ることができます。それもまた、(マルセイユ)タロットのよいところです。


タロットを活かす、過去と未来の方向性

タロットに興味を持つ方で、タロットと自分に対するスタンスといいますか、関係性においては、人それぞれと言えます。

大きく分けて、その関心の中心として

●占い

●魔術(魔法関係)

●心理

●自己啓発

●スピリチュアル

●歴史

●遊戯ゲーム・カード

などがあると思います。

一般的に多くは占いのツールとして扱うというもの、最近ではライトなスピリチュアル的関心からのもの、自己探求・心理関係的な象徴道具としての扱いが増えて来たように思います。

占いにタロットが使われるようになったのは、古いようで、実は新しいという説がありますが、これも諸説あります。

そして、意外に(一般的に)知られていないのは、魔術(開発)道具としてのタロットで、今、世間で多く普及している通称ライダー版、ウェイト版のタロットなどは、実はこれの代表みたいなものです。

ですから、どうしても、タロットというものを見ていくと、西洋魔法との関連は避けて通れないところがあります。(「魔法」というと奇妙奇天烈、不可思議なイメージがありますが、「近代魔術」で調べていただくと、一般に想像する、おとぎ話とかに出てくるようなものではないことがわかるでしょう)

しかし、これは私見ですが、西洋魔法とタロットとの関係は、西洋魔法においてタロットは、あくまで魔法のためのいちツールであり、タロットが魔法に必ず必要かと言われるとそうではないと思います。

個人的には、魔術的(系)タロットとは別物として、タロットを扱っています。

といっても、タロットの精霊とのコンタクトとか、タロット瞑想の技術などは、ほとんどが西洋魔法のものがベースになっていると言え、見えない世界とタロットということを結び付けていくと、西洋魔法的な技術を知らず知らず使っていることもあるのだと思います。

タロットを魔法的な感覚(その世界観と技術)で使うとなると、本当は魔法団体に入り、師匠や兄(姉)弟子のもとで修業していく必要はあるでしょう。占い師の中でも、あるいは、そのクライアントやタロットを習いたいと思っている人にも、タロット扱いの理想として、この魔法的なタロットの力を想像している人が少なくないと思います。

ただ、それは先述したように、きちんと(団体や師匠のもとで)習得していく魔法技術の段階があり、素人的な見様見真似では、危険なところもあり、やはりいい加減にはできない、特別な世界と言えます。

自分の目指すタロットの道が、どんなものなのかは、最初はわからないにしても、少しずつ理解し、ライトに楽しむか、覚悟を決めて取り組むのかのところは、やがて直面する時が来ると思います。

一方で、アカデミズムと言いますか、見えない世界ではなく、見える世界でのタロットへの関心が強い人もいます。先に挙げた、カードの歴史とか、カードの芸術性などに興味のある人たちです。

こういう人は、カードそのものが好きということで、タロット占いやタロットリーディング、タロットを通した精神的霊的世界に参入するというようなことにはあまり関心がなく、カードの成り立ち、変遷、絵柄、種類、図像の解明などに楽しみを覚えます。これはこれで、タロットとの関わり方のひとつで、面白いものだと思います。

タロットとの関わり、興味は人によってそれぞれであり、このようにたくさんあるのですが、逆に言えば、タロットというものが、それだけ多様に扱える普遍的な象徴性・ツール性を持つ存在と言えます。なかなか、これだけいろいろな意味で関心を持たせるものもないでしょう。

さて、タロットを、特に、精神的・霊的な探求、向上の意味で、自他ともに使っていくものとするのなら、見える世界と見えない世界の統合も意味していくことになり、だからこそ、ふたつの方向を常に診ていくことが求められるように思います。

実は、この「ふたつ」というのには、様々な意味があります。見える世界と見えない世界のことだけでもないのです。

タロットを使うということは、タロットをよく知らねばならず、そのための「ふたつの方向」で言えば、タロットの成り立ちや込められた思想の背景、象徴の意味など、いわば学術的、歴史的内容含めた蓄積された内容を学ぶ必要があります。

ただ、この場合は、カードコレクターとか、カードそのものの歴史を解明していくような興味の人とは違うので、詳しすぎる必要はないと思います。あくまで思想や哲学、背景の流れというもの、重要なものを押さえるということです。

