タロットの使い方

2020年のはじめに。タロット展開あり

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2012年頃より、スピリチュアル的には何かと「変化(する)」と言われることが多いですが、2020年は一般的にも「変化」を実感する年となるのは、間違いないような気がします。

そして、お正月に、日本人か習慣的に言っている言葉、私もさきほど書きましたが、「明けましておめでとうございます」というのは、よく考えますと、アセンション(次元上昇)的な言葉でもありますよね。

「明ける」とは、葛藤や闇が明けるという象徴としてとらえることができ、一人一人が覚醒し、全体としても目覚めて、結果、おめでたいことになるという、ある意味、予祝(あらかじめ祝って実現性を高める)的な言葉とも言えます。

ということは、今、その言葉を普通に言える時期でもあるので、文字にしたり、自分で言葉にして言っておいたりするのも、先々、よいことではないかと思います。

さて、一年のはじめには、タロットをする者にとって、やはり、タロットを引かないわけには行かないでしょう。

私自身は、すでに、冬至のポイントで、新たな年を意識したカードを引いておりますが、一般的には、暦のうえでの年明けに引いてみる人が多いと思います。

そして、タロットを引いたあと、そのカードをどう扱う(読む)のかが大切です。

まあ、お正月ですし、今年を占いたいという気持ちは皆さんあるでしょうから、「占い」として、引いたカードを解釈するのもよいでしょう。

占いで見るというのは、「今年はどんな年になるのか?」とか、もう少しテーマを絞り、「今年の恋愛運、金運、仕事運、健康運」など、いわゆる占いの人気テーマ(ということは、多くの人にとっては、実生活上気になるテーマだということです)で問うような形です。

もちろん、これにもタロットは応えてくれるやり方があります。

しかしながら、私からお勧めするのは、占い的な質問よりも、能動的、言い方を換えれば創造的な読み方や解釈をする方法です。

それも、結局のところ、質問によって変わります。

例えば、「私は今年、何を達成すればよいのか?」何を癒せばよいのか?」「成長するためには、何が必要か?」「どのような人間になるべきか?」「私が力を入れて取り組む分野は何か?「何から始め、どういう形で終わればよいか?」・・・などの問い方です。

あと、自分がタロットに問うのではなく、タロットのほうから自分に問いかけているとする見方もやってみるとよいかもしれません。

これは、タロットの象徴する意味や内容が、自分のテーマとして問いかけられているとする方法です。

仮に「恋人」カードが出て、恋愛がテーマだと見た場合、占いならば、恋人ができる・できないとか、相手との関係性などをカードから読むかもしれませんが、カード側からの問いかけとして考えると、「あなたは恋してますか?」「キューピットをただ待っていませんか?」「恋人にあらぬ疑いをかけていませんか?」「あなたの選び方を、もう一度ふりかえってみましょう」など、カードから質問がいろいろと出てきます。

まさに、カードと対話するかのようなものです。

このような手法は、なかなかすごい力を持っていまして、心理的には自分との会話にも相当し、霊的には別の次元の自分とのコミュニケーションや調整、覚醒にも関わってくるものなのです。

タロットで自己占いをされる人もいるとは思いますが、やってみるとわかりますが、これは難しいのですね。

だいたい、極端なネガティブか、ポジティブな読み方になってしまって、中立的な解釈ができなくなるのです。

だから、逆に考えまして、そもそもタロットで自己占いはできないと考えたほうがよいのです。

ならば、占いではない自己活用を、ということになり、その数ある方法の中の一つで、強力なのが、タロットとの対話と言えます。

むしろ、タロットはそのように(占いではない自己に)使うのが本筋かなという気がしています。

タロットは、目的達成や自己成長のための、一種の質問箱であり、とても整備されたアシスタントのようなものなのです。ただし、その活用の方法を知らないと、宝を宝として発動させることは難しいです。一言で言えば、(タロットの)象徴への理解です。

 

・・・まあ、なんだかんだ言いましても、やっぱり、「今年のタロット展開」は、人が引いたものでも見たいですよね。(笑)

