タロットの使い方
環境やテーマによって個性が表れること
マルセイユタロットの大アルカナを見ていますと、「人のそれぞれ」ということに思い至ります。
一言で言えば、個性というものになります。
マルセイユタロットの仕組み(全体構造)と、この世の仕組みは似ているところがあります。
というより、タロットが似せているわけですが。
それによりますと、今述べた22枚の大アルカナは、人のそれぞれ(個性)を象徴すると同時に、一人一人の中にある個性(性格・人格・可能性など)をも表していると取れます。
一種の多重構造です。
そうして考えますと、私たちは一人の表現・個性として、ある特別な色合いを帯びますが、それはほかの人や全体と比べた場合のことであり、自分自身を全体としてとらえますと、自分の中にも様々な色(性格や個性)があるとわかるのです。
自分の性格や能力・個性はひとつ(あるいは数個)だというのも思い込みであり、本当はどんな色にもなれると言いますか、持っているものと考えられます。
ただ、それなのに、やはりある程度のカラーは固定されているように見えるのは、それは対比されるものが、ほかの人や社会という自分の見ている外側と比べているからです。
言ってみれば、自分の個性は、自分が意識し、所属する集団や組織・環境の特徴によって決まることもあるわけです。
自分の周りがかなり大人しい人ばかりだと、もしかすると、あなたは積極的な個性を持つ(表現をする)ようになるかもしれません。
そうした中で、自分の思っていた積極表現よりも、もっと「積極的な」表現をする人が現れたら、今度はやはり消極的に変化する可能性もあります。
それから、周囲の環境と価値観によって、自分の個性または能力は、長所にも短所にもなります。
動物好きで、動物を扱うことに慣れている人が、都会で動物がほとんど見かけない環境よりも、自然豊かで動物が多い環境のほうが能力と個性を発揮できるでしょう。存在感やその人の価値も増します。
一方、パソコンや機器が好きで、その知識もある人は、そういった道具がない環境では個性は発揮しにくいですが、現代社会のほとんどの仕事の中では個性を出せます。
またたとえ引きこもりの人であっても、何か閉じこめられたところで、時間がたくさんあるような環境に放り込まれた時、皆に退屈にならない過ごし方を教えられるかもしれません。
ということは、個性と環境の相性も大切だということです。
単純に考えて、自分の能力や個性を発揮できない場所にいては、もったいないことになります。
砂漠で水は非常に貴重ですが、水道のある場所、豊富な水量のあるところでは、その価値は低くなります。
どんな人にも個性として、苦手な部分と得意な部分、好きなものや嫌いなものがあります。
「水を得た魚」ということわざがあるように、自分に合ったところでは、自分も力を活かしやすいですし、ほかの人にも貢献しているように見えます。
ただ、先述したように、自分の中には、タロットで例えますと、22くらいの能力や個性が潜在していますから、生育史から作られたものや、もともと持って生まれた傾向はあるにせよ、自分の属する集団や環境によっては個性や能力も変化(切り替わり・発動)することがあるので、一概に、自分の個性はこうだと決めつけるのも早計です。
意外に、自分に合わないと思っていた環境や大変なところ(負荷をかける経験)で、潜在的な能力が目覚める場合もあるのです。
とにかく、うまく行かない時は、内面や考え方を変えるのもいいですが、いろいろと環境を変えたり、チャレンジしてみたりして、自分に隠れている個性が出てくることでの効果を期待するのも面白いでしょう。
また、マルセイユタロットを使っているとよくありますが、自分があるタイミングや時期・周期で、なっておくとよい個性や性格(人物)像というものがカードで出ます。
それは自分の問題やテーマをカードで展開し、リーディングしている時に、決まって登場するようなカードで象徴されます。
そしてある時を境にして、そのカードがあまり出なくなります。
こうして自分にある現実性(表面性)の自分と、潜在的な自分、神性的な自分との融合を果たしていくのです。
タロットリーディングのひとつの意味は、それも含まれています。
タロットを読む前に、すでに効果があること。
これまでの経験上からも言えますが、タロットを展開してリーディングするという行為自体に、癒しや浄化が起こることがあります。
言い方を換えれば、リーディングする前に、すでに答えが見つかったり、問題が解決に向かうみたいなことです。
これはまず、論理的(現実的)に考えることができます。
タロットを展開して読む、読んでもらうということは、何か問題を抱えていたり、悩んでいたり、迷っていたりする状態がほとんどです
つまり、心がすっきりとしていないのですね。
ところが、タロットをシャッフルしてカードを引き、それを並べていく行為の中で、次第に心が落ち着き、整理されてくることが多くなります。
「問題と向き合う」という気持ち・決意が、集中性と静寂性を生み、さらにカードを引いて展開することが、ある特別な作業となり、意識が通常とは異なるものに移行(シフト・チェンジ)します。
その上で、カードは絵になっていますから、その絵柄を見ることで、自分の心を投影したり、客観的に自分の状況を置き換えて見ることが可能になります。
特にマルセイユタロットは、特段恐ろしい印象を与えたり、わけがわからないような絵柄とはなっておらず、むしろシンプルで、元型と呼ばれる人間の共通パターンを描いていますから、心を投影するのにも、わかりやすいものがあります。
つまりは意味がわからなくても、なんとなくニュアンス・雰囲気を感じ取ることができるのです。
というようなわけで、すでにカードを引く一連の行為の中で、その特別な時間と空間も相まって、自分の心が整理され、悩んでいることの意味や対処が見えてくることがあるのです。
少なくとも混沌とした状態から一歩抜け出すことになります。
さて、一方で、論理(常識的な理屈)ではなく、神秘性において、リーディングする前に事態が変化することを述べてみます。
ここからの話は、信じられない人は無視していただいて結構です。
タロットカードは絵柄でできた高度な象徴なのですが、単なるイメージ的な「象徴」というだけではなく、現実とリンクする、ある特殊なエネルギー体のようなものにもなっています。
それは絵(図形)に秘密があるのですが、ここではふれません。
そしてこの世界もエネルギーでできていると考えれば、タロットカードは、自分の見ている世界のひな型としてのコントロールパネルのようなものになります。(あくまで「自分の見ている世界のひな型」ということが重要です)
カードそのものが、現実の外の世界の同じエネルギー種としてつながっていると考えられるのです。
従って、カードを展開して、ある「形」「型」を示すことで、(自分の認識する)時間と空間に影響を及ぼし、物事が加速したり、変化したり、進展したりするということになるのです。
ただ必ずというわけではなく、ある一定の条件が必要だと想像されます。
また、すべて(他人)の世界に影響を及ぼすのではなく、カードを引く自分、あるいはクライアントとしてカードを引かれる者の、(思考する・信じている)世界への影響ということがメインです。
これにはまず、カードを単に絵や空虚な象徴として見るのではなく、実体や生き物のようにとらえ、それと強いコンタクトが取れるような感覚になっていることが求められます。
それから、カード展開に現実が表れていると実感する意識です。タロットで示されたものがリアルに思える感覚と言ってもいいでしょう。
これはタロットリーダーが意識操作によってクライアントとカードをつなげていくこともできるのですが、やり過ぎると危険であったり、逆効果だったりするので、ほどほど感がいります。
結局、カードへの信頼性、リアリティがポイントだということなのです。
ただ、こうしたことが信じられなくても、先述したように、カードを引いて展開するという行為だけでも、心が整理される効果があります。
その時、急いでカードを引いてしまわず、自問自答したり、ゆっくりカードを並べたりしながらするといいですし、タロットカードを展開する時間と場所は、いつもより特別なものにしたほうが、さらに効果が出ます。
また、自分一人でするよりも、タロットリーダーや、タロットを学んでいる人ならばその仲間と一緒に展開したほうが、より客観性は増して、冷静に自分を見ることができるでしょう。
その分、問題の解決や脱出のための糸口もつかみやすくなります。
もちろんカードの意味を学んだ人のほうが、展開している最中にすでに意味もおおよそはわかりますので、カードをまっくた知らない人より、リーディングする前における影響というのは大きいでしょう。