西洋で作られた(完成された)タロットであるのなら、やはり中心は西洋の歴史、思想背景(秘められたもの、あまり知られていないものの、タロットと関係していると考えられる事柄が特に重要)となります。

しかし、結局、それを辿っていくと、西洋だけに収まらず、図像にある象徴の源流ともいえる古代エジプト・メソポタミア、今でいう中東古代のインド、中国などの思想・宗教・世界を、ある程度知っておくこと、さらに深いものとなってきます。

いわば、これらは過去方向の知識とか蓄積を知るということです。これを知っているのと、知らないのとでは、カードの力の発露に違いが出ます。

例えば、人間でも、いろいろと苦労したり、経験を積み重ねて来た人には深さや味わいがあり、問題を解決したり、癒したりする力も強くなります。逆にペラペラな薄い人では、それこそチャラい感じで、相談に乗ってほしくはないですよね。(笑)

タロットも、何も知らない段階では、ただの紙切れであり、カードに罪はないにしても、その段階では薄ペラなものでしかないのです。これにさきほど述べた象徴や背景などの深い知識が加わってくると、カードに封じ込められていた数千年(マルセイユタロットの場合)の象徴・歴史の流れにあったものにスイッチが入り、カードはがぜん厚みを持ちます。

タロットを勉強しなくてはならない理由のひとつは、ここにあるのです。

そして、もうひとつの方向性は創造していく未来方向です。

タロットの過去方向での歴史、蓄積、思想背景、象徴性の意味などを知ることも重要ですが、今度は、それを現代(今)と未来に向けて、どう活かすのか、未来をどう創造していくのかを、タロットを通して考え、実践していくことも大事です。

でないと、昔はすごかった・・・だけの過去礼賛に終始し、過去と今をループするだけの、歴史探訪、ただの知的好奇心を満たすだけのものになりがちです。

今は、ある意味、ツールとしては何でもそろっていて、もはやAIでさえ機能しようというこの時代に、なぜタロットを使うのかという意味を見出せないと、視線は過去方向だけにとどまってしまいます。

温故知新という言葉があるように、失われた何か重要なものが、タロットには描かれていると見て、それをもとに、忘却されたものを再発見し、それを今や未来に向けて、わかりやすくふさわしい形で再構成(再生、リニューアル)することが求められているように思います。

まさに、カードで言えば「審判」です。

キーワード的に言えば、その重要なものとは、「霊性」ということになるのですが、その霊性の復活がなぜ必要で、そのつながりをタロットでどう蘇らせるのかということでもあります。

例えば、マルセイユタロットは、「グノーシス」と呼ばれる古代思想と密接に関係すると考えられますが、そのグノーシスにしても、昔のものをそのまま現代に説いても、あまり意味は持ちません。(ただ、先述したように、過去方向の蓄積として知る必要はあります)

しかし、象徴的な意味では、昔も今も変わっていないところがあり、古い時代のグノーシス思想を知ったうえで、そこから抽出される、ある種のイデアとか型が、現代に活かせるものになる、そのヒントになるのだと考えるようなことです。

従って、あまり具体的過ぎても本質を見失うので(時代ごとに形、やり方は違うので、それに囚われていると本質が見えなくなるという意味)、象徴としての抽象的表現でもって、核のようなものを見ていく必要があります。ここにタロットが活かせる理由が見つかるのです。

一人ひとりの具体的、個人的願望や幸せは、タロット占いなどでサポートは可能かもしれませんが、そのレベルとは別のもので、特に未来に向かっては考えていく必要があり、言わば、私たちの霊性を回復していくうえで、個別でいながら、全体的な視点が必要となります。

こういうところに、タロット(マルセイユタロット)が使えるのだと思います。

タロットは古い道具で、紙に印刷されたカード(昔は型紙で刷っていた)というアナログ的な、もはや時代遅れの代物のように見えますが、実のところ、描かれているものは、未来的でもあると私は考えています。


