タロットの使い方

マルセイユタロットを学ぶ人のタイプ(事後編)

気がつけば、たくさんの人にマルセイユタロットを教え、伝えてきました。

まあ、ほかの人から見れば、大したことのない人数ではありますが、自分が思っているより、特に関西では広まっているのかもしれないと感じさせることはあります。

このマルセイユタロットは日本ではマイナーな部類のタロットで、それでもここ10年くらいは、だいぶん知られてくるようにはなりました。その分、興味を持つ人、使ってみたい方も出て来ています。

ただ、あまりマルセイユタロットを教える人が少ないので、どうしても行き着くところ、決まった人になってくるのかもしれません。

そんな中で、マルセイユタロットを学びに来る人の傾向が、やはりあります。

今回は、むしろマルセイユタロットを学んだあとに注目して、そのタイプ分けをしてみます。

A.マルセイユタロットをメインに、自己探求的に使う方

B.マルセイユタロットを学んだのは、あくまで、ある目的のための手段の方

C.マルセイユタロットと、他の学びや技術を融合、あるいは一芸として持つ方

D.その他

という感じでしょうか。

それぞれ、簡単に説明します。

Aタイプの人は、マルセイユタロットを学び、いわば、このタロットに惚れ込んでしまった人(笑)で、これ以外にはあまり象徴ツールとして関心が行かず、特に精神や心の分野において、マルセイユタロット中心で考察していくような人です。

大げさに言えば、マルセイユタロットと出会うことが人生の大きな目的のひとつ、みたいになってくるタイプです。

何を隠そう、私自身がこれです。(^_^;)

Bタイプの人は、ある目的、例えば成功したいとか、人を癒したいとか、自立したいとか、真理を悟りたいとか、心を楽にしたいとか、とにかく、自分なりの目標や目的があり(当初はおぼろげなからでも)、そのための一環、手段としてマルセイユタロットを使っていく(あるいは学んだ)というタイプです。

タロットリーダーやタロット占い師になる人もいれば、マルセイユタロットを学習したことで、もっと別の技法やツール、また、人や新たな機会と出会うことになったということもあります。

つまりは、マルセイユタロットを習うことがひとつの過程である(あった)というタイプです。

Cタイプの人は、Bタイプと似てはいるのですが、そう強い目的意識があるわけではなく、マルセイユタロットを学ぶのは、自分の知識や持つ技術の幅を増やすという感じで、いろいろと学びだかる性質があります。

ですから、まさに学びのひとつ、身につけた技術のひとつとしてマルセイユタロットを位置づけています。そのような人は、言わば、マルセイユタロットは特別なものではなく、多くの中のひとつ、あるいはほかにメインのものが自分にはあるという方になります。

たくさんのものを活かしてセッションする人もいれば、ただコレクションとして持っている人もいます。

Dタイプはその他で、たまたま友人が学習していたからつきあったとか、何か趣味や新たな友人でももとうかと思って習ったとか、ヨーロッパが好きでとか、絵柄にひかれてとかの人で、ほかのどのタイプにも属さない人です。

タロットへの興味というより、コミュニケーション・機会として偶然出会ったという印象が強くなります。従って、学習後は、マルセイユタロットがお蔵入りすることもしばしばです。

もしマルセイユタロット学習後、誰かにこれを伝えたいとすると、上記の各タイプ別で、やはり伝え方は変わってくるでしょう。

熱意ということでは、Aタイプの人が一番ですが、あまりに力が入り過ぎることもあるので、マルセイユタロットを使う相談セッションや講師を仕事として行うとすれば、案外、BタイプやCタイプの人が現実的には優れているかもしれません。

ただ、マルセイユタロットには、ある種の意志や縁が強く働くと見ています。

マルセイユタロットを伝達するには、逆にマルセイユタロットから選ばれるようなところもあると言えます。

単に商売の道具として扱うと、マルセイユタロットがあなたから離れるか、あなた自身がこのタロットへの関心を失うでしょう。

実は、今後、私も一人でマルセイユタロットを伝えていても限界があると思い(ややおこがましいところもありますが)、マルセイユタロットが教えられる人を育てたいう方向にシフトし始めています。

それには、マルセイユタロットへの愛がある人を対象するのが、まずは基本だと考えています。


ひとつのシンプルな悩み脱出法

何か心配ごとで不安になったり、時には思うようにいかない事(人)に対して、腹立ちや怒りが起こったりすることは、誰にでもあります。

悩むことは悪いことではありませんし、そもそも(ネガティブな)感情や思いが出ること、悩んでしまうことを止めるのも難しいことです。

ですから、これに対処するとすれば、起こる前から対策することと、起こったあと(感情が出た)の処置を工夫するということになるでしょう。

起こる前から対処するというのは、ひとつには、自分(の考えや枠、囚われなど)を変えて、従来だと不安に思ったり、心配したりするようなことでも、今は、前のようにはならないとする方法があります。