サプリ摂取とタロットコンビネーション
今日のタイトルから、「えっ、あるサプリを取ると、タロットがよく読めるの?」みたいに思った人は、まったく話が違うことなので、期待はずれにならないうちに、記事は飛ばしていただいたほうがいいです。(笑)
最近は野菜などにも昔ほど栄養がないと言われ、また健康増進や健康維持に関心を持つ人も増えた(逆に言えば、皆、健康に何らかの不安を持っている)ことで、サプリメントを飲んでいる方も多くなったように思います。
もちろん、そこに商売の目をつけ、いろいろな人がサプリを売るために、かえって煽っているようなところもあるかもしれません。
それはともかく、今の人はサプリを摂取することで、体に足りない何かの栄養や要素を補っている(補うことができる)と考えます。
確かにそれで、ある栄養素は取れるのかもしれませんが、果たして、人体にその栄養素やビタミンのようなものが、きちんと効果的に吸収されているのかと言えば、疑問もあります。
大量に摂取すればいいものではなく、何事も過剰はバランスを崩します。
だいたいは、多く取りすぎたものは排出されるようで問題は起きないのでしょうが、やはり懸念されるところはあります。
私が思うのは、サプリで補おうと思う栄養やビタミンなどが、本当はほかのものと複合的に相まることで、身体によいものとして効果的に取り入れられるのではないかということです。時には合わさることで、何か新しい、栄養やエネルギーに変化していることもあるでしょう。
つまり、栄養やビタミンが単体で何かの特定の役割を持っていたり、効果があったりはあるにせよ、実はまだまだ隠された仕組みがあって、それはほかのいろいろなものと複合することで、免疫力を向上させたり、病に効果を及ぼしたり、健康を維持させたりするよう機能している部分があるのではないかということです。
その組合せや仕組みは、相当複雑なものがあると思います。(しかし、実はシンプルな気もします)
極端な話、将来、食事としてではなく、計算された栄養素のサプリとか飲料のみで人体は維持できるかもしれませんが、それではどこか抜け落ちているというか、本当の意味では生命の維持と活力を出すには不足するのではと想像します。
まだ私たちが知らない単体以外の栄養素やビタミンの(複合的)機能、また、食べ物同士がいろいろと重なって摂取され、合わさることで生み出される、未知の状態や要素というものもたくさんあるのではないかと考えられます。
食事が大事なのはここにあるのでしょう。
もし、それが、西洋の思想として昔からある「四大元素」的なものでとらえられるとするならば、私たちは食べ物とか自然環境などで、健康のために見逃している大きなものがあるのかもしれません。
さて、突然話はタロットリーディングに変わりますが、上記とは無関係ではありません。
長々とサプリとか栄養の話をしてきたのにはわけがあります。(笑)
私が使い、教えているタロットはマルセイユタロットですが、このタロットによるリーディングも、カード単体や少ない数枚での引き方(タロットの展開法)で行うこともできますが、主に、もっと枚数の多い展開法で実践します。
ということは、単純なカード一枚や二枚の意味ではなく、複合的に、様々に合わさった意味が表出されてくることになるのです。
カードが多く組み合わさることで、この複雑な私たちの世界を表すことができるようになります。
それゆえ、私たちの悩み事や世界(心と現実)の整理にも役立つのです。
これは、言わばサプリである栄養素を単体で取るというのはではなく、よい食事をすることでいろいろなものが有機的にからみあい、新しい栄養素が生み出されたり、身体の維持や健康ための機能に役立てられたりするのと似ています。
食べ物や空気などから、まだ私たちが解明できない身体のための複合的要素が生み出されている(かもしれない)というのは、ある意味神秘的であり、その完璧なる合成と調整能力に、神なるものを見ます。
マルセイユタロットのカードからなる複合的な世界観は、そこにまた神秘や神性を見ることがあるのです。
ということで、マルセイユタロットの真髄は、やはりカードを単体や少ない枚数で使うのではなく、ある程度の枚数を組み合わせること、さらには78枚全体を通して考察することにあると私は思っています。
タロットの直接的・間接的扱い。
タロットの使い方としては、様々なものがありますが、大まかににわけるとすると、二通りで考えることができます。
ひとつはタロットを直接使う方法、そしてもうひとつは間接的に使うというやり方です。
直接に使うというのは、タロットリーディングやタロット占いを想像していただければわかりやすいですが、タロットを直接引いたり、展開したりして、自分あるいは他人の質問に答えるというものです。
さて、もう一方の間接的にタロットを使うというのは、タロットを、あるモデルや元型的な象徴としてとらえ、物事の把握、真理の追究、状況の整理、心理的・霊的な解放と発展に使うというものです。
タロットを直接引いたりすることが少ないので(引くこともありますが)、間接的と述べています。
私の場合、ある時から、もうほとんどタロットを間接的な方法で扱っています。
直接的にタロットを引くこともありますが、どちらかといえば、間接的に使うほうが個人的には面白いのです。
あと、直接的に扱う場合でも、質問に対するタロット展開をするというより、タロットの絵柄やエエネルギーを感じて、瞑想のような方法で、タロット(の表す「何か」)とコンタクトして、自分を見つめ、整理するのに使うことが増えました。
不思議に思うかもしれませんが、個々の質問に対してタロット展開して読むというより、一枚あるいは数枚のカードをイメージして(あるいは実際に目の前に置いたりして)、回答を待つというような姿勢のほうが、展開を読むより、はっきりとわかる場合があるのです。
ただし、心がクリーンでなかったり、落ち着く状態になかったりする時は、展開をしたほうが気づきがあったり、指針が受け取れやすかったりすることもあります。
それはマルセイユタロットの独特の読み方になりますが、絵柄に画かれた細かな象徴(シンボル)を客観的に拾っていくことで、いわば物理的(心で感じるというのではなく、実際に出ている象徴のカウントや事実的な観察という意味)な観点で見ることが可能だからです。
もちろんそのカウントした象徴の意味の解釈は、やはりイメージや心と結びつきますので、純粋に客観的なものとはいえませんが、出たままの象徴の数や形をそのまま発見していくというのは、それでも通常よりは客観性を持つものです。
だから心がブレているような時に、こうした、「展開してタロットを読む」というのは有効なのです。
それから、直接・間接という意味では、タロットに関係している「直接」という意味と、タロットそのものとは直接関係はないものの、全体として見ると、タロットを扱うことには意味があるということでの「間接」があります。
言い換えれば、後者は、「タロットをする(扱う)という行為自体に意味を持つ」という考えです。
私たちは何かと日常は忙しかったり、ただ習慣的に惰性で流されていたりするものです。
言ってみれば、あまり自分や物事を深くを意識することがないまま、オートマチックに一生過ごしてしまいがちなのです。悪く言えば、一種の睡眠奴隷状態とも言えます。
ここで、タロットをする時間というのを持ちますと、意識に変化が生じます。
というのは、タロットをリーディングしたり、扱ったりすることは、通常の意識が特別なものに変化しなければできないようになっているからです。
その特別な意識になることで初めて、自分自身とまともに向き合ったとか、重要なことなのにそのまま見過ごしていたとか、自分の中にほかの意識が存在していたとか、夢や目標、本当にしたいこととはこれだったのかとか、そのような気づきが現れ、日常の奴隷意識状態からの解放、意識の覚醒のようなものが始まるのです。
特にマルセイユタロットは絵柄の構図そのものに秘密があり、そうした意識の変化が生じやすいよう設計されています。
そのため、マルセイユタロットと出会う縁やタイミング、さらには出会っても、関係を続けていくかどうかの縁なども、特別なものがあると私は考えています。
とにかく、タロットは、その扱いの中でも、直接的なものだけではなく、間接的な方法にも注目してみるとよいでしょう。
直接的にタロットを扱っていた時よりも、それだけあなたの世界は豊潤なものとなっていきます。
行動に移せない理由
ここでは、ふたつの観点からその理由を見てみます。
それは、
●やり方がわからない
●やる気にならない
というもの(理由)です。
これも陰陽原理みたいなものです。
やり方が表で、やる気が裏、方法(技術・知識)と心(感情・モチベーション)の問題と言い換えてもよいでしょう。
このふたつは、一緒になっていたり、別々であったりします。
しかしながら、区別して見たほうが解決も早く、行動もはっきりしてきます。
最初の「やり方がわからない」という場合、自分のリアリティや世界観の経験値が不足していることが多く、簡単に言えば、自分の知らない世界は知らないという状態です。
例えば、タロットを学習する人で、タロットリーダーやセラピストとして自営を目指したいという方の場合、
そもそも独立する具体的な方法がわからない、お金を自営で稼ぐ方法がわからない(雇われて働くくらいしか思いつかない、経験がない)などがあります。
どこでタロットリーディングして、どのようにお客様を呼ぶのかという「やり方」がわからず、
実践的に動けないわけですね。
これはいくらセラピーやタロットの勉強をしても解決しませんから、ひたすら専門技術と知識を極めても関係なく、入れる情報の分野が異なるわけで、学ぶ内容や方向性を変える必要があります。(知らないことは人に聞いたり、学んだりすることが必要)
ここでも、とにかくやってみる(実践してから、わからないことを聞く)というタイプと、頭や知識から入るというタイプがいて、自分にあったほうで始めるとよいです。
大切なのは、何がわからないのか、何を知らないのかということを自覚し、その知識を持つ人や、専門家、モデル、書籍、講座などから情報を入手することです。つまりは目的にあったやり方を学ぶことです。
ただし、自分の個性に合わない方法を学ぶと、遠回りや苦痛が増えますので、自分の特質は知っておいたほうがよいでしょう。
あと、後者の、「やる気にならない、やる気がおきない」という場合は、いくらやり方を学んだり、その情報を入れたりしても、やはりこれも方向性が違うので、努力の割に無駄が多くなります。
自分をブロックしているものは何か、行動に移せない気持ちは何か、あるいは、そもそもそれを行うことが本当の自分の気持ちに合致しているのかなど、見つめ直し、ブロックならば解消することも場合によっては必要となるでしょうし、合わないということならば、やめる勇気も大切となります。
行動の最初の動機が、実は何か違うことがしたかっただけとか、違う自分になりたかっただけとか、自分の価値を自分で認められるよう何かをしたかった・・みたいなことはよくあるものです。
つまりそれを行うこと・達成すること自体が目的(その対象自体が目的)ではなく、自分の心の葛藤が、そのまま自分の行動面における膠着状態として現れていたということです。
例えば、婚活しなければ・・と思っているのだけれどなかなか積極的にできないというのには、結婚が目的ではなく、変わりたいけれど変われないとか、経済的な将来の不安を解消したい思いが婚活を自分に強要していたとか、まあ、そんなこと(葛藤や真の悩み)が隠されていたような状態です。
また、やり方を知らないから不安になっていて、行動をブロックしていたという両方がからむ場合もありますので、やはり行動に移せないのなら、心から探ることは効果的です。
とはいえ、一人ですべて調べる(自分の心の内を調べる)のは難しいことがあります。
自分のことは自分でわかっているようで、意外にわからないものだからです。
ですから、人の力を借りるとよいです。あるいはツールとして、ほかのモノやほかのモノサシを使います。それがタロットでも可能です。
それから、何かができないことは必ずしも悪いことではありません。
積極的なこと、ポジティブなこと、あることができることはすばらしいという誤解があります。
昼があれば夜があるように、動けないこと、できないこと、それそのものにも(よいと思える)意味があります。
心や体を守ってくれていたり(休息の必要性)、うかつに行動することにストップをかけていたり、事故に遭う危険性を警告していたり、蓄積や発酵・醸成させていくことが示唆されていたり・・・まさにマルセイユタロットでいえば「吊るし」や「月」で象徴されるようなタイミングや時期があるのです。
物事が成就するのにも、季節と同じように4サイクル(春夏秋冬、始まりからピークを迎え、収穫ののち衰え、籠もる時期を経て、また始まるサイクル)があります。理念的には3サイクル(創造・維持・破壊)でもあります。
タロットカードを引くことにより、その象徴性をもって、自分がどの時期にいるのか、どの状態なのか、調べることもできるのです。