タロットの使い方

質問は違っても同じカードが出る。

タロットカードを引くと、その時の問い(質問)は違うのに、同じような展開やカードが出ることがよくあります。

「あ、またこのカードが出た」と、講座の生徒さんたちも、実践練習でつぶやく人もいます。

こういう場合、ひとつには、その人にとって今のテーマのようなカードになっていると考えられます。

タロットは78枚で構成されますが、特に私たちは22枚の大アルカナを中心に引くケースがメインを占めます。小アルカナは、むしろ大アルカナの補助という形です。(しかし、場合によっては小アルカナがメインとなることもあります)

従って、大アルカナ22枚でもって(元型的な)全体性を象徴させることにもなるのです。

この考えで行けば、22のカードの象徴は全員に共通するものを表しながらも、個別的にも22の象徴で示されることになります。

何を言っているのかわかりづらいかもしれませんが、要するに、タロットの大アルカナ22の象徴が、そのレベルの違いはあっても、全体も個人も表現しているということです。

このようなレベルや次元の違いをきちんと認識していないと、具象(現実的で具体的なこと)と抽象(誰にでも当てはまるような、大きな括りでとらえられるもの)を混同し、タロットの使い方・読み方を見誤ることになります。

例えばマルセイユタロットの1の数を持つ「手品師」というカードがありますが、これが仮に「仕事」を意味するカードであると見た場合、誰にとっても「仕事」という言葉自体は共通概念となるでしょうが、一人一人の「仕事」の種類、意味合いは異なってくるということです。

自分の今の仕事が事務職だからと言って、この「手品師」のカードを引いた者は、全員事務職の仕事に就かねばならないとか、事務職が向いていると読むのではないと説明すれば、言っているニュアンスがわかるでしょう。ただ、この場合でも、この人にとっては「手品師」と事務職が結びついていることは重要なのです。

さて、話を戻しますが、質問は違っても、同じ(ような)カードが出るということは、そのカードの象徴性において、やはり個別的にも重要なテーマとなっているからだと考えられるわけで、結局、個々の質問を超えた意味が示されていると見ることができます。

すると個別的でありつつ、そのカード(の意味)においては抽象的であるもの、つまり、全体的(抽象的)なところまで次元を上げて考察する必要が出てきます。

なぜなら質問は具体的であり、別々である(違っている)のに、同じカードが出るということは、個別の質問を超えた内容・意味がカードから示されていると考えられるからです。

一言でいえば、「このカードを見よ」とタロットの世界から示されているわけです。

ここでマルセイユタロットを学習しているたいていの人にとっては、個別性から全体性へと次元を上げていく見方のできる、ある種の絵図を知っているはずです。

それは、占いや具体的な良し悪し、いい悪いの方向性を判断する見方のものではなく、自分の内外の統合を目指し、高次に覚醒させていく霊性の進化(真の認識)への道筋となるあの図です。

この絵図に、今の自分によく出るカードを当てはめることで、何が自分にとってテーマなのかを全体性の位置から考察することがてきるのです。(ただし、単純にあてはめるだけでは深く見ることは難しく、それなりの見方・技術があります)

タロットカードは、たとえ同じカードであっても、一人一人においてはその意味するところは異なります。

それは同じ人にとっても言えることで、去年出たカードと今年出たカードが仮に同じであったとしても、だからと言って、同じ意味やレベルを象徴しているとは限らないのです。

しかし、同時に、カードには、普遍的・共通的・元型的意味もあります。

このように、個別性と全体性の違いを見て、それらを統合していくことも、タロットカードを活用する醍醐味でもあると言えましょう。

さて、ここで少し面白い話をします。

私はタロット講座の受講生やリーデイングを受けられる方に、名詞を配ることがありますが、その名詞にはカードを意味するものが入っております。言ってみれば簡単な一枚引きをしているようなものです。(笑)