タロット学習を多角的にする

タロットの学習では、タロットそのものを学んでいく道と、タロットに関連する知識を入れることで、タロットがよりわかりやすくなるという学び方があります。

あくまで、“タロット占い”の実践技術向上という意味で限定すれば、知識よりも実践(実経験)に重きを置かれることもあるでしょうが、タロットを自己探求や成長のために使うことになれば、体験も大事ではありますが、その体験自体を整理・理解する知識も重要となってきます。

体験(経験や実践)と(頭の)知識は対立概念のように思われていますが、ともに成長のためには必要なのものです。

このことは、もはや言われなくても、誰にもわかることでしょう。

ただ、知識よって体験(の意味)が深まることは、あまり知られていません。と言いますか、自覚(一般に認知)されていないと言う方が正しいでしょうか。

なぜ体験・経験によって自分が成長できるのかは、その体験そのものが次に活かされるからで、そこには情報としての蓄積があります。

しかし、自動的(無自覚に)に活用している場合だけだと、まさに経験値の上がり方が少なく、また深めていくことができません。

同じ経験をしても、ある人はかなりそれを活かしたり、ヒントにしたりして新しいものを創造しますが、ただ経験しているだけの人は、経験数が多くても成長が遅いということがあります。

情報が同じではあっても、その整理方法、取り出し方、言わば、使い方、活かし方に問題があるわけです。

ですから、経験や体験を本当の意味で活かすには、知識による考察、整理も重要で、それがあれば、ひとつの経験も重層的なものに変化します。

タロット学習においても同じところがあり、例えば、タロットリーディングをただ数こなしていくだけよりも、ひとつひとつリーディング内容を検証したり、ほかの学習者とともに議論してみたりすることで、リーディング経験が深まり、新たな発見と、次なる機会に大いに活かせることになります。

もちろん、逆もまた大切で、やたら考察ばかりしていて、実践数が少ないままだと、やはり本当の意味(特に三次元的、現実)では使えないことになります。

よく言われるように、地図上で目的地まで(イメージで)到着することと、実際のフィールドを歩いたり、乗り物に乗ったりして、たどり着くのとでは大きな違いがあります。

この例えは、「だから実際の経験が大事なのだ」ということで言われるものですが、皆さん、特にタロットを学びたい人、学んでいる途上の人は、逆側の意味も思うことです。

つまり、ある地点から目的地まで到着するには、地図というものと、それらを踏破する(成し遂げる)イメージ(想像力)があって初めて、現実にも行けるのだという、反対から見た考え方です。

マルセイユタロットでは、「女帝」と「皇帝」のペアでもって、まずはこのことを考えていくことができます。

さて、話を最初のものに戻しますが、タロット学習では、タロットに関連するほかの知識・分野を学ぶことで、かえってタロットが理解しやすくなる場合があることは述べました。

私のマルセイユタロット基礎講座でも、西洋占星術、カバラー、数秘、タロットに関連する西洋・古代文明の歴史・思想などを、時間と項目を取って教えています。

それぞれはそれ単体でも、実は膨大なる内容を持ち、本当は単独の講座にしてもよいくらいなのですが、それでも、やはり、マルセイユタロットを深く理解するには、こういった知識が不可欠なので、広く浅くにはなりますが(一部の関連知識は基礎講座と言えど、深くなります)、最初の講座から範疇に入れているのです。(知識よりも、タロットのエンタ性、リーディングツールとしての活用が中心の場合は、関連知識は省いたタロット中心の講座もありますが)

そして、講座で学ぶこと以外でも、タロットの理解の一助になることは、分野的にも多岐にわたります。

一度タロットの基本を学んだあとに、ほかのことを学び、理解しようとする機会を色々と持つと思いますが、それらもタロットを通して整理していると、学習ベクトルが双方向になり、いつの間にか、タロットへの理解も深まっていることに気づくのです。

これは、自分ひとりの学習において顕著なことですが、双方向という意味では、他人(他視認の視点)を入れることで、さらに多角的な学習作用と効果を生み出します。

簡単な図で示しますと、

 

1 自分 → タロット

 

2 自分 → タロット ← 自分が学ぶほかの分野の学習・知識

 

 

   他人のタロット知識・経験

         ↓

3 自分 → タロット ← 自分か学ぶほかの分野の学習・知識

 

 

    他人のタロット知識・経験

         ↓

4 自分 → タロット ←  自分か学ぶほかの分野の学習・知識

         ↑

    他人のタロット以外の学習・知識

 