では、年末にやったように、三枚引かせてもらいます。

今回はスリーカード(三枚引き)の方法でも、ちょっと違ったやり方です。まず、一枚を引きまして、それを中心として、左右のカードを一枚ずつ引きます。その左右のカードは、ともに入れ替えが可能なカードと設定し、人によって、左右が違うという形にします。

要するに、三枚セットのふたつのパターンがあるということです。

どちらがあてはまるかは、各人の判断です。ただマルセイユタロットを知らない人にヒント(三枚をセットにして見た、簡単な象徴的解釈の一文)だけ書いておきます。でも、結構見たまま(カードからのインススピーション)が重要ですよ。

※タロットの大アルカナの数と名前を表記します。

 

●2020年 パータン1

「15」「14」「6」

悪魔、節制、恋人

悪魔のような束縛から救済され、自分の居場所や、よき人々の中に回帰し、新たなつながり・愛の関係性を得る。

 

●2020年 パターン2

「6」「14」「15」

恋人、節制、悪魔

人に依存したり、承認を求めていたりしていた意識に愛が注ぎ込まれ、悪魔のような強い自分への自信を回復させる。

 

なお、とぢらのパターンも、自分がそうした救済の役割をする側に回ることもあります。

 

皆さまにとって、本年がすばらしい年になりますよう、お祈り申し上げます。


タロットによる一年の整理

いよいよ、今年も残りわずかですね。本年最後の記事になります。

皆さまにとって、今年一年はどんな年だったでしょうか?

たいていの人は、年初に何か目標を立てたり、今年はこうなってほしいとか、こうするぞ、みたいな決意で臨んだりしても、数か月もするとそれは忘れ、日々に忙殺され、気が付くとあっという間に一年が過ぎてしまいます。

特に、最近は時間の進み方が速くなっていると言われ、年齢が上がれば誰でも速くなるらしいのですが、若い人でも、このところは時間の進みの速さを感じているようです。

ですから、ほんと、ここ数年の一年というのは、あっという間感がすごいのではないでしょうか。

ということで、そうならないように、よく言われるのは、目標を紙に書いたり、意志や意図を明確にしたりして、無為に一年を過ごさないよう計画的に過ごすことが重要だとされます。

まあ、それはもっともなところもあると思いますが、この世と言いますか、現実世界の特徴としては、個性・個別の世界(個人の価値観の世界と言ってもよいです)であり、いわば、それは人の数だけあるわけですから、それ(この世の仕組みの意図)を汲みしますと、どんな生き方をしてもいいのではないかと思います。

もちろん、皆で社会生活を営んでいるわけですから、ルールや法律を守ること、人に過度に迷惑がかかるようなことはしないのは前提として、です。

この世は、制約・束縛は多いものの、だからこそ逆に、個人の自由意志・自由選択が試されてもいるわけです。

ですから、「私は、俺は、一年、生きたいように生きる」とか、「行き当たりばったりでもいい」「無計画でも、その時その時楽しめばOK」と言うのも、人によってありだと思います。

ところが、この世は、自由で個性的であるがために、人をコントロールしたいとか、自分の都合のよいように他人を支配したいみたいな人たちもいるわけです。

人間、自分の価値観や幸せ観に基づき、この世を生きようとします。

ある意味、個性における自己実現を全員が目指す場と言ってもいいかもしれません。善人から見た悪人の価値観や幸せ観というのは、真反対かもしれず(おそらくそうでしょう)、その人たちの自己実現は、まったく普通の人や、善なる人から見れば違うのだと思います。

そして話が戻りますが、何も考えずに日々を生きようとすると、そのような、人の支配とコントロールが生き甲斐(笑)みたいな者、グループ(類は友を呼びます)の鴨にされる場合があります。

ただ、自我(エゴ・個性)を強烈に持ち、誰にも負けない「自分」という自信を持っている人は、すでにかなりの自由性を獲得していると言え、おそらく、他人の支配は受けにくいはずです。