それで、今までの傾向からして、「このカードに関するものを引いた人は、現実にこういうことが起こる」みたいな「占い」のような示唆も出てきます。

例えば、「世界」のカードに関するものを引いた人は、女性の場合、妊娠出産をされる人があったり、「力」のカードに関するものを引いた人は、その後、予想外の困難な事態を迎えつつも、それを超える意識か環境に至ることがあったりします。また、「運命の輪」の人は、転機になる人が多いです。

このように、カードが現実の事柄とリンクし、しかも共通の意味合いも持つようなことになっています。一種の予言カードみたいにもなっているのです。

タロットにはこうした、占い力とも言える、不思議な示唆が確かにあります。

これも本人の無意識層のある部分が、カード(の絵柄・構造)に共鳴し、意味あるカードを引かせているものだと考えられますが、常識的にはその仕組みが何なのか、はっきり断定できるものではありません。

それでも、こうしたこともタロットの魅力のひとつになっていることは確かでしょう。

いずれにしても、タロットカードを引いて、その象徴を読み解くことは、いろいろなレベルにおいて、興味深いことになるのです。


タロットで「幸せ」になれるか。

インフルエンザと思える体調不良で、しばらくブログを休止しておりましたが、回復しましたので、ブログを再開いたします。

 

タロットを習って幸せになれるか(なることができるか)?

という質問や、問いかけ(ご本人なりの願望・思い)を見かけることがあります。

これに対しては、私のほうでは、万人に共通する回答を出すことができないと言っておきます。

それは、「幸せ」という価値観・概念・状態が、まさに人それぞれで違うからです。

極端に言えば、ある人にとっての不幸は、別の人の幸福・幸せである場合もあるわけです。

ですから、何をもって幸せとするのかの定義が一定にならない限り、タロットで幸せになるのかの質問にも答えられないことになるのです。

しかし、逆に言えば、一定の定義があれば(決まれば)、その定義条件を実現できた(満たした)場合、幸せになることもできるのだと言えます。

では、「幸せ」の定義をいくつかに分けて、その「幸せ状態」とタロットについて見てみましょう。

まず、いわゆる現世利益的なものをつかんだ、現世利益的に満足した状態、特に物質的に成功した状況「幸せ」だと仮定(定義)した時、タロットはそれを実現させることができるのでしょうか?

これは占い的なタロットの使い方をすることによって、一部可能ではないかと考えます。

ここでいう“占い的”というのは、運をつかむ、運(幸運や時流の流れ)に自分を乗せるという意味での使い方です。

タロットには「運命の輪」というカードがあるように、一言でいえば、この運命の輪に乗る、回すみたいな活用と言えましょう。

その前提として、タロットカード(の象徴性)を、運の良し悪しで見ることが重要になってきます。

先の「運命の輪」で例えれば、すべてのカードを「運命の輪」の支配に置き換えて配置する(配当させる)ような見方です。(この方法は秘伝としてはあるのですが、危険なものでもあります)

別の言い方をすれば、タロットに運の流れの性質を記憶させてしまうような感じで、運に乗れてないことをカードから検証できた場合は、運に乗せる調整を、カードそのものでしていくというようなものになります。

まあ、平たく言えば、巷のタロット占いと似たようなこと(方法・形式)なのですが、趣味や遊び感覚でするのではなく、かなり真剣に、運というものを見据え、カードと運をリンクさせる習練(実践)も必要となってくると考えられます。

いわば、現世利益・成功というものを運によってつかむのだという強い意志と信頼(信仰に近い)が大事なのです。

次に、心(精神)が満足している、癒されている、調和した気持ちになっているという状態が「幸せ」だという定義ではどうでしょうか?