3と4段階では、自分にとっての他人は、その他人からすれば自分ということになりますから、ほかの人(この図での他人)にとって、あなた(自分)は、新たな視点をもたらしてくれる刺激的、創造的(あるいは破壊的)な人の役割になります。

だから、同じタロットを学ぶ仲間とか、グループとか、意見交換できる場があったほうがよいのです。

ちなみに、上で「創造」だけではなく、「破壊」と書いたように、他人の知識や経験は、自分の積み上げてきたものを破壊する作用もあります。

その時は不快な思いをしたり、トラブったりして、人間関係的にはあまりいい気持ちがしないかもしれませんが、タロットの学びという意味では、破壊すらも進化、成長と言え、創造は常に破壊とセット(表裏)であることを知っておく必要があります。

タロットのみに向き合うだけではなく、ほかの分野の知識を得たり、ほかの人と交流したり、人間として様々な体験をしたりすることで、タロットを理解することがもっと高まります。

ただし、考えてみればわかることですが、何のためにタロットを学習し、理解しようとしているかが重要です。

結局、自分(自己の成長)のためということになるでしょう。

タロットはあくまでツールです。

タロットを理解しようとするその過程そのものが、自分を知ることにつながり、さらに言えば、宇宙、大いなるものにふれていくことになっていくのです。

タロット研究家を名乗って、それを使命のように思う人は別ですが、タロットを学び扱う人の目的は、普通は、タロットを解明することが目的ではなく、先述したように、自己や他の人の成長、問題・悩みからの解放・援助の手助けをすることにあると思います。

そこを押さえておかないと、本末転倒になり、タロットに自分が使われるような状態になってしまいます。

このことは、タロットだけには限りませんので、当たり前のような話ではあるのですが、学ぶもの、身に着けようとするもの(あるいは伝え、教える人)に使われ、支配される状態となることの注意は、極めて重要なことです。

皆さんのタロット学習の参考になれば幸いです。


タロットの浄化と視点

タロットカードについて、私は講義でも述べていますが、物理的な視点と精神的・霊的視点がいるものと思っています。

簡単に言えば、見える部分と見えない部分からの、両方で考えるということです。

まあ、これはタロットに限らずのことでもあるのですが、逆に言いますと、タロットを扱うことで、その両方の視点が養えるということでもあります。

普段、私たちは、見えるほうの考え方がどうしても優先的になり、何か問題が起きたり、普通の思考では解き明かせないことがあったりすると、精神や心、霊の世界に関心が及ぶような仕組みにもなっています。

このあたりは、マルセイユタロットでいえば、「恋人」カードに象徴されるかもしれません。

さて、タロットカードも、このふたつで見ると、ただの紙でできたカード(遊戯カードのトランプだったら、プラスチックのような材質のもありますから、もしかすと、タロットも紙以外の素材のもあるかもしれませんが)ということと、カードの絵柄の象徴性、意味によって、私たちの精神・霊を探求したり、感応したりするものになっているという側面があります。

ところで、タロットに関心がある人は、タロットカードの浄化について聞いたことがあると思いますし、それを実践されている人もいらっしゃるでしょう。

このタロットの浄化についても、物理的な観点とそれ以外の観点がいるものと思います。

物理的なものというのは、紙としての「物質カード」として考えることですから、浄化に関しても、見たままの汚れを取ることを意味します。これは誰でもわかるはずですよね。

しかし、意外に、皆さん、タロットを、普通の、紙でできた物質としてのカードというようには見ないのです。タロットといえば神秘的なもの、占いに使う何か怖いカードというように、最初から物理的な見方を超えてしまっているのです。

柳を見て幽霊だと錯覚してしまうかのように、タロットに何か特別なものを見ようとするあまり、特にタロットに関心のある人は、最初からモノとしてのカードでなくなっていることが多いわけです。

ですが、普通に物質のカードだとして見ると、モノに汚れがついたり、劣化したりするように、それが当たり前にわかってきます。ということは、まず、この目に見える汚れを掃除しなければならないのです。