結局、「支配」の場合、自分より影響力が強いか弱いかによることがあり、それは見えない部分での精神エネルギーのようなものも含みますので、個としてのトータルなものが、縄張り争いしているようなものなのかもしれません。

しかし、個だけではなく、グループや組織を組まれると、また影響の力は変わってくるでしょう。(個が弱い者でも、組織の力を借りれば強くなる)

それとはともかく、皮肉な話ですが、エゴが強ければ、人は意外に自由になれるものなのです。(人や外からの影響を受けにくいため)

このことは、マルセイユタロットの「悪魔」で象徴させることができます。

「悪魔」とか、一般的には「死神」と言われる「13」、「塔」と呼ばれる「神の家」を、中立に見たり、ポジティブに読んだりすることは難しいと思いますが、マルセイユタロットの場合、絵柄とその象徴性によって、それが可能です。

ということで、「悪魔」のカードには「悪魔」なりの良さがあるのです。

自分の中の“悪魔”が確立してくると、次に「神の家」という、本当の自分の塔が建つ(マルセイユタロット的には崩壊ではないのです)ことになるのですが、これも、マルセイユタロットの15番「悪魔」、16番「神の家」と、並び的にも見事に象徴されていると思います。

一方、これもマルセイユタロットの順に示されていますが、やはり、一年を有意義に過ごすには、普通は計画性をもったほうがいいと考えられます。

そして、年始の計画や目標が忘れられてしまうのは、ステップや分析がないからというのが、ひとつの理由と考えられます。

例えば、月ごとに見直し、計画の達成度合いを計ったり、変更などしたりして、修正していくのも、ごく当たり前のことではありますが、仕事ではやっていても、プライベートな自己実現のフィールドでは、忙しさで無視されることも多いです。

それで、こうしたものにタロットカードが活用できるわけです。

タロットには、小アルカナもありますので、数を象徴させたり、人間をタイプ別に表すことも可能です。ですから、月ごとにカードで区分けし、大きな目標の象徴性と、細かな象徴性(目標達成のための要素のようなもの)をそれぞれカードで示すことができます。

カードを引くこと自体が、結構占い的で楽しい(エンターテイメント性がある)のと、タロットは絵なので、印象が強いのです。従って、楽しみながら、そして忘れにくく、一年を小刻みに振り返りながら、目標達成に向けて、次に進んで行く(一年という全体を見る)ことができます。

逆に、このような年末に、月ごとにカードを引くことで、今年を振り返ることにも使えます。

もちろん、今年一年の全体の象徴性として、大アルカナで三枚なり、四枚なりを引いて、振り返ることも可能です。究極的には一枚で示すこともできます。

タロットを持っている方は、自分で引いてみるのが一番ですが、他人に引いてもらうのも、違った観点が持て、それはそれで象徴性を持ちます。要は、カードを引く時の意志(意図)がはっきりしていることが大事なのです。

「私の、あなたの、これこれについて引きますよ」という宣言です。

これは、あらかじめ、カードの世界と自分(対象者)の世界とを意識の上でリンクさせておくということです。

では、カードを持っていない人のために、私が代わりに、三枚引きで、今年2019年の象徴として、マルセイユタロットで引いておきます。

 

※結果 大アルカナ 「13」「皇帝」「力」

 

なかなか面白い展開と言いますか、カードたちが出ていますね。

今年の締めくくり、自分を振り返る意味で、何かの参考になれば幸いです。

どうぞ、よいお年をお迎えください。


映画「スター・ウォーズ」から

スター・ウォーズ」という、スペースオペラの映画は、知っている人も多いかと思います。

現在、シリーズのエピソード9が上映されているようですね。最初の映画の公開が1977年ですから、もうかなり長い間、続いているわけです。

当時少年少女だった人も、今やおじさん・おばさんどころか、老年の域に来ていますよね。

映画に出ていた俳優女優も、亡くなっている人もいますし、引き続き出ている人も、役柄同様、年老いた存在として登場しています。

私は、結構このシリーズは好きなのですが、公開されるエピソード(物語の時系列の順ではありません)が、あとになればなるほど、全体的に話の作りと言いますか、人物描写が浅くなり、重要なターニングポイントになる心の変化の理由が、よいことであれ、悪いことであれ、至極単純と言いますか、葛藤が浅いよなあ・・・と思うことがあります。(ファンの人、すみません。でもシリーズは好きなんですよ)