精神的な満足は、物質的なものよりも心の中の目に見えないものに左右されますから、なかなか客観視することが難しいものではあります。とは言え、要は本人(の心)が納得していればいいわけなので、意外に簡単なところもあります。

この意味においての「幸せ」は、タロットでは得られやすいのではないかと思えます。

こうした心の幸せには、自分の心が望むことを知る必要があり、言ってみれば、自己の内面への洞察と調整(内在性の発見と浄化)にも関わってきます。

同時に、外的な自分の表現や行動(趣味・仕事・人間関係など生活全般)との調和(折り合い、バランス、融合)も図っていくことで、より心の満足も完成されてきます。

簡単に言えば、タロットを内面の投影や鏡として使い、今まで気づいていなかった心・内側を観察することにより、上記のこと(内面と外面との調和)を実現していく手段と言えます。

自分の心を出す(癒し、許し、素直になって表現する)ということは、ずいぶん楽になることだと、やがて気がつきます。

やってみると、どうして今までできなかったのかと思うのですが、できないようにさせていたのが、実は大人への成長、社会性の獲得とつながっていたことなので困難だったのです。

たいていの人は社会とのやむ得ない(自己欺瞞的な)調整のために、自分の心を抑圧しなくてはならず、それが積もり積もって、心的あるいは、肉体的にもつらい影響を及ぼしていたということがあるわけです。

もともと、人がどう思うのかなど全く気にならず、自分の意志を貫き通せる、自由に生きられる性格の人には、心の幸せはいつもあるようなものなので、このようなこと(内面と外面との調和作業)に必要性を感じないものですが、多くの人は大人になってから内外の葛藤が広がり、それを調整することが求められてくるのです。

結局、心の幸せを実現しなければ、生きる意味や実感も得にくいからです。

最後に、覚醒とか、霊性・魂レベルの発展(統合)を目指す(それの実現を成す)ことが「幸せ」だという(定義の)場合は、普通の感覚とはかなり違った「幸せ」観を持つことになるでしょう。

そして、マルセイユタロットは、このレベル(定義)の幸せを得るためにも開発されたのではないかと、うかがえる部分があります。

このような意味での「幸せ」は、実現が目標というより、その過程そのものが喜び(しかし苦しみでもある)となっているようにも思えます。

言ってみれば、これを目指すと志した瞬間から、「幸せ」はすでにあると例えてもいいものなのです。

しかし、一般的な意味(定義)での、ほかの幸せの意味からすれば、不幸と言ってもよい状態もあり得ます。

そもそも、「幸せ」の定義、世界観・価値観が異なれば、「幸せ」を通して互いに理解しあうことは難しいのです。

つまるところ、自分が思う「幸せ」とは何なのかということをしっかり定義しておかないと、いろいろな意見・価値観に振り回されることになります。

また「幸せ」(の定義)は、このように一定のものではありませんから、自分自身の中でも変わる事があり得るのだと思っておくことも大事です。

しかしながら、もし普遍的な「幸せ」観があるとすれば、それは真・善・美のような例えで、イデアとして把握できる「何か」元型のようなものと言え、それが多くの人に真に共有することができた時に、現実感覚としても存在してくるのではないかと考えます。

ですから、私自身は、「幸せ」は一人一人違うものではあっても、本当の意味では、誰しも同じと理解できる幸せもあるだと、高いレベルにおいては想定しています。マルセイユタロットでは、そのことが象徴として示されているように思います。

ともあれ、せっかくタロットを扱うのですから、タロットをする人は、タロットで幸せになりましょう。(笑)


タロットとコラボする(させる)方法

ある技術・メソッドで、ヒーリングや相談系のセッションをされている方が、タロットを学習して、タロットを取り入れた内容(セッションメニュー)にしたいと考えられることがあります。

つまりは、タロットと自分の技術のコラボレーションです。

この場合に留意すべき点について、いくつか「タロット」(を扱う専門)側から述べてみたいと思います。

●五感の問題

タロットは五感で言えば視覚、絵を目で見てもらうツールです。

ですから、タロットとコラボ(組合せ)したいと考えている自分のものが、五感で言うと、何に一番訴えているか、効果があるのかを把握することが大事になります。

もちろん、いわゆる狭義のスピリチュアルなセッションであると、五感を超えたものが入ってくるでしょうが、それでも、人間はまずは五感という肉体を通した受容感覚器から物事を判断しようという傾向があるものです。

もし自分のものがタロットと同じ視覚効果が鍵となっているものならば、同時に見せることは視覚からの混乱を呼ぶおそれがあります。少なくとも、間をおくか、別々に行うことが望ましいでしょう。