タロットは、シャッフルという行為をしますので、手でさわり混ぜ、それを何度も繰り返すことで、当然手垢などがついてきます。

もし、タロットを他人にシャッフルさせたり、引いてもらったりする技法を使っている場合、さらに汚れも加速します。(このため、他人の場合はともかくとして、自分が引く時は自分の行為を自分でコントロールできますから、手を洗うほうがよいです)

こうした、いわば、目に見える物理的な汚れを取り除くのが第一です。

次に、目に見えない汚れもあると仮定します。この見えない汚れとは何なのか、定義することは、まさに見えないだけに難しいです。

ただ、あえて言うのならば、思いのようなもの、念のようなものという感じでしょうか。

物質は見えるものですが、物質の中にある構造自体が霊のような、見えないものと同一であるとすると、物質の汚れも、見えないものの汚れも、実は同じようなところがあるとも考えられます。

ということは、タロットを使い続けるうちに、物質的にも、霊的にも、何か汚れのようのようなものが溜まって行き、その(目に見えない)霊的なものの中には、タロットをする人(クライアント、自分)の思いが、言わば「重い」になって、カードに乗るように感じるのものがあるとイメージできます。

この見えない汚れに対する浄化やリセットは、いろいろな方法が伝えられていますし、見えないエネルギーが感じられる人は、自分なりの方法があると思います。

その中のひとつとして、香のようなものを焚いて、特別な煙(香りも含む)を使うという方法があります。

古来より、香を焚いて、空間やモノ、人を浄化することは、よく行われてきていますし、教会や寺院など、宗教施設においては、ごく普通の行為と光景です。

なぜこうしたお香の煙が見えない分野の浄化に効果があるのか、霊的ゆえに今の科学的思考・論理では説明できないでしょうが、伝統的にも続けられている行為には、それなりに意味があることであり、実際に効果もあるからこそなのだと推測されます。

個人的には想像の域ですが、煙の浄化のメカニズムが何となくわかりますが、それはさて置きまして、ともかくも、そうしたことが見えない分野の浄化に功を奏するということです。

こうした香と煙での浄化に使われるものとしては、乾燥ハーブのセージが有名で、よく使われていますし、私も使用しています。

セージ以外でも使えるものもあると思いますし、タロットをする方の中には、見えないエネルギーなど、敏感に感じ取れる人が少なくありませんので、それぞれに工夫を凝らして、実践されている方も多いようです。

私の生徒さんの中にも、見えない部分に感応されたり、エネルギーを読み取ったりする方が何人かいらっしゃいます。

その中のお一人が、この度、タロットの浄化にも使える「浄化セット」を販売されるようになりましたので、それをご紹介しておきます。

ANDROMEDA

材料もフランキンセンスとミルラであり、キリスト生誕の贈り物にも関連する(乳香、没薬)、なかなかに高級素材です。(余談ですが、黄金もそろえると、あなたはキリストになれます。(笑))

それだけにセージなどを使う通常の浄化とは、レベルや次元の違うところがあるかもしれません。ただ、注意点としては、販売されている方もおっしゃているのですが、これらフランキンセンスやミルラの煙はやや粘性があるようですので、カードの浄化で使う場合は、じっくりといぶすより、さっとされたほうが、カードに粘性のものかづきにくく、よいかと思います。

焚き上げる時の小鍋も錬金術の鍋のミニチュア版みたいで面白く、かわいらしさもあります。炭もついていますので、浄化セットとしてすぐに使えると思います。

もちろん、普通に空間浄化としても効果が高いと思います。

ちなみに、サイトでは宝石・クリスタルなども販売されていますので、それに興味のある方、さらにはこの方(やまぐちこあめさん)自身がエネルギーヒーラーで、ちょっと普通とは違う、ある意味、宇宙的なヒーリングをされていらっしゃいますから、何か思うところがある人は、受けてみられてもよいかもしれません。遠隔で受けられますよ。(ペットのヒーリングもされています)

 

タロットの浄化、実はおろそかにはできません。中には、ボロボロになるまで、何の浄化も掃除もせず、ずっと同じタロットを使い続けている人がいますが、それは自分やクライアントの方に、汚れを伝染させているかもしれませんので、注意してください。