まあそれはともかく、今日述べたいのは、映画「スター・ウォーズ」を例にしながら、語・ストーリー、ひいては、私たちの人生そのものも、観点を変えれば、まったく別のものになる可能性があることです。

それは、中心の観点の違いによるわけですが、何をテーマ・課題・主題として見るのかの違いとも言えます。

スター・ウォーズの最初の頃(エピソード4とかの頃)、私はまだ幼く、知識もなく、ただ映画で見せられる内容を、そのまま受け取っていたに過ぎません。一言で言えば、エンターテイメント性で見ていたということです。

いい者側がジェダイや反乱軍で、悪者側がダースべーダーとか帝国軍、そしてそれらの戦闘シーン、特にチャンバラ(笑)としてのライトセーバーでの立ち合いなど、面白く感じていました。

それがエピソード6から、さらに時系列は戻って、エピソード1・2・3と公開されていくにつれ、私自身も大人になってきましたし、物語自体が、親子・恋人・師弟関係などの濃い人間関係が鍵となって描かれるようになりましたので、まさに、観点は「人間関係」に移り、舞台は広大な宇宙なのに、狭い範囲の、しかも感情を中心とする話に、私の中では変化しました。

機械的な兵器、戦いなど、いわば物質的なエンターティメント性(フォースの扱いという魔法的な魅力もありましたが、これもまだ見方は単なる物質的見方の延長という感じでした)から、観点は、人間関係と心に変化してきたわけで、そうなると、「スターウォーズ」という星々の争いではなく、「親子喧嘩」とか「師弟争い」みたいな、人情ものに作品が変わったように見えたのです。

そして、新シリーズ、エピソード7・8・9(9はまだ未見ですが)くらいになってきますと、物語の時代もかなり進みましたが、見ているこちら、私自身も知識や経験とともに成長してきましたので、観点は多様化され、物語を超えた見方もするようになりました。

いわば、映画は題材であり、そこから、さらに発展した考察をしていくようになるわけです。

その代表的な見方が、スター・ウォーズという物語を象徴的に見るというものです。

これは、神話はあくまで神話であって、現実とは別(関係のないこと)に扱うのではなく、象徴として、私たち一人ひとりにも、さらには、実際の社会・世界にも存在している、ある種の型・パターン・構造を述べている、とする見方と同じです。

例えば、スター・ウォーズでは、対立が入れ子構造、あるいは形の違う比喩になっていて、マクロとミクロ、外側と内側、男性性と女性性、全体と個別などが、いろいろな形で示されています。

皆さんにもわかりやすいのが、強大な力で統一(支配)を目指す帝国側と、それに反抗する多国籍軍(多星籍群と言ったほうが適切ですが)の対比で、これが、フォースを扱う、闇側と光側として、シスのグループとジェダイのグループの対抗・争いによっても示されています。

ひとつの力、ワンオーダーとも言える統一的な支配側は、規律も厳しく、カリスマを除くと無個性で機械的、しかし、だからこそ、ひとまとまりの強さや武器の開発力も持ちます。

一方、それに対抗する側は、多様性があるので、一人一人違いがあり、個性の強さを持っていますが、時に意見が食い違ったり、魔や闇に篭絡されたりして、帝国側の機械的なものに比して、いかにも人間的です。

こうしたものを見ていくと、単純に善悪、いいものと悪いものみたいなエンターテイメントで鑑賞していくことからはずれ、様々な二元構造の対立と葛藤、統合、混淆に思いを馳せ、宇宙や人間がそのような構造でできており、私たち人間がなぜ争いを続け、葛藤し続ける存在なのかにも、考えが及んでくるようになります。