次に、起こったあとの処理の工夫ですが、これは意外と効果のある方法と言いますか、すごくシンプルでありながら、案外、私たちはやっていないことを述べます。

それは、起こったことは仕方ないと諦めることです。まさに諦観と言えましょうか。

何かの状況に対して、程度の差こそあれ、感情が出る(起こる)ことは仕方ありません。それを現在進行形(感情が起きている状態)でコントロールすることは極めて難しく、不可能に近いです。

ですから、いっそのこと、その出た後に注視するわけです。

そして、すでに起きてしまったこと、そのような状況になってしまったこと、経験してしまったことは元に戻らない(時間を物理的には戻せない)と、当たり前のことを当たり前に自分に言い聞かせます。

例えば、旅行を計画していて、晴れを願っていても、実際その日に雨になってしまったら、それが悔しかったり、残念だったりするかもしれませんが、それはそれで感情としては当然です。

しかし、ここで「天気なら良かったのに・・」「もしかすると、午後からは晴れるかもしれない!」「あいつが雨男・雨女だから、こうなったんだ!」「ああ、なんて不運、私はついてないわ・・」など、雨であることを悩んだり、雨になってしまった要因などを気にしたりしても、実は何も始まらないわけです。

とにかく、現状は「雨である」という、そのこと自体をしっかりと「受け入れる」ことです。

これらはシビアな現実視点ではありますが、だからこそ、一時の感情の嵐からも抜け出やすくなります。

マルセイユタロットでいえば、「正義」や「皇帝」の視線、あるいはその反応やアクションと例えることもできるでしょう。

余談ですが、マルセイユタロットは実にうまくできており、混乱した時の精神的・実際的対応が、きちんとカードの順番通りに象徴化されています。

言ってみれば、トラブルに対する処置がモデル図案化されているようなものなのです。本当に私もこれで何度も救われています。別にカードをシャッフルして引かなくてもいいのです。

さて、話を戻しますが、先の例のように、起こったこと、今の状況・事実をありのまま受け入れることで、ずいぶん問題意識は軽くなります。

ところが、この、「ありのまま事実を受け入れる」ということが、簡単なようで、私たちはなかなかできません。いや、忘れがちと言ってもいいでしょう。

それは、「思うようにならなかった」あるいは「想定外になった」「不快な状況になっている」ということで、理性よりも感情が先に立ち、いつものバランスを失い、一種の落とし穴のような、傾いた場所に入り込んでしまっているからです。

ただし、いきなり冷静になれ、というのも無理な話です。

冷静になれないのは、それだけ期待していたことではなかったということや、想定外のことが起こり、本人にはショックだった、感情的にどうしてもならざる得ないことを物語っているからです。

他人から見たら、なんでそんなことに不安になるの?、怒るの?みたいなこともあるかもしれませんが、当人にしてみれば、やはりショックでナーバスなことなのです。

従って、すぐに事態が受け入れられないということも、人間としては普通であり、自分がもしそうなっても、過剰に「ダメな人間だ」「何とかしなければ」と思う必要はないのです。

ショックに対して、さらにネガティブに自分を評価する(自分を下げる)ことこそが、実は抜けられないループを生み出す大きな要因なのです。

とにかく、習慣として、今からでも、「起きてしまったものは仕方がない」と、事実をありのままに受け入れ、そのこと自体(起こったこと自体)への後悔の念などは、あきらめるようにするとよいでしょう。

これは非常にシンプルなのですが、心を落ち着かせるには絶大な効果が、人によってはあります。

だからと言って、「仕方ない」とそのまま放置するのではありせん。

ひとまず、時間は戻せないことを強く思い直して、「ではこれからどうしたらよいか?」「この状況はひとまず受け入れた、次に自分はどう動こう?」みたいなことを考えていけばよいのです。

先のお天気の例でいえば、「雨が降っているのだから仕方ない」と雨天の事実を受け入れ、そこから「傘を持って出かけよう」とか、「訪れる場所を一部変えてみよう」とか、「旅行は今回はキャンセルし、次の機会にしよう」とか、仕切り直していけばいいのです。