ただし、クライアントに見せるのではなく、施術者のほうがタロット以外のカードなど、ほかの視覚効果を持つものを使う場合はOKですが、施術者がタロットとほかのカード(などのもの)とを混同せずに扱えている場合において、となりますが。

さて視覚以外、例えば触覚、体にふれることでヒーリングなど行う場合は、一緒に行うこともできるかもしれませんし、視覚と触覚からの両方の効果で相乗する可能性もあります。

しかし、ひとつの感覚に集中できないことも考えられ、どちらにしても注意は必要で、とにかくも、コラボにおいて五感に着目してみることは、重要な点だと思います。

●同時か別か

ここで、個人的に思う、タロットとのコラボへの結論めいた話になります。

私自身は、タロットはあくまで「タロットとして、ひとつの完結した技法」であり、基本的には、ほかのものと同時に組み合わせるのは問題だと考えています。ほかの技術も、それはそれで完結したもの(技術・理論として確立したもの)である場合がほとんどでしょうから、尚更なのです。

ですから、いわゆる別メニューのような形にして、タロット以外のメインの技術(施術)と、タロットリーディングとを分けたほうがよいということになります。

料理でいうと、フランス料理と日本料理のそれぞれ完成さたれ品々(コースや懐石のような一定の流れも含めて)を無理矢理ごちゃ混ぜにするような感じで、それぞれの良さを打ち消し合うようなことにもなりかねません。

ただし、先に「基本的には」と書いたように、例外もあると考えます。そのことは次に述べます。

●(コラボを)同時にする場合において

料理の例えを出したので、それで続けますが、フランス(料理風)懐石料理とか、日本料理にフランス料理の食材や技法(その逆もあり)が取り入れられて、実際においしい食事になっていることもありますから、必ずしも、一緒に技術を披露することが悪いとは言えません。

その場合、技術は別ものとしながらも、一連のセッションの流れとして同じ時間内に入れるものと、技術そのものが同時コラボする方法とがあります。

前者は、あくまでタロットリーディングはタロットリーディングだけをし、ほかの技術、たとえばエネルギーヒーリングとか、(カードなどクライアントの視覚によるものではない)チャネリングなど、それ自体は別で行いながらも、セッションとしてはひとつのサイクル(コースメニューのうちに入っているもの)になっている形式です。

単体でそれぞれやるよりも、総合的にクライアントへのヒーリング・浄化・気づきなどが上昇する場合があります。アプローチが違う分、クライアントへ働きかけられる部分も異なってきて、それがよい結果になることがあるわけです。

別々にそれぞれ単独で行う場合に比べると、その分、時間も当然ながら単発のものよりかかることになるでしょうから、いただく料金も高くなってくると思います。

さて後者は、セッション中に同時に技術を提供するというもので、本当の意味でのコラボ、合体と言ってもいいでしょう。

これはタロットも、そのほかの技術も同じくらい学んでいて、マスターしている必要があります。双方、同レベルであればあるほどコラボをしやすくなります。

例えば、タロットで心理的・潜在的情報を読み解きながら、肉体的に、ある部分にそれが問題として出ているところをヒーリングするみたいなこともありますし、タロットリーディングで浮かんだ問題を、自分の技術で具体的に浄化・調整したり、カウンセリングしたりするということも考えられます。

またタロットを使用したチャネリング(純粋なタロットリーディングとは違い、タロットを触媒・触発として使う、サイキック、もしくは霊的な情報収集と提供)のようなこともあるでしょう。

これらは、前者の、サイクル・セットメニューとして別々でやるものと似ていますが、その違いは、ひとまとまりの時間単位において、タロットを組み込んだ、ひとつの技術になっているというところです。

言い換えれば、タロットを取り入れた新しい創作的な技術様式になっており、これは逆に言うと、タロットとその他の技術が両方とも稼働してこその技術で、どちらも欠かすことのできない融合した「形式(スタイル)」になっているわけです。