そして、スター・ウォーズでは、フォースというものが、折に触れて重要視されます。

フォースは、物理的な私たちの考える力ではなく、宇宙に満ち溢れている、あるいは、万物そのものを創造する根源的なエネルギーのようなものとして描かれています。

これは、マルセイユタロットをしている者ならば、その名の通り、フランス語で「フォルス」英語のフォース、すなわち11の「力」のカードに象徴されていることだとわかるでしょう。

となりますと、タロットや、西洋魔法的な解釈や見方で、スター・ウォーズを鑑賞していくと、そこには、非常に深いものがあるのがわかります。霊的な見方ができると言ってもよいです。

また、私はグノーシスを探究している者なので、その観点からしても、光と闇の争いの描写から、グノーシス思想の型のうち、東方型(光と闇の勢力が原初から存在したという型)を見て取ることができ、象徴的に光を見ること、光を闇から回収していくことの重要性を、スター・ウォーズから、再認識させられます。

興味深いことに、グノーシス思想の東方型では、光の勢力が闇に一度取り込まれることで、世界創造の物語、すなわち、私たちという人間や、実際の世界が創られたという話があり、最後は、闇から再び光に戻ることで救済がなされます。スター・ウォーズのフォースを扱うジェダイの騎士、主人公たちの葛藤と救済に、この型を見ることができます。ちなみにマルセイユタロットでも、宮廷カードには「騎士」がいます。

このように、自分自身が成長したり、経験や知識が増えたりしていくことで、モノの見方は変わっていきます。同時に、単純なひとつのストーリーだけではなく、多重のストーリーを、ひとつのことからでも、見る(作る)ことが可能になってきます。

この仕組みは、タロットを学び、タロットの象徴性を理解し、自己の中にそれがあることを発見していく過程に似ています。

私たちは、映画などでも、作品を批判したり、評価したりします。出来不出来はやはりありますので、それは当然ではありますが、多様な見方ができるようになってきますと、観点を幾重にも移すことができますから、駄作と言われるものでもよいところが見えますし、一般的に良作とされるものでも、マイナス面が見て取れます。

そして、結局、どんなものにも自分が投影されることがわかり、言いも悪いもない次元に導かれます。もちろん、自分の好みはありますから、良し悪しや、面白い・面白くないはあっていいのです。

同時に、それを超えた見方と言いますか、上の次元に移行しますと、マルセイユタロットで言えば「恋人」から「審判」に上昇するようなものとして、世界のすばらしさ、創造のすごさに思い至るのです。


時間の流れと過去の自分

心理技法などでも、未来の自分になってみる、想像してみるという方法があります。

そしてもし、なりたい自分があるのなら、それを強くイメージしていけば、未来像の自分が本当に訪れるという人もいます。

この場合、時間の方向としては、イメージしている自分は、現在から未来の方向ですが、別の見方をしますと、未来の自分が現在(未来からすると過去)の自分を形成していると言え、時間は未来から現在(過去)へと、逆に流れているみたいになります。

時計的な時間の流れでは、過去→現在→未来に進むと私たちは認識していますが、想念の世界では、逆方向もありますし、時間は関係ない場合もあると言えます。

ちょっと余談ですが、普通の人と同じく、惰性的に、ただ時計的に時間の流れを見てしまうと、私たちは時の奴隷になるのかもしれません。

時間を超越するのは現実的には無理かもしれませんが、少なくとも、未来から過去へというように、逆方向の時間の流れを意識的にすると、かなり世界の認識が変わるのではないかと思っています。それが本格的にできた人は、成功したり、覚醒したりするのかもしれません。

さて、私が使うマルセイユタロットの展開技法では、現実の普通に流れる時間の次元と、想念の、いわば時間の流れがひとつではない世界の次元とを同時に見ることがあり、想念の世界に意識を向けることで、時間と言いますか、平行存在している(平行世界の)自分を確認することが可能です。