タロットカードも、やはり道具でもありますから、道具には手入れが大切なのです。


問題解決のアプローチ

「問題」、これが一体何なのか、定義しだすと様々な意見や考え方があって、人によってそれぞれと言えましょう。

そう、問題と言っても、まったく同じ状況が起こっても、ある人には問題とはならなかったり、軽い問題に思えたりしても、別の人には大変深刻な問題となることもあるでしょう。

そういう意味では、問題は「本人・自分」が困ったり、異常事態と認識したり、何か悩みごと、心配ごと、気になっていたりすることという意味になるかもしれません。

まあともかくも、今回は問題の意味を探るのではなく、問題の解決方法の迫り方、アプローチについてとりあげます。

タロットリーディングのひとつの作用・目的に、やはり問題の解決ということがあります。

従って、タロットの読み方も、当然当人(クライアント、相談者)への問題解決的な読み方になります。

私はもともと、カモワン流(カモワン版マルセイユタロットの創始者のうちの一人、フィリップ・カモワン氏のタロットメソッド)から学習した者ですので、そのリーディング方法として、問題カード・解決カードという展開技術があったことで、はじめのうちから、そうした問題と、それに対する解決、ソリューションを意識した見方をしていました。(ただ言っておきますと、こうした見方が、必ずしもよいわけではありません)

そのような、カード展開メソッドから問題と解決策を考えやすく(読みやすく)する技術もあるのですが、一方で、カードそのものとは別の、いわゆるアイデア(発想)や思考としての解決に迫るやり方があります。

タロットカードを見ても、その象徴する意味や絵柄から何かは浮かんできますが、それを問題の解決として、問題を解いていく(修正したり、よい方向にしていくための)アイデアとして思いつくようにするには、ちょっとしたコツがいるわけです。

言ってみれば抽象的なレベルの解決策を、もう少し具体的なものにまで落とし込む発想技術という感じです。

ところで、マルセイユタロットには、この世界や人を見る時、物質的・心理的・霊的な次元やレベルとして、階層を意識する考え方があります。

まあ、これはスピリチュアル的な視点や論理としては、ごく当たり前のことなのですが、通常は、常識や目に見える範囲、いわゆる科学的目線での解決策を、問題に対して見るのが普通の人の発想です。

病気で言えば、病院に行って、細菌やウィルス、肉体的損傷などの原因とその治療を(現代医学として)行うというようなものです。

ただ、皆さんの中にも経験があるかと思いますが、医学的検査をしても、特に異常や問題が見当たらないのに、自分としては痛みや不調を感じているという場合があります。要は医学的には原因不明で、よって治療もわからない、治療するに及ばず、みたいなことです。

この場合だと、たいてい精神的・心理的なことが原因ではないかと言われることがありますが、たとえそうであっても、なぜ精神的なことで、今の病状を呈しているのかという因果関係がわからないこともあります。それでも、深く見ていくと、それがわかる場合も出てきます。ただ、現代医学的には、その因果関係が解明できない、はっきり説明できないことも多いわけです。

ということで、一口に「問題」と言っても、その解決には、ただの物理的、肉体的、目に見える範囲からアプローチしても、よくならないこともあります。

ということは、私たちは、タロットやスピリチュアル的な見方で言えば、少なくとも、三つの階層によって、問題を見て、解決も図らねばならないと言えます。

三つというのは、先述した、物質・精神・霊です。言い方を換えれば、現実的・物理的観点、心理的・サイキック的観点、霊的・魂的観点です。

そして、これがすなわち、問題解決へのアプローチ(と発想)となるのです。

さすがに、昭和のバリバリな物質的観点中心のアプローチから、平成には、精神や心の理解、アプローチが増えて、もはや問題の原因や解決にも、心の分野があることは常識となりました。(しかし、迷信や非科学的にものを排し、物質的・合理的・科学的なアプローチを極めていくためにも、物質的観点は必要なものと言えました)

例えば、私がかつて公務員時代、うつ病になった当時、今ほど精神の理解は少なく、心の問題や病気は、かなりの面で、古典的な精神病扱いが多かったように思います。うつなどの言葉自体も、一般的にはまだ特殊なものでした。それが、今や当たり前の常識みたいになっています。