このような、言わば、真にタロットがほかの技術と融合したような使い方は、タロットを使用しながらも、本来のタロットリーディングとは異なる別物であり、タロットというツールが、ほかのツールに変化したと言え、この場合は、タロット講座で学習したタロットリーディングの方法・セオリーから離れてもよいと個人的には考えています。

要するに、目的がクライアントの癒しや気づき、変容であるならば、ツール・技術はどんな使い方になっても、クライアントに効果があればそれはOKなものと言えます。

●あえて技術(施術)のランクをつける

結局、タロットがメインか、その他の技術・ツールがメインかということになり、重きを置く方、効果と自信のある方をメインとして、ほかのものはランクとして格下げしてしまうやり方もあります。

例えば、タロットがランクの下である時、訪問されたクライアントの気持ちをほぐしたり、関係をつけたりするための余興的な技術として、「タロット占い」を最初にやってみるなどの使い方があります。

タロット占いは、案外、エンターテイメント性があり、今の状況や未来を占って、今後を予想するなどしますと、なかなか面白く、コミュニケーションも捗ります。

簡単にでも一通り占ってみると、すっかり場が温まり(緊張がほぐれ)、「いよいよこれから本番のメニューへ」と、移行させることがスムースにできるでしょう。

このようにタロットを使う場合は、タロットはメインの前座(苦笑)ですから、観客のいる演目の前に、スタッフや弟子筋が前もって場を盛り上げておくというような感じの扱いに似ており、そのため、リーディング技術がそれほど高く(深く)なくてもよいケースとなります。

あと、前座ではなく、セッションの最後に一枚、あるいは数枚カードを出してクライアントへの後押し、今日のメッセージ(の代表・まとめとして)を視覚的・意味的に告げるという使い方もできます。こちらは幕引きの役ですね。

まあ、タロットをメインにする者からすれば、ちょっと寂しい扱いですが(笑)、実はタロットはいろいろな次元に登ったり降りたりすることができるもので、もとはゲームとして使われていたわけですから(今もゲーム道具としての役割はあります)、盛り上げ役でも楽しむことができるのがタロットなのです。(と、ゲーム的なタロットの精霊は言います)

以上、簡単ですが、タロットをほかのものとコラボさせる場合の観点について、お話させていただきました。


今年を振り返り、来年を占うタロット

年末年始ともなりますと、占いの世界では、来年(年が明けますと「今年」となりますが)の占いがさかんになります。

前回の記事ではありませんが、タロットにおける「占い」と「リーディング」の違いで分けると、「占い」は未来(の自分)を知りたいと思ってカードを引き、「リーデイング」は、現在か過去についてタロットで見るという傾向があります。

リーデイングにおける「現在」か「過去」(を見る)というのは、結局、自己分析のツールで使うということになって、それには未来よりも、今、そして現在を作ってきた「過去」のデータを見ようとするわけです。

もし過去から今に至るものの中で、もうこれからは必要でなかったり、バージョンアップして修正するものがあったりすれば、今後に合うように変えていくことが求められ、そのためにも過去を振り返り、調べること(過去のデータに気づくこと)は必然となるわけです。

一言でいえば、浄化(破壊でもあります)と創造のプロセスです。

このように、カウンセリングや気づきが中心の「リーディング」では、過去のカードを読むことのほうが重要なのです。

一方、未来がどんな風になるのか、占ってみるのも楽しいことです。

ちょっと先を覗いてみたい・・・そんな気持ちでドキドキとワクワクが占う(占ってもらう)人に訪れます。もちろん、占いで出る未来も、あくまで選択肢のひとつ、今の意識や、運勢的なものでの流れに過ぎず、確定されたものでないのは当然です。

ということで、タロットをやっている人、タロット持っていて、占いやリーディングが少しでもできる人は、未来(来年)の占いをするもよし、今年の分析をリーデイングするもよしです。