そして、これまた不思議なことに、「今」の意識が変わると、最初に認識していた(当てはめていた)平行存在の自分が、物語(ストーリー)とともに、変わっていくのが普通です。

言ってみれば、想念の世界で時間旅行をしながら、自分で自分を癒したり、希望を持たせたり、問題にあらかじめ対処したりしているわけです。

ということは、時間操作そのものが自己の操作(その逆もあり)に近く、ほとんど同意義かもしれません。

このことは、マルセイユタロットの「運命の輪」の、重大な象徴事項ではないかと推測しています。

ところで、私たちは未来について、明るい、あるいは理想の想像をしやすい人と、そうではない人に分かれるような気がします。

まあ、ポジティブ思考の人とネガティブ思考の人の区分けに似ているでしょうか。

そして、さきほど、「今」の意識が変われば、平行世界存在の自分も変わるという話をしましたように、結局、今がどんな状態であるかによって、未来のイメージもよくなるか、悪くなるかが違ってくるように思います。これは当たり前と言えば、当たり前の話です。

だいたい、今が好調であれば、未来も明るく希望に満ちたものになりますし、逆に、今が不安でいっぱい、八方塞がりのような状態では、未来に希望と持てと言うほうが無理です。もし日本の未来に希望が持てない人が多いとすれば、それは、今の状況によるわけです。

ということで、ネガティブ思考の人、今があまり思わしくない人は、なかなか未来を明るく照らすことは難しいのは当然かもしれません。

そこで、未来の(明るい)イメージが難しいのなら、逆に過去に目を向けるという方法もあります。

というと、過去のトラウマとか、潜在意識のブロックなどを解放・癒して行きましょう、みたいな話が多くなりますが、今回は似ていますが、それではありません。

もっと当たり前で、誰でもできることです。

例えば、あなたがすでに読んだ本とか、学んだこと、かつて深く関わっていた人との文章やメール、仕事やプライベートの写真、動画など、何でもよいので、とにかく、結構自分が色濃く関わっていたとか、熱心にしていたとか、取り憑かれていた(笑)というようなもので、過去の何か(物質的に残っているもの)を取り出してみてください。

文章とか絵などが一番よいかもしれません。

そして、それを“今の”あなたの目線、思い、知識で冷静に読んだり、見たり、手に取ったりしてみてください。

どうでしょうか?

当時を思い出すことはあるでしょうが、おそらく、当時とは違う感覚があり、どこか冷めていたり、反対に、当時とは別の意味で、感動したり、心を打たれたりしたのではないでしょうか。

そう、あなたは時間を超えて、過去には戻りましたが、今のあなたは、すでにその当時から変わっていますので、昔のままのあなたではなく、明らかに変容した自分が、過去(の自分)を見ている形になるのです。

そして、ここが肝心なのですが、今のあなたは、その過去のあなたが種をまき、成長(変化)した人なのです。

過去のその時は、とても大変だったり、時には思い出したくなかったりすることかもしれません。それでも、そのことは確かにあったわけで、過去のその自分は、いまだ存在としてはある(あなたが振り返るまで存在していた)と見てもよいです。

その存在がいるからこそ、今のあなたへと移行することができたとも言え、過去の自分は、ひとつのステーションやターミナルとして、あなたを、またそこから新たに旅立たせていたのです。

さらに、今のあなたが過去の自分(存在)を再訪問したことで、過去の自分もまた変化し、新たなストーリーの位置に収まります。(分岐すると言ってもいいでしょう)

未来から(それは「今」でもありますが)のあなたが、過去の自分に想念的に関わり、両方が変化し、新たなストーリーが紡がれます。

もしかすると、過去では「失敗だった」とか「あのように選択すれは良かった」と思うことでさえも、まったく同じ環境というわけには当然行きませんが、時と設定を変えつつ、今後、似たようなことをやり直す(やり直せる)こともあるのです。