ただ、平成時代に向かった内的方向性、精神・心側への問題に対するアプローチは、令和になり、そろそろ別の転換が求められるようにも思います。ある意味、すべてを「心理的な問題」とする傾向に、拍車がかかり過ぎているようにも思うからです。

精神と物質は別ではなく、つながっていること、根本的には同じものであること(同じところから出ていること)が次第に解明されつつありますし、多くの人がその関係性が分離できないものに気づいていますが、それでも、どうしても、そのふたつを統括的・統合的には見ることができず、別々のアプローチになってしまいます。

例えば最初に出した病気の事例でも、今の治療の扱いでは、内科・外科など各科ごとに分離されていて、特に精神・心療関係と、その他の病気や不調は、病院・診療所として別であることがほとんどです。統合的に見るような場所は一般的ではありません。

これからは、病院で言えば、それぞれの専門性、科として独立しなからも、同時に連携して統合され、情報が共有されつつ、診断と治療が行われていく方向性に進むか、進んてほしいという希望があります。マンガ・アニメの「攻殻機動隊」に出る概念ですが、「スタンドアローンコンプレックス」、独立したものでありつつも、ネットワーク的な集合的情報共有意識を持つみたいな感じです。

さて、結局、問題へのアプローチについては、すでに述べたように、私たちは物質的・物理的・科学的アプローチを持つのは当然としても(宗教やライトスピリチュアルに傾倒してしまうと、このレベルを疎かにしたり、否定したりしてかえって問題を悪化させてしまうことがあります)、精神や心の面から見ること、さらにはもっと大きな魂や霊的なレベル、個人のカルマ的な意味で見たり、さらには人類全体の進化のような視点から見たりすることなどで、これまで膠着状態にあった問題が解決に向かう場合があります。

それぞれにはそれぞれのまた専門性と階層性があり、宇宙や世界の入れ子構造(ホログラフィクでホロン的な構造)を思えば、私たちの現実の世界と人間にも、その専門性と階層性が存在していると見ることができます。

ということは、問題を肉体的・物理的なアプローチで見て解決してくのを得意とする人、心理・精神・サイキックを得意とする人、霊的なレベルで見ることを得意とする人がいて、その世界観があると言えます。

それでも、結局、統合する(本当の意味で問題を解決する)のは自分自身ではあるでしょう。

それから付け加えておきますと、これはあくまで私の考え方ですが、物質的、精神的、霊的という階層において、問題の捉え方も変わりますので、その解決や解決状態というのも、それぞれに違ってくると思っています。

極端に言えば、物理的な解決は良し悪しがはっきりしており、直った(治った)とか良くなったというのが明確なものになります。運の良し悪しでも見るような世界です。

翻って精神や霊的な方向性の解決は、それらが一見普通の人の感覚からすればあいまいで、良くなったのかそうでないのかという見方ではなく、何かの気づきであったり、問題はまだあったとしても、問題として認識しなくなっていく(問題とは思えなくなる)ようなものであったりします。

言ってみれば、より高次的な解決になればなるほど、問題そのものを現象として扱わず、認識への変容として、外的より内的に向かうというもので(しかし、すべての原因は自分にあるというのではなく、外と内の統合性に向かうもの)、認識が変われば、今までのレベルでは問題は存在しても、それはあたかも存在しないかのようになるので、実際に当人から観測されず、観測されないからこそ、問題は現実レベルでも消えてしまうこともあるわけです。

マルセイユタロットでは、「吊るし」や」節制」、「月」などのカードが、問題解決の意識変換と特に関わっており、それゆえに、発想を変えたアプローチが、解決として求められます。

押してダメなら引いてみな」という言葉があるように、ただひとつのアプローチだけてはなく、ほかの階層から働きかけることで、解決に進展することがあります。自分一人では無理な場合(なかなか解決しない問題は特に)、先述したように、それぞれの専門性の人がいるので、援助をいただくのもよいでしょう。

「問題」は、最終的には問題として起こっている意味に気づくようになっていますので、それは「問題が問題ではないという意識に変わること」でもあり、言わば、「問題」と「解決状態・問題のない状態と」が等しいと認識できる意味にもなりますから、それはすなわち次元上昇を意味し、グノーシス(神性・完全性への回帰の認識に至ること)の過程と言えるのです。


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