言ってみれば、自分で変えられることと、自分ではもう変えられないこととを、きちんと分離して考え、行動するという方法です。

「体重が増えてしまった」そのことは今の瞬間に「痩せろ」と言っても、魔法使いではありませんから、そんなことはできません。

太ってしまったことを悔やんだり、スタイルが悪くなったことを悲しんだりすることはあっても、それをずっと思い続けれぱ、何も変わらないだけではなく、そのネガティブなエネルギーが自分を攻撃したり、執着となったりして余計事態を固定してしまうことになります。

上の例で言いますと、太ったまま、ますます変わらないか、余計に自分の思うネガティブな(悪い)姿になってしまうというものです。

何事も、予防したり、あらかじめ悪くならないようにしたりすることは大事ですが、気をつけていても不測の事態は起こりえますし、すべて自分の思い通りにいくものではないのが世の常です。

そこで、なってしまたものは仕方ない、起こってしまったものは仕方ないと、一度事実を受け入れ、諦めることで、新たな打開策や解決策も見えやすくなります。何より、深刻になりすぎることを防ぎます。

この一時的な諦観をすると、問題は意外に自分が勝手に重くしていることに気がつくことがあります。

そして自分を縛ったり、強く規定しているルールや法則、思い込みのようなものに思い至ります。

さらには、そうした自分ルール、自分のいい・悪いの価値観が、実は自分の運命も回しているのだと、発見できればしめたものです。

マルセイユタロットの「運命の輪」の表すところから言いますと、先述の旅行と雨の関係の場合、「雨を降らせている」のも、「自分自身の作る運命」がそうさせているとなるのです。


環境やテーマによって個性が表れること

マルセイユタロットの大アルカナを見ていますと、「人のそれぞれ」ということに思い至ります。

一言で言えば、個性というものになります。

マルセイユタロットの仕組み(全体構造)と、この世の仕組みは似ているところがあります。

というより、タロットが似せているわけですが。

それによりますと、今述べた22枚の大アルカナは、人のそれぞれ(個性)を象徴すると同時に、一人一人の中にある個性(性格・人格・可能性など)をも表していると取れます。

一種の多重構造です。

そうして考えますと、私たちは一人の表現・個性として、ある特別な色合いを帯びますが、それはほかの人や全体と比べた場合のことであり、自分自身を全体としてとらえますと、自分の中にも様々な色(性格や個性)があるとわかるのです。

自分の性格や能力・個性はひとつ(あるいは数個)だというのも思い込みであり、本当はどんな色にもなれると言いますか、持っているものと考えられます。

ただ、それなのに、やはりある程度のカラーは固定されているように見えるのは、それは対比されるものが、ほかの人や社会という自分の見ている外側と比べているからです。

言ってみれば、自分の個性は、自分が意識し、所属する集団や組織・環境の特徴によって決まることもあるわけです。

自分の周りがかなり大人しい人ばかりだと、もしかすると、あなたは積極的な個性を持つ(表現をする)ようになるかもしれません。

そうした中で、自分の思っていた積極表現よりも、もっと「積極的な」表現をする人が現れたら、今度はやはり消極的に変化する可能性もあります。

それから、周囲の環境と価値観によって、自分の個性または能力は、長所にも短所にもなります。

動物好きで、動物を扱うことに慣れている人が、都会で動物がほとんど見かけない環境よりも、自然豊かで動物が多い環境のほうが能力と個性を発揮できるでしょう。存在感やその人の価値も増します。

一方、パソコンや機器が好きで、その知識もある人は、そういった道具がない環境では個性は発揮しにくいですが、現代社会のほとんどの仕事の中では個性を出せます。

またたとえ引きこもりの人であっても、何か閉じこめられたところで、時間がたくさんあるような環境に放り込まれた時、皆に退屈にならない過ごし方を教えられるかもしれません。

ということは、個性と環境の相性も大切だということです。

単純に考えて、自分の能力や個性を発揮できない場所にいては、もったいないことになります。

砂漠で水は非常に貴重ですが、水道のある場所、豊富な水量のあるところでは、その価値は低くなります。

どんな人にも個性として、苦手な部分と得意な部分、好きなものや嫌いなものがあります。

「水を得た魚」ということわざがあるように、自分に合ったところでは、自分も力を活かしやすいですし、ほかの人にも貢献しているように見えます。

ただ、先述したように、自分の中には、タロットで例えますと、22くらいの能力や個性が潜在していますから、生育史から作られたものや、もともと持って生まれた傾向はあるにせよ、自分の属する集団や環境によっては個性や能力も変化(切り替わり・発動)することがあるので、一概に、自分の個性はこうだと決めつけるのも早計です。

意外に、自分に合わないと思っていた環境や大変なところ(負荷をかける経験)で、潜在的な能力が目覚める場合もあるのです。

とにかく、うまく行かない時は、内面や考え方を変えるのもいいですが、いろいろと環境を変えたり、チャレンジしてみたりして、自分に隠れている個性が出てくることでの効果を期待するのも面白いでしょう。

また、マルセイユタロットを使っているとよくありますが、自分があるタイミングや時期・周期で、なっておくとよい個性や性格(人物)像というものがカードで出ます。

それは自分の問題やテーマをカードで展開し、リーディングしている時に、決まって登場するようなカードで象徴されます。

そしてある時を境にして、そのカードがあまり出なくなります。

こうして自分にある現実性(表面性)の自分と、潜在的な自分、神性的な自分との融合を果たしていくのです。

タロットリーディングのひとつの意味は、それも含まれています。


タロットを読む前に、すでに効果があること。

これまでの経験上からも言えますが、タロットを展開してリーディングするという行為自体に、癒しや浄化が起こることがあります。

言い方を換えれば、リーディングする前に、すでに答えが見つかったり、問題が解決に向かうみたいなことです。

これはまず、論理的(現実的)に考えることができます。

タロットを展開して読む、読んでもらうということは、何か問題を抱えていたり、悩んでいたり、迷っていたりする状態がほとんどです

つまり、心がすっきりとしていないのですね。

ところが、タロットをシャッフルしてカードを引き、それを並べていく行為の中で、次第に心が落ち着き、整理されてくることが多くなります。

「問題と向き合う」という気持ち・決意が、集中性と静寂性を生み、さらにカードを引いて展開することが、ある特別な作業となり、意識が通常とは異なるものに移行(シフト・チェンジ)します。

その上で、カードは絵になっていますから、その絵柄を見ることで、自分の心を投影したり、客観的に自分の状況を置き換えて見ることが可能になります。

特にマルセイユタロットは、特段恐ろしい印象を与えたり、わけがわからないような絵柄とはなっておらず、むしろシンプルで、元型と呼ばれる人間の共通パターンを描いていますから、心を投影するのにも、わかりやすいものがあります。

つまりは意味がわからなくても、なんとなくニュアンス・雰囲気を感じ取ることができるのです。

というようなわけで、すでにカードを引く一連の行為の中で、その特別な時間と空間も相まって、自分の心が整理され、悩んでいることの意味や対処が見えてくることがあるのです。

少なくとも混沌とした状態から一歩抜け出すことになります。

さて、一方で、論理(常識的な理屈)ではなく、神秘性において、リーディングする前に事態が変化することを述べてみます。

ここからの話は、信じられない人は無視していただいて結構です。

タロットカードは絵柄でできた高度な象徴なのですが、単なるイメージ的な「象徴」というだけではなく、現実とリンクする、ある特殊なエネルギー体のようなものにもなっています。

それは絵(図形)に秘密があるのですが、ここではふれません。

そしてこの世界もエネルギーでできていると考えれば、タロットカードは、自分の見ている世界のひな型としてのコントロールパネルのようなものになります。(あくまで「自分の見ている世界のひな型」ということが重要です)

カードそのものが、現実の外の世界の同じエネルギー種としてつながっていると考えられるのです。

従って、カードを展開して、ある「形」「型」を示すことで、(自分の認識する)時間と空間に影響を及ぼし、物事が加速したり、変化したり、進展したりするということになるのです。

ただ必ずというわけではなく、ある一定の条件が必要だと想像されます。

また、すべて(他人)の世界に影響を及ぼすのではなく、カードを引く自分、あるいはクライアントとしてカードを引かれる者の、(思考する・信じている)世界への影響ということがメインです。

これにはまず、カードを単に絵や空虚な象徴として見るのではなく、実体や生き物のようにとらえ、それと強いコンタクトが取れるような感覚になっていることが求められます。

それから、カード展開に現実が表れていると実感する意識です。タロットで示されたものがリアルに思える感覚と言ってもいいでしょう。

これはタロットリーダーが意識操作によってクライアントとカードをつなげていくこともできるのですが、やり過ぎると危険であったり、逆効果だったりするので、ほどほど感がいります。

結局、カードへの信頼性、リアリティがポイントだということなのです。

ただ、こうしたことが信じられなくても、先述したように、カードを引いて展開するという行為だけでも、心が整理される効果があります。

その時、急いでカードを引いてしまわず、自問自答したり、ゆっくりカードを並べたりしながらするといいですし、タロットカードを展開する時間と場所は、いつもより特別なものにしたほうが、さらに効果が出ます。

また、自分一人でするよりも、タロットリーダーや、タロットを学んでいる人ならばその仲間と一緒に展開したほうが、より客観性は増して、冷静に自分を見ることができるでしょう。

その分、問題の解決や脱出のための糸口もつかみやすくなります。

もちろんカードの意味を学んだ人のほうが、展開している最中にすでに意味もおおよそはわかりますので、カードをまっくた知らない人より、リーディングする前における影響というのは大きいでしょう。


サプリ摂取とタロットコンビネーション

今日のタイトルから、「えっ、あるサプリを取ると、タロットがよく読めるの?」みたいに思った人は、まったく話が違うことなので、期待はずれにならないうちに、記事は飛ばしていただいたほうがいいです。(笑)

最近は野菜などにも昔ほど栄養がないと言われ、また健康増進や健康維持に関心を持つ人も増えた(逆に言えば、皆、健康に何らかの不安を持っている)ことで、サプリメントを飲んでいる方も多くなったように思います。

もちろん、そこに商売の目をつけ、いろいろな人がサプリを売るために、かえって煽っているようなところもあるかもしれません。

それはともかく、今の人はサプリを摂取することで、体に足りない何かの栄養や要素を補っている(補うことができる)と考えます。

確かにそれで、ある栄養素は取れるのかもしれませんが、果たして、人体にその栄養素やビタミンのようなものが、きちんと効果的に吸収されているのかと言えば、疑問もあります。

大量に摂取すればいいものではなく、何事も過剰はバランスを崩します。

だいたいは、多く取りすぎたものは排出されるようで問題は起きないのでしょうが、やはり懸念されるところはあります。

私が思うのは、サプリで補おうと思う栄養やビタミンなどが、本当はほかのものと複合的に相まることで、身体によいものとして効果的に取り入れられるのではないかということです。時には合わさることで、何か新しい、栄養やエネルギーに変化していることもあるでしょう。

つまり、栄養やビタミンが単体で何かの特定の役割を持っていたり、効果があったりはあるにせよ、実はまだまだ隠された仕組みがあって、それはほかのいろいろなものと複合することで、免疫力を向上させたり、病に効果を及ぼしたり、健康を維持させたりするよう機能している部分があるのではないかということです。

その組合せや仕組みは、相当複雑なものがあると思います。(しかし、実はシンプルな気もします)

極端な話、将来、食事としてではなく、計算された栄養素のサプリとか飲料のみで人体は維持できるかもしれませんが、それではどこか抜け落ちているというか、本当の意味では生命の維持と活力を出すには不足するのではと想像します。

まだ私たちが知らない単体以外の栄養素やビタミンの(複合的)機能、また、食べ物同士がいろいろと重なって摂取され、合わさることで生み出される、未知の状態や要素というものもたくさんあるのではないかと考えられます。

食事が大事なのはここにあるのでしょう。

もし、それが、西洋の思想として昔からある「四大元素」的なものでとらえられるとするならば、私たちは食べ物とか自然環境などで、健康のために見逃している大きなものがあるのかもしれません。

さて、突然話はタロットリーディングに変わりますが、上記とは無関係ではありません。

長々とサプリとか栄養の話をしてきたのにはわけがあります。(笑)

私が使い、教えているタロットはマルセイユタロットですが、このタロットによるリーディングも、カード単体や少ない数枚での引き方(タロットの展開法)で行うこともできますが、主に、もっと枚数の多い展開法で実践します。

ということは、単純なカード一枚や二枚の意味ではなく、複合的に、様々に合わさった意味が表出されてくることになるのです。

カードが多く組み合わさることで、この複雑な私たちの世界を表すことができるようになります。

それゆえ、私たちの悩み事や世界(心と現実)の整理にも役立つのです。

これは、言わばサプリである栄養素を単体で取るというのはではなく、よい食事をすることでいろいろなものが有機的にからみあい、新しい栄養素が生み出されたり、身体の維持や健康ための機能に役立てられたりするのと似ています。

食べ物や空気などから、まだ私たちが解明できない身体のための複合的要素が生み出されている(かもしれない)というのは、ある意味神秘的であり、その完璧なる合成と調整能力に、神なるものを見ます。

マルセイユタロットのカードからなる複合的な世界観は、そこにまた神秘や神性を見ることがあるのです。

ということで、マルセイユタロットの真髄は、やはりカードを単体や少ない枚数で使うのではなく、ある程度の枚数を組み合わせること、さらには78枚全体を通して考察することにあると私は思っています。


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