これが、未来から過去への時間の流れの効果です。

過去は終わっていません。「終わった」「変えられない」という集合意識的な事実のように思われている出来事は確かにあります。

しかしながら、個人になればなるほど、まさしく個別のことなので、自分がどのように思うかによっては、過去は記憶でもありますから、変わることは本当にあります。

公的な事実のように思われている世界の歴史も、国よって認識が違い、その世界はある意味、国よって別物(別世界にいる)と言えます。

そして、なかったことが今からの働きかけで、あることにされるこありますし、反対に、あったことが、過去ではなく、これからのやり方で、なかったことにされることもあるわけです。

時間が流れて行けば、そのことは事実として固まってしまうことさえあります。おそらく、歴史なんていうものは、そうして作り上げられた部分も少なくないのだと思います。

今回言っていることは、マルセイユタロットの「隠者」(後ろ向きに歩いていると言われます)と「運命の輪」(運命・時間・巡りを象徴)の合体のような意味で、過去を見ながら、過去から見れば未来の自分(それは今の自分でもあるわけですが)、その存在が、かつての自分と出来事(の意味)を変えていくことができ、それが積み重なることで、新たな「自分の歴史としての過去」が誕生し、今の自分(過去からすると未来の自分)と、さらに、未来の自分(今の自分から見た未来の自分)さえ、変わってくることがありますよ、ということです。

無理矢理、未来に希望を持たせよう、明るくさせようとするよりも、このように、過去に目を向けることで、結果的に自然に、未来に希望が見えてくるようになるのです。

そうすると、もしかすかると、マルセイユタロットの「正義」も「節制」も、別次元の自分の姿ということが言えるのかもしれません。裁くのも、救済するのも自分だということです。


ささやかな救いの世界

今の時代、情報機器とシステムの急速な発達によって、誰もが自分から発信することが簡単になりました。

ちょっと前は、文章で、そして次第に映像や動画でと移っていき、おそらく、ほとんど普通の状態と変わらないくらいリアルな感じで、すぐに思いついたら、あらゆるところから自由に発信できるようになるのもすぐでしょう。

そうなると、いわゆるメディアというものが、企業とか組織だけではなく、普通に個人それぞれが情報局、発信・放送局になってくるわけで、テレビ的に言えば、人口分だけチャンネルがあるようなものと言えます。本当に選びたい放題で迷いますね。(笑)

とはいえ、そうなってきますと、テレビで視聴率が気にされるように(まあ、これはお金を出すスポンサーの意向が関係しているわけですが)、自分の発信や情報は多くの人にどう見られているのか、そもそもそ関心を持ってくれているのか・・・というような不安も出て来るものと思います。

いや、すでに、SNSではそのような状態になっているとも言えます。

目立つ人、エッジの立つ人、とても個性的な人、コンテンツや内容が面白く、それを皆に提供できる人・・・このような人は、ますます持てはやされ、人気者となり、カリスマ化されることでしょう。

一方で、前にも書いたことがありますが、これだけ誰でも気軽に自分から表現や発信ができる時代になってきますと、それにうまく適応できなかったり、自分から特によいと思えるものを出せなかったりする人も、それだけ多く出ることになると思います。

簡単になったとは言え、例えば動画でも、それなりに企画力や編集技術などがいりますし、文章を書くことや、話しをするのが苦手だったり、そもそもネットとはいえ、人前で何かを表現するというのには抵抗があったりする人もいるでしょう。

ですから、この、メディア表現の過渡期とも言える時代のこれからとして、ますます二極化が進むのではないとかと危惧しています。

その二極とは、どんどん自己表現・自己発信して、自我としての自信、言い換えれば、自分自身を生きているという実感を持つ者(平たく言えば、人生が充実していると感じる人)と、一方では、多くの人に埋もれ、目立つこともなく、得意なものがあるとは自分で思えず、平均以下のように自身を思い、自我が喪失気味になる人(人生が空しい、つまらないと思う人)との二極です。

しかし、最終的には、本当の意味で、誰もが簡単に自己を発信できるようになれば、それが当たり前となるので、定番の自己紹介みたいな形で、自己表現の世界は、一度、フラットなものに統合されていくのではないかと予想しています。二極化はそれまでの間の、移行期に起きる特徴と推測しています。

しかし、移行期がどれだけ続くかは、まだ予想がつきませんので、しばらくは、前述した二極化で、特に後者の人は、自分を見失い、世界に落胆、ひどくなれば絶望することもあるかもしれません。

ここで重要なのが、やはりリアルな関係や交流、ふれあいだと思います。しかも、何かリーダー的な一人のもとに集まるという(集団・組織的な)ものではなく、一対一とか、少数グループによる交流、ふれあいみたいなものが特に重要でしょう。

精神の世界では、距離や場所は関係ありませんが、現実の世界では、やはり、それは無視できないものです。つまり、直接会うのと、ネットをや何かを介してのものだと、情報・交流の質が違うと言えます。直接会い、話すことで、響く世界があるとでも言いましょうか。

スピリチュアルなことで言えば、それはアストラル空間やその世界の話に関係すると考えられますが、人との、特に生身の交流によって感情の刺激が起こり、それによって不快なことや嫌な気持ちも生じる一方で、逆に、心地よさ、いわゆる「愛」というものを感じる世界が、心の中に現れます。

それがまさに「救い」となることがあるのです。これはマルセイユタロットで言えば、「節制」のカードに象徴されることだと私は思います。

皮肉なことに、人は人によって傷つきますが、同時に、人によっても救われ、つまりは、人の気持ち(心)を避けていては救いも訪れない仕組みが、どうやらこの世界にはあるようなのです。

ということで、昔からも言われていましたが、ますます、これからの時代は、特に自己表現が苦手だったり、ポジティブに多くの人と交流できなかったりする人は、だからこそ、極少数の人とのリアルな関係、あるいは(特に直接会話するような)時間を大切にするとよいかと思います。ただ、そういう人やグループに依存するという意味ではありません。

なお、タロットを学ぶ人は、これを他人に対するタロットリーディングによって、行える場合があります。

他人リーディングと言っても、何もプロでする必要はありません。

ボランティアでも、趣味でも、自分がタロットリーディングが少しできるということで、他人に対し、リーディングする機会を持つことができるわけです。

普通、なかなか他人といきなり接するのは難しいものです。

ですが、「タロットリーディングができます」と言えば、それをきっかけに、人と会話する機会が持てます。もちろん、リーディングを行うことで、相手も自分も、問題における何らかの解決策、指針、癒しなどを得ることもできるでしょう。

でもそれ(リーディングによる問題解決)が目的でなくてもよいわけで、とにかく、ライブやリアルで人と会話したり、時間を過ごしたりすることが、タロットリーディングによってできるわけです。

こうすると、いわば空虚で乾き、色のなかった自分の心の状態にも潤いが与えられ、少しは自分がいてよかったこと、生きていく価値のあることを思い出すこともあるでしょう。

そのことを多くの人に発信できなくても、自分(と相手と)の中では、確かなものとして存在することができ、外の世界はどうあれ、愛の世界(エネルギー)を自分にチャージすることができます。

別に自分を無理に高めたり、評価したりしなくてもよいのです。

人は人、自分は自分てす。それでも、この世の中、人と比べ、落ち込んでしまう自分がいることもあるでしょう。

そうした外の世界や時間は無視できないものではありますが、これとは別に、自分の世界、自分に流れる優しくゆっくりとした世界もあるのだと思ってください。

そして、それは閉じこもっていては逆に見つかりにくく、またたくさんの人と関わってしまうと、エネルギーを失い、閉じこもりたくなります。

だから、ほんの少しの人とリアルに関わるそうした時間と空間を持てばよいのだと思います。

さらに、そうした人物(相手)に自分がなってあげると、意外に(自他に)救いをもたらすことができるのではないかと想像します。そのツールとして、タロット使ってみるのはいかがでしょうか。

タロットは、これからの時代、意外に、必要で、よいツールになるのかもしれません。


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