タロットの使い方
感情の表出と共感
私は入り口的に、タロットの体験会をしたり、今はやっていませんが、以前はいくつかのカルチャーセンターでタロットの講義を行ったりしていました。
その時に、まず、タロット(マルセイユタロット)の印象を聞いてみることがあります。
たいていの人は何かを答えてくれるのですが、たまに、まったく何も思わない、感じられないという人がいました。
まあ、初期の頃は、こちらの説明とか、言い方とかがまずくて、わざと抵抗気味にそうしている人もあったとは思いますが、前向きに講座に参加している人の中でも、そういう方がいらっしゃることがあります。
その場合、考えられるのは、ひとつには、絵の印象を言葉で語ることに慣れてないというケース、ほかには、自分の感情の表出を抑圧している人というケースです。
前者は、絵に限ったことではないですが、人前であまり自分のことを言葉にして語るのは苦手という、いわばコミュニケーションの問題です。
たとえ人とのコミュニケーションに問題がないという人でも、「絵」や「シンボル」のような、人間ではない静止像に対しては、どう思えばいいのか、たとえ何か感じたとしても、それをどう言葉にして伝えればよいのか、混乱してしまうことがあるわけです。
これは、ただ言葉にできない、言語化できないというだけで、感じてはいるので、それほど問題ではありません。時間が経ったり、場に慣れて来たりすれば、きちんと言葉に表すことも可能になります。
問題は後者のほうです。すなわち、感情表現を抑圧しているタイプの人です。
怖いことに、これは本人に無自覚の場合もあるのです。
「別に・・・」とか、「「何も思いません」とか、一見、冷静な答えをして本人は納得しているかのようですが、実は、感じていることをそのものを拒否してしまって、それが習慣化し、何も感じないのが普通だと錯覚しているような状態です。
例えれば、ひどい肩こりなのに、肩こりすらも、もはや感じる取ることができなくなるほど、(心が)固まってしまっているというようなものです。
心理的に言えば、これも抵抗や自身の防衛ではありますが、このまま放置すると、身体症状が出たり、いつか限界が来て、抑圧されもののはけ口を求めて、感情と行動で暴発してしまったりすることがあります。
ですから、タロットを別にしても、日常で何も感じないという人は、精神・心の危機が訪れているかもしれないと思ってみましょう。
まだ痛みや悩み、不安など、感情的に揺れ動いて、何かを感じていたほうがましであるということです。
そこで、タロットですが、こういう人でも、タロットの象徴性を知り、思考から入ることで、固まった感情が動きを出すことがあります。
感情を抑圧している人は、思考で補い、頭で考える癖になっていることがあります。ですから逆に、思考からは入りやすく、物事も見やすいわけです。
マルセイユタロットには論理的な観察もでき、ある意味システマチックなタロットと言えます。
このため、感情が最初はあまり働かなくても、頭で見て行きつつ、そのうち、少しずつ、水が浸透していくように、意識や感情に働きかけていく作用が出ます。マルセイユタロットはそのようにできているのです。
この場合、ただ眺めているだけではだめで、さきほども言ったように、思考が働くような作業が必要です。
たとえば、ある課題や実際的な質問を、タロットで読み解いていく(つまりはタロットリーディングしていく)、タロットの絵図の様々な意味の考察を思ってみたりするなどのことがあります。
こういう時は、むしろ自分のことより、他人のことでタロットを展開したほうがよいでしょう。
すると、他人ごとなので最初は冷静に見ていられるのですが、そこに人としての感情のパターンが現れていることに気づいてきます。当初は思考での気づきですが、それが、感情的にもつながってくるように「感じ」られてくるのです。
簡単に言えば、タロットを通しての共感です。
こうなると、堰を切ったように、抑圧し、忘れていた感情が、タロットを見て流れ出します。
急に涙が出てしまったり、怒りや苦しみの感情が放出してきたりするかもしれません。それはタロットを通して、少しずつ防壁していたものが開かれていく、いい意味で壊れていくような感情の現れです。
タロットリーディングにおいても、問題を解決したり、占いとして、何か答えを出したりするものだけではないのです。
その大きな意味のひとつとして、感情の表出、気づきというものがあります。
言い換えれば、クライアントの様々な気持ちを出す(気づく)ためのサポートがタロットリーディングでもあります。
そして、クライアントだけではなく、タロットを読むタロットリーダー側にも、タロットの象徴性を通して、感情がよみがえってくることがあります。
他人をリーディングしながら、自分を浄化していることもあるのです。
相談の場では、同じ体験をしていないと、本当の気持ちはわからないと言われることはあります。
失恋したことがない人には失恋した気持ちはわからない、親の介護を経験していない人には、その大変さはわからない、子育てしたことがない人に、その苦労はわからない、お金で追い詰められたことがない人に、貧乏や借金の苦しみは理解できない・・・などなどです。
確かに、その通りです。私も児童相談所時代、若い時でしたから、結婚もしておらず、当然子供もいませんでしたので、「あなたには、親の気持ちはわからない」と言われたことがあります。
ただ、今にして思えば、それは、本当の意味で相談をしていなかったからだと思います。まだまだ未熟だったのです。もっと言えば、共感の仕方を間違えていたとも言えます。
人はまったく同じ人生の人などいません。誰もが違う人生と経験をしています。ですから、同じ体験のままの共感を求めると、それはもともと無理な話となります。
ではどうればよいのか? それは、個々の体験や具体性に落とすのではなく、抽象度をあげて、いわば、「人間としての悩み、苦しみ、葛藤」として、とらえるのです。
つまり、フォーカスするのは、悩みの具体性ではなく、悩み苦しんでいる人の、その感情そのものなのです。
それができた時、(相談をする)人は受け入れられ、思いが伝わった、わかってくれたと感じられます。
そして、人の気持ちや感情がわかるのは、自分の感情自体に素直になり、それを抑圧せず、表出していくことが必要です。(暴走させることとは別です)
自分の感情に鈍感であったり、自分自身を傷つけていれば、当然、人のことに気遣うこともできません。
マルセイユタロットは自分の心の表出、感情の浄化に役に立つことがあります。
先述したように、自分の感情が抑圧されていても、象徴としての意味を学び、他人のケースを通して、タロットから、同じ「人」としての痛みや喜びを、まさに象徴だから感じ取ることができるようになります。(思考から感情へ移行するう方法)
その人とは同じ体験ではなくても、たとえば「13」のカードが出れば、自分にとっての「13」で象徴できるような感情が沸き起こってくるのです。そこがタロットを使う意味にもなります。(ただ、個人的には、タロットであればどれでもいいというわけではないと考えています)
マルセイユタロットが、心理的な意味でのリーディング効果がある理由のひとつは、こういうこと(タロットの絵から感情にスイッチが入ること)からも言えるのです。
自分を出す(取り戻す)ことの意味
タロットを心理的な象徴として見る場合、いわば、自分の(あるいは他者の)心の鏡として読むことができます。
その理由はいつくかあるのですが、やはりタロット(マルセイユタロット)が、人々の意識のパターンのようなものを描いているからだと考えられるでしょう。
いずれにしても、そうやって、心の中の投影像のような形で、タロットを観察していくと、自然に自分の心と向き合うことになります。
すると、タロットで表される数の「自分の心」があることになり、自分(の心や気持ち)というものは、ひとつではないことか如実に理解できてきます。
こうした、言ってみれば、自分の中にあるたくさんの人格や感情、思考パターンのようなものが、その時々で姿を現し、問題や現実の出来事に対処しているわけです。
ところが、こういった自分の中のたくさんの心には、いいものもあれば、悪いものもあります。
いや、おそらく、すべてはいいも悪いもないのでしょうが、バランスを欠いたり、極端になったり、場面によっては適切ではないものが出てしまつたりすることで、悪いものと、とらえられる心になってしまうと考えられます。
これが抑圧された心や、傷ついた心、高いプライド、自己卑下してしまう気持ち、罪悪感など・・・として、ネガティブにいろいろと表現されます。
最終的にはそれらを調整し、浄化し、バランスを働かせて、統合していくことが求められるのですが、タロットを見ていると、まずは、つべこべ言わず、難しいことを考えず、素直に自分の心(本当の気持ち)を知ることが大切かと思うことがあります。
精神世界・スピリチュアル系ではよく伝えられていますが、もうこれからは、自分の気持ちに嘘をついたり、抑圧したりして生きていくと、かえって生きづらくなるのではと言われています。
これは「自分の好きなように生きる」と言ってしまえばそれまでですが、ロマンチストながら、現実派・リアリスト的(笑)なところもある私としては、みんながみんな好きなことして生きていけるわけがないと思ってしまうところもあります。
ただ、これは、今の社会状況やシステムが変わらないという前提、あるいはその中の範疇や現状イメージでとらえているから、そう思ってしまうというところもあるのです。
つまりは、今の現実という枠の中でしか(または、その延長線上でしか)、物事が考えられないから、最初から否定感覚が出てしまうということです。
現実を打破したり、超越、変容したりするためには、タロットでいうと、「愚者」の姿勢が大切です。
実は「愚者」そのものは、実体(愚者という存在)というより、移行するエネルギーそのものが疑人化されたようなものと言え、形や今の現況に留まる状態とは正反対、別のものになってきます。
タロット的に言えば、現実を変えるために「愚者」になるというより、「愚者」に自分を乗せると言ったほうが近いかもしれません。これは「戦車」のカードも別の意味で、乗るということに関係します。
話を戻しますが、自分の気持ちに正直になって生きるということを進めていくと、結局、自分の好きなことで生きていくという表現にはなりますが、それは今の枠組みで考えてしまうと、すぐ限界や無理だという思いに至ってしまうこともあるということです。
それと、好きなことで生きていくというのが、経済や仕事の観点のみにフォーカスしてしまうのも問題です。
結果的にそうなる(好きなことで経済的に生活できる)人もいるかもしれませんが、プロセスとしては、そうではないこともあります。
タロットの小アルカナ的に言えば、剣・杯・杖・玉で分かれる分野があり、経済的な面で見るのは、このうちの「玉」(一般的にはコイン)の部分となります。しかし、それ以外の三つもあるわけです。
要するに、自分自身を生きるためには、小アルカナ的には4組で表される方法や分野があるということで、まずはそのひとつでもいいので、自分を自由に表現させてみるということが、自分らしく生きるということのプロセスにもなってきます。
例えば、「剣」として思考とか、「杯」としての感情とかがあります。自分らしく生きるというと、心に重点が置かれ、感情的な意味での好きで楽しく心地よい気持ちに注視するみたいなことがよく言われますが、感情以外に、思考の分野もあるのです。
それは、自分らしい思考の仕方というのも知ったり、認めたりするとよいでしょうし、思考そのものを、学びことによって、こだわりから解放させていくという意味にもなります。(他人や常識的思考を解除し、自分の思考を取り戻すこと)
もちろん、感情的なことでは、好き嫌いレベルからでも、自分の気持ちを確認しておくことも最初はよいと思います。
欲求や欲望を出すのはまずいと言われがちですが、確かにそれらは低次のものが多いとはいえ、低次は高次と必ずつながっており、まずは順序として、自分の素直な欲求、欲望、願望も認め、満たすことに応えるというのもあるかと思います。(「悪魔」のカードとも関係します)
結局、自分の中には、最初にも言ったように、いろいろな自分(の心)があるので、それを無理からに押さえつけるより、勇気をもって出してみる方向性によって、隠されていた、あるいは表面意識的にはわからなかった自分の姿というものが見えてくるわけです。
そうする中で、「自分の中の思いと言っても、単なる食欲だった、性欲だった、寂しい気持ちからだった」などいうものがわかってきて(淘汰されてきて)、もっと上のレベルの、それこそ、本当に自分がしたい、生きたい、表現したいと思うものが見つかるようになってきます。
そうやって、自分らしさ、自分というものを受け入れ、認めていくと、ついには、自我(自分を自分だと思う、他人と分ける気持ち)を超えていき、低次で言っていた自分らしさではない、高いレベルの自分らしさ(それは自分の望みと表現が、全体と調和しているようなものと言えます)も現れてくると考えられます。
そして、ここが、今日言いたかった一番のところになりますが、一人ひとりが、自分らしさ、本当の自分自身を取り戻していけば、今の社会システム、常識に揺らぎができはじめ、集合意識的な「愚者」の移行エネルギーが働き、次元そのものが移行し、現実的には無理だと思っていたことが、可能になってくるものと思います。
それは新しいエネルギーシステムの発見であったり、働き方の変化であったり、お金の概念の変容だったりと、いろいろと考えられます。
仕事レベルで自分の好きな生き方ができることを目指すのもよいと思いますが、そうでなくても、どんなレベル・範囲からでもいいので、まずはとにかく自分自身を表すこと、他人や社会の評価、計算・打算ではなく、純粋に自分がしたいことを選択するということを実行していく中で、自分自身を取り戻すきっかけが働いてくるのではないかと思います。
だから、今の仕事や生き方をしながらでも、自分を取り戻していくプロセスは歩めると言え、それを実践していくことで、自分自身が、自分にふさわしい(自分に合い、自分が表現てきる心地よい)状況・環境を作り出していく(引き寄せ系が好きな人は、引き寄せると言ってもいいです)でしょう。
ただ、それは、低次の欲望が満たされる環境や状況とは限らず(現世利益の実現みたいなことで言われるものではなく)、最終的には、自分の個の魂や高いレベルでの心が満たされるものだということも付け加えておきます。(現世利益を表現することが使命の人もいると思いますから、それはそれでOKで、まさに自分の現世的な望みを実現し続ける人生を生きる人もいると思います)
まずは日常生活レベルからでも、個性(自分)を出すこと(自分のしたいこと、やりたいことを表現する)、そこから始めてみましょう。
大アルカナを小アルカナ化する。
タロットは、通常78枚あり、大アルカナと小アルカナというパートに分かれています。
マルセイユタロットでは特に小アルカナの数カード(数札)の絵柄が記号的(それでも記号ではなく象徴ですが)なものになっていることもあり、意図的に大アルカナと小アルカナに違いを持たせていると考察することができ、私は講座では、このふたつのアルカナの違いを明確に意識しつつ教えています。
しかし、タロットへの考え方、扱い方は、それこそ扱う人の数だけあると言ってもよく、大と小を区別なく使う方もいらゃっしゃいますし、絵柄から見ても、その違いがあまり意識されない種類のタロットもあります。
前述したように、私は両アルカナを区別していますが、それは、使い方というより、使う目的により違えていると言ったほうがいいかもしれません。
ここでも何度か書いているように、私は、大アルカナは天に向かう方向、言い換えれば現実からの開放や離脱を目的にするアルカナたちで、小アルカナは、反対に地に向かう方向、地上生活に適応するための便宜的な指針を得るアルカナたちと考えています。
私自身は、人生の目的が、すでに大アルカナ的なものになってきておりますので、自分に対しての小アルカナの活用をあまり重視していないところがあります。(他人リーディングでは別です)
ただ、人の好みは、その魂の目的も含めて、まさに人それぞれでしょうから、きちんと小アルカナについても、講座ではお伝えしておりますし、それを活用して、現実生活を充実させていくことにタロットを使うのもよいと思います。
それで、極端に現実・地上生活に、タロットの指針を活かそうという人は、やはり、タロットカードの全セット(デッキ)、つまり78枚のフルセット、フルデッキを積極的に使っていくほうがよいと思います。
従って、その場合、絵柄に大と小のあまり区別のないタロット種を使うのがよく、マルセイユタロットのことをここで書いていてなんですが(苦笑)、そういう目的の人は、マルセイユタロットではないタロットを選択すると、目的とツールがなじむ(適合する)のではないかと思います。
まあ、不思議なもので、自分に合うタロットの種類を自然に選んでいるもので、たとえ最初に選択が違っていても、学んでいる途中、あるいは最初から違和感を覚え、自分にふさわしいタロットに変えていくことは、実際によくあることです。(ですから、今使用したり、学んだりしているタロットに対し、違和感が激しい場合は、タロット種を変えることも検討すればいいと思います、習う先生も、そのタロット種を使う専門の人に変えるとよいです)
タロットで現実をよくしたいと願う人は、いわば、小アルカナ的な世界観でもって動く人になり、だからこそ、メインは小アルカナの活用が望ましく、もっと言えば、大アルカナを小アルカナ化することで、さらにカードの象徴性を具体化することができます。(現実に活きてくるということ)
大アルカナを小アルカナ化する方法は、いくつかあるのですが、まずは、さっきも述べたように、逆の発想になりますが、小アルカナの絵柄が大アルカナとあまり違いのないものになっているタロットを選ぶとよいです。
一見、これは小アルカナの大アルカナ化のように思えるでしょうが、実は逆で、マルセイユタロット的に見れば、小アルカナ(特に数カード)に大アルカナのような絵がつけられた感じになり、結局は絵によって、象徴性がより具体的になっているわけで、モノ的なカードの数が増えたことになって、実情は小アルカナ的なものが増加したことになるわけてす。(小アルカナは具体的世界を象徴しますので)
もうひとつは、大アルカナを4組に分けて活用するという方法があります。
小アルカナの基本の枠組は、四つのグループに分けられていることです。それは四大元素(風・水・火・地)をモノとして象徴化した形です。(剣・杯・杖・玉、一般的な名称ではソード・カップ・ワンド・コイン)
一方、本来、大アルカナは、この四大元素を超えるものとして認識しなくてはならないのですが、あえて大アルカナの小アルカナ化となれば、大アルカナを逆に4組に分けるということが方法論として出てくるわけです。
しかし、大アルカナは22枚あり、4組に分けるとしても、割り切れません。そこで、「愚者」と「世界」の二枚を例外のカードとし(その二枚はオールマイティ扱いとする)、残りの20枚を5枚ずつに分けることで、4つのグループに配分することができます。
どの大アルカナを、どの四大に入れるのかは、これも様々な考え方があるので、一概には言えませんが、四大元素の性質の特徴や象徴が色濃く描かれているものを見つけたり、例えば天使や壺が水、剣が風のように、もともと大アルカナの中に描かれている四大元素の象徴を取り出して、分けてみるのもありでしょう。
ほかには、意味を具体化することによって、大アルカナを小アルカナ化することもできます。これは、さっき述べた大アルカナを4組に分ける方法とはまた別のやり方で、大アルカナを4組の意味に置き換えます。
つまり、剣・杯・杖・玉の4組別に、さらに大アルカナの22枚に意味をつけていくという方法です。
例えば、玉はお金や経済を示すものとして、そのお金に関する典型的な意味を、大アルカナの絵と象徴性を利用して、22枚別にあてはめると同時に、数カード10枚別にも細かな意味を設定し、宮廷カードにも人物的な意味を付与しておきます。すると、お金の問題には、誰がいつどうすればよいかという、具体的方法や解決策が自動的に出てくる(占える)ようになります。
こういった大アルカナの小アルカナ化は、まさに占い向きであり、どんなことが起きるの(現れるの)か?とか、どうすれば(現実の意味で)幸せの道が選択できるのか?といったことに、非常な効果を発揮すると考えられます。
それはもともと、絵柄としてある(絵のつけられている)大アルカナの具体性に(断っておきますが、大アルカナの本質は抽象性にあります)、小アルカナの細分化する具体性が加わって、いわゆるカードがモノ化、言葉化するために、この現実世界に適用するシンクロを起こす(具体的なシンクロ性に気づく)からと考えられます。
つまり、現実のサイクルや流動を、日常的なものや言葉で具体化・可視化することになって、現実の運命の波に乗りやすくなるわけです。
言っていることがよくわからないかもしれませんが、具体的な言葉やモノとしての絵があれば、日常もイメージしやすいので、普通の生活での(通常意識では気づけなかった)運命の流れや関連性、気づきが発見されやすいということなのです。まあ、平たく言えば、カードが示す内容が、当たると感じることが多くなるということです。
これは、言ってみれば、日常に適応した特殊能力を持ったり、第六感的な新しい感覚器官を持ったりすることに近くなるのです。(しかしあくまで、現実の範囲内でのもの)
小アルカナ的に使えば使うほど、現実との適合精度やシンクロ率も上がってくると思えますから、ますます、タロット使いが未来予測や幸せ選択のエキスパートになってくるかもしれません。
ただ、自分のために使用すると、欲やエゴが強くなって、いくら具体的な指針であっても、冷静に判断したり、選んだりすることができなくなることもありますから、人のために使うほうが、効果的だとは思います。それに具体化するテクニックは、なかなか技術もいるものなので、経験や直感性も上げていく必要はあるでしょう。
と、書いてきましたが、私自身は、このような大アルカナの小アルカナ化的な使い方は、好みでもないですし、おすすめしないことでもあります。あまり言いたくはないですが、幻想を強化することになるからです。ここでいう幻想とは、「現実」と皆さんが思っている通常の感覚のことで、インド哲学的にはマーヤーと呼べるものです。
とはいえ、きっと、そうした使い方をしていくと、人生は楽しく、エンジョイできますし、気の合う仲間も増えてくるとは思います。
もちろん、大アルカナと小アルカナを分けて使い、大アルカナメインの方向性を選択していくことも、それはそれで、本人にとっては、別の意味でエンジョイなのです。(笑)
つまりは楽しみの質と方向性が、大アルカナと小アルカナでは違うわけです。
だから最終的には、タロットは、使う人の思い・目的・好み次第と言えるのです。
タロットに聞くこと、聞かないこと
西日本を中心に、かなり大雨が続いて各地に被害が出ました。災害に遭われました方々にお見舞い申し上げ、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
さて、今日の記事です。
タロットの活用を考える場合、なんでもタロットを引いて、聞いて(聴いて)みるという態度には問題があると言えます。
まず、そもそもタロットに聞くまでもない話や、タロットを引く以前に、聞く人や尋ねるべきところがあるのではという問いがあるでしょう。
メールしたり、電話したりして、行動して確認すれば済む話とか、医者に行ったほうが確実に体調と治療のことはわかるとか、そういう類のものが意外にたくさんあります。
また場合によっては、天候なども、占ってみるのは面白いかもしれませんが、今は天気予報を見るほうが正確な情報を得られそうです。
これはタロットを習い始めて、とにかくタロットを使いたいという時や、タロットに慣れてしまって、疑問や質問があると、タロットを引く癖になってしまっている人のタイプでいます。
それから、極端に物質的・現実的問題、端的に言えば、お金の問題で緊急を要するような時も、タロットで回答を得ようとするのは難しいでしょう。
例えば、借金がかなりあり、明日までにすぐ返さないと大変なことになる、何とかできないか?という問いでタロットを引いても、なかなか実際的な回答を得ることは厳しいと思います。
これは極端な例でしたが、必ずしも、お金に関することではなくても、現実的で切迫した問題の場合は、タロットを引くより、やるべきことが先にある、ほかにあるということが常識的に言えます。
さて、昔と今とでは、かなり文明の発達度合い、生活環境も大きく変わっています。便利な道具・機器、コミュニケーション・移動のツールも、格段に進化、増えている状態です。精度やスピードも昔とは次元の違うレベルになっています。
そして、それに伴い、人々の理解や情報の扱いも濃密で大量になり、かつては未知だったもの、奥義や神秘だったものも、今や常識となったり、誰でも理解できるレベルになったりしています。
例えば占いにおいても諸説ありますが、占いができたり、活用されたりした背景のひとつには、今のような科学的機器やツールがなく、あるいはあっても精度が悪かったため、占うことで、情報の正確さを上げようとしていたことがあります。
ということは、逆に言えば、もう占いや、そのようなツール・技術で情報を得ようとする分野は、現代ではかなり縮小されていると考えていいわけです。
では現代において、何を占ったり、タロットでリーディングすればよいのか?です。
これも、いろいろと考え方はあると思いますが、ひとつには、情報の取得そのもの(回答そのものを得ること)を目的とするよりも、情報の確認、念押し、または、違う観点からの見方を得るために活用する(タロットで見る)ということです。
この時代にあって、情報はあふれかえっており、しかもネット検索もあるように、ほとんどのことは調べればわかります。
しかし、それでも私たちは安心したり、確認したりするために、別の何かを知りたがります。それが、いわゆる運命とか、見えないつながりとか、相手の気持ち、自分の様々な心とかになっってくるわけです。
また、自分で調べて、確かにわからないことの情報は得たものの、今一つ、腑に落ちない、気持ちが納得しない、誰かや何かに後押ししてほしい、同意を得たいという状態があります。
情報が氾濫しているだけに、選択にもかえって困り、回答がまるで選び放題であったり、逆に正しいとわかっていても、自分がそれを選択してもよいのかどうか、自分以外、常識以外のものからお墨付きもしてほしいわけです。
君は、あなたは正しい、それで行け!みたいな後押しがほしいのです。いわば、自分の選択の整理、確認、念押しです。
ということは、タロットで見るものとは、本質的には心の問題が大半だということです。
人の心模様、動き方、反応の仕方は、喜怒哀楽と言われるように、昔も今も同じです。
このことは、私のことで言えば、民俗学をやっていた時に、昔と今の暮らしを調べていて、結局、環境が違うだけで、人々の意識の状態・パターンは同じだと実感したことでも言えます。(情報と知識の度合いは違いますが、人としてはやはり反応は同じなのです)
ですから、タロットは、心の分野として、今も、おそらく未来(まったく意識構造が変化した場合は別ですが)も使えるものです。
占ったり、リーディングしたりする質問自体は、なるほど、なになにをいつ始めればよいのか?とか、好きな仕事で成功するにはどうすればよいか?など、現実的な問題・具体的問題であることも多いです。
しかし、結局のところ、科学的に回答を出すわけでもなく、本当にほしい答えは、いくら人が正しいと言っても、自分(クライアント・相談者)が納得するものでなければなりません。この「納得するもの」というのが、必ずしも、論理的・科学的ではないのです。つまりは、気持ちや心の問題なのです。
言い換えれば、タロットで出す答えは、万人に納得する客観的なデータとか、普遍的な数学的(誰がやっても、あるいは何度やっても同じ答えになるものの類の)回答ではなく、その人個人が気持ちで納得するものなのです。(他人が正しいというものも、自分の気持ちを納得させるひとつの手段となります)
と言ってしまえば、タロットにロジックも、何もまともなものはなく、思い込みの回答でいいということにもなりそうですが、実は、そうでもないのが、タロットの面白いところです。
タロットにもそれなりの論理・ロジックがあり、それは常識分野での科学とか論理とは違う種類のものなのです。(しかし、真には相通じるものでもあります)
だから、実は本人が納得すればいい、というだけの話でもないのです。
ややこしくなりましたが、基本は、タロットで見ることというのは、心を納得させるための一種の念押しや確認であり、それはいわゆる現実世界で求められる確固とした科学的・論理的答えではないものの、背景には霊的・神性的ともいえる論理(真理といっていいもの)が隠されており、それも作用することもあるのかタロット(の回答)というわけです。
前にも書いたように、タロットリーダー、タロットを扱い、タロットを活用する者には、タロットへの絶対的信頼が必要です。これは無理して信じるというようなものではなく、タロットを学び、使っていく中で、自然に出てくる信頼感です。
しかし、それは妄信や依存、文明進化の否定・後退、非科学への酔心というものでもないのです。
現代人として普通に常識で生きる部分も大切にし、それだけでは解決しない部分、納得いかない部分に対しては、特に見えない心の分野において、タロットという象徴ツールを使うことにより、心を意識化、健在化させ、問題の解決や癒し、整理に使っていくことができるのです。
このあたりをバランスよく、そして混乱させないように区別していくと、タロット(だけではなく、占い・心理・スピリチュアルの様々なツール、技術)もうまく活用していくことができるでしょう。
女性・男性 タロットの学びで。
タロットを学習される方は、私の生徒さんも含めて、やはり女性が多いです。と言っても男性の方もいらっしゃいます。
そうやって見ていますと、やはり、タロットの学び方には、性別による個性といいますか、特性があるように思います。
最近ではジェンダーフリーが言われ、ことさら女性らしさ、男性らしさを強調して教育されたり、話が進められたりするのはよくないこととされています。
しかし、私の通っている整体の河野先生もおっしゃっていましたが、明らかに男性と女性とでは、体の構造からしてまったく正反対の性質を有しているようです。先生の研究と実践によりますと、磁性においても、SとN、プラス・マイナスが、本当に正反対・対称に配置されているようです。
ということは、男性・女性同士の結びつきも、磁石のように、本来は引き合うようにできているわけです。ところが、最近の人は、この磁性が乱れたり、逆転していたりする人がおり、つまりは異性同士でも反発してしまうことになるわけで、カップル成立が磁力的にも難しい時代になっているのかもしれません。
なぜ男女の磁性が乱れるようになったのか原因は特定できないものの、おそらく今の社会・生活を見れば、自然に反していることが多いわけですから、こうなるのも当然の結果なのかもしれません。磁力は地球とも結びついていますから、私たちは地球・大地から離れた生き物になりかけているとも形容できます。地球に逆らっているわけですから、それは大変なわけです。
さて、話をタロットに戻しますが、女性は、よく言われるように、感性・感覚的なもので物事をとらえよう、把握しようという傾向があるため、タロットを学習する前のほうが、感覚的にタロットがよく読める場合があります。
いわゆる「知識」を入れると、もともと備わっていた直感的なセンサーでダイレクトに感じ取ることに対して、知識をもとにした思考的な信号が入ることで、感性・直感センサーがクリアーに働かない状態になるのだと推測されます。
これが逆に男性の場合は、イメージや感覚が最初から出てくることが難しい人が多く、たとえそれがあっても、常に本当だろうかとか、根拠があるのだろうかとか、正解・論理的な理由を見つけようとしますので、知識がないと、まったくタロットが読めない(と思い込んでいる)という人になりがちです。(女性でも男性的な人、男性でも女性的な人の場合は、自分の性とは異なる傾向が出ることがあります)
それならば、女性はタロットを勉強しないほうがよいのか?と言えば、そうではありません。
最初の直感センサー(でわかる)のものは、実はまだまだセンサーとしての感度・精度にぶれがある状態です。自分の心理状態や健康状態に左右されることもあります。
とても冴えている時とそうでもない時のギャップが激しいうえに、つながっているレベルやエネルギーもまちまちなことがあります。ひどい場合は、わざと低次な言い方をすれば、狐憑きとか、低級霊の力を借りてセンサーとするみたいな様相を呈します。
そこで思考や知識での客観性、確かさ(方向性や軸となるもののこと)を入れていく必要が出るのです。自分が直感的に受け取ったものが、どれだけクリアーなものなのか、また、他人に説明したり、提示したりして、他者にも共感・理解してもらうものになりえるのか、それは言葉とか知識を介してになるのです。
また自分のためだけにタロットを使うにしても、象徴的知識がないと、やはり自分での客観的指針を得ることができず、精神や霊的な道の過程で遠回りや、憑依されて(サイキック的なことだけではなく、メンタル的に妙な偏った思い込みに入ることも意味します)のおかしさな方向に進まされるという危険もあります。(だから通常は、見えない世界の探求では、指導者や先生、客観的な立場でいてくれる別の人の存在がい必要なわけです)
一方、男性は知識偏重になることを避け、自分の感性が信じられる、より高度の思考(感性と融合した思考)に行き着くことが求められます。タロット学習でいえば、学べば学ぶほど、発想や思考を自由にさせていく方向性であり、それには自身の感性をまず受容することが大事となります。
女性も男性も、いわば、自身の反対の性である部分を認め、開花させ、自身の性と統合を果たしていくことが理想的です。ある意味、感性と理性、感覚と思考みたいな区別が、女性性と男性性の違いにもなってきますが、人として見た場合、性別に分かれていても、どちらも自身のうちにはあるものです。それが表現や傾向として、女性と男性では出し方が違うみたいなことです。
感性だけでは受動的になりがちで(直感であれ、感覚であれ、受け取ることがメインとなりますので)、どうしても自ら創造するという方向性には行きづらくなります。また思考だけでは、ひとつの正しさだけを追い求め、どこまでも批判と試験を繰り返し、際限のない直線を走り続けることになります
ただ、女性の場合、子供を産むという大きな創造がありますので、自らのうちに、受容性と創造性のふたつを併せ持つと言えます。そこが古代からの象徴体系で、女性性の優位と言いますか、重要視されることのひとつだと考えられます。そもそも男性も女性から生まれるものであり、私たち、いやすべてが、宇宙という母体の中にいる、母体から生み出されているとたとえることもてきますから、女性性の崇高さは、女神性・宇宙の神秘として称えられるものと言えましょう。
そういう意味では、本来的に、女性はすでにあらゆる智慧に通じており、何も学ばなくてもよいのです。
何かの選択でも、すでにわかっている、知っているという感覚を得る女性は多いと聞きます。ただ、そのつながり(クリアーさ、智慧につながる高度な感性)が濁らされていることが、現代女性では普通で、従って、自らの感性を信じることができず、今は情報にあふれかえっていますので、いろいろと迷うことも余計あるわけです。それは、誰かの意見や思考、感覚に影響されやすいことも意味します。
ですから、私はタロットの講義でも女性の皆さんにお伝えしていますが、学習すること、知識を入れること、思考性を高めることは、実は女性にとっては自身の女神性(叡智とつなかる存在部分、高い巫女性)を確認し、その精度を回復させるための補助・プロセスの意味になっているのです。思考や知識は決して邪魔なものではなく、それをどう扱うかが大切です。
知識が入ることで、ブレて眠っていた女神的な回路の存在とシステムに、思考からもスイッチが入り、男性性的な創造・探求心が湧き出し、感性に力を与えます。
自身の男性性を(実は女性性も拒否している場合もあります)認め、受け入れ、統合することで、逆に女性性が魅力的に、高く輝くことになります。男性も同じで、逆の性を本当に理解していくことになり、女性への対応も変わるでしょう。
そうしたものを感覚と同時に論理としても理解と認識をするのが、マルセイユタロットの象徴システムだということです。実際にペア・カップルとして組み合わせられる関係性のカードも多くあります。
マルセイユタロットを学び、それを使っていく時、自然と、女性性と男性性の統合が図られるよう、まさに図示されているのです。