タロットをやっていて思うのは、タロットは確かにカードに絵柄があって、ある思想や象徴性を示唆していると見て、深く考察したり、目的達成に活用したりするものでもありますが、同時に、「愚者」のカードに代表されるように、まさに囚われなく、「自由」に飛翔することこだわりをなくすことにも活かされるものです。

いい・悪いとか、浅い・深いとか、現実・精神とか、高次と低次とか、とにかく何かをはっきり決めなくても、あるいは、どちらでなくてはならないとか、何かでなければならないとかではなく、そういう概念自体をふっ飛ばす、ぶっ壊す、みたいな感じがタロットにはあります。

「ま、どっちでもいいじゃん」とか、「まあまあ、そんなに決めつけずとも・・・気楽に行きましょうや」みたいな、そういう感覚にもならせてくれるものです。

面白いことに、何事も深く道を究めようとすると、最終的には、こだわりがなくなって、求め極めてきた「道」そのものも、ものすごく広くなったり、なくなってしまったりするものです。

まるで、子どものような心になって(戻って)しまうと言いますか。

よく、物語などでも、その道を極めた老師のような人が、とても無邪気・純粋で、一見バカみたいに見えることもありますよね、しかも思いっきり俗物的なこともあったり・・・(ドラゴンボールの亀仙人みたいな(笑))

実は学べば学ぶほど、バカやアホになることがよいのではないかと、最近思うことがあります。

もう少し違う言い方をしますと、自分が何も知らないこと、どこまで行っても知る(新しく得る)ことはないこと、そして、実はすでにもうすべて知っていること、それを思い出そうと、他人や外界という設定を利用し、自分自身を遊ばせているということ、そのような心境(になる)のことを言っています。一言で言うと、「自由な存在になる」「自由に同化する」ということです。

だからと言って、知識や学習がいらないと言っているのではありません。残念ながら、私たちは生まれた時に、すべて忘却するルールにしているようで、だからこそ、知りたい、何かを得たい、ということの衝動が刻まれている宿命にあります。

しかし、これを好意的に解釈すれば、どこまで思い出し、与え、与えられるという「ゲーム」を、いかに楽しめるかに身を投じているとも言えます。

思い出す(封印を解除する)ことが、学びの形式を取っているわけです。学びと言っても、座学のようなことだけを指してるわけではありません。あらゆる人生経験そのものが学びでもあるわけです。

ただ、漫然と生きていても、思い出しが非効率に終わることもあり得ます。まあ、それはそれでゲームの楽しみ方のひとつであり、一人一人、やり方・楽しみ方は違うものですから、ただ生きるというだけでも大きなことだと思います。

しかし、ゲームにもコツがあるように、意識的に思い出すこと、つまり自覚的に学びをしていくこともよいかと思います。

そのひとつが、マルセイユタロットの象徴性を活用することだと私は考えています。

そして、実は、人間が通常の生活では思い出すことができない極めて重要なものがあると考えています。

それがグノーシス(神性なる認識・真の叡智)に関わることです。

人はまず現実的(物質)な安定や充実を図るために生きようしますが、次第に精神的、心の安定と充実を求めて生きるように変わってきます。ただ、物質の充実が精神の充実になり、その逆の、精神の充実が物質の充実になってくるという、両者は切っても切れない関係にあります。

前者(物質が精神を満足させる)は常識的にわかると思います。端的に言えば、お金がたくさんあれば、何でも買えるし、働かなくても済んで、心が満足するという方向性です。

一方、逆はわかりづらい人もいるかもしれません。

心が満足すれば、物質は充実するのか?とは思いにくいでしょう。

確かに、心によってお金やモノが魔法のように突然増えたりはしないですが、足るを知るという言葉があるように、精神的に満足な状態になれば、必要なお金とモノも、それに応じたものに調整されます。

ということは、例えば以前は月100万円ないと十分でなく、心も不満だったという人が、生き方が変わり、モノによる心の満足ではなく、まず純粋に心が満たされたり、充実させたりするのを先にしていくと、必然的にモノやお金は以前より少なく済むようになり、月15万円でも心は満足するというようなこともあるわけです。

モノから心へという方向性の人にとっては、それは「ない者のひがみ」みたいにとらえられるでしょうが、心の満足度は、必ずしも、モノやお金のあるなしで決まるわけではないのです。

とはいえ、モノから心の方向性も悪いわけではなく、モノがなければ生きていくのも不自由などころか、食べ「もの」でいえば、それを取り込まないと死ぬ生物である人間は(食べなくても生きられるという人もいますが・・・一般的に見て)、物質・モノ、それを入手するために必要なお金は、現代ではなくてはならないものでもあります。こちら(モノ・お金の充実で心が満足)の方向性を目指すのも、基本で当たり前です。

だから、モノによる心の充実を無視するわけにはいかないのです。

それで、話を戻しますが、結局、このような物質と精神(心)の両(双)方向性、統合的視点を持ち、思考と感性がともに極まった時、ひとつの新たな世界が見えてくるような仕組みになっていると、タロット的には考えられます。

どちちかに過度に傾くことなく、両者を同じものとして見ることの出来る観点を獲得するのが重要と言えます。

それは、内と外という分け方でも言えることで、自分(軸)と他人(軸)とも表現でき、苦痛・努力と快楽・簡単という見方もできます。

そのどちらが正しいわけでもなく、あえて正しさがあるとすれば、それはその上(統合視点、時には下の場合もあります)にあり、今、葛藤している自分自身にはまだ見えていないところだということです。(これは、マルセイユタロットの「恋人」カードの象徴にもなります)

逆に言うと、悩みや葛藤は、二元、ふたつの方向(選択)を超える示唆があるということなのです。

と書いてきところで、最初の占いとリーデイング、過去方向と未来方向の話に戻ります(笑)が、タロットを持っている人は、この年末、今年を分析し、何を学び、何を得たか、あるいは、こだわらずに捨てられるようになったかという経験や蓄積の視線で、ましめに振り返って気づきを得ること(すなわちリーディングすること)と、反対に、来年はどんな年になるのかな? どんな年にしようかな? 吉かな?凶かな? いい人と出会える? 仕事はうまく行くの? などと現実的かつロマンをもった視点で、楽しく占ってみてください。

両方やってみると、どちらも楽しめたり、またどちらもあまりピンとこないなあ・・・とかになったり、ま、なんとでもなる(思う)のが私たち「人間」というものですね。(笑)

さて、今年はこれで最後のブログ記事となります。

つらつらとマルセイユタロットから得たり、感じたりしたことを書いて参りました。今年も駄文におつきあいくださり、ありがとうごございました。来年もまた、これまでと同様のペースで書いて行きたいと思います。

どうぞ、皆様、よいお年をお迎えください。


タロットの切り替え、処分について。

年末になってきますと、大掃除もありますし、一年の溜まったもの、いらないものを整理したり、処分したりしようという気持ちになる人も多いでしょう。

タロットリーダーにあっても、このタイミングで、古いタロットを新しいものに切り替えたいという人も出てくると思います。

そのような時、古いタロットの処分をどうするのかという問題が出てきます。

それなりに方法がいろいろとあるのですが、そのことは講座でお伝えするとし、ここでは、古いタロットの処分についての考え方、基本姿勢の視点をもって書いてみたいと思います。

結局ところ、これが答えみたいなものになるのですが、「あなたはタロットをどう思っていますか?」の質問の回答自体が、タロットの扱い、処分にも関わってくることになります。

極端なことを言えば、今のタロットは、ほとんど印刷された紙でできていますから、あくまで「物質」として認識すれば、まさに物質的処分、つまり「古い紙のカードを捨てる」という処分方法になります。もっとあからさまに言えば、「燃えるゴミとしての処分(方法)」です。

ということは、自分が住んでいる自治体の示すルールとやり方に従って、紙ゴミとして出せばよいのです。大切なのは、ここにも実は「ルールがある」ということです。たとえゴミであっても、勝手に捨てることができないのが今の日本の社会です。

しかし、タロットを神だと思っている人はいても(これもそう思うのは問題なのですが・・・)、ただの紙と思っているタロットリーダーはほとんどいないでしょう。(笑)

では、どのようにタロットリーダーである(またはタロットを扱うタロッティストである)あなたは、自分のタロットについて思っているでしょうか?

何かのツールではあるでしょうが、生き物のような、魂とか何かのエネルギーが宿ると見ているでしょうか?

その思い、認識のレベル・程度によって、タロットの処分も決めればよいのです。

タロットを、あなたが、「簡単に捨てることは忍びないと思うほどの存在」と見ている、「捨てると何か悪いことが起きると感じている」(それが正しいとか間違いとかは別として)・・・人それぞれの思い、感じ方があると思います。

それに応じた扱いと処分をしないと、結局、心理的に言えば、あなた自身が納得しないか、恐れや不安が残るのです。

また、タロットはサイキックな分野として扱われることも多く、もしあなたが、タロットをサイキックや魔法・魔術の世界の道具として扱っていた場合は、処分に関しても、それなりの儀式を必要とします。

この時のタロットは、明らかにただの紙ではなく、一種の霊的エネルギーの存在の通路やフィールド、依り代になっているからです。(そういう世界観の設定の道具となっているのを、処分時に解除する必要がある)

さきほど、ゴミ処理の時にもルールがあると書いたように、どの世界観においても、そこのルールがあるのです。ルールがある以上、そのレベルのルールに基づいて処分も必要とされます。

要するに、ただの物質としてのタロット、心理的に特別な(思いや感情が入る)タロット、占いの道具としてのタロット、サイキック・心霊的、魔法的道具してのタロット、遊び道具(カードゲームやライトな遊び感覚的な道具)としてのタロットなど、自分の扱いの種類と思い入れによって、処分の方法も決まってくるということです。

自分の扱いを超えた処分方法、またはその扱いに応えない処分方法(扱いや設定に比して過剰であったり、軽すぎたりするもの)は問題と言えます。

ただ、やはり、タロットリーダーである者、タロッティストである者は、タロットに関しては、大切な扱いと処分になってくるのは当然でしょう。

ですが、カードそのものが何か特別な力をもったり、存在であったりするというのではなく、カードに描かれている図像・デザインが、扱う者、見る者の中にある力を呼び起こすと考えたほうがよいです。カードさえ手に入れれば何とかなるというのではないのです。

そういう意味では、やはりタロットは、決定的に図像が大切であるということです。

その図像がはげてきたり、汚れていたり、裏から見ても何のカードからわかるような状態になっていたりすれば、意味をなさなくなってくることはわかるかと思います。(ほかにも、目に見えない部分の汚れ、劣化も蓄積して行きます)

だから、印刷物としてのタロットの寿命は必ずあり、それは同時に精神的・霊的な寿命ともリンクすることになるのです。

言わば、永遠性を持つ天上性の世界が、限定の地上世界に降りているのが、象徴的図像を通して印刷の紙となっているタロットと、それを扱う人(寿命を持つ肉体と、永遠性の魂を持つ人間)との関係になっているのです。

地上にあるものは終わり、そして再生される宿命にあります。現実のタロットも物質である限り、同様です。新しいものに切り替える理由は、こういうところにもあるのです。

具体的処分方法については、教わっている先生にお聴きすればよいでしょうし、先生や師がいらっしゃらなければ、今やネットを検索すれば、必要な情報はたいてい入ります。

私たちは、始めること、創造することをポジティブに見る向きがあり、タロットを入手し、リーディングしたり、自分に使っていったりすることを楽しく思います。

反面、現実世界に、物事の終わり、死、破壊、収束という方向性もあることを忘れがちです。

タロットも替え時や終わり(寿命)があるのです。

タロットリーダーであるなら、生と死の象徴がタロットにも描かれていることは知っているでしょう。

あなたの使っているタロットも、死と再生を繰り返し、カード自体の見た目に変化はなくても、あなたの学びや経験が新しいタロットに受け継がれ、大きな意味では(実は自分が)成長、リニューアル、発展していくのです。